落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

福島を元に戻す方法

2011年05月11日 | 原発
武田教授のHPより
科学者の日記110512(2) 明るい未来は自分で作る
http://takedanet.com/2011/05/1105122_9694.html

おそらく冷静に事態を見つめ、未来の日本社会を思い浮かべることができないのでしょう。
政府や文科省の発言を聞いていると、「我慢しろ、止める、文句言うな」など暗く、後ろ向きのものが多いように感じます.
その一つが「福島を見捨てる」という大方針です.
「そのぐらい、健康に関係ない」、「30キロ圏内は待避」、「児童や20ミリまでOK」、「校庭の土をひっくり返して地下水を汚す」など、いずれも極めて後退的な結果をもたらし、福島を見捨てることになります.
福島の人(もちろん、茨城、栃木なども同じ)は、放射性物質で汚染された大地で人生を送りたいのではなく、東電によって汚された大地を返してもらう権利があるのです。

東電は、原発で収入を得て年俸4000万円を取っていたのに、
東電は、60京ベクレルを漏らしてもバスを用意しません。
東電は、水を汚してもペットボトルを用意しません.
東電は、土地を汚しても元に戻すこともしません.
東電は、児童が被曝していても疎開の学校を用意しません.
東電は、それでも重役が報酬を受け取っています.
最近では見ることができないほどの悪質な会社です.

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東電はどうなっても良いのですが、福島は元に戻さなければなりません。
悪質な会社にひっかかったという感じですが、回復方法はあります. 
なぜ、政府も福島県もすぐに手がけないのでしょうか?

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畑を耕して野菜を植え、田んぼを作り、小学校を開校する前にやることがあります。それは「綺麗にしてから」ということです。
どんなものでも、汚れることがありますが、汚れをそのままにしてやる人はいません.まずは汚れをとって、それから取りかかるのが常識です.

・・・
「放射性物質」は「放射線」ではなく「粒、粉、チリ」です。だから、まずそのチリを除いてから生活し、学校を開き、農業を進めたらどうでしょうか?
自衛隊、ボランティア、農家、サラリーマン、今まで日本にお世話になった老人などが総出で、まずは「福島を清掃する」ことから始められることを推奨します.
いかに「1年100ミリシーベルトまで大丈夫」と言っても、それを信じる外国人はいません. もしも福島を綺麗にしなければ、福島の子供の健康が損なわれると共に、経済的にも大きな損害が続くでしょう.
1 年20ミリなどという基準は世界では通用しません.それはすでに、外国の論評でも明らかです.
そうなると、今後、30年、福島には外国からの観光客や外資系の会社は来ないし、福島産の農作物ばかりではなく工業製品も輸入規制にあうでしょう。
日本人なら、あるいは福島の人が可哀想だからということで、福島の農産物を買うかも知れません.でも、外国人はそんなことは考えずに「何ベクレルですか」と聞くだけです.
そんなときに数値を示さずに「安全です」などと言っても、信じてもらえないのは当然です.逆に「土地が汚染されているのに、なぜ野菜だけ綺麗なのですか」と聞かれて困るだけです.

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原発から半径20キロの地域から、除染した方が良いと思います.
まずは、道路、公共施設、学校、重機が使える田畑や平地から始め、次に森林を伐採し、草を刈り取って原発の横に焼却場を作り、全て焼いて葉についている放射性物質をフィルターでトラップします.
まずは出来るところから手をつけるだけで、放射性物質は2分の1から3分の1に減るでしょう.
除染する目的、それは「故郷を取り戻す」ということであり、「日本はこのぐらいではへこたれないぞ」という力を示すことです.
もし、「原発事故があ
っても、1年以内にクリーンな大地を取り戻す日本」ということになれば、それはとても良いことだからです. もちろん、福島市、二本松市、郡山市はもちろん、いわき市も白河市も関東のホットスポットも、自治体は行動を起こしてください。「これぐらい」などと言っていると30年続きますから、「あそこは汚れている」ということになるだけです。
先祖代々の故郷を綺麗にすることはできるのです!!


