少し前に神山典士著『知られざる北斎』(幻冬舎)について読後印象を記した。この本の末尾の参考文献リストに本書が載っていた。併せて明治時代に出版された飯島虚心著『葛飾北斎伝』も載っていた。これは鈴木重三校注、岩波文庫で出版されている。これも参考文献リストで初めて知った。
本書タイトル冒頭の「新訳」という語句に興味を持ったことがまずこれを読んでみる一因となった。新訳って一般的には「新たになされた翻訳[広義では、古典の現代語訳をも指す]」(新明解国語辞典・三省堂)という意味で使っている。ならば、原典となる「北斎伝」の新たな翻訳だろうか?
本書を通読し、「あとがき」を読んで初めて著者の意図する「新訳」の意味が理解できた。内表紙の次のページは、「北斎の一生を、語ろうと思う。すでに『葛飾北斎伝』という名著が、百年前から存在している」から始まる。上記の飯島本を指す。今までの北斎伝記は、『葛飾北斎伝』をあたかも聖書の如くに前提として語られて来たと著者は言う。『葛飾北斎伝』は北斎の姿を「草食恐竜」のごとくに描き残したと断定する。そして、<北斎は、「肉食恐竜」のごとく生きた人物である>と著者は反論する。「旧約聖書『葛飾北斎伝』は違う、と感じたのだ。新訳の北斎伝を、この本で示してみよう」の文で締めくくる。ページを捲れば、次は「目次」である。
つまり、著者は『葛飾北斎伝』を旧約聖書的な存在として、その書の価値を認めながらも、北斎の姿の捉え方は間違いだとする。だが、「新約の北斎伝」とは言わない。「新訳の北斎伝」という言葉を使う。ここでは「新訳」の意味を説明していない。この後も説明が無いままにこの言葉が使われていく。本書を読み始めるとすぐに、何かの原典を新翻訳した書ではないとわかる。
「あとがき」で「新解釈による北斎伝」「意訳で北斎の一生を追う本」と自著を語っている。つまり、本書は、『葛飾北斎伝』とそれに続く数々の北斎伝は資料として活用するが、北斎の姿は独自の新解釈を加え、逐語的な説明ではなく意訳的に北斎の生涯の根幹を捕らえ直していく。そういう意図で「新訳」という語が使われている。ちょっとヘンな語句の使い方という感じが拭えない。「新解釈・北斎伝」の方がわかりやすいと思うのだが・・・・・。
本書の構成は目次に表れている。「A章 北斎の誕生から二十歳代」から始まり、各年代順に北斎の絵師としての姿を描いていく。八十歳代は、前半と後半に区分し、G・H章で論じている。最後に「I章 北斎の志を継いだ群像」を加えて、終わる。
読者にとっては、北斎の人生を辿るのにわかりやすくて読みやすい構成になっている。さらに、八十歳代の北斎の姿にこそ、北斎の真骨頂が表れているという著者の見解が読み進めるとよくわかる。著者は八十歳代の北斎の姿にまさに肉食恐竜をイメージしているようである。
A章の冒頭で著者はまず要約を記している。結論から本論へという流れ。
*北斎は90歳まで生き、死の直前まで描き続けた。北斎の墓は浅草の誓教寺にある。
*著者の視点で、まず北斎の一生を要約する。北斎=写楽の説をとる。
*飯島虚心は伝記で、北斎の最晩年(八十歳代)を書きしるしていない。
「偉大な業績を残した北斎は、奇人としてエピソードも多く残しているが、野心など持たず、貧しい生活の中で黙々と作品を描いていた絵師であった」という北斎像を記す。
⇒肉食恐竜である北斎の姿は八十歳代の北斎の生き様に表れていると反論
「しかし、七十歳までの北斎は、草食恐竜説のままなのである」(p11)と是認
*最初に、著者は北斎が挑戦した分野を十年周期で区切り、要約している。
二十歳代 勝川派で浮世絵を修行した時代 (勝川派の嫌われ者、浮いた存在)
三十歳代 写楽の画号で役者絵を描いた時代 (蔦屋重三郎との関係の深さ)
四十歳代 小説の挿し絵を多く描いた時代 (極大~極小、馬琴作品への挿し絵)
五十歳代 『北斎漫画』を描き始めた時代 (海外の評価、柳亭種彦との出会い)
六十歳代 春画の分野にも活動した時代 (シーボルトとの交流)
七十歳代 風景版画の分野を開拓した時代 (富獄三十六景、富獄百景、百物語)
