日和山公園。 何かに導かれるようにして、この高台へ登ってきた。
津波が押し寄せたその時、街の人はきっとこの高台にかけあがり、流される
家々を目にしたことだろう。 手を合わせることくらいしか私にはできない。
高台を下り、海岸を目指す。 震災から4ヶ月、瓦礫の撤去もその期間の分は
進んだのだろうが、この先いつまで続ければなくなるのか、果てしもなく
予想すらできない。 流されずに残った家には「捜索済み」の張り紙。ただ
ほとんどの家は流され、壁も木も何もない。
でこぼこだらけの道路には、瓦礫を満載したダンプカーや、乗用車、大型バス
などができるだけそのでこぼこを避けながらゆっくりと走っていく。 私は
といえば、その車両を避けながら、海までの道を歩いて行く。
久々に信号機をみた。 電気はまだ復旧していない(当然だが)ため、発電機
をまわして信号を点滅させていた。 左を見ると、おそらく流されて、
スクラップと化した車両が山積みされており、右を見ると、瓦礫の山がつづく。
<スクラップ車両>
<瓦礫の山>
信号を横断した向こうが海である。 防波堤は意外と低かった。 その防波堤
によじのぼり、腰掛けてしばらく海を見ていた。
高台を左手に見て、川沿いに駅の方角に進む。 人が暮らしているのかどうか
わからない家がたくさんある。 郵便配達の方を見かけた。 電気もガスも
お店も、自販機さえ何もない、ここでの暮らしは不便極まりないであろう。
なにげなく歩き進と、道ばたに突然 船が転がっていたりする。頭の中が混乱
してくる。
5月にボランティアで入った岩沼の被害もすさまじかったが、石巻はまた
違った印象を受けた。 それは被害の大小ではなく、簡単に言うと「空気」
だろうか。 「復興」とは漢字で書けば2文字だが、その道のりは遠く果てしない。
つづく