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人間には失敗はあるし、悪い奴もいる。
でも、それを素直に認める勇気を持ち、
どうしようもないときには逃げ、
出来るようになったら全力を尽くし、
そして故郷を取り戻す。

福島の人を助けること、
それは汚染された野菜を食べることではなく、
批判したり受け入れなかったりすることでもなく、
福島を綺麗にするのに力を貸すことだ、
それなら、日本人は全力を尽くすだろう.

でも、その福島がSPEEDIのデータを隠し、
野菜のベクレル表示をせず、
ウシや瓦礫を日本中に拡散することを続ければ、
あるいは日本人でも愛想を尽かすかも知れない、
自分たちの失敗は自分たちの世代で片付けておこう.

(平成23年5月11日 午前10時 執筆) 武田邦彦


浜岡原発停止

2011年05月09日 | 政治・外交
浜岡原発を止めたのは、どうやら横須賀基地を慮るアメリカ様の要請があったためらしい。
東海地震が起きる可能性があり、とりあえず止めるのがいいのかも知れないが、防潮堤のかさ上げや、冷却装置の耐震強化など対策はなかったのか。
このままでは、電力不足による経済活動の衰退が予想されるという。
自立心なく、米中に翻弄される日本政府。
浜岡原発停止、決定には従う…苦渋の御前崎市長
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866922/news/20110507-OYT1T00303.htm?from=nwla

 中部電力に浜岡原子力発電所の全原子炉の運転停止を求めたという菅首相の突然の表明から一夜明けた7日午前、同原発が立地する静岡県御前崎市の石原茂雄市長は市役所で記者会見し、「停止要請は法的な措置ではなく指示だと思うが、国の決定には従うしかない」と、政府方針を受け入れる姿勢を示した。
 一方で、「国策であれば、もう少し地元の意見を聞いてもらい、反映してほしかった」と苦言も呈した。今後の地元経済についても、「雇用問題などで大変大きな影響が出てくることは間違いない」と苦渋をにじませた。
 また、石原市長は、原発停止後の再開可能性について「個人的には非常に厳しいと思う」との見通しを示した。東京電力福島第一原発の事故で住民の不安は高まっており、浜岡原発がいったん止まってしまえば、再び住民から運転再開の同意を得ることは難しいことを心配した発言とみられる。
(2011年5月7日11時19分 読売新聞)

原発論点6 「民主・自主・公開」と民主党政権
http://takedanet.com/2011/05/post_67d5.html

戦争の痛手から回復した日本が原子力を始める時、政府が国民に約束したことがある.
それは、他の政策と異なり、原子力だけは「民主・自主・公開」という原子力3原則を守ると宣言したことだ。 わたしも長く原子力関係の仕事をしてきたが、自民党政権下で、この原則は比較的、良く守られてきた。
1) 原子力は民主的な手続きを経て行う、
2) 外国に影響されず日本は日本として原子力の平和利用を進める、
3) 常に公開し、国民の支持を得る、
というものだ。

ところが、民主党政権下で起こった福島原発では、
1) 小学生の児童に20ミリ以上(内部被曝を過小評価)をあびさせることが決まった経緯が、まったく民主的ではない、安全委員会もいい加減だったが、文科省大臣の強圧的態度は民主的というにはあまりにもかけ離れていた、
2) 浜岡原発を止めたのはアメリカの要請で、アメリカ軍横須賀基地を守るためだったと公に言われている、
3) どの重要な決定も密室で行われ、突然、発表された、
というおおよそ原子力3原則とは正反対のことばかりが行われている.
そして、逆に3原則を守ってやろうとすると、かえって強い圧力を受ける.絶望的なぐらい誠意を失った社会になった。
そして、民主党政権というのは、その名前とはまったく違い、首相も大臣も、幹事長も、さらには個別の議員まで「民主的」ということに対して強い反感を持っているように思える。
浜岡を突然止めて、他の原発は止めないと宣言する。君は日本の将軍なのか?

