
本書の副題は「人生を見つめなおす10の物語」という副題がついている。7章構成の中で、仏教童話が10編取り上げられている。そのタイトルをまずあげてみる。後の括弧内の数字は取り上げられた章の番号である。
仏教説話 『香の火』『苦しみの器』(1)、『毒矢の例え』(3)
花岡大学 『ぞうとは どのようなものか』『すなの しろ』(2)
『美しい目の王子』(4)、『アマリリスのような おんなの子』(5)
新美南吉 『手袋を買いに』(6)、『ごん狐』(7)
芥川龍之介 『蜘蛛の糸』(10)
私自身はこの10の物語を今までの人生で、仏教童話として全て読んでいたかというとそうではない。大半は読んだこと、あるいは聞いたことがあった。しかしいくつかは本書を読み、初めて知った物語もある。この物語のタイトルだけで、あの童話かと即座に思い出される人もいるだろう。題名は覚えていなくても、本書をひもといてその物語を読むことで、ああ!この話!と思い出されるかもしれない。
この書を読み、『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という翻訳本の題名を思い出した。子どもに理解できるように優しく書かれた童話。何度でも語り聞かせることのできる童話。子どもの純白な脳に染みこんでいったストーリーの中に、これだけの内容が実は秘められていたのか・・・・という思いにとらわれる解説書だと言える。人が生きて行くのに必要な人生を見つめる知恵は幼稚園や家庭での物語の語り聞かせの中ですべて学んでいるということの再認識とも言える。人生の知恵についての「刷り込み」と言えるのかもしれない。それは子ども時代の置かれた環境や宗教文化背景によって、本質・核心は同じでも、語られる内容とそのアプローチが違うのだろう。仏教圏、キリスト教圏、イスラム教圏、ヒンズー教圏・・・・などによって。
著者の立脚点は、子どもの頃に学んだ物語の中に秘められた意味は、大人にとっては人生を見つめなおし、人生行路の中での苦悩に対して意識的に対処する方策に通底するのだということにある。仏教童話の世界を知った私たちは、無意識のうちに仏教思想による人生をみつめる知恵を根っ子に記憶している。それを逆に大人の認識で見つめ直せば、今のの生き方を再考する機会になるということである。
著者は仏教童話を取り上げ、そこに描かれた具体的な状況を、仏教思想の中で位置づけ直し検討することで、「仏教における重要なテーマのひとつである慈悲心とそこに辿り着くプロセスについて」(あとがき)考察している。
著者は「はじめ」の中で、本書の意図を明確に示している。「私が取り上げようと思っている主なテーマは、慈悲心を育み、菩提心へ至るまでの道のりです。」「本書で慈悲心に焦点を当てたのは、他者への恐れをはじめとする対人関係の様々な問題の根源が自己執着であり、菩提心の礎となる慈悲心がその自己執着への処方箋となりうるからです」と。
本書は、神話学という学問を専攻し研究する著者が、フロイトの精神分析学の方法や様々な心理学的方法を応用し、研究書なども利用し、著者自ら自分の心の探究を徹底的に行った体験から仏教の基本的な考え方・思想との接点を見いだしたという。その体験と、非常勤講師としてアメリカからの留学生に日本の文化や歴史を教える講座を担当した経験が、本書のベースとなったようだ。日本語の運用能力が日本の小学3,4年生くらいしかないレベルの留学生に、日本文化の根底にある仏教の思想を、童話を読むことによって具体的に学ばせてることができ、日本語の運用能力も向上するととの考え方で講座を担当したという。その結果、逆に、キリスト教その他の宗教を背景とする学生たちの発言から、逆に学び、考察を深めることができたそうだ。本書の随所に留学生の考え方や意見、疑問として例示され、著者の考え方も述べられている。その2つの体験が7つの章に凝縮されている。仏教童話を中核において、仏教思想の根本的なフレームワークとの関わりが平易に解説されているので、わかりやすい。
仏教思想には個人的関心から少しは各種の本を読み進めてきているが、仏教童話を読み込むという切り口でその基本的思想を再認識できてよかった。
現在は「葬式仏教」と揶揄され、葬式や慣例的な墓参りくらいしか「仏教」との関係を感じない人が増えていると思う。かなりの現代日本人にとっても「仏教」は本書でいうアメリカからの留学生とさほど違いはない距離感なのかもしれない。ただ、違う点といえば、子どもの頃に、自宅で、幼稚園で、マスメディアの子ども向け番組で、あるいは童話本で、知らぬ間に仏教童話に接した機会をなにがしか持っているということだろうか。
