落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

【山】神戸市北区 高丸山、鬼ヶ島、逢ヶ山

2015年03月27日 | 散歩・山歩き
3月27日(金) 晴れ

ようやく暖かくなった。
神鉄五社駅を起点に、高丸山、鬼ヶ島、水無山、仏谷峠、逢ヶ山を周回、ゴールは唐櫃温泉にした。


高丸山(逢ヶ山から)


逢ヶ山(高丸山から)

コース長:10.3km
累計高度:約860m

 山歩記


 

「戦後70年談話」

2015年03月25日 | 政治・外交
8月15日に出すという安倍談話が今から注目されている。
中・韓のみならず米までも河野村山談話の継承を忘れるなと釘をさしている。
これも歴史戦だろう。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2015年3月24日 02:00:07JST
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

大戦終結“70周年”に露・中・米がこだわる理由

 安倍政権は戦後70周年に当たる談話をだすのをめぐって、苦慮している。
 新しい首相談話を発表する8月は、日本にとって重い夏となる。
 ワシントンから再三にわたって、村山談話、河野官房長官談話を「継承」し、先の大戦に対する反省を繰り返すように求められている。
 安倍首相が5月の連休に訪米して、アメリカ議会で演説することになるが、先の大戦にどのように言及するのか、頭が痛いことだ。

 だが、大戦終結後70周年を記念しようという騒ぎが、このように大きく盛りあがっているのは、おかしいではないか?
 ふつうなら、50周年、100周年を記念するもので、70周年が大きな節目となることはない。60周年にこのように大きな話題に、ならなかった。
 ロシアと中国には、70周年を盛大に祝いたい計算がある。
 ロシアはソ連が崩壊して、共産主義も破綻してしまったので、前大戦でヒトラーのナチス・ドイツを打倒したことしか、正義を主張できない。
 中国も同じ弱みを、かかえている。東南アジア諸国などの周辺の国々を恫喝して、評判が悪い。いまの中国は、中華民国ではないから、先の大戦の戦勝国ではないが、軍国日本を屈服させたことしか、正義を騙(かた)ることができない。

 しかし、アメリカはどうなっているのか?
 アメリカは17世紀はじめに、イギリス本国から迫害を受けていた清教徒が、北アメリカ大陸に“地上のユートピア”である「神の国」を築こうと決意して、大西洋を渡って、建国した国である。
 そのために、今日でもアメリカは、キリスト教の信仰が篤い国となっている。ヨーロッパでは神父や、牧師のなり手がいないので、アフリカの黒人や、インド人の聖職者が増えている。アメリカはヨーロッパ諸国において宗教離れが進んでいるのと、対照的だ。

 アメリカはいまでも「世界で自分たちのアメリカがもっとも正しい」と信じている、“地上のユートピア”主義を国是としている。
 なぜ、ソ連が東西冷戦が終わるまで、地球上の半分近くを支配したのか。なぜ、アメリカが「アメリカの理想」を振り翳して、全世界をアメリカ化しようとしているのか。

 この答えを求めるためには、西洋史を遡らなければならない。
 ヨーロッパでは中世を通じて、ローマ法王のキリスト教原理主義によって、いっさいの知的な自由が圧し潰されていた。
 そこに、ルネサンスと啓蒙の時代が、到来した。
 啓蒙の時代は人間の知性を、神よりも上に据えた。その結果、それまでは天国が死後の世界に属していたが、天国を地上に引きずりおろして、“地上のユートピア”主義が出現した。
 18世紀のフランス革命が、その鬼子であり、マルキシズムが“地上のユートピア”思想の代表的なものだった。
 ソ連が消滅して、中国もマルキシズムを捨てて、“偉大な中華文明の復活”を旗印とするようになった。
 だが、アメリカがまだ“地上のユートピア”主義国家として、のこっている。
 アメリカも先の大戦で、アメリカが正義であったことを、証したいのだ。

「戦争の歴史を知らない世代」の戦後70年談話を  池田信夫 2015年03月19日(木)17時57分
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2015/03/70.php

 今年は戦後70年。政府は8月15日に安倍首相談話を出すための有識者会議をつくった。戦後50年の村山談話で「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べた部分を変更したいのが首相の意向らしい。
 ところが有識者会議の座長代理である北岡伸一氏(国際大学学長)は「安倍首相には侵略と言ってほしい」とコメントし、産経新聞などが反発している。いまだにこんな話をしているのかとうんざりしていた矢先に、三原じゅん子議員が参議院予算委員会で「八紘一宇」を賞賛する事件が起こって驚いた。

 彼女は「八紘一宇の理念の下に世界が一つの家族のように睦み合い、助け合えるように、経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書」をつくれという。麻生財務相は当惑して「こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに驚いた」と答弁した。

 八紘一宇という言葉は、大日本帝国がアジアの「家長」として他の国々を支配する思想である。三原氏が特に極右的な思想の持ち主とも思われないが、戦時中の歴史がメディアや教育でタブーになってきた結果、彼女(1964年生まれ)の世代では、こういう言葉の使われた文脈がわからなくなっているのだろう。

 そういう意味では歴史が一めぐりした今、あの戦争の意味を確認しておく意味はある。侵略については、北岡氏もいうように「日本の歴史研究者に聞けば99%そう言う」だろう。1928年の不戦条約以降は、他国の領土を侵犯する行為が侵略であることは国際的な常識である。

 だから1931年の満州事変以降に日本軍の起こした戦争は、明らかに国際法上の侵略である。ヨーロッパ諸国も1928年以前にアジアを植民地支配したが、そのときは侵略という概念はなかった。日本は不戦条約を批准したのだから、それを意図的に破ったことは批判されてもしかたがない。

 当時の日本政府は「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などの言葉を使って侵略を正当化したため、日本が最初からアジア全域を領土にしようとして戦争したと考える人が多いが、これも誤りだ。

 日本政府が公文書で「八紘一宇」を初めて使ったのは、第2次近衛文麿内閣が1940年に出した基本国策要綱で「大東亜新秩序」を打ち出したときだ。このときすでに日中戦争は始まっており、東南アジアに戦線は拡大していた。これは戦争が始まってからつけたスローガンなのだ。

 よくも悪くも、日本はアジア全体を支配しようという思想はもっていなかったし、そんな戦略もなかった。何のために戦争するのかわからないまま、ずるずると戦線を拡大したのだ。こうした「歴史問題」を騒いでいるのは、中国と韓国だけである。東南アジアでそういう話題が出ることはなく、台湾は日本に感謝している。

 日韓併合は1910年の合法的な条約なので、植民地支配と侵略を一括して謝罪した村山談話はおかしいが、それを今さら変更しても中韓の反発をまねくだけだろう。むしろ三原氏のような「戦争の歴史を知らない世代」が歴史を勉強し、戦後70年の談話を出してはどうだろうか。

■西村眞悟「総理大臣談話の作り方、そして奉天」
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1076&view=0