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福島県の児童は20ミリでも健康に影響がないが、静岡県の人は1ミリでも危ないから浜岡を止めるという論理だ。
東海地震だけは来るけれど、日本には他の地方には地震が来ないという論理でもある。
福島原発の事故は、「原発が必要だから、原発は安全だ」とか、「想定外のことが起こったら大量の放射性物質が漏洩してもよい」などという「論理破綻」がもたらしたものだから、こんな矛盾した論理を続けていたら、事故を防ぐことは出来ない。

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私は今からある原子力の会議にでる。
その会議は原子力関係だから、「公開でなければならない」という私の求めは一蹴されている.
私は2006年の地震指針を機に、原発推進派から原発批判派に変わらざるを得なくなった。そして、今回の福島原発の事故はその帰結であるから、それだけなら私は批判派に止まることが出来た。
でも、原子力3原則も守らない。これほど誠意のない、論理が破綻した政権では、すべての原発は止めなければ、また私たち大人が子供を被曝させることになる。

誠実であること、
透明性を保つこと、
万機公論に決すること、
大切なことは何時の世も変わることはない。
(平成23年5月9日 午前8時 執筆) 武田邦彦

■『サンデースクランブル』 菅総理、浜岡原発「全停止」に大波紋
「米圧力有り」青山繁晴氏の証言
http://www.nicotwitter.com/watch/sm14393515


100mSv/年でも問題なし?

2011年05月06日 | 原発
放射線の安全基準がこの短い間に、年1mSv→20mSv→100mSvにどんどん拡大してきた。
武田教授の仰るように、これまでの安全基準はなんだったのか、バカらしいことこの上ない。
本当にそうなら結構なことであるが、ド素人でも、ずいぶん基準が杜撰なような気がする。
原発論点2 1年100ミリ問題と原発の安全性
http://takedanet.com/2011/05/post_ca91.html

福島原発事故が起こる前までには、世界の放射線の安全の基準は「1年1ミリシーベルト」であった。それに基づいて日本の法律も原発の安全性もすべて決まっていた。
ところが、福島原発事故が起こった直後、政府は1年100ミリを越える放射線性物質が出ているにもかかわらず、「直ちに健康に影響はない」と繰り返した。
政府ばかりではない。 NHK、朝日新聞をはじめとしたメディアも「1年100ミリまでは安全だ」という専門家を登場させた。
その中には、大阪のある医者で「放射線はあびればあびるほど健康になる」といい、福島市に顧問として招かれた放射線医学の専門家も「1年100ミリまでは全く問題ない」との発言を繰りかえした。
専門家の発言でもあり、立派なテレビ局が報道したので、それが現行の法律違反であることを知らされていない国民が信じたのも無理はない.

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でも、このことの是非を問うものではない。「1年100ミリ」の問題を深く考えてみたいと思う.
仮に被曝が1年に1ミリまで大丈夫であるなら、原子力発電は安全になるからだ。
軽水炉の場合、原発が事故を起こしても、付近住民が1年に100ミリ の被曝をすることは希であり、現在のように危機が訪れている時(間違ったら人体実験になる時期)にも、政府、NHK、そしてこれほど多い放射線医学の専門家が「1年に100ミリまでOK」と言うなら、原子力発電所は安全な発電ということになる。
つまり、かなりの確信がないと住民が被曝している最中だから、その責任は極めて重たいからである.

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原子力発電所が危険とされるのは、事故の時にそこから漏れる放射線によって被曝するからである。
そして、被曝と言っても程度問題で、

● 1年に1ミリとまでなら原子力発電所は危険、
● 1年に100ミリまで安全ならば、原発は安全な発電方法、

だからだ。

私が2006年の地震指針決定から「安全な原発推進」から「原発が不安全だから批判」に代わり、さらに2011年の事故で「原発反対」になったのは、1年1ミリが前提である。

