落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

信じられない小沢氏

2008年09月30日 | 政治・外交
小沢代表、「中国『共産党政権』は必ず崩壊する」2008.9.28 16:14 産経
 民主党の小沢一郎代表は28日、大津市内で講演し、極東情勢について「わたしは『共産党政権は必ず崩壊する』と中国の指導者に面と向かって言っている。中国は米国と違って、経済混乱が政治的動乱につながる。独裁的権力を持った者はそう簡単に権力を手放さないから、あるとき崩壊する。核武装し、世界最大級の軍備を持つ中国が動乱になったらどうするか。大変な政治的な問題を日本は抱え込むことになる。ソフトランディングしてほしいが、なかなか難しい」と指摘した。さらに「中国がはじける前に、北朝鮮がどんな事態になるかも心配だ。政治面では極東が一番不安定な要素を抱えている」と述べた。
 そのうえで「どんな騒動が起きても大丈夫なように、(日本は)民主主義を定着させねばならない。それが、わたしが政権交代すべきだという総選挙の最大の問題点だ」と述べ、政権交代の必要性を訴えた。

これがバリバリの親中派小沢氏の発言とは・・・
確かに中国共産党はいずれ崩壊するでしょう。でも、小沢氏が云ったとなるとこれは「二枚舌」じゃないでしょうか。
昨年暮れ、小沢民主党訪中団が「朝貢外交」をし、胡錦涛皇帝に臣下の礼をとったたばかり。本当に面と向かって仰ったんですか。
「核武装し、世界最大級の軍備を持つ中国が動乱になったらどうするか。大変な政治的な問題を日本は抱え込むことになる」という認識はまともなようですが、民主党に政権交代し、日本をシナに売り渡して解決なんてことじゃないでしょうね。

民主党訪中団 青木直人ブログ

ヨット「空海」より(出雲)

2008年09月29日 | 
9月25日に小伊津から十六島漁港(うっぷるい)、27日に大社漁港、28日に浜田漁港へと移動しています、本日(29日)は雨のため浜田で停泊中です。
水曜日ごろまで雨の予想なのでここに停泊することになりそうです。
大社漁港から出雲大社に参ってきました。

60年ごとに行われる遷宮が行われていて現在神様は御仮殿におられます。


本殿の横側


本殿の裏側


神楽殿の日本一大きいの注連縄、重さ約6トンあるそうです



始まった、マスコミの麻生叩き

2008年09月26日 | 政治・外交
中山国交相「ゴネ得」発言を謝罪 辞任は否定2008.9.26 12:47 産経
 中山成彬国土交通相は26日の記者会見で、報道各社の前日のインタビューで成田空港反対闘争を「ごね得」などと発言したことについて「国民に迷惑をかけたことを申し訳ないと思っている。言葉足らずというか言いすぎた点を含めて撤回する」と謝罪した。責任を取って辞任することは、「ない」と否定した。
 中山氏は成田空港の反対闘争について「発言後に事務方から歴史的経緯について説明を受けたが、誤解を招く表現だった」と述べた。単一民族発言に関しては「アイヌの人々は独自性を有する先住民族だったと認識している」と説明。大分県の教員汚職事件に絡めた日教組批判は「所管外で発言を控える」とし、一連の発言について「私人、公人の発言は区別しないといけない」と話した。
 麻生内閣発足で行政改革担当相を断って国交相に就任したとされることが「ごね得ではないか」との質問も出たが、「その辺の発言は控えたい」と話した。

ごく常識的発言だと思うが、また上げ足とりネタを提供したようだ。
日本は単一民族と云っていいのではないか。ヨーロッパ人が米大陸やオーストラリアに進出して原住民を虐殺駆逐したのとは訳が違うと思うのだが。
正直に思っていることを云うのもいいけれど、簡単に謝罪すると物言わぬ多数派ががっかりする。
謝罪するぐらいなら発言に要注意だ。「辞任だ、罷免だ」と野党を喜ばせてどうする。

麻生内閣誕生

2008年09月24日 | 政治・外交
「なりたくてなったんじゃない」「相手の嫌がることは云わない、しない」とウジウジ暗い雰囲気がようやく晴れたのはよかった。
閣僚名簿を自ら発表し、選んだ理由も端的に述べ、リーダーシップをアピールした。
外交もおそらく麻生カラーを発揮しそうな感じで期待したい。