歴史戦-2

2015年03月21日 | 政治・外交
[AC論説] No.535 歴史問題の解決は困難(2015/03/17)
http://melma.com/backnumber_53999/

台湾の228事件記念日のあと、テレビで「転型正義」という題目で 討論会があった。転型とはどういう意味かというと、改めて別の形 で正義を求めることだろう。228事件とそれに続く38年にわたる白 色恐怖政治があった。

白色恐怖が終わっても国民党の暴虐政治は祝っていない。だから人 民の恨みは今も消えていない。台湾人は現在になっても存在する暴 虐政治を清算し、新しい民主政治、新しい正義を求めると言うこと である。

228事件の元凶は蒋介石、蒋介石の軍隊、そしてその後の国民党政 権の暴虐政治である。蒋介石も当時の加害者はみんな過去の人であ る。そして被害者もみんな過去の人である。だが中華民国政権は今 でも暴虐な加害者である。つまり加害者は今でもまだ居る。

被害者の恨みは消えていない。人民は不満である。ぜ不満なのかと いうと、現在の国民党政権も加害者であり、現代の台湾人民も被害 者であると言う意識があるから、過ぎ去ったこととして清算できな いのである。正しい政治が行われていないから人民は正義を求める のだ。

●台湾人民が求めるもの

228事件で12万人以上の台湾人が行方不明になったと言う。その後 の白色恐怖政治でも数万人の被害者が出ている。今の世代は孫や子 供の世代だが、現政権に不満だから「正しい政治」を求める。

正しい政治とはなにか。台湾では人種問題が大部分を占める。つま り国民党政権の外省人を優遇し、台湾人を差別している人種問題、 公務員と退役軍人に対する優遇措置、為政者の権力濫用に対する不 満などである。

過去の被害者についてはどうすればよいのか。李登輝が総統だった 時代に228事件の被害者に対し金銭の補償が行われた。しかし金銭 だけでは済まない。迫害は続いているのだ。

人民が求めているのは(1)228事件に対する事実の究明、(2)国 民党が今でも公開しない記録の公開と討論、それに続く謝罪、(3) 人種問題の改善と政治の民主化、(4)新しい公平で民主的な政治、 などである。つまり台湾人民は今になっても国民党政権の反省はな く、正義が通らないと認識している。人民が参与できる政治を求め ているのである。

●過去と現代、加害者と被害者

歴史問題は過去のことである。過去のことを論じるのは現代の人々 で、加害者と被害者もいないのに、加害者側と被害者側に分かれて 論争する。双方は殆ど和解することが出来ない。

真相が欲しい、加害者側の反省が欲しい。補償が欲しい。対話が欲 しい。このいずれの問題をとっても過去を完全に清算し和解が成立 する可能性はない、和解しても再燃する。謝罪しても謝罪が足りな い、補償しても金額が足りないと言えば再燃する。過去のことを現 在になって討論するのは問題の政治化であり、政治に利用されれば 解決は難しい。

228事件の場合は国民党という加害者が今でも存在する。しかし南 京虐殺や慰安婦問題など、一方が被害者のふりをしてウソをばら撒 けば無知な民衆はすぐに飛びつく。解決は困難である。

だが歴史問題はいろいろな国にもある。台湾の歴史問題はまだ解決 していないが、日本は中国と韓国に歴史問題を悪用され、「加害者と 呼ばれる被害者」となっている。

●過去を断ち切ること

ドイツの場合はナチスとヒットラーの過去を清算し、現在のドイツ はナチスドイツとは関係がないとして成功した。つまり現在のドイ ツは加害者ではない。過去を取り上げても問題にならないのである。 ユダヤ人虐殺も過去の事実として認め、謝罪は済ませ、今のドイツ は加害者ではないことに成功している。

台湾の場合は国民党政権が続く限り過去を清算できない。国民党が 過去を清算するためには人種問題と国民党がひた隠しにしている資 料を一般公開し事実を明らかにしたうえで謝罪しなければ和解は成 り立たない。

国民党が政権を握っている限り「台湾の中国人」は加害者と言われ る。現代の台湾人が今でも国民党に迫害されていると言った意識を 持つ限り、加害者と被害者の立場は消えない。

日本にとって大切なことは過去と現在を分別することである。歴史 問題では加害者も被害者も既に存在しない。日本はサンフランシス コ平和條約を締結して戦争を終結した。現代の日本は加害者でない という立場を明らかにすべきである。中国、韓国が「歴史を政治化」 しても、現代日本は加害者の立場から論争すべきではない。歴史論 争はいつまでたっても解決できない。

中国は賠償金を取って生産を済ませたのに、今でも歴史問題を政治 化して日本を攻撃し、政治的に有利な立場を取ろうとしている。韓 国は慰安婦問題を歪曲して日本に歴史の追及を迫っている。こんな 時に「そのような事実はなかった]」と反論しても無駄である。


現在の日本は戦前の日本軍部とは違う。中国や韓国が歴史問題を取 り出しても反論するより、戦争裁判は終わった、賠償は済んだ、現 在の日本は加害者ではないと言う立場を強調すべきである。

台湾は日本の生命線! [メルマ!: 2015年3月20日 08:25:00JST
中国の走狗・村山富市の狂奔ー操縦受けて「安倍談話」を牽制
ブログ「台湾は日本の生命線」より。ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2524.html

2015/03/12/Thu
「中華民族の偉大なる復興」なる国家目標を見れば明らかなように、アジアでの覇権確立を目指す中国にとり、外交コントロールが効かない日本の安倍晋三首相は厄介な存在だ。

そこで安倍牽制の道具として操縦するのが鳩山由紀夫元首相であり、そして村山富市元首相である。二人は安倍首相の就任直後から中国を訪問するとともに、歴史問題、尖閣問題等で反安倍言論を展開し、日中関係の改善を訴えている。

もちろん中国側もこの二人を持ち上げるのに余念がない。たとえば香港の親中メディア大公報(二〇一三年一月二十八日)は、村山氏をこう紹介した。

―――国内メディアの統計によれば、「中国人民の老朋友(古くからの友人)」と讃えられる人物の中で、村山富市は著名な一人だ。歴史を直視する態度と誠意は中国人民の尊敬を勝ち得ている。一九九五年には右翼勢力の巨大な圧力を受けながら村山談話を発表し、日本政府を代表して中国などアジア諸国への侵略、植民統治の歴史を認め、深い反省と心からの謝罪の意を表明した。村山はそのため日本政界では「良識ある政治家」との尊称を受けている。

中国から「良識ある」と讃えられるのは、それほど「中国に従属している」ということだ。よく指摘されるように「死んでも罪を認めない」のが中国の民族性であり、中国に対する謝罪と反省の表明は、あの国には屈服宣言と映るのだから当然だ。

そして今、その村山氏が、再び動きを活発化させているところである。

安倍首相が今夏発表する戦後七十年談話が、村山談話を継承しないのではないかと中国が警戒する中、その意を受けた走狗のように村山氏は、内外のメディアを通じ、安倍牽制の発言を盛んに繰り返しているのだ。

