支那によるチベット人虐殺に抗議し北京五輪灯火リレーが世界各地で躓いている。日本でもその出発点となる長野善光寺の対応が注目されていたが、ようやく拒否の結論がだされたようだ。
インドなどでは、灯火リレーランナーが随行の警備ランナーに守られながら走るのに嫌気がさして辞退し、国会議員は異様なリレーに「五輪の聖火は人類愛の象徴であるのに、ニューデリーは牢獄と化してしまった」と批判したそうである。
日本では事情を知ってかしらずかタレントが参加しているようだが、中止して二宮氏のいうように気骨ある抗議の志を見せてほしいものだ。
善光寺 リレーの境内使用反対 4月18日 0時0分 NHK
今月26日に長野市で行われる北京オリンピックの聖火リレーで、スタート地点となっている善光寺は、世界各地の聖火リレーで中国政府への抗議活動が続いていることから、善光寺の境内をスタート地点にしないよう長野市に求める方針を固めました。
北京オリンピックの聖火リレーは、日本では今月26日に長野市で行われ、善光寺境内の本堂の前をスタートして、80人のランナーが市内中心部の18.5キロのコースを聖火をつないで走ることになっています。スタート地点となっている善光寺では、世界各地の聖火リレーでチベット問題での中国政府の対応を批判する抗議行動が続いたことから、境内がスタート地点となることに反対する意見が出始めたため17日、幹部会を開いて対応を協議しました。関係者によりますと、協議の結果、善光寺の境内をスタート地点にしないよう長野市の聖火リレー実行委員会に求める方針を固めました。長野市の実行委員会では、善光寺側の意向を確かめたうえで、スタート地点を境内の外に移すことや出発式などのセレモニーを縮小することなどを検討することにしています。
【断 二宮清純】誰のため? 聖火リレー 2008.4.16 02:50 産経
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080416/acd0804160252004-n1.htm
あえて挑発的に言うが、五輪の聖火リレーは神聖にして犯すべからざるものなのか。世界各国で北京五輪・聖火リレーへの抗議行動が相次いだことで、単なるプレ・イベントに過ぎない聖火リレーに注目が集まっている。聖火リレーが初めて行われたのは1936年のベルリン五輪である。発案者はドイツのスポーツ歴史学者だといわれているが、聖火がナチス式の敬礼で迎えられるシーンなどが報道され、ナチスドイツの政治的プロパガンダに利用された。
以来、五輪前の聖火リレーは定番となったわけだが、発祥の地であるアテネ(2004年)はいいとして、北京五輪でも前回同様五大陸で大々的に聖火リレーを行う必要はあるのか。北京五輪でも大げさに聖火リレーを行う理由は二つ。中国政府の国威発揚策の具現化と「国際・聖火ツアー」という名の行き過ぎた商業化である。世界最高峰のチョモランマにまで行ってCO2を排出するというのは、これこそ環境破壊の象徴的シーンではないか。
一部に「(妨害行動で)聖火を消すのは問題」との声もあるが、他国の公道で聖火を勝手につけたり消したりしているのは青い服を着た中国の“聖火警備隊”だ。彼らが守っているのは五輪の精神ではなく国家の威信である。 26日、聖火リレーは長野を走る。「中国政府のチベット“弾圧”に抗議する」と言ってボイコットする気骨のある日本人ランナーはいないのか。「無事、大役が果たせてホッとしています」なんて言われた日には目もあてられない。(スポーツジャーナリスト)