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今回のことで、原発が安全な発電方法か危険なものかは思想問題ではなく、また技術問題でもなく、放射線医学の問題に還元した。
今まで、国際放射線防護委員会や国内の放射線に関する委員会で常に言われてきたことは、「1年に1ミリ以下」ということだった。
それを受けて、私のような原子力の方は安全性を強く意識したのである.
でも、放射線医学の先生が、「1年に100ミリまで安全だ」と言われるならば、今までの安全議論はバカらしいもので、私も何を悩んできたのか判らない。

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意地悪でも意図的でもないが、今回の福島原発の後に「1年に100ミリシーベルトまで大丈夫だ」と言った専門家の先生を集めて国の委員会を開き、それを公的に確定する.
国内法(文科省、厚生労働省所管の法律など多数)を改正し、大幅に「汚染物質」も減り、「管理区域」もなくなる。
これまでの放射線による障害の労災認定も取り消されることになるし、原子力施設は「安全な施設」に代わる. でも、放射線の人体に対する影響は世界的なコンセンサスが必要である。
外国旅行をするとか、外国で食事をする、もしくは外国で水を飲むというときには、世界の人が放射線の安全性についてのコンセンサスが必要とされる。
従って、国内で1年に100ミリまで大丈夫であるというコンセンサスが得られたら、国内法の改定と並行して、国際的な活動をして世界を説得し、世界的に1年に100ミリの基準を確定しなければならない。
それができたら、日本の原子力発電所の安全基準を変更し、付近住民が100ミリまで被爆しても良いという基準に直す必要がある。
わたくしの考えでは、付近住民が100ミリまで被爆してもいいということになると、現在の地震指針にわずかな改正(事故時の対応)だけを加えることで原子力発電所は極めて「安全」に日本国内で運転することができるであろう。
エネルギー問題も考え直さなければならない。

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時に「武田は放射線医学の専門家でもないのに、1年1ミリなどと言うな!」と罵倒されるが、私は今まで放射線医学の専門家が「放射線はあびない方が良い。1年1ミリが限度だ」と言われるので、それを理解してきた。
もちろん、責任ある立場で仕事をしてきたのだから、私は「個別の因果関係では1年100ミリから障害がでること、それ以下では確率的にガンなどの発生が見られること」をデータなどで確認して納得してきた。
それが間違いなら、もう一度、原発の安全性もエネルギー問題もやり変えなければならない。

「1年100ミリ」と言っているNHK、朝日新聞、そして学者(主に放射線医学)の方は、

1) なぜ、これまでと180度違うことを言い出したのか?
2) 本当にこれから1年100ミリで良いのか?

について、早急に声明を出して欲しい.そうしないと私たちのこれからの多くの努力も無に帰する.


(平成23年5月5日 午前11時 執筆)武田邦彦


ビンラディン死亡

2011年05月02日 | 政治・外交
01.9.11の米同時多発テロ事件から10年、ついにその首謀者ビンラディンが米軍によって殺害された。
今後、報復テロも心配される。
作戦約40分間の末ビンラディン容疑者を殺害「正義を達成」 2011.05.02 Mon posted at: 14:55 JST CNN
http://www.cnn.co.jp/world/30002630.html

(CNN) オバマ米大統領は1日夜、国民に向けて演説し、米軍が同日パキスタンで実施した作戦で、国際テロ組織アルカイダ指導者のオサマ・ビンラディン容疑者が死亡したと発表した。ビンラディン容疑者は、3000人を超す犠牲者を出した2001年米同時多発テロの首謀者とされ、米国が10年以上前から行方を追っていた。
米政府高官がCNNに語ったところでは、米軍はパキスタンの首都イスラマバードから約100キロ北部にある邸宅でビンラディン容疑者を殺害したという。家族も一緒だったとされる。

オバマ大統領は演説の中で、同容疑者の死は「アルカイダ撲滅を目指すわが国の取り組みにおける過去最大の成果」だと強調した。作戦は少人数の米軍部隊が実行。米国人の負傷者はなく、民間人にも死傷者が出ないよう配慮したとしている。ビンラディン容疑者は銃撃戦の末に死亡し、作戦終了後に米軍が遺体を回収したという。
大統領によれば、昨年8月の時点でパキスタン国内のビンラディン容疑者の潜伏先に関する情報を得たとの報告を受け、先週になって行動を起こせるだけの情報が集まったと判断した。「同容疑者の死は平和と人間の尊厳を信じるすべての人に歓迎されるだろう」「正義が実った」と述べた。
しかし「その死でわれわれの取り組みが終わるわけではない。アルカイダは今後もわれわれに対し攻撃を仕掛けようとするだろう。われわれは今後も国内外において警戒を続ける」と続けた。

