■
こんばんは。
もう、全国的にせみが鳴いているのではないでしょうか・・・
子供のときの思い出と一緒だからでしょうか、蝉の声を聞かないと「夏」という
感じがしません。
夏 と 蝉の声
入道雲 と 麦藁帽子
泥だらけのランニングシャツ と おじいちゃんの怒る声・・・・「こらっ!!!またか。台所から入れ!!」
・・・懐かしい
なんだか、組み合わせで記憶されているようです。
最近、私にとって「組み合わせ」といえば・・・
「圧力団体」と「人権犯罪」
「集団ストーキング」と「圧力団体」
「人権犯罪銀行」と「圧力団体」
これらは、セットとしてしか考えられないもの・・・
しかし、セットで浮かんできてはならないことがあります。
「裁判員」と「集団ストーキング」
「判決」と「圧力団体」
これをセットにしてはなりません。阻止しなければ、民主主義日本がなくなる。
「圧力団体」の「独裁」・・・・それが、深く浸透したときなのですから・・・・
■ 前回のブログでは・・・・
前回のブログでは、「圧力団体」では「ガスライティング」という手法を使う話をしました。
「ガスライティング」・・・聴きなれない言葉だと思います。
昔むかしの映画「ガス燈」(1943年)からきています。
ある女性がいました。この女性は、自分の周囲で不思議な現象が起こることに気づきます。
「あれっ・・・おかしい」
そう思い、周囲のものに話したのですが、
「そんなことはない。ありえない。」といわれ続けます。
しかし、実際にはおかしなことが次々と起こる・・・・その話を周囲のものにすると、
「気のせいじゃないの・・・あなた、ちょっとおかしいかも。。。」
女性は、自分の感覚に自信がもてなくなり、ついに、まったく正常な精神に異常を来たしてしまった。
自分の感覚に自身がもてなくなってきたのです。そのため、精神に異常を来たした・・・・
実は、この女性は、周囲のものの「わな」。
周囲の者が、「ありえない」ことを演出していた・・・・女性が、精神に異常を来たすように・・・
簡単にご紹介しましたが、怖い話でしょ??
「ガスライティング」・・・・いまでは、「圧力団体」が「人権犯罪」をした時に
「言い逃れる」ためにある・・・といっていいくらいの手法になりました。
「圧力団体」では、このブログを書いている私のことをこう説明しているそうです。
「そんなこと、ありえないのに・・・あまたがおかしいんじゃないの。こんなブログを書いて・・・」
これが「ガスライティング」の手法の一部です。
「圧力団体」は、
・このブログで書いているような「人権犯罪」をするはずがない。
・「圧力団体」が「裁判員制度」を狙い、「判決」を思い通りにすることなんかあるはずがない。
・「圧力団体」が独裁を狙っているはずがない。
・「圧力団体」が「集団ストーキング」をするはずがない・・・・(この「ほのめかし」はなかったなぁ・・・)
つまり、私は、あるはずのない話を書いているのだから、「頭がおかしい」というのです。
以前のブログでも書きましたが、私が精神に異常を来たしているものかどうかは、
読者の方々のご判断にゆだねます。
ただ、ご判断いただく前に、気に止めていただきたいことがあります。
「圧力団体」の「人権犯罪の手口」や「独裁」を狙う活動を
・自分が体験した事実を挙げ、
・「圧力団体」の根本思想や活動など、さまざまな角度から分析して、立体的に浮かび上がらせようとし、
・民主主義の危機を訴えていたものがいたこと・・・・
・「圧力団体」は構成員に「マインドコントロール」強化の一環もふくめ、
「集団ストーキング」を行い、「どんな批判にたいしても闘え」と指示している
それが「独裁」につながっている
と訴えていた者がいたことを・・・・
■ 「多数決」が民主主義的国民の声の反映??