八十歳代 肉筆の大板絵を描いた時代 (小布施に逗留。高井鴻山との出会い)
なお、括弧内は各章の記述内容から、私が補足追記した。本論への誘いとして。
さて、この後、北斎の生誕から年代順で新訳・北斎伝が語られていく。
絵師北斎の生き方の根幹が資料データを踏まえて、概説されていく。データ・ベースなので具体的でわかりやすい。『葛飾北斎伝』も一資料として各所で引用されている。
飯島虚心の北斎像に反論する著者の立場は、北斎の八十歳代の生き方、その作品群に立論の基盤を置いている。G・H章での北斎八十歳前半と後半の論述は具体的であり、資料データもきっちりと提示されている。八十歳代の北斎の生き方を知る資料として読み応えがあると思う。
小布施に逗留した北斎はこの地で毎日獅子図を、日新除魔図として描いたという。それは北斎の心の日記帳のようなものだという。この獅子図80余枚が世界的に有名な美術商クリスティーズで競売にかけられるニュースが平成9年(1997)に流れた。この獅子図の重要性を信濃毎日新聞社と産経新聞社が記事にした。この二社の新聞報道がきっかけで、文化庁が動き、獅子図の国外流出がぎりぎりで阻止された。
この衝撃的な事件が、著者に北斎伝を書かせる動機になったそうだ。「北斎の一生について、もっと多くの人が知っていれば、このような事は防げたはず。非力を承知の上で、新解釈による北斎伝をかいてみよう」(p211)
特に、八十歳代の北斎の生き様を知るには有益な一冊である。神山典士著『知られざる北斎』と併読されるとおもしろいと思う。
最後に、表紙のイラストにふれておきたい。広井ゆたか氏が描いている。飯島虚心著『葛飾北斎伝』(岩波文庫)を開くと、p23に「葛飾北斎翁大肖像」が載っている。この図がここの北斎のイラストの原図と推測した。対比的に両図を観察していくと、細部の描写は微妙に異なる。忠実な模写ではない。細部の描写に広井氏の新解釈が加えられているのだろうと思った。これもまたおもしろい。また原図には富士山は描かれていない。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『知られざる北斎』 神山典士 幻冬舎
本書タイトル冒頭の「新訳」という語句に興味を持ったことがまずこれを読んでみる一因となった。新訳って一般的には「新たになされた翻訳[広義では、古典の現代語訳をも指す]」(新明解国語辞典・三省堂)という意味で使っている。ならば、原典となる「北斎伝」の新たな翻訳だろうか?
本書を通読し、「あとがき」を読んで初めて著者の意図する「新訳」の意味が理解できた。内表紙の次のページは、「北斎の一生を、語ろうと思う。すでに『葛飾北斎伝』という名著が、百年前から存在している」から始まる。上記の飯島本を指す。今までの北斎伝記は、『葛飾北斎伝』をあたかも聖書の如くに前提として語られて来たと著者は言う。『葛飾北斎伝』は北斎の姿を「草食恐竜」のごとくに描き残したと断定する。そして、<北斎は、「肉食恐竜」のごとく生きた人物である>と著者は反論する。「旧約聖書『葛飾北斎伝』は違う、と感じたのだ。新訳の北斎伝を、この本で示してみよう」の文で締めくくる。ページを捲れば、次は「目次」である。
つまり、著者は『葛飾北斎伝』を旧約聖書的な存在として、その書の価値を認めながらも、北斎の姿の捉え方は間違いだとする。だが、「新約の北斎伝」とは言わない。「新訳の北斎伝」という言葉を使う。ここでは「新訳」の意味を説明していない。この後も説明が無いままにこの言葉が使われていく。本書を読み始めるとすぐに、何かの原典を新翻訳した書ではないとわかる。
「あとがき」で「新解釈による北斎伝」「意訳で北斎の一生を追う本」と自著を語っている。つまり、本書は、『葛飾北斎伝』とそれに続く数々の北斎伝は資料として活用するが、北斎の姿は独自の新解釈を加え、逐語的な説明ではなく意訳的に北斎の生涯の根幹を捕らえ直していく。そういう意図で「新訳」という語が使われている。ちょっとヘンな語句の使い方という感じが拭えない。「新解釈・北斎伝」の方がわかりやすいと思うのだが・・・・・。