たとえば朝日新聞は三月十一日、次の如く報じる。

―――村山富市元首相は11日、戦後70年談話について、「(戦後50年に村山談話を出して他国との関係が)安定している中に波紋を投げかけて、『また昔の日本に戻るのか』と誤解されている。日本は孤立するのではないか」と述べ、懸念を示した。

―――村山氏は「安倍談話には世界が注目している」と指摘したうえで、「安倍(晋三)首相は(村山談話に盛り込まれた)『侵略』やおわびの言葉について、若干の疑義を持っているんじゃないか」との見方を示した。

村山氏は中国国営新華社の取材に対しても、エンジン全開だ。

「村山談話は日本が国際社会に対して行った鄭重な約束。その精神を否定すれば日本は国際社会で孤立する」「歴史事実を承認して謝罪、反省し、平和と民主主義と国際協力に力を致すことは日本の戦後七十年間における発展の基礎であり、絶対に否定は許されない」などといった発言が、三日に配信されている。

ところで気になるのは、この新華社の配信記事が、「安倍談話」を「世界反ファシズム戦争勝利及び日本無条件降伏七十周年」における談話と説明していることだ。

これを見れば中国側が、今年実施する「世界反ファシズム戦争勝利七十周年」の記念プロパガンダで、安倍談話を利用したがっているのがわかるはずである。

もしその談話が謝罪、反省という「村山談話の精神」を継承すれば、あの国のプロパガンダに花を添えることとなるだろう。そしてますます「中華民族の偉大なる復興」に向けた動きに弾みをつけることだろう。

台湾の親中メディア中国時報も四日、次のような論説を見せた。
―――大陸(中国)が抗戦七十周年記念活動を大々的に実施し、広く戦勝国のリーダーを参加させようとしているが、こうした動きは明らかに安倍の首相談話に大きな圧力を加えている。こうした反ファシズムの国際的空気の下で、安倍が村山談話の内容を継承するかに、各界の注目が集まっている。

日本の孤立と弱体化を目論む中国のプロパガンダには、「村山談話の精神」こそに利用価値がある訳だ。
それではその「精神」を継承しない場合、日本は孤立するだろうか。たしかに日中関係の悪化を懸念する米国は継承を望んでいるとされる。しかしもし談話が中国の圧力、コントロールを跳ね返す形になれば、日中韓三国関係の中では孤立するとしても、アジアの多くの国々は、そこに中国の覇権拡大に屈しない日本の姿を見い出し、大いに安堵するのではないだろうか。

内外のメディアの「支援」に支えられる村山氏の妄言の影響力には侮れないものがあるが、大切なのは国民が、その発言が中国覇権主義に利するものであると明確に認識することだ。

登録・バックナンバー
http://www.melma.com/backnumber_174014/
発行 永山英樹(台湾研究フォーラム)
運動拡大のため転載自由 
ご意見等: mamoretaiwan@gmail.com

村山さんは元気。
アンサイクロペディア(笑):村山富市(1924--)↓
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E5%AF%8C%E5%B8%82


岡田・二階・メルケルにマスコミ

2015年03月15日 | 政治・外交
ブログネタ的話題。
どれが本当かな? これも情報戦?

その1
「慰安婦問題はメルケル氏が持ち出した…」 岡田氏が独首相との会談を説明 2015.3.14 16:54
http://www.sankei.com/politics/news/150314/plt1503140013-n1.html

 民主党の岡田克也代表は14日、三重県四日市市での会合で、10日のメルケル・ドイツ首相との会談をめぐり、同氏から慰安婦問題の解決を促されたと重ねて説明した。「慰安婦問題はメルケル氏が持ち出し『日韓両国は非常に大事な関係だから、この問題を早く解決した方が良い』と(言われた)」と紹介した。
 同時に「『日本政府に』とは言っていない。誰がとは言っていないが、解決した方が良いという話だった」と語った。
 岡田氏とメルケル氏との会談に関し、菅義偉官房長官は13日の記者会見で「ドイツ側から『メルケル氏が過去の問題で日本政府がどうすべきか発言した事実はない』と説明を受けた」と述べた。

その2
メルケル「和解」発言 独政府報道官も「正しくない」 2015.3.13 20:02
http://www.sankei.com/world/news/150313/wor1503130061-n1.html

 ドイツ政府のザイベルト報道官は13日の記者会見で、メルケル独首相が民主党の岡田克也代表との会談で「(日韓関係は)和解が重要」と促したとする報道について「正しくない」と否定した。
 ザイベルト氏は、メルケル氏が日本で質問に答える形で、ドイツがナチス時代の過去とどう向き合ってきたかについて発言したと説明。日本での記者会見で「(過去との向き合い方を)助言するために日本に来た訳ではない」との立場を表明したとし、岡田代表との会談でも同じ「表現を用いた」と強調した。

 菅義偉官房長官は13日の記者会見で、この報道に関し、独政府が否定する見解を伝えてきたことを明らかにした。「ドイツ側から『メルケル氏が過去の問題で日本政府がどうすべきか発言した事実はない』と説明を受けた」と述べた。
 日本政府筋によると、ドイツ政府はメルケル、岡田両氏の会談内容を伝える報道を受け、在日ドイツ大使館を通じ日本外務省に連絡してきた。日本政府側からは照会していないという。(共同)

その3
独政府、メルケル氏「慰安婦発言」否定=菅長官が紹介、岡田氏反論 時事通信 3月13日(金)18時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150313-00000133-jij-pol

 菅義偉官房長官は13日の記者会見で、先に来日したドイツのメルケル首相が岡田克也民主党代表との会談で、いわゆる従軍慰安婦問題の解決を求める発言をしたとの報道に関し、ドイツ政府から「メルケル首相は過去の問題について、日本政府がどうすべきかというような発言を行った事実はない」との説明があったと紹介した。
 岡田氏はメルケル氏との会談後、同氏から「日韓関係は非常に重要だ。慰安婦の問題をきちんと解決した方がいい」などとの発言があったと記者団に語っていた。
 これに関し、岡田氏は13日、国会内で記者団の取材に応じ、「少なくとも私が慰安婦の問題について全く触れていない中で、メルケル首相が取り上げたことは紛れもない事実だ」と反論。民主党に対してドイツ政府から抗議などは寄せられていないことも明らかにした。 

その4
慰安婦問題の解決「独首相にも言われた」 自民・二階氏 朝日新聞 明楽麻子 2015年3月11日23時22分
http://www.asahi.com/articles/ASH3C5JQHH3CUTFK006.html

 自民党の二階俊博総務会長は11日、東京都内で講演し、慰安婦問題について「日本にも大いに言い分はあるが、解決していないことは事実。ドイツのメルケル首相にも『ちゃんとやりなさい』と言われた。あらゆる機関が努力して、一日も早く正常な姿にすることが大事」と語った。
 メルケル氏は10日の民主党の岡田克也代表との会談で慰安婦問題について「日韓関係は非常に重要だ。きちんと解決した方がいいのではないか」と指摘したとされる。
 また、二階氏は講演で、今年2月に韓国の朴槿恵(パククネ)大統領と会談した際にも慰安婦問題が取り上げられたことにも触れ、「大人の責任として今の時代に早く解決しておくことが大事だ。大統領に『(この問題は)済んでいる』と外交官のようなことを言って道が開けるのか」と語った。(明楽麻子)