本書は子どもの頃に接したことのある10の物語、あるいはそのバージョンを思い出すことで、懐かしさを感じるとともに、そこに秘められていた意味を、改めて意識的に学び直し、仏教の基本的な考え方を知り、そして、己の人生を見つめなおすヒントを得られるメリットがある。「童話」の持つ意味の再認識につながる書でもある。
どの章で何の物語が題材に利用されているかは、冒頭でご紹介した。本書の構成をご紹介しておこう。各章が仏教の基本的な考え方のどの内容と関連づけられているのかを、著者の説明に出てくる仏教のキーワードと対比させておきたい。これは私の覚書にもしたいためである。
これらの仏教用語の意味を理解されている人なら、冒頭の仏教童話と関連づけて、ご自分なりに思索されれば、本書を繙かなくてもよいかもしれない。また、逆に自分なりに両者の関係を考察した上で、著者がどう解説しているかを確認するのも、自己理解を深めるのに有益かもしれない。
一方、この対比がピンと来ない人は、本書を開いて見てほしい。これらの仏教用語の意味することが、本書では実にわかりやすく説明されている。それは、日本語運用能力が当初小学生レベルである留学生を対象に、日本文化や歴史を学ばせるベースに仏教思想の説明を導入した著者の苦戦苦闘が多分あった成果だろうと想像する。逆に、それだからこそ、私たちにとっても仏教研究者の書いた本よりも読みやすいのだ。かつて接したことのある童話の内容に懐かしさを感じながら、なるほどなあ・・・と読める本である。私のように、知らなかった童話を知って認識を新たにできる局面もあるかもしれない。
第1章 人生は苦である ←→ 初転法輪、苦諦、四苦八苦、五神通
第2章 世界をどう見るか ←→ 中道、縁起(空)(コペルニクス的転回)
第3章 苦しみから逃れるためになすべきこと ←→ 四聖諦、八正道、輪廻
第4章 無限のつながりが今の私である ←→ 法の眼、因縁、業、輪廻転生
第5章 他人を思う心の大切さ ←→ 利他主義、世間八法、
第6章 誰でも良い心を持っている ←→ 慈悲心、菩提心、仏性
第7章 人は何のために生きるのか ←→ 真摯な動機、尸毘王の話、菩薩
「おわりに」の中で、著者は小学校1年の時の経験を語り、本書を締めくくる。その思い出の最後にこう書いている。
「振り替えってみれば、釈尊の四門出遊の童話を読み、そのエピソードと行商のおばさんの出来事が重なった時から、私の心の中に、仏教の種がひそかに播かれたということなのだと思います」と。
ご一読ありがとうございます。

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インターネットで上掲の仏教用語がどのように解説されているか、その一例を拾い上げてみた。私がたまたま検索した範囲で独断で選択してみたものである。それぞれのサイトに、他の仏教用語のページがある場合、そこも対比的にご覧いただくとよいのではないか。1サイト1用語で一覧にしておきたい。これらを参照されて、上掲童話との対比から考察し、アプローチされるのも一興かもしれない。
心を鍛える仏の教え ―仏教童話から学ぶ慈悲と無常(空)― :「総本山智積院」
講師 東京大学大学院人文社会研究科附属 次世代文学開発センター特任助教
東 ゆみこ 先生
検索していて見つけた本書の著者の講演です。
初転法輪 :「めぐりあわせ 仏陀の教え。」
五神通 ← 神通力-五神通(五通) :「WEBNOTE-[宗教②]仏教」
縁起(空) → 空と縁起とは by Geshe Sonam Rinchen:「チベット老僧の教え」
チベットの六道輪廻図 :「千の彩 sen no iro」
業 ← 業(カルマ)の本来の意味とは? :「業(カルマ)」
中道 :ウィキペディア
世俗八法(世間八法) :「E-ECHO」
慈悲心 ← 執着と慈悲心 :「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)」
菩提心 ← 発菩提心(発心) 仏法の大意 :「正伝の仏法」
仏性 ← 仏性があるとは、どんなことなのか :「浄土真宗 親鸞会」
菩薩 → 菩薩 :「Flying Deity Tobifudo」
← 仏像の種類 菩薩 :「仏像と仏師の世界」
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