さらに、米国はイスラム教と戦争をしているわけではないとも強調、「ブッシュ前大統領が同時テロの直後に述べたように、これはイスラム教との戦いではない。ビンラディンはイスラム教の指導者ではなく、イスラム教徒の大量殺人者だ」と指摘した。
パキスタン高官が明らかにしたところでは、ビンラディン容疑者が死亡した現場には同国情報機関の統合情報部(ISI)もいたという。
米政府高官は、この作戦ではほかに男性3人と女性1人が人間の盾として使われ死亡したと述べた。作戦は米海軍特殊部隊が実行し、約40分間続いたとされる。議会関係者によれば、ビンラディン容疑者は頭を撃たれて死亡したという。

【ビンラーディン殺害】 日本の公安関係者も衝撃 「報復テロ激化の可能性もある。日本も…」 2011.5.2 13:33 産経
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110502/amr11050213350007-n1.htm

 「本当なのか」。国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサマ・ビンラーディンの死亡報道があった2日、日本の公安当局には驚きと衝撃が走った。アルカイーダの影響力低下に期待も強まるが、ある警視庁幹部は「これでテロの脅威がなくなるわけではない」と表情をひきしめた。
 「詳しいことは、分からない。いま、情報を集めているところ」
 死亡のニュースが駆けめぐると、警視庁幹部は、こう厳しい表情を見せた。庁内外でも担当者らは、あわただしく情報収集に追われた。
 インターネットで、日本国内にも情報発信するなどしてきたアルカーイダ。ある幹部は「影響力は低下するだろうが、メンバーや影響を受けている人間がまったくいなくなったわけではない。今後も緊張が必要」と話した。
 公安調査庁関係者は「本当なのか?」と絶句。「これをきっかけに、各国で報復と称してテロが激化する可能性もある。日本でも起きないだろうか」と話した。


これでは退陣せんわ

2011年05月01日 | 政治・外交
自民党は政権奪取する気概もないのか。
「お体に気をつけて」自民・谷垣氏が首相にエール 退陣せまる自民党の空気読めず… 2011.4.30 17:19 産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110430/stt11043017230002-n1.htm

 「こういう時、大変ですからお体に気をつけてがんばってください」

 自民党の谷垣禎一総裁が30日、平成23年度第1次補正予算案の衆院通過を受け、お礼の挨拶にきた菅直人首相にこんな“エール”を送った。
 さらに谷垣氏は、参院での審議を経てもいないのに「これで予算が成立したわけだからピシピシと執行してください」と注文した。
 自民党では各派領袖が早期の内閣不信任案提出を求めており、直前の本会議では馳浩国対副委員長が「首相の仕事はこの予算成立とともに終了する。退陣こそが復旧・復興へ向けた新たな1ページになる」と即時退陣を迫ったばかり。谷垣氏の発言には「お人好しにもほどがある」と憤りの声が上がっている。

■「花岡信昭メールマガジン928号ー首相退陣は」より
「首相を辞めさせるのは並大抵ではない」
http://www.melma.com/backnumber_142868/
<<「菅おろし」公然化で、逆に遠のいた首相退陣>>
【日経BPネット連載・時評コラム拙稿「我々の国家はどこに向かっているのか」4月27日更新】再掲

