メルマガ「西村眞悟の時事通信」より
西村眞悟の時事通信 平成27年7月27日(月)
http://www.n-shingo.com/
結局、憲法九条の罠に嵌った議論である
これから糞暑いのに、参議院でいわゆる安保法制案が審議される。
マスコミは、つべこべ報道するのが仕事だから、報道するだろう、 また、マスコミに報道されるのを狙って、わざと「アホな質問」をする議員も出るだろうが、 特殊な反戦平和の運動家を除いて、 諸兄姉には、この法案審議を注意深く見守る暇もつもりも無いであろうと思う。
そして、そうあって当然だと申し上げる。
時間の無駄使いは、しないほうがいい。
何故なら、この法案を作った方も質問をする野党の方も、 共に仲良く「憲法九条という穴(罠)」の中に籠もってやっているからである。 まったく、馬鹿馬鹿しく暑苦しいこと甚だしい。
では、彼らが仲良く入っている「穴(罠)」とは何か。
それは、日本を占領して憲法九条を昭和二十一年二月に書いた GHQ(連合軍総司令部)民政局次長チャールズ・L・ケイディスが、 昭和五十六年一月四日に古森義久氏に正直に言った次の穴(罠)である。(平成十九年七月一日、産経新聞朝刊)
「憲法九条の目的は、日本を永久に武装解除されたままにしておくことです」
驚くべきことと思われないか?
アメリカの占領軍が、日本を永久に武装解除されたままにしておくために、 六十九年前に書き上げた文章の枠内から出ることなく、 これからの我が国の安全保障の在り方が語られている。
つまり、我が国政治は、敵であったアメリカが、 我が国を武装解除されたままにしておくために掘った穴(罠)の中に現在も立て籠もっているのだ。
この穴(罠)のなかからは、何年やっても現実の危機に適切に対処しうる法制が出てくるはずがない。
だから時間の無駄なのだ。むしろ、中共を安心させるだけで、有害だ。
では、どうすればいいのか。
途方に暮れてはいけない。
憲法九条の解釈を変えればいいのだ。
そもそも、 外国人が日本を武装解除したままにしておくために書いた文章を、 日本人がそのまま真に受けて、現在も墨守し続けること自体が異常ではないか。
高山正之氏が週刊新潮に書いていたが、
アメリカ連邦最高裁などは、 死刑はアメリカ憲法に違反する という判決を下したあとで、 凶悪殺人事件が起これば、犯人を死刑にする為に、 死刑はアメリカ憲法に違反しない と、当然のように憲法解釈を変える。
これが、当たり前だ、法というものは、あくまで現実を適切に処理する為にあるのだから。
従来の解釈で、現実を適切に処理し得ないならば、解釈を変えるのが法律家の責務である。
従って、憲法九条が、ケーディスのセットした解釈では現実を処理し得ないならば、 そのケーディスの設定した穴(罠)から解釈を変えて脱却するのが当然であり、 それが、政治家の責務である。
その変更された解釈とは次の通り。
(1)憲法九条は、我が国の自衛権を否定していない。
(2)よって、我が国は自衛権を行使し得る。
(3)この自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権がある。
以上、之で終わり。
何故なら、権利はあるが行使できない権利など存在しないからである。
権利があれば行使できる。行使できるから権利なのだ。
よって、連立与党間の協議や政府案のように、
集団的自衛権の「限定行使」=「限定不行使」などナンセンスである。
こんな議論、やるだけ無駄、やるだけ有害。
そもそも、自衛権の発動に、この場合はああしろ、とか あの場合にはこうしろ、 とかいう「法律」などいらない。 この点に関しては、また述べる。
従来の法的安定性は未来に通用しない 平成27年7月31日(金)
このごろ、首相補佐官が「法的安定性」に関して何か言ったと野党が五月蠅い(七月蠅い)。
何を言ったのか、と思っていたら、 おおよそ、国を守ることの方が法的安定性を守ることより大事だ、と言ったようだ。
あたりまえではないか。その通り。
そやけどなあ、もう少し、アホに分かるように言っておればよかったなあ、と言っておこうか。
従来の社会党的な法的安定性を守れば、 国家と国民を守ることができなくなる、とか。