日本が導入した「裁判員制度」は、非常にあいまいな決着の付け方をする制度であると・・・
思います。
導入の経緯や、歴史、考え方が違うということもありますが、
米国の陪審員制度など見てみますと、はっきりします。
「怒れる12人の男たち」という映画をご存知でしょうか。
ある殺人事件がありました。
この事件の裁判のために、12人の陪審員が選ばれる。
みな、この事件は、簡単に結論がでると思っていた。
証人もいる。
しかし、その陪審員の一人が、疑問に思った。引っかかることがある。
「そのまま有罪でいいのか・・・」
その疑問から、その男は「有罪」に賛成できなかった。
他の陪審員は、疑問には思わない。早く決着を付けてしまいたい。
そんな不満がある陪審員に対して、その男は、疑問をぶつける。
疑問点を検討するうちに、証人が見間違えたのではないか・・・
それまで「有罪」と意見をいつていた陪審員が、一人一人無罪判決に
傾く。最後は「無罪」・・・
自分が疑問に思ったことを、貫き通し、一人の無実の人間を救った。
そんな映画・・・・
陪審員制度では、全員一致で「有罪」か「無罪」かを決める。。。。
日本の裁判員制度では、多数決で決める。
「怒れる12人の男たち」の裁判を多数決で決めたとしたら・・・・
「有罪」ですね。多数決で負ける。
はじめは、「疑問」に思った男が、孤軍奮闘していたのですから・・・・
こういう話を見ると、裁判員制度はいかがなものか・・・・
確かに、一般の国民を裁判に参加させた・・・その意味では、国民の声は反映している。
しかし、それは、一部の国民の声で、日本国民全体の考え方ではない。
多数決で決める・・・数が多いものが、必ずしも、正しいわけではない。
■ 多数派工作できる・・・「裁判員制度」
裁判員制度が多数決を導入したことに、非常に疑問を感じるのです。
量刑に踏み込んで判断を下すととうところから、多数決という制度になったのでしょうが、
これでは、判決があいまいになる。当然の帰結。回数も少ないのですから・・・
「裁判員制度」裁判では、感情論が支配する・・・というだけならまだしも、判決は多数派工作が
利くという話になります。
「判決」は、多数決で決めることになっていますが、決定される意見には、最低一名以上の
裁判員が同意することが必要であることにはなっています。・・・・しかし、これも疑問。
「裁判官」だって人間です。間違いもあるはず・・・・間違いがない判断を下せるのだったら、
はじめから、裁判員制度はいりません。
裁判官が「かくれ圧力団体構成員」・・・選ばれた「裁判員」が「圧力団体構成員」だつたら、
押さえは利きません。
政治家が仲介にはいり、一見、「圧力団体」に関係なさそうな事件の「判決」をコントロール
しようとしたら・・・・もう、誰もわかりません。
※ 私の場合「人権犯罪銀行」 ⇒ 「政治家」 ⇒ 「圧力団体集団ストーキング」の
経路です。 表向き「人権犯罪銀行」は出てこない仕組みです。
いまは、かなりの人たちが「人権犯罪銀行」がからんでいることを知っていますが・・
「圧力団体」の利益にそう・・・つまり、勢力拡大に有利になる判決が出てくる可能性が大きい。
小集団独裁・・・・「圧力団体」の意見以外は排除する活動があるのですから・・・・
さらに見逃せないのが、裁判所以外の場所での「圧力」です。
■ 「裁判員」の意見をコントロールできたとしたら・・・
「判決」をコントロールするためには、「裁判員の考え方」をコントロールすればいい。
「裁判員」は、それまでに培ってきた価値基準を持っています。意思決定するときの「ものさし」です。
それまでの人生の中で得た考え方や考える際の「ものさし」・・・
かりに、そのものさしを変えることができたとしたら、どうでしょうか・・・・
「評議」の時の意見を変えることができる。。。。。。
いままで、「それは有罪。実刑判決出なければなりません。悪質きわまりない。」
という意見を言っていたものが、いつのまにか
「いえいえ、それは、被害者がかなり悪い・・・加害者に同情します。。。」
という意見に変わりかねない。
私は、なにも、「意見を変えることはけしからん。」といっているのではありません。
意見が変わっていい。問題はない。
「評議」をかさね、証拠や証人の話を吟味した上で意見がかわる・・・・これは、正しい。
街中で、たまたま、聞いた話をヒントに意見がかわる。こういうこともあるでしょう。
「なるほど・・・そういう考え方もあるな。」
「そういえば、反対意見でもそういうのがあったなぁ・・・」
「自分は、そうかんがえるけれど、けっこう、そういう話をしたり、反対意見の人と同じ
考え方する人が多いんだな。意見を変えよう」
という人もいるかも知れません。それも「あり」です。
しかし、あってはならないことがある・・・
「マインドコントロール」されて意見が変わってしまう・・・・・知らないうちに「刷り込まれ」て・・・・
・多くの人の意見だと思っていたら、「圧力団体の集団」が自分の周りで「ほのめかし」ていた・・・
・該当する裁判によくにた話を聞くと思ったら・・・・圧力団体構成員が「ほのめかし」ていた・・・
考え方を「刷り込む」ために・・・・
変え方・価値基準の「刷り込み」・・・これが問題であるといっています。
「集団ストーキング」で「圧力団体」の意向に従った「評決」にすることができる。
全員でなくていいのです・・・・多数決ですから。。。。。
しかも、これは、仮説ではない。いま、現実に起こっていること。
私は、毎日のように、「集団ストーキング」から「ほのめかし」「ほのめかしの脅し」を受けています。
未来の話しじゃない・・・いま、そこにある現実の話なのです。
決して、頭がおかしいからいっているのではありません。
「圧力団体」は私に圧力をかけ、ブログを閉鎖するように仕向けようとしました。
ただ、対象を「私」から「裁判員」にするたけのことなのです。
わたしが、「ガスライティング」の話をした理由がわかりますか???