※首相を辞めさせるのは並大抵ではない

 民主党内で「菅おろし」の動きが公然化、小沢一郎氏や鳩山由紀夫前首相を支持する勢力が中心となって、両院議員総会の開催を求める署名運動もスタートした。
 これで菅首相もついに追い込まれるかと思いたいところだが、政治の現場というのは不思議なもので、こうなると逆の作用が働く。菅首相としては、続投の意欲を一段と燃やすことになる。
 長期にわたって政権の座にあった自民党の歴史を見ても分かる通り、首相を辞めさせるのは難しい。本人が退陣を表明すれば別だが、居座ろうとすると党内を二分する争いになり、辞任への環境づくりどころの話ではなくなる。
 一般論からいえば、首相(党の代表)に辞めてもらうには、それによって党の窮地を救うという大義名分がなければだめだ。そういう道筋をつくるために外堀を埋めていく作業が必要になるわけだが、これがなんとも厄介だ。

※党内で噴出する菅首相批判

 4月26日、鳩山氏らは「震災に対応できる連立政権に向けた総調和の会」なる奇妙な名前の会を発足させた。原口一博氏や田中真紀子氏ら菅首相と距離をおく64人が出席した。
 報道によれば、鳩山氏は「25年間バッジをつけてきたが、その結果がこれだけの命を失う政治だったのかと思うといたたまれない」と述べた。政治評論家の森田実氏が「菅首相は最悪。鳩山氏に戻ってもらう方がいい」と述べ、発起人の山岡賢次副代表は「菅政権に不満を持つ国民が7割に達している。このまま座して死を待つわけにはいかない」と強調した。
 山岡氏は会の後、岡田克也幹事長に会い、両院議員総会の開催を要求した。岡田氏は党規約に沿って全国会議員の3分の1(136人)の要求があれば開くとしながらも「党内政局はやめてほしい」と応酬した。
 その一方、首相官邸に復帰した仙谷由人官房副長官(党代表代行)に近い吉良州司、長島昭久両氏らは勉強会「国益を考える会」を開き、ここでも菅首相批判が噴出した。

※代表のリコール規定がない民主党の党規約

 こうして菅首相包囲網が党内につくられつつあるように見えるが、実際には両院議員総会で辞めさせるというのは至難のワザだ。だいたいが、民主党の党規約には代表のリコール規定がない。
 自民党の場合、党則によって、所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁選の前倒しが可能だが、民主党は代表解任の規定がないのである。退陣表明により「代表が欠けたとき」だけ、代表選を実施できる。
 したがって、今回、民主党は両院議員総会の開催にこぎつけられるかどうかがまず第一関門となり、さらに、代表解任を決めるには党規約の改正を行わないといけない。拘束力のない解任決議案を採決するのは可能だが、居座られたら意味がない。
 となると、鳩山氏らが気勢をあげたのは、菅執行部への不満を表面化させただけということにもなる。この勢いで野党が内閣不信任案を出した場合、これに同調するという事態になるのかどうか。
 このさい一気にという見方もあるが、野党提出の内閣不信任案を衆院で通すには約80人の造反が必要だ。それにそういう事態になれば、離党しないと筋が通らない。新党をつくって自民党などとの連立政権に走るのかどうか。
 したがって、両院議員総会方式や内閣不信任案への同調論などは、菅首相を追い込むための環境づくりの側面が強い。繰り返すが、本人が辞める気にならなければ、退陣実現は困難なのである。

※ささやかれる「サミット花道論」

 そこでささやかれているのが「サミット花道論」だ。5月26、27両日にフランスで開かれる主要国首脳会議の場で、「3・11」復興計画を高らかに宣言し、原発事故封じ込めの成功を強調して、これを花道とするというわけだ。
 その背景にある名分は、党の分裂回避ということになる。菅首相への批判をぎりぎりまで高めておいて、本人の決断を促すという高等戦術だ。だが、これも本人がその気にならないと成功しない。
 そう考えると、首相を辞めさせるのは相当の荒業が必要であるということがよく分かる。両院議員総会工作にしろ内閣不信任案同調にしろ、そこまでいって失敗すると、逆に「菅首相信任」となってしまう。
 それにしても、「3・11」対応への菅首相批判はすさまじい。被災地救援、復興戦略、原発事故対応など、すべてにわたる。
 官邸が危機管理の最高司令部として機能せず、これだけの国家的大惨事であるにもかかわらず官僚組織にサボタージュが見られることなど、さまざまな話が出回っている。「イラ菅」復活となってしまった菅首相の個人的資質もさることながら、政治主導の名のもとに官僚組織を使いこなしていない実態が随所にあらわれている。