しかし、当たり前のことを言ったのだから、堂々と弁明するべきは当然である。
幸い、参議院の特別委員会でその機会が与えられるようではないか。
鴻池委員長、その際は、果敢な采配を頼むよ。
委員会は、アホの質問者によるプロパガンダの場ではないのだから。
従来の社会党的な法的安定性が、この先、守られ続ければ大変である。国が滅ぼされる。
社会党的な法的安定性とは、 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼すれば」(憲法前文)平和だという安定性。
「憲法九条があるから平和が続く」という安定性。
この安定性のなかで、北朝鮮はやりたい放題、日本人を拉致した。
この安定性のなかで、今の野党の幹部連中は、拉致された日本人の救出問題に蓋をしていた。
この安定性を守るために、拉致被害者救出と尖閣防衛が、国防問題であるという本質が無視された。
さて、前回、言い残したことを言っておく。
(1)我が国は自衛権を保有している。従って、それを行使し得る。
(2)その自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権がある。
(3)自衛隊は自衛権を行使する組織であり、内閣総理大臣がその最高指揮官である。
(4)自衛権を行使する自衛隊は、国際の法規および慣例に従ってそれを行使する。
以上の四つの項目の内、(4)についてもう少し述べたい。
つまり、自衛権を行使する自衛隊は、国際の法規および慣例に従うのであるが、 国内法との関係は如何にということである。
それは、ネガリストの関係に立つ。
つまり、自衛隊は、法律で明確に禁止されていること以外は、総て行使し得るのが原則となる。
これに対して、警察はポジリストで動く。
つまり、警察は法律で規定されていることだけができて、規定されていないことはできない。
我が国の国防に関する議論の錯綜は、 ネガリストで運用すべき自衛隊を、 警察と同じポジリストで運用しようとしているところからもたらされる。
「国家と国家」もしくは「国家と非国家組織(例えば国際テロ組織)」の間には、 法律はないのである。
かろうじてあるのは、国際の法規及び慣例だけである。
テロ組織との間にはこれもない。
そして、自衛隊が運用される国防という事態は、まさにこの分野である。
従って、自衛隊はネガリストで運用されることになる。
領土を奪いにくる国家に対して、
国民を奪いにくる国家に対して、
国民を殺そうとするテロ組織に対して、
彼らを撃退して国家と国民を守るのが国防つまり自衛権発動の分野であり、
この分野に両者を律する法律はなく、自衛隊はネガリストで運用される。
従って、この分野には法的安定性の概念自体がないのである。
お問い合わせ:西村眞悟事務所
TEL:072-277-4140 E-mail:sakaioffice@n-shingo.com
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結局、憲法九条の罠に嵌った議論である
これから糞暑いのに、参議院でいわゆる安保法制案が審議される。
マスコミは、つべこべ報道するのが仕事だから、報道するだろう、 また、マスコミに報道されるのを狙って、わざと「アホな質問」をする議員も出るだろうが、 特殊な反戦平和の運動家を除いて、 諸兄姉には、この法案審議を注意深く見守る暇もつもりも無いであろうと思う。
そして、そうあって当然だと申し上げる。
時間の無駄使いは、しないほうがいい。
何故なら、この法案を作った方も質問をする野党の方も、 共に仲良く「憲法九条という穴(罠)」の中に籠もってやっているからである。 まったく、馬鹿馬鹿しく暑苦しいこと甚だしい。
では、彼らが仲良く入っている「穴(罠)」とは何か。
それは、日本を占領して憲法九条を昭和二十一年二月に書いた GHQ(連合軍総司令部)民政局次長チャールズ・L・ケイディスが、 昭和五十六年一月四日に古森義久氏に正直に言った次の穴(罠)である。(平成十九年七月一日、産経新聞朝刊)
「憲法九条の目的は、日本を永久に武装解除されたままにしておくことです」
驚くべきことと思われないか?