本書の構成は目次に表れている。「A章 北斎の誕生から二十歳代」から始まり、各年代順に北斎の絵師としての姿を描いていく。八十歳代は、前半と後半に区分し、G・H章で論じている。最後に「I章 北斎の志を継いだ群像」を加えて、終わる。
読者にとっては、北斎の人生を辿るのにわかりやすくて読みやすい構成になっている。さらに、八十歳代の北斎の姿にこそ、北斎の真骨頂が表れているという著者の見解が読み進めるとよくわかる。著者は八十歳代の北斎の姿にまさに肉食恐竜をイメージしているようである。
A章の冒頭で著者はまず要約を記している。結論から本論へという流れ。
*北斎は90歳まで生き、死の直前まで描き続けた。北斎の墓は浅草の誓教寺にある。
*著者の視点で、まず北斎の一生を要約する。北斎=写楽の説をとる。
*飯島虚心は伝記で、北斎の最晩年(八十歳代)を書きしるしていない。
「偉大な業績を残した北斎は、奇人としてエピソードも多く残しているが、野心など持たず、貧しい生活の中で黙々と作品を描いていた絵師であった」という北斎像を記す。
⇒肉食恐竜である北斎の姿は八十歳代の北斎の生き様に表れていると反論
「しかし、七十歳までの北斎は、草食恐竜説のままなのである」(p11)と是認
*最初に、著者は北斎が挑戦した分野を十年周期で区切り、要約している。
二十歳代 勝川派で浮世絵を修行した時代 (勝川派の嫌われ者、浮いた存在)
三十歳代 写楽の画号で役者絵を描いた時代 (蔦屋重三郎との関係の深さ)
四十歳代 小説の挿し絵を多く描いた時代 (極大~極小、馬琴作品への挿し絵)
五十歳代 『北斎漫画』を描き始めた時代 (海外の評価、柳亭種彦との出会い)
六十歳代 春画の分野にも活動した時代 (シーボルトとの交流)
七十歳代 風景版画の分野を開拓した時代 (富獄三十六景、富獄百景、百物語)
八十歳代 肉筆の大板絵を描いた時代 (小布施に逗留。高井鴻山との出会い)
なお、括弧内は各章の記述内容から、私が補足追記した。本論への誘いとして。
さて、この後、北斎の生誕から年代順で新訳・北斎伝が語られていく。
絵師北斎の生き方の根幹が資料データを踏まえて、概説されていく。データ・ベースなので具体的でわかりやすい。『葛飾北斎伝』も一資料として各所で引用されている。
飯島虚心の北斎像に反論する著者の立場は、北斎の八十歳代の生き方、その作品群に立論の基盤を置いている。G・H章での北斎八十歳前半と後半の論述は具体的であり、資料データもきっちりと提示されている。八十歳代の北斎の生き方を知る資料として読み応えがあると思う。
小布施に逗留した北斎はこの地で毎日獅子図を、日新除魔図として描いたという。それは北斎の心の日記帳のようなものだという。この獅子図80余枚が世界的に有名な美術商クリスティーズで競売にかけられるニュースが平成9年(1997)に流れた。この獅子図の重要性を信濃毎日新聞社と産経新聞社が記事にした。この二社の新聞報道がきっかけで、文化庁が動き、獅子図の国外流出がぎりぎりで阻止された。
この衝撃的な事件が、著者に北斎伝を書かせる動機になったそうだ。「北斎の一生について、もっと多くの人が知っていれば、このような事は防げたはず。非力を承知の上で、新解釈による北斎伝をかいてみよう」(p211)
特に、八十歳代の北斎の生き様を知るには有益な一冊である。神山典士著『知られざる北斎』と併読されるとおもしろいと思う。
最後に、表紙のイラストにふれておきたい。広井ゆたか氏が描いている。飯島虚心著『葛飾北斎伝』(岩波文庫)を開くと、p23に「葛飾北斎翁大肖像」が載っている。この図がここの北斎のイラストの原図と推測した。対比的に両図を観察していくと、細部の描写は微妙に異なる。忠実な模写ではない。細部の描写に広井氏の新解釈が加えられているのだろうと思った。これもまたおもしろい。また原図には富士山は描かれていない。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『知られざる北斎』 神山典士 幻冬舎