記者会見で印象深かったのは、当たり前のことだが、
「1つ、国民本位の政策を進めること。そして、官僚は使いこなすこと。3つ、まあ、いろいろ言っていくと、注文的にはありますが、国益です。省益ではない国益を担当。これが一番。国益に専念する。これが一番だと思っております。」 と言っている。シナ、朝鮮半島に向いていた福田内閣とは明らかに違うところと思いたい。

野党の反応は、相変わらず低次元のけなしで、曰く
「安倍内閣と似たお友達内閣」(菅代表)、
「どなたが(首相に)なっても同じことだ。(政治の)中身が変わるわけじゃない」(小沢党首)、
「麻生首相は『雲の上の総理』で、国民生活の困窮から最も対極にある人だ。自民党政治は賞味期限が切れたのにラベルを貼り替えた賞味期限偽装内閣だ」(福島瑞穂社民党党首)、
「国民生活が抱える問題の中で、何を重点に解決するのかメッセージが伝わってこない。論功行賞と親しい人を起用した」(国民新党の亀井久興幹事長)
等々

【麻生太郎新首相会見】2008.9.24 20:11 産経
(前略)
 --自民党総裁選を通じて政党間協議の必要性を訴えて、民主党の小沢一郎代表との対決姿勢を強めたと思うが、早期の党首討論など直接小沢代表とやりとりをかわすことをしようということは考えているか

「これはもう、前回幹事長やったとき。2回幹事長やりましたんで。前回幹事長やったときにも申し上げましたし、今回幹事長に就任した今年の9月にも同じことを申し上げたと思っております。少なくともいま参議院と衆議院がねじれた状況、これ世界中見れば、そういった上院と下院がねじれているという国は、ほかの国にもあります。しかし、そこらのそういう国々では、きちんと政党間協議がなされて、きちんと国民に真に必要なものについては政党間協議をなされて、そこそこの合意がなされている。民主主義が成熟していると思っておりますが、わがほうは、なかなかさような状況にはならないということが一番の今、国民から見て不満なところだと私はそう思っております。ぜひとも党首討論、または直接対話、いろんな方法があるとは思いますけども、本会議場でも委員会でもいろいろなところで議論ができるということは大事なところだと思いますが、少なくとも二大政党というものを目指して、この小選挙区制度を採用したわけですから、われわれとしては、そういったことを踏まえて、きちんとした対応がされるためには、僕は政党間協議、また党首討論というのはものすごく必要なもんだと思って、これはぜひ訴えていかねばならぬもんだと思っています」

麻生氏は国民の不満をよく把握しているのではないか、小沢氏は正々堂々と党首討論に応じ政策論争をやってもらいたい。

秋分の日

2008年09月23日 | 日常・身辺
 秋分の日


秋晴れだが残暑の今日、崖下の小学校は森の陰で見えないが、運動会の賑やかな声がしていた。

午後、イヤガ谷を散歩する。ツクツクボウシがまだ頑張っている。
展望岩から見る神戸市街、大阪湾は霞がかかっていた。
2時間余り歩き汗をかく。帰ってシャワーを浴び一服。

TVの相撲を横目で見ながら夕飯の支度。
把瑠都(3-7) 下手投げ 稀勢の里(3-7) 把瑠都四つ相撲も巧くなった。
魁皇(7-3) 寄り切り 琴欧州(5-5) 琴欧州、生彩無し。
白鵬(9-1) 寄り切り 安馬(8-2) 白鵬落ち着いてうるさい安馬を下す。安馬2敗に後退。
朝青龍今日から休場。豪栄道(9-1)不戦勝。


ヨット「空海」より(出雲)

2008年09月23日 | 
 秋分の日


今日(9/23)は境マリーナから出雲市の小さな漁港「小伊津」に移動しました。
この港は入る予定ではなかったのですが向かい風になったので急遽避難のために入港したものです。

この港に所属している漁師さんは約20人で最も若い人で55歳、ほとんどが68歳前後だそうです、後継者がいないのでそう遠くない日に漁師はいなくなってしまう運命にあります。
港の設備は立派になっても漁師がいなくなれば無用の長物になってしまいます。

大山のシルエット、昨日はガスと雲で見えなかったが、今日の朝には全容をシルエットで見ることができました


小伊津漁港での停泊状況

ヨット「空海」より(鳥取)