※「3・11」への対応でリーダーシップを欠く菅首相

 ある高級官僚はこんな言い方をする。「政治リーダーには鳥の目が必要だ。上空から全体像を眺めてばさっと網をかける感覚。それが菅首相には虫の目しかない。原子力問題に強いことを誇示して、ちまちまとこまかいところにだけ目が行く。だから場当たり的な指示しか出てこない」。
 「3・11」という未曽有の事態に直面して、国家指導者が国民の動揺をおさえ、収拾、復興への安心感、期待感を与えることができないまま推移していてはどうしようもない。
 そこへきて、政治的には統一地方選の大敗北がある。前半戦に続いて、24日投票の後半戦でも「民主vs自民」対決型の市区長選で3勝6敗に終わった。衆院愛知6区補選では民主党の議席であったにもかかわらず元自民党議員の圧勝を許した。
 以前のコラムでも指摘したが、この統一選敗北を理由として退陣していたら、菅首相の評価もまた違ったものになったに違いない。「3・11」対応の不手際を責められるよりも、政治家の出処進退としては「はるかにサマになる」のである。

※官僚組織からそっぽを向かれる官邸

 統一地方選が終わって、「3・11」復旧関連経費を盛り込んだ第1次補正予算が5月連休中には成立する手筈だ。民主党内の「菅おろし」の動きは、これを踏まえて連休明けにもう一山ありそうな気配ではある。
 先の官僚は、菅首相に代わるリーダーとして「菅以外」ならだれでもいい、とまで言い切る。市民運動家として「お上」にかみつくことを政治活動の原点としてきた菅首相だが、自身が「お上」の位置におさまったら、何をどうやったらいいのか分からなくなっているというのだ。
 そうした指摘は菅首相の政治経歴を振り返ればよく理解できる。厚生相当時、厚生官僚をどやしあげて薬害エイズ関連資料を提出させた。一般には喝采を浴びたが、厚生当局との信頼関係は地に落ちた。
 その延長上の言動パターンを、いま官邸で展開しているようだ。これをやられると、官僚側から前向きの提案や選択肢など出てくるわけがない。周辺のスタッフを信じ、自由闊達な議論を引き出せなかったら、そこに残るのは「裸の王様」的首相だけということになる。どうやら、「菅官邸」はそういう悲惨な状況となっているらしい。
 もともと、官邸の主である首相は「孤独な存在」であるといわれてきた。耳に痛い話など入ってこない。有能かつ老練な首相はそのことを意識して、重要なポイントには息のあった政治家や官僚を配置して、本音ベースの情報収集につとめたものだ。

※ポスト菅は誰なのか

 菅首相は「すでに限界」といわれながらも、なお続投しようとしている。今後の展開は不透明きわまりないのだが、ポスト菅があり得るとすればだれなのか。
 仙谷氏がこの厄介な局面の収拾に力を発揮した場合は、仙谷内閣誕生もあり得ない話ではない。自民党など野党側や官僚とのパイプを持つ点で、仙谷氏は民主党には珍しい貴重な存在だ。
 野田佳彦氏という声もある。この世代で唯一、代表を経験していない。その泰然とした風貌は危機の時代の宰相にふさわしいといった見方もある。
 一方で自民党はどうするか。「数」のことだけ考えれば、公明党が民主党政権を支援する側にまわれば、衆参ねじれ構造は解消される。こういう構図が実現すると、自民党は出番がなくなる。これも自民党にとって、好ましい展開とはいえない。国家的危機に直面して蚊帳の外におかれてしまう。
 そのあたりの微妙な呼吸が政治展開を左右する。救国大連立、あるいはそれに近いかたちの政治構造となる可能性は依然として残されている。その場合、菅首相ではないほうが実現可能性は 高いと見たい。