アメリカの占領軍が、日本を永久に武装解除されたままにしておくために、 六十九年前に書き上げた文章の枠内から出ることなく、 これからの我が国の安全保障の在り方が語られている。
つまり、我が国政治は、敵であったアメリカが、 我が国を武装解除されたままにしておくために掘った穴(罠)の中に現在も立て籠もっているのだ。
この穴(罠)のなかからは、何年やっても現実の危機に適切に対処しうる法制が出てくるはずがない。
だから時間の無駄なのだ。むしろ、中共を安心させるだけで、有害だ。
では、どうすればいいのか。
途方に暮れてはいけない。
憲法九条の解釈を変えればいいのだ。
そもそも、 外国人が日本を武装解除したままにしておくために書いた文章を、 日本人がそのまま真に受けて、現在も墨守し続けること自体が異常ではないか。
高山正之氏が週刊新潮に書いていたが、
アメリカ連邦最高裁などは、 死刑はアメリカ憲法に違反する という判決を下したあとで、 凶悪殺人事件が起これば、犯人を死刑にする為に、 死刑はアメリカ憲法に違反しない と、当然のように憲法解釈を変える。
これが、当たり前だ、法というものは、あくまで現実を適切に処理する為にあるのだから。
従来の解釈で、現実を適切に処理し得ないならば、解釈を変えるのが法律家の責務である。
従って、憲法九条が、ケーディスのセットした解釈では現実を処理し得ないならば、 そのケーディスの設定した穴(罠)から解釈を変えて脱却するのが当然であり、 それが、政治家の責務である。
その変更された解釈とは次の通り。
(1)憲法九条は、我が国の自衛権を否定していない。
(2)よって、我が国は自衛権を行使し得る。
(3)この自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権がある。
以上、之で終わり。
何故なら、権利はあるが行使できない権利など存在しないからである。
権利があれば行使できる。行使できるから権利なのだ。
よって、連立与党間の協議や政府案のように、
集団的自衛権の「限定行使」=「限定不行使」などナンセンスである。
こんな議論、やるだけ無駄、やるだけ有害。
そもそも、自衛権の発動に、この場合はああしろ、とか あの場合にはこうしろ、 とかいう「法律」などいらない。 この点に関しては、また述べる。
従来の法的安定性は未来に通用しない 平成27年7月31日(金)
このごろ、首相補佐官が「法的安定性」に関して何か言ったと野党が五月蠅い(七月蠅い)。
何を言ったのか、と思っていたら、 おおよそ、国を守ることの方が法的安定性を守ることより大事だ、と言ったようだ。
あたりまえではないか。その通り。
そやけどなあ、もう少し、アホに分かるように言っておればよかったなあ、と言っておこうか。
従来の社会党的な法的安定性を守れば、 国家と国民を守ることができなくなる、とか。
しかし、当たり前のことを言ったのだから、堂々と弁明するべきは当然である。
幸い、参議院の特別委員会でその機会が与えられるようではないか。
鴻池委員長、その際は、果敢な采配を頼むよ。
委員会は、アホの質問者によるプロパガンダの場ではないのだから。
従来の社会党的な法的安定性が、この先、守られ続ければ大変である。国が滅ぼされる。
社会党的な法的安定性とは、 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼すれば」(憲法前文)平和だという安定性。
「憲法九条があるから平和が続く」という安定性。
この安定性のなかで、北朝鮮はやりたい放題、日本人を拉致した。
この安定性のなかで、今の野党の幹部連中は、拉致された日本人の救出問題に蓋をしていた。
この安定性を守るために、拉致被害者救出と尖閣防衛が、国防問題であるという本質が無視された。
さて、前回、言い残したことを言っておく。
(1)我が国は自衛権を保有している。従って、それを行使し得る。
(2)その自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権がある。
(3)自衛隊は自衛権を行使する組織であり、内閣総理大臣がその最高指揮官である。
(4)自衛権を行使する自衛隊は、国際の法規および慣例に従ってそれを行使する。
以上の四つの項目の内、(4)についてもう少し述べたい。
つまり、自衛権を行使する自衛隊は、国際の法規および慣例に従うのであるが、 国内法との関係は如何にということである。
それは、ネガリストの関係に立つ。
つまり、自衛隊は、法律で明確に禁止されていること以外は、総て行使し得るのが原則となる。
これに対して、警察はポジリストで動く。
つまり、警察は法律で規定されていることだけができて、規定されていないことはできない。
我が国の国防に関する議論の錯綜は、 ネガリストで運用すべき自衛隊を、 警察と同じポジリストで運用しようとしているところからもたらされる。
「国家と国家」もしくは「国家と非国家組織(例えば国際テロ組織)」の間には、 法律はないのである。
かろうじてあるのは、国際の法規及び慣例だけである。
テロ組織との間にはこれもない。
そして、自衛隊が運用される国防という事態は、まさにこの分野である。
従って、自衛隊はネガリストで運用されることになる。
領土を奪いにくる国家に対して、
国民を奪いにくる国家に対して、
国民を殺そうとするテロ組織に対して、
彼らを撃退して国家と国民を守るのが国防つまり自衛権発動の分野であり、
この分野に両者を律する法律はなく、自衛隊はネガリストで運用される。
従って、この分野には法的安定性の概念自体がないのである。
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