その5
慎重に徹したメルケル首相=日本内の議論尊重―独紙報道 時事通信2015年3月10日(火)20:41
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-150310X126.html

 【ベルリン時事】ドイツ各紙はメルケル首相が行った訪日を10日付の紙面で報道。メルケル氏が日本と近隣国の関係改善やエネルギー政策の在り方について、日本国内での議論を尊重する姿勢を示し、「極めて慎重」(南ドイツ新聞)な発言に徹したと伝えた。
 独有力紙フランクフルター・アルゲマイネは、9日のメルケル首相の講演に言及。質疑で日本はドイツの戦後対応から何を学べるかという問いに対し、メルケル氏が「(答えは日本の)社会の中から出てこなければならない」と応じたことを紹介。「日本に助言をするために来たわけではない」という記者会見での言葉も引用し、同紙はメルケル氏が「(発言に)用心深い態度を保った」と分析した。
 南ドイツ新聞はエネルギー政策に関し、「他国へのあからさまな忠告は逆効果を生むとメルケル首相は知っている。首相は日本批判はやめ、ドイツが選んだ(脱原発の)道がなぜ正しいと考えているかを説明するだけにとどめた」と解説した。

その6
メルケル独首相が来日講演、「ドイツは過去と向き合った」 2015年 03月 9日 15:02 JST
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPKBN0M50AI20150309

[東京 9日 ロイター] - 来日したドイツのメルケル首相は9日、東京都内で講演し、ドイツが戦後、国際社会に受け入れられたのは、過去ときちんと向き合ったため、と述べた。
メルケル首相の来日は2008年以来。
メルケル首相は講演で、ヴァイツゼッカー独大統領(当時)の1985年のスピーチ「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を引用。ドイツは戦後、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問に対して「近隣諸国の温情なしには、不可能だった。ただ、ドイツ側も過去ときちんと向き合った」と述べた。

このロイターの報道が真実とすれば、この講演は明らかに日本の対中韓外交への「お説教」ではないのか。
ナチのホロコーストと「従軍慰安婦問題」とは全然別。まるで「従軍慰安婦問題」で日本は孤立しているかのような発言とも受け取れる。よけいな「お説教」は混乱を招く。
ようやく朝日新聞は「従軍」慰安婦は捏造であったことを謝罪したばかりだ。
岡田も二階も云われたのなら、きちんと反論しないのは情けない。


歴史戦

2015年03月12日 | 政治・外交
中国政協が開幕、政協主席「抗日戦勝70年資料を出版する」 安倍氏を「人類の良識に挑戦」と非難
http://www.sankei.com/world/news/150303/wor1503030039-n1.html

 【北京=川越一】中国の国政助言機関、人民政治協商会議(政協)の第12期全国委員会第3回会議が3日、北京の人民大会堂で開幕し、共産党序列4位の兪正声政協主席が活動報告の中で、抗日戦争勝利70年記念として、歴史的な資料を集め、出版する計画を明らかにした。

 兪氏は資料の具体的な内容については言及しなかったが、「歴史を銘記し、未来を明るく照らす」と出版の目的を説明した。
 2日に記者会見した呂新華政協報道官は、過去の村山談話と小泉談話を評価しつつ、「現指導者は事実を覆い隠し、歴史の正義と人類の良識に挑戦している」と安倍晋三首相を批判。「歴史を深く反省する時だと忠告し、歴史に責任を負う姿勢を示すよう促す」と迫っていた。

 出版される資料は、旧日本軍の残虐性を強調する内容になる可能性がある。今夏に戦後70年談話を発表する安倍首相に対し、侵略の歴史を認め、あらためて謝罪するよう圧力をかける狙いがうかがえる。
 兪氏は報告で「習近平総書記(国家主席)の重要講話の精神を徹底的に実行する」と繰り返し、習氏への“忠誠”を強調した。
戦後70年「安倍談話」を注視=歴史認識でけん制強化-中国
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201412%2F2014122400759

 【北京時事】中国外務省の華春瑩副報道局長は24日の定例記者会見で、第3次安倍内閣の発足を「注視している」と述べた上で、「日本が平和発展の道を引き続き歩み、地域の平和と発展を維持・促進するため建設的な役割を果たすよう希望する」とコメントした。中国政府は安倍晋三首相が戦後70年に合わせて発表する談話が「村山談話」などを継承しているか注視しており、靖国神社参拝や歴史認識問題へのけん制を強めるとみられる。
 11月に安倍首相と習近平国家主席による日中首脳会談が実現した。しかし、与党の衆院選大勝で長期化が確実となった安倍政権への中国メディアの論評には、対日不信感の強さが表れている。国営新華社通信が発行する国際問題紙・国際先駆導報は「歴史問題で河野・村山談話を架空のものにする行為も排除できず、対中けん制外交が継続する可能性もある」と懸念を示した。

 来年は中国にとって抗日戦勝70年で、歴史問題で日本に妥協できない機運が高まるのは必至。共産党序列4位の兪正声全国政治協商会議主席は19日に河野洋平元衆院議長と会談した際、「来年、歴史問題でどういう態度を取るか注視している」と述べており、尖閣諸島・靖国問題以外に、安倍首相の談話内容次第で日中関係が厳しい状況に陥る可能性もある。(2014/12/24-18:08)

放置するのも一つの作戦かも知れないが、精神衛生上よくない。
先人・先祖の顔に泥を塗られて平気というわけにはいかない。
せめて歴史基礎知識でも仕入れて、日本の政治家や外交筋がどう反駁対処しているのかを知るのも大切なことと思う。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成27年(2015)3月13日(金曜日)通巻第4486号<前日発行>
http://melma.com/backnumber_45206/

さぁ、歴史戦の決戦場!
「下関条約120周年 日清戦争を考える国民の集い」


 4月17日は「下関条約」から120周年。日清戦争勝利の日です
中国と韓国によって、「歴史戦」が仕掛けられ、日本は猛烈に貶められています。
1985年4月17日、下関において伊藤博文、李鴻章は日清戦争終結の条約を結び、賠償金ならびに台湾割譲を獲得しました。しかし朝鮮半島をめぐる戦雲はおさまることなく、十年後には日露戦争へと拡大し、ポーツマス条約へといたります。
この日清・日露戦争が世界史的に果たした意義は大きく、アジア諸国の覚醒があり、やがてインド独立運動などへ結びつくのですが、現代日本では爾後の「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」などとする自虐史観が依然としてまかり通っています。

GHQ史観の押しつけや戦前の図書焚書などにより国民は洗脳されたまま。まして「反日」を掲げる中国と韓国は、改竄した政治的プロパガンダをつづけ、日本を貶める「歴史戦」を世界的規模で展開しています。いつまで、この状態に日本は甘んじているのでしょうか。
心ある国民はたちあがらなければなりません。