2008年09月21日 | 
台風13号の通過を確認して9月20日柴山を出港し鳥取港に入りました。
途中餘部の鉄橋を海側から写真を撮ろうとしましたが視界が悪くて撮れませんでした。

鳥取砂丘は撮影できました、海側から見ると迫力を感じません、大自然の中では小さいものです。
9月21日は気圧の谷の通過で雨模様なのでこの港に留まり、22日に境港に向けて出港する予定です。

海からの鳥取砂丘


鳥取砂丘、その中に入ると雄大です

彼岸近し

2008年09月19日 | 日常・身辺
台風13号は幸いにも当地には影響ありませんでした。
ベランダ下に彼岸花が一輪咲きました。6月老母といっしょに来た7,8個の球根を埋めたものです。
田んぼの畦などによく見かけるので、全部咲くことを期待していましたが、咲いたのはこの一輪だけでした。


風に揺れるコスモス


先日の老母の草引き風景


ヨット「空海」より(柴山)

2008年09月18日 | 
昨日、兵庫県の柴山漁港に入りました、この港は四方を山に囲まれ台風非難には最適です、ここで台風13号が過ぎ去るのを待つことにしました。
今日はこの港から13kmほど離れたところにある餘部鉄橋までサイクリングしました。
現在鉄橋の架け替え工事が進んでいてそれが完成するとコンクリート製の高速道路の橋梁のような味気ない代物に変わるようです。

鉄橋


鉄橋をバックに記念写真


餘部駅にある壁画、餘部駅は地元の人々が駅までの道を総出で作ったことを後世に残すために壁画として記録されたものです


列車の通過、風にあおられ列車が転落したのはもう20年も前のことです


参考:1973年2月の同じ餘部鉄橋(撮影=落葉松亭)

売国議員一人減る

2008年09月17日 | 政治・外交
江之傭兵こと河野洋平衆院議長が引退する。「やっと!」。
村山内閣であの「河野談話」で日本を貶めたことについて、ネットでは非難する声が大であったが、意に介さず今日まで議員活動を続けた。まもなく厚顔無恥の氏の姿が議長席から消えるのはまともな日本への第一歩ではないか。
まだまだ沢山政治姿勢のおかしな売国議員がいるが、次の選挙では是非篩にかけて落としてもらいたい。

ニュースでは最大の功績(?)「河野談話」には一言も触れていなかった。
河野議長が政界引退へ 2008.9.17 01:22 産経
 河野洋平衆院議長(71)が次期衆院選に出馬せず、今期限りで政界を引退する方向で自民党幹部らと調整していることが16日、分かった。河野氏は昭和42年衆院初当選で当選14回。新自由クラブ代表、官房長官、外相などを歴任し、平成5年から約2年、自民党総裁も務めた。

河野衆議院議長 引退の意向 9月17日 18時22分 NHK
河野洋平衆議院議長が、次の衆議院選挙に立候補せず引退する意向を固め、周辺に伝えました。河野議長は18日に地元で後援会の会合を開いて、引退する意向をあらためて伝えたうえで、記者会見することにしています。
関係者によりますと、河野洋平衆議院議長は、次の衆議院選挙に立候補せず引退する意向を固め、自民党の国会議員や県議会議員らに伝えました。河野議長は18日に地元で後援会の会合を開いて、引退する意向をあらためて伝えたうえで、記者会見することにしています。河野氏は、昭和42年の衆議院選挙で旧神奈川3区から立候補して初当選し、これまでに14回連続で当選しています。河野氏は、ロッキード事件をきっかけに自民党の金権体質を批判して昭和51年に自民党を離党し、新自由クラブの代表に就任しましたが、その後、昭和61年に自民党に復党しました。平成5年の衆議院選挙で自民党が下野すると、初めて野党になった自民党の総裁に就任して党の立て直しにあたり、平成6年には自民・社会・さきがけの3党の連立政権となった村山内閣で副総理兼外務大臣として入閣しました。そして、平成15年には衆議院議長に就任し、各国の議会との交流などに力を尽くし、今月2日には、広島市で、日本で初めての「G8・主要8か国下院議長会議」を開き、核兵器廃絶の実現に向けた努力を訴えました。


河野議長の政界引退を寿ぐ   メルマガ「頂門の一針」渡部亮次郎