1年ほど前、亡父の実家の仏壇から出てきた手紙のコピーを従兄が母宛に送ってくれました。
封筒も紙も傷みがひどく判読できない部分もあったようです。
引越などで忘れていたのですが、終戦の日も今年は65回目を迎えており、ふと思い出し改めて読み返しました。
父が、第二次招集で姫路からボルネオ方面へ送られる際のもので、発信地は下関と台湾高雄です。
短いものですが、当時戦争に招集された軍人たちの覚悟と家族への思いやりがうかがえます。
第二次大戦で内外300万人以上の犠牲者がでましたが、生還した人々、銃後をまもった人々を中心に先人たちが復興に努力し、今日の繁栄をもたらし、当時とは比較にならぬほど便利で豊かな暮らしができるようになったことに、あらためて有り難いことと思いました。
一方、昨今の政治の劣化、リーダーの不在、高齢者の孤独死・子殺し・自殺が頻発する社会状況は、何かが間違っているのではないかと思わざるを得ません。
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下関から家族に宛てた手紙
謹啓
お見送り有難う御座いました。予定の如く出発し今10時頃下関に着きました。
今、一風呂あびて車中の疲れを癒しております。何処へどう行くのかわかりません。
然し、米英を相手の晴れの戦場だけは確かです。大日本男子として立派な死場所たるは勿論です。
山本家を代表して立派に戦います。何卒ご期待下さい。
母子三人が御厄介になることですが、老後の身を御いといの上宜しく御依頼申し上げます。
恒嗣が母さんの背から力の限り叫んだ万歳は目に見えるようです。
万事よろしく。体は極めて好調です。
体はよし、隊長殿はじめ幹部はよし 戦友はあり心丈夫なこと限りなしです。
部隊貫第一五八九一部隊笹川隊です。
くれぐれも還るまで体を大切にしてください。
七月三十一日
御両親様
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高雄から家族に宛てた手紙
その後は御達者ですか御伺いをします。
当の出陣正に世紀の出陣と申すべき大進軍 大東亜戦は斯くの如き成敗に会し得る自分の誇りを重々味わって居ります。
天気晴朗にして波立なし
然れども敵潜の・・・・(字不鮮明)・・のようです。一つの油断も許しません。
海ゆかばみづく屍 山ゆかば草むす屍
大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ
葉隠れの武士道とは死ぬことと見つけたり
とあるがここまでゆくと男子心中実に嬉しいものがあります。
寧ろ家に居て自分のために心配して下さる父母兄弟がいとしい位です。
・死ぬことと定めたる日の晴々さ
波おだやかに船は征く/\
・我思ふ親の心をおろがみて
今日の勤めをなしはげむなり
(中略)
私が居ない中はお互いに歳をとらないことにし ビタミンBの注射 カシワ 卵(少量)をとり野菜物を多く喰って元気で居て下さい。
今度の土産話はきっと南支のものより面白いですよキット 自重自愛を祈ります。
垂水にゆくと魚はあります。時々静養方々行って保養に努めて下さい。
万事宜しく。
高雄市までは無事に着きました。
任地○○にはこれから向かう所です。
父上様
残した家族のことについてはくれぐれも宜しく頼みます。
疎開の要があれば適当に心配してやって下さい。
空襲がその后一回あった由、追々郊外の治安○○も悪くなると思われますので・・・(字不鮮明)
隣保が今のままなればよろしいが変更となる様になりますと不安になると思いますので万事よろしく思ってやってください。
疎開用の材料については○○(元の勤め先)に頼んであります。
台湾までは無事でしたがバシー海峡を突破して進む○○には危険は免れません。
今度は南支の様に生易しいものとは思われず、生還は天の命ずる所に従うのみ、・・・・と思わねばなりません。万事宜しく兄上に頼る以外にありませんので御厄介ですが宜しく。
高雄にて
兄上様
益々御奮闘の由、よろこび申し候、我等四人も男の兄弟が居るのですから一人ぐらいは、世のため人のため働いた人だと、仰がれる様な人になろうではないか。
茂も弘も、まじめに元気にやって居りますからご安心下さい。
志しあるものは事終に成るとか、一心精念、世に仰がれる様な人となって、故郷にお帰りに成ることをお祈りします。
而して一つには、家及び父母の恩にお報い下されたく、而して家名をお上げ下され度候。
而してくれぐれもむりなことをして、病気になど成らぬよう注意しなさい。
兄より
恒雄様
この前後の状況は
ホームページ「父母の戦争体験」に掲載しています。