わたしたちは4月17日という意義深い記念日に一同に参集し、自虐史観をただし、正しい歴史観をもって、よこしまな反日キャンペーンを展開する勢力に言論戦を挑みます。
有志あいつどって呼びかけをおこない下記の要領で国民集会を開催する運びとなりましたので万障繰り合わせの上、ご出席願いたいと思います。

代表呼びかけ人 加瀬英明、黄文雄、石平、高山正之、西尾幹二、水島総、宮崎正弘
      記
とき    四月十七日 午后六時(五時半開場。八時半閉会)
ところ   星陵会館二階ホール (資料代 千円)
司会    佐波優子
記念講演  「日清戦争における武士の情けーー 伊東祐亨と立見尚文」
直木賞作家 中村彰彦「アメリカ外交からみた日清戦争―― 列強の外交・舞台裏の真実
カナダ在住作家 渡邊惣樹

発言予定  梅原克彦、加瀬英明、河添恵子、日下公人、小堀桂一郎、石平、西村幸祐
西村真悟、藤岡信勝、平間洋一、藤井厳喜、宮脇淳子、屋山太郎ほか

主催    「下関条約120年、日清戦争の意義を問う国民のつどい」実行委員会
共催    「国防問題研究会」(玉川博己 代表幹事)
  「頑張れ日本! 全国行動委員会」(水島総 代表代行)
後援   士気の集い、呉竹会、正論の会、史実を世界に発信する会、国民新聞社
     日本・李登輝友の会、日本文化チャンネル桜、新しい歴史教科書をつくる会

呼びかけ人(敬称略、五十音順「代表呼びかけ人」と重複しません)
阿羅健一、井尻千男、伊藤哲夫、井上和彦、入江隆則、植田剛彦、潮 匡人
梅原克彦、江崎道朗、呉善花、大高未貴、大原康男、岡田英弘、小田村四郎
小山和伸、鍛冶俊樹、葛城奈海、加藤康男、川口マーン惠美、河添恵子
川村純彦、北村良和、日下公人、工藤美代子、小堀桂一郎、酒井信彦、
佐藤守、澤英武、新保?司、杉原誠四郎、杉原志啓、関岡英之、高池勝彦
田久保忠衛、田中英道、堤 堯、頭山興助、富岡幸一郎、中村彰彦
中村信一郎、永山英樹、西村幸祐、西村真悟、坂東忠信、樋泉克夫
平間洋一、福井雄三、福田 逸、藤井厳喜、藤岡信勝、ペマ・ギャルポ
馬淵睦夫、三浦小太郎、宮脇淳子、三輪和雄、村松英子、室谷克実
茂木弘道、山口洋一、山田恵久、屋山太郎、柚原正敬、渡部昇一、渡邊惣樹
                  (平成二十七年3月12日現在)

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東日本大震災

2015年03月11日 | 日常・身辺
四年前の2011年、1000年に一度と云われる大震災に東北地方が見舞われた。
黒々とした津波に呑み込まれてゆく家々や自動車、田畑の映像が今も頭に残っている。
そればかりではなく原子力発電所にも襲いかかり大事故になり、今も立ち直れずにいる。
メルマガ:西村眞悟の時事通信 平成27年3月11日(水)
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1081

三月十一日、天変地異

 この千年に一度の東日本大震災と巨大津波は、「戦後が生み出した最低の政権」のもとで起こった。
 そして、この天変地異は、「東日本の大地」だけではなく、「戦後という枠組み」を破砕した。

 遙か古代の大化の改新の際、  天皇、皇族そして群臣は、明日香の大槻の木の下で、天皇親政が末永く続くように神々に誓った。
 その誓いのなかに、政が狂えば、天変地異が襲うと述べられている。
 まさに、「戦後が生み出した最低の政権」のもとで、政は狂っていたのである。
 そして、正気が戻る兆しは見えるも、その狂いは未だ続き、正されていない。

 百十年前の三月十日の奉天大会戦では、  主に二十歳代の男子一万六千五百五十三名が戦死し、五万三千四百七十五名が負傷した。
 七十年前の三月十日の東京大空襲では、  無防備の人々十万人以上が炎のなかで亡くなった。
 四年前の三月十一日の東日本大震災では、  一万五千八百九十一人が亡くなり、未だ二千五百八十四名が行方不明である。
 四年目の本日、この天変地異によって顕れた、「本来の日本と日本人の姿」について述べる。

(1)国民の姿
 日本人に対する各国の評価(日本政策研究センターの岡田幹彦氏のメモより)
   「住民達は冷静で自助努力と他者との調和を保ちながら礼儀を守っている。
 略奪のような行為は衝撃を受けるほど皆無だ。みんなが正直さと誠実さに駆られて機能しているようだ。
  日本ほど自然からの大攻撃に耐えて、生き残る為の用意をしてきた国はない。
 日本国民が最大級の地震に耐えたことは素晴らしい。ハイチの地震や中国の四川大地震とは対照的だ。
  震災の日、日本人が見せたのは混乱ではなく、このうえなく美しい『人の絆』だった。」(アメリカ)
 「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする人間の連携が今も存在する」(ロシア)
 「このように他人を思いやり助け合うことが中国人にできるでしょうか」(中国)
 「被災者を助けるために被災地に行ったのに、あまりの惨状に私のほうが打ちひしがれてしまった。
 そんな私に被災地の方々から逆に励ましの言葉をかけてもらったり、手袋を貸してもらったり・・・。
 日本人は、どこまで忍耐強く、そして礼儀正しいのだろう・・・」(オランダ)

 「大震災の発生後、日本国民は乱れることなく普段の秩序を保ち、態度、振る舞いの立派さは日本社会の良さを表し、他国に見られがちな混乱や秩序のなさや強奪といった問題行動は一切見られなかった。
 危機のなかにおいて法に従い秩序を守る気高さこそが、日本人の素晴らしい国民性を顕著に表していた。
 これは国際メディアがこぞって絶賛している点である。
 一体どんな力が日本人の高度な秩序と自制力をなしえているのだろうか。」(台湾)
 「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本文化を痛感させた。
 日本の文化や伝統も、アメリカ軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだが、  文化の核の部分は決して変わらないのだと今回思わされた。」(アメリカ)
 「東北の人達の姿は、全員がブッダ(釈迦)のように見えた」(ミャンマー)

 以上、各国の評価を記していけばきりがないのであるが、  共通しているのは、被災地では各国では当然に起こる略奪や暴動が日本では一切起こらず、  反対に人々がお互いに助け合って秩序を保っていることに驚嘆し、  このような日本を讃えていることである。
 そこで何故、日本にのみ、このことが起こっているのか。
 それは、アメリカが指摘しているように、日本の独自の歴史と伝統と文化によるものである。
 では、その日本にのみある歴史と伝統と文化の「核の部分」とは何か。
   それは、天皇、である。

