12~3年ぶりだと思う。息子の七五三でお参りさせていただいた
のを最後に、しばらく訪れていなかった、近くて遠い場所であった。
参拝もそこそこに、表参道へ。 20代前半の頃はこのあたりにも
よく来ていた。タケノコ族とか呼ばれるパフォーマーが群れをなして
いた頃だ。 私はギターをかかえてでかけ、ストリートで何度か
弾き語りをしたこともある。
当時は、崇拝していた吉田拓郎さんが通っていたと言われるペニーレーン
というお店で、バーボンを飲む。(「ペニーレーンでバーボン」と
いう歌がある)誠にミーハーである。 おまけにカンパリソーダと
フライドポテトを頼んだりも。これまたそういう歌がある。
そのお店は、遙か昔になくなってしまったが、ペニーレーン通りという
通り名と、数件となりにあったライムライトというお店は残っている
と思っていた。 ところが、通りの名前もすでに無く、ライムライト
も閉店し、空き家状態。 なんとも寂しい限り。
時の流れと共に、私の青春も、音もなく塗り替えられていく。
のを最後に、しばらく訪れていなかった、近くて遠い場所であった。
参拝もそこそこに、表参道へ。 20代前半の頃はこのあたりにも
よく来ていた。タケノコ族とか呼ばれるパフォーマーが群れをなして
いた頃だ。 私はギターをかかえてでかけ、ストリートで何度か
弾き語りをしたこともある。
当時は、崇拝していた吉田拓郎さんが通っていたと言われるペニーレーン
というお店で、バーボンを飲む。(「ペニーレーンでバーボン」と
いう歌がある)誠にミーハーである。 おまけにカンパリソーダと
フライドポテトを頼んだりも。これまたそういう歌がある。
そのお店は、遙か昔になくなってしまったが、ペニーレーン通りという
通り名と、数件となりにあったライムライトというお店は残っている
と思っていた。 ところが、通りの名前もすでに無く、ライムライト
も閉店し、空き家状態。 なんとも寂しい限り。
時の流れと共に、私の青春も、音もなく塗り替えられていく。