(2)天皇
 この天変地異・東日本大震災が世界に示したものは、  「世界最古にして最長の王朝である万世一系の天皇を戴く神国日本」である。
 即ち、「天皇と民(国民)の絆」のなかで、世界が驚嘆した日本国民の姿があったのである。
 よって、天皇は、最大の危機管理者であられた。
   天皇皇后両陛下は、  被災者と苦難を共にしようと皇居の暖房と灯りを消して日常を送られた。
 奉天会戦のときも、  明治天皇は、  「兵は極寒の満州で戦っておるのだ」と仰せられて皇居の暖房を切られた。
 これら天皇が民と苦難をともにしようとされることは、  十六代仁徳天皇の仁政にも顕れている皇室の伝統である。
   即ち、天皇と国民は皆苦楽を共にする家族である、これが日本の伝統である。

 天皇皇后両陛下は、  被災地を廻られ、被災者を慰め、  多くの犠牲者をのみ込んでいった海に向かって頭を下げて慰霊された。
 その時、自衛隊松島基地において、  被災者救援に当たる自衛隊員十万七千人からなる総合任務部隊の指揮官東北方面総監君塚栄治陸将は、  到着された天皇皇后両陛下に、  戦闘服と鉄兜の姿で正対し敬礼してお迎えした。

 天皇陛下は、  三月十六日、国民に対して「お言葉」を発せられた。  そのなかで、自衛隊を筆頭に位置付けられて、  「余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、  その労を深くねぎらいたく思います。」と述べられた。
 次ぎに、  「世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、  その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。
 これを被災地の人々にお伝えします。」と述べられた。
 そして、被災者の苦難の日々を「私たち皆が」様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であり、  「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、  被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」と結ばれた。

 以上に明確に顕れているように、  天皇は、  あの天変地異のなかで、  我が国の元首であり統治者(危機管理者)であられた。
 そして、二年後の伊勢神宮式年遷宮は、  この元首である天皇の権威が、  天照大神の神勅に由来することを世界に示したのである。

   次は、式年遷宮に立ち会ったフランス人がフィガロ誌に寄稿した一文である。
   「闇と沈黙のなか、女神アマテラスを聖櫃に奉じ、これに生絹を掛けて神官の群れが粛々と運んでいく。
 生きとし生けるものの起源そのもののシンボルが、いま、眼前を通りすぎてゆく・・・
 この景観に、我らの小我の殻など、微塵に吹っ飛んでしまう。
 東日本大震災により、抑え難き自然の猛威にさらされて、どこから己を取り戻すか、  日本人が自覚していることの何よりの証拠である。
 森羅万象の諸力を崇敬するという伝統維持であり、そこに、日本的ジェニー(天才)はあるのだ。」
 では、以上の天皇のお立場を、最も的確にかつ法的に表現した文章は何か。それは、以下の通り。
      大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
    天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

   四年前の三月十一日、東日本を襲った天変地異、  千年に一度の大地震と巨大津波は、    世界最古にして最長の万世一系の天皇を戴く国家日本と日本人を、  世界に示したのだ。


当方は20年前、阪神淡路大震災に遭遇した。六千四百余名の方が亡くなった。勤め先でも数名の方が犠牲になられた。
第一日目の日記はこんなことを書いていた。
平成7年1月17日 火曜日 晴れ
 未明の午前5時46分地震がきた。私は朝食を終わりトイレに入っていたときだ。突き上げるような激しさで座っていたが壁に手をついて倒れないようにしていた。このまま建物が倒壊するのではと恐ろしい光景が頭にうかぶ。長く感じたが10秒ぐらいであったろうか。揺れはじめてすぐ停電になり真っ暗になった。便意もなくなってしまい、揺れが収まるまでそのまま座っていた。妻がロウソクを捜し当て灯した。石油ストーブは耐震装置が働いて消えた。目を覚ました次男がべそをかいているが、妻がそれをなだめている。壁に取り付けてある扇風機が落下したが次男に当たらなかったのが幸であった。長男の部屋では机の上に本棚から落ちた本が散乱している。長男も目を覚まし部屋を出てきた。私の部屋も棚の上のものが落ちている。幸にも起床していた後であったのでけがもなかった。押入も荷崩れして襖が開かなくなってしまった。箪笥の上の花瓶や台所の棚から土鍋が落ちて割れたりした。

トランジスタラジオをつける。ニュースが地震の発生や状況を伝えている。震源は淡路島の北東部地下20kmという。鈴蘭台盆地は停電のため真っ暗である。東の空がわずかに白んできた。6時半出勤の用意をして鈴蘭台駅に向かう。停電であるので電車は動いていないと思われるが復旧状態を見たいとも思い家を出る。途中引き返してきた人に出合い尋ねてみると、復旧の見込は無いというので家に帰る。

石油ストーブの回りで暖をとりながらラジオを聞く。刻々と被害の状況が報じられる。神戸地方は震度6であった。高台の公団5階の我が家から付近を見下ろすと、屋根瓦がずり落ちている家がかなり見受けられる。10時頃、電気がついた。テレビをつける。映し出される光景は想像を超えるものであった。

神戸市内の被害はものすごく、8回建ての市役所のビルの上部2階がずれ、渡り廊下が落ちている。横倒しになったビルもある。阪急三宮北側付近の商店街は崩れ落ち瓦礫の山になっている。さらに、阪神高速の高架道路が長さ1kにわたって横倒しになったり桁が折れて落下しているのが映し出される。また阪急電鉄、阪神電鉄は脱線している。新幹線も桁が落下して線路がぶら下がっている。

 当分鉄道の復旧は見込まれないのでバイクでの出勤も考えなければとおもうが、この寒さでバッテリーが弱ってしまいエンジンがかからない。バッテリ充電器を買いに五葉町まで歩いて行ったが店は閉まっていた。途中自動車販売店のガラスが割れていたり、傾いた民家もあった。神戸市内のことを思えば穏やかである。

 実家や会社の事が気にかかるが、電話は通じない。午後5時頃、岡山の妹から電話がかかってきた。すでに皆に電話したらしく無事であるらしい。 時間が経つにつれ被害の状況が判明し神戸市内、芦屋、西宮、淡路島での家屋の倒壊がひどく生き埋めになった人も多い。死者は1300人を超えた(午後10時現在)。

 我が家の南の山の向こうは長田区になっており真っ黒な煙があがって上空に広がっている。火災は夜10時になっても収まらずなお拡大しているようだ。
 余震が夜になっても時々感じられる。
 午後10時過ぎ、尼崎の実家に電話が通じた。母の話では、台所の食器棚から食器が落ちその片付けが大変だったという。父の寝ていた部屋ではまわりの本棚やステレオのスピーカが落ちてきたが幸にも父に当たらずけがもなかったという。屋根の瓦は一部ずれ落ちたが、弟がとりあえずシートをかぶせたという。

 現在午後11時であるが、今なお神戸市内では火災が収まっていないという。避難所には多くの人が毛布をかかえて不安な夜を過ごしている。近畿の死者は1456人になった。出勤のための阪急神戸線、JR京都三石間、神戸電鉄は普通で復旧のめどはたっていない。
 気象庁はこの地震を「平成7年兵庫県南部地震」と命名した。

その後、半年で神戸線が復旧し、JR三田回りで、2時間余りを要した通勤も解消した。
近所の公園の仮設住宅が無くなるには数年かかったように思う。

福島県、東北地方のさらなる復興をお祈りします。


元首相の暴走?

2015年03月11日 | 政治・外交
あの鳩山元首相が紛争地クリミアに行ったそうな。
「クリミア半島で直接住民の意思を確認し、編入の是非について判断していく」という。

「ユキオや、危ないところへ行くのはお止し」
「あなた、お止めになって、あたし心配よ」
「殿、行くのはお止めくだされ」
など制止する声は届かなかったと見られる。
「おお、よくおいで下された」と広い心で迎えられたら結構だが、「ええ、カモが来た」とばかり誘拐される恐れはないのか。
外国人参政権問題で「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と云って物議を醸した。「クリミア半島はウクライナ人だけのものではない、ロシア人のだけのものではない」とか云って張り倒されないように・・・

鳩山元首相、政府の説得振り切りクリミア入り 枝野氏「党関知せず」 産経新聞 3月11日(水)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150311-00000071-san-pol

 鳩山由紀夫元首相が10日、クリミア入りし、政府を困惑させている。ウクライナ南部クリミアからの報道によると、鳩山氏は10日、クリミアの中心都市シンフェロポリの空港に到着。地元の親ロシア政府「クリミア共和国」のムラドフ副首相が歓迎した。鳩山氏はロシアの査証(ビザ)でクリミア入りしたものとみられる。同行筋によると、訪問は10~12日の日程。(モスクワ 黒川信雄、酒井充)

 日本政府はロシアのクリミア併合を国際法違反として非難しており、鳩山氏に訪問を断念するよう求めていた。岸田文雄外相は10日の記者会見で「ロシアによる一方的なクリミア併合は認められないとする日本政府の立場とは相いれず遺憾だ」と改めて懸念を表明。「訪問中止に向け、働き掛けを続けていきたい」と強調していた。首相経験者がロシアのビザなど関連法令に基づいてクリミア入りすることで、日本の立場に誤解を与える可能性もある。政府高官は10日夜、「コメントもしたくない」と不快感をあらわにした。

 鳩山氏はクリミア入りする前のモスクワで記者団に、クリミア半島で直接住民の意思を確認し、編入の是非について判断していく考えを示した。その上で「日本には正確な事実が伝わっていない。住民がどういう気持ちでいるかこの目で見たい」と語った。

 一方、鳩山氏のクリミア入りについて、民主党の枝野幸男幹事長は10日、「民主党は一切関知するものではない」との談話を出した。枝野氏はクリミア併合に反対する日本政府の立場を支持した上で、「誤解を与え、ロシアに利用される恐れもあり、軽率とのそしりを免れない」と批判した。


鳩山元首相、また暴走 「クリミア訪問計画」に外務省が中止要請
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/150307/plt15030721300014-n2.html

 鳩山由紀夫元首相が、また暴走を始めた。ロシアが一方的に編入したウクライナ南部クリミア半島への訪問を計画しており、外務省が渡航中止を要請しているのだ。現職時代だけでなく、政界引退後もあぜんとする言動を続けてきた鳩山氏。いつまで国益を損ね続けるつもりなのか。
 「『ロシアの一方的な併合を認められない』という政府の立場と相いれず、遺憾だ」
 岸田文雄外相は6日の記者会見で、語った。

 外務省は5日、鳩山氏が来週、モスクワを訪問した後、クリミアを訪れようと計画していることを把握。ロシア課長が「(元首相が訪問すれば)日本がクリミア編入を認めていると誤解されかねない」として、鳩山氏の秘書を通じて計画の再考を求めた。

 ロシアは圧倒的な軍事力を背景に昨年3月、クリミア半島の編入を一方的に宣言した。日本などの先進7カ国(G7)は編入を承認しておらず、外務省は「渡航延期勧告」を出している。
 鳩山氏といえば、首相時代、確実な裏付けもないまま、米軍普天間飛行場の移設先について「最低でも県外」と明言し、沖縄県民の期待をいたずらに煽り、日米関係を大きく傷つけた。

 政界引退後も、暴走は止まらなかった。
 2013年6月には中国を訪問し、大学主催のフォーラムで「(沖縄県・尖閣諸島は)中国からみれば(日本が)盗んだと思われても仕方がない」「中国にも中国の言い分がある」などと語った。
 安倍晋三内閣の閣僚からは、「国賊」(小野寺五典防衛相=当時)、「国益を著しく損なう」(岸田外相)などと非難の声が相次いだ。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「鳩山氏の言動は、国益を損ねるスタンドプレーだ。米国では、元大統領が『現大統領の名代』として動くことがあるが、二元外交は避けている。鳩山氏の場合、日本外交の妨害をしている。自分が他国に利用されていることに気づくべきだ。鳩山氏に『元首相』という肩書を与えた民主党の責任は重い。岡田克也代表が説得すべきだ」と語っている。



加瀬英明氏「護憲派は70年前から学んでいない」

2015年03月06日 | 政治・外交
2015年は敗戦後七十周年、激動の昭和史がより露わになってきている。

■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2015年3月4日
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

 護憲派は70年前から学んでいない

 昨年、宮内庁により『昭和天皇実録』が、発表された。
 宮内庁が昭和天皇の御生誕から崩御まで、毎日の御動静を、克明に編纂した記録である。
 この3月から20巻に分けて、東京書籍社によって刊行される。

 私は必要があって、宮内庁の『昭和天皇実録』発表資料のなかから、昭和20年から昭和26年4月まで、目を通した。この期間だけで、1315ページにのぼった。
 私が衝撃を受けたのは、昭和20年8月14日の記録だった。
 「午前8時58分、御文庫において参謀総長梅津美治郎に謁を賜い、ソ聯邦の参戦に伴う支那派遣軍総司令官への命令につき上奏を受けられる。なお前夜、陸相阿南惟幾は陸軍省軍務局軍事課長荒尾興功ほか陸軍将校5名よりクーデター計画を聴取し、その決行につき具申を受ける。
 この日午前7時、陸相は軍事課長とともに参謀総長に対し、本日午前10時より開催予定の御前会議の際、隣室まで押しかけ、侍従武官をして天皇を御居間に案内せしめ、他者を監禁せんとするクーデター計画(兵力使用第1案)兵力使用第1案の決行につき同意を求めるが、参謀総長は宮城内に兵を動かすことを非難し、全面的に反対する」
 昭和天皇が、戦争を終結する第2回目の御聖断を下された、御前会議の直前に起ったことだった。

 翌日、阿南陸相は陸相官邸において自決したが、あくまでも本土決戦を断行するために、天皇を拘禁して、クーデターを決行することをはかったが、梅津参謀総長によって阻止されたのだった。
 もし、この時、梅津大将がクーデター計画に同意していたとすれば、その後の日本の進路が大きく変わって、日本が無残に壊滅していただろう
 軍や、朝日新聞をはじめとする新聞は、最後の日まで、「神州不滅」「一億総特攻」と叫んでいた。
 あれから70年。国会では、共産党と社民党が「平和憲法を守れ」と、叫んでいる。敗戦の教訓を、何一つ学んでいないのだ。

 護憲の信者たちは、「平和憲法」があるかぎり、日本が万邦無比の神国であると信じて、「神州不滅」だと唱えている。
 昭和天皇は敗戦から25日後に、まだ日光に疎開していた、皇太子(今上天皇)へ宛てた手紙のなかで、「我が軍人は精神に重きをおきすぎて、科学を忘れた」ことが、「敗因」だったとしたためられている。

 今日でも、日本国民は部族的な性格を備えている。
 同質性が高いとか、家族的な国家であるといわれるが、「外人」ということば1つが示すように、外に対して排他性が強い。そこで、日本人は共同体としての純度がきわめて高いといえるが、部族として原始的な凝固力が強く働いている。
 このような部族性は、日本人の意識の深いところに潜んでいる。

 日本人は長いあいだ外国から隔絶されて、日本のなかで生活を営んできた。そこで自国相対化してみる訓練を欠いてきたと同時に、共同体としての純度が高すぎるために、思想的にも日本のなかだけで通用する尺度を、絶対化しやすいし、外の世界の現実から遊離した、部族的な幻想に囚(とら)われやすい。

【昭和天皇実録公表】ソ連参戦が「ご聖断」の直接原因 終戦でリーダーシップ 抗戦求める陸軍を説得 2014/09/09産経
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140909/exc1409090930001-n1.htm

 宮内庁は9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。事実として確認された言動や、側近らの謁見日時が時系列で示され、これまで諸説あった終戦の「ご聖断」の経緯が明らかになった。

 昭和天皇が最終的にポツダム宣言受諾を決意したのは、ソ連軍が満州に侵攻したとの情報を得た直後で、ソ連参戦が「ご聖断」の直接原因だったとみられる。実録には幼少期の生活ぶりなども詳細に記され、公表により近現代史研究が大きく進むことになりそうだ。
 実録では、連合国が日本に降伏を求めたポツダム宣言を入手した昭和20(1945)年7月27日から降伏の玉音放送が流れた8月15日までの20日間を36ページにわたり詳述。それによると、昭和天皇は広島に原爆が投下された2日後の8月8日、賜謁した東郷茂徳(しげのり)外相に「なるべく速やかに戦争を終結」させたいとの希望を述べた。

翌9日午前9時37分、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けると、直後の9時55分、木戸幸一(きど・こういち)内大臣を呼び、戦争終結に向けて鈴木貫太郎首相と「十分に懇談」するよう指示。木戸内大臣から天皇の意向を聞いた鈴木首相は、午前10時30分開催の最高戦争指導会議でポツダム宣言への態度を決定したいと答えた。
 10日午前0時3分、御前会議が開かれ、鈴木首相から「ご聖断」を求められた昭和天皇は、ポツダム宣言受諾を決心したと述べた。

 昭和天皇のポツダム宣言受諾決意の時期には、広島や長崎への原爆投下時、ソ連参戦時など諸説あったが、実録を分析した京都大の伊藤之雄(ゆきお)教授(近現代史)は、広島への原爆投下時では2日後に終戦の意向を閣僚の東郷外相に伝えたのに対し、ソ連参戦時は直後に側近中の側近だった木戸内大臣に指示した点を重視。
 「ソ連参戦がポツダム宣言受諾を最終的に決意する原因だったことが改めて読み取れる」としている。
実録の記述により、連日の本土空襲や原爆投下などで終戦の意向を強めた昭和天皇が、ソ連参戦で万策尽きたと判断。これ以上の犠牲を広げないため、即時終戦に向けた動きを主導した当時の様子が明らかになったといえる。

 また実録では、幼・少年期の手紙や作文を初めて公開。初出のエピソードも多数盛り込まれた。
 一方、即位後の政治的発言や側近らの謁見内容が明かされないことも多く、編纂(へんさん)方針をめぐり議論を呼びそうだ。

 ≪終戦でリーダーシップ 抗戦求める陸軍を説得≫
 「昭和天皇実録」では、昭和20年8月15日の終戦に向け、昭和天皇がリーダーシップを発揮していた様子が、宮中側近や閣僚らの謁見内容などから改めて浮き彫りになった。昭和天皇は戦時中、陸海軍上層部から連日報告を受けており、悪化する戦況を詳細に把握していたことが、終戦の「ご聖断」に結びついたといえそうだ。

昭和19年9月、最初の意思
 実録の中で、昭和天皇が終戦の意思を最初に明確に示したのは19年9月26日。側近の木戸幸一(きど・こういち)内大臣を呼び、「武装解除又は戦争責任者問題を除外して和平を実現できざるや、領土は如何でもよい」などの言葉を述べた。
 木戸内大臣は、これを極秘事項として重光葵(しげみつ・まもる)外相に伝えた。当時は陸海軍とも戦争継続の意思を強く持っていたが、昭和天皇は慎重に終戦への道を探り始めたといえる。
 沖縄戦で日本軍の組織的戦闘の終了について報告を受けた20年6月20日の夜、皇居に放たれた蛍を1時間も見ていたと、実録は記述する。内面には触れていないが、この時、心中に期するものがあったようだ。

 2日後の6月22日、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳(しげのり)外相、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相、米内(よない)光政海相、梅津美治郎(よしじろう)参謀総長、豊田副武(そえむ)軍令部総長を呼んで懇談会を開催。「戦争の終結についても速やかに具体的研究を遂げ」るよう求めた。実録で昭和天皇が軍の最高幹部に戦争終結の希望を表明した記述はこれが初。ただ当時は、条件付きの終戦を探っていた。

ポツダム宣言受諾を決意
 昭和天皇がポツダム宣言受諾を決意し、明確なリーダーシップを発揮するのは、ソ連参戦の情報を得た8月9日午前からだ。10日未明の御前会議で「ご聖断」を下し、その後も元首相の重臣たちを集めて意見を聴取したり、抗戦派の阿南陸相を説得したりする様子が実録に記されている。
 鈴木内閣発足から終戦までの4カ月間で側近らによる謁見回数は、木戸内大臣が最多の102回、梅津参謀総長が55回、鈴木首相が43回など。和平派と抗戦派の意見が錯綜(さくそう)する中、政府や軍部の内情に通じた木戸内大臣の意見も聞きながら終戦へ筋道をつけた。

 土田宏成(ひろしげ)・神田外語大准教授(日本近現代史)は「昭和天皇が終戦を決断するに至ったのは、大規模な空襲や沖縄戦、原爆投下などの惨禍に衝撃を受け、国民や国家の存続の危機を感じたことも一因と考えられる」と指摘している。(SANKEI EXPRESS)