「集団ストーキング」では、ちょっと、考えられないことが現実に起きるからなのです。
■ なぜ、裁判員の周囲に「集団ストーカー」が集まれるのか・・・
次回のブログては、この話をしていきましょう。
「集団ストーキング」の
・圧力手段分類
・具体的事例
など、
組織的に行う「集団ストーキング」の活動の実態を明らかにします。
こんばんは。
もう、全国的にせみが鳴いているのではないでしょうか・・・
子供のときの思い出と一緒だからでしょうか、蝉の声を聞かないと「夏」という
感じがしません。
夏 と 蝉の声
入道雲 と 麦藁帽子
泥だらけのランニングシャツ と おじいちゃんの怒る声・・・・「こらっ!!!またか。台所から入れ!!」
・・・懐かしい
なんだか、組み合わせで記憶されているようです。
最近、私にとって「組み合わせ」といえば・・・
「圧力団体」と「人権犯罪」
「集団ストーキング」と「圧力団体」
「人権犯罪銀行」と「圧力団体」
これらは、セットとしてしか考えられないもの・・・
しかし、セットで浮かんできてはならないことがあります。
「裁判員」と「集団ストーキング」
「判決」と「圧力団体」
これをセットにしてはなりません。阻止しなければ、民主主義日本がなくなる。
「圧力団体」の「独裁」・・・・それが、深く浸透したときなのですから・・・・
■ 前回のブログでは・・・・
前回のブログでは、「圧力団体」では「ガスライティング」という手法を使う話をしました。
「ガスライティング」・・・聴きなれない言葉だと思います。
昔むかしの映画「ガス燈」(1943年)からきています。
ある女性がいました。この女性は、自分の周囲で不思議な現象が起こることに気づきます。
「あれっ・・・おかしい」
そう思い、周囲のものに話したのですが、
「そんなことはない。ありえない。」といわれ続けます。
しかし、実際にはおかしなことが次々と起こる・・・・その話を周囲のものにすると、
「気のせいじゃないの・・・あなた、ちょっとおかしいかも。。。」
女性は、自分の感覚に自信がもてなくなり、ついに、まったく正常な精神に異常を来たしてしまった。
自分の感覚に自身がもてなくなってきたのです。そのため、精神に異常を来たした・・・・
実は、この女性は、周囲のものの「わな」。
周囲の者が、「ありえない」ことを演出していた・・・・女性が、精神に異常を来たすように・・・
簡単にご紹介しましたが、怖い話でしょ??
「ガスライティング」・・・・いまでは、「圧力団体」が「人権犯罪」をした時に
「言い逃れる」ためにある・・・といっていいくらいの手法になりました。
「圧力団体」では、このブログを書いている私のことをこう説明しているそうです。
「そんなこと、ありえないのに・・・あまたがおかしいんじゃないの。こんなブログを書いて・・・」
これが「ガスライティング」の手法の一部です。
「圧力団体」は、
・このブログで書いているような「人権犯罪」をするはずがない。
・「圧力団体」が「裁判員制度」を狙い、「判決」を思い通りにすることなんかあるはずがない。
・「圧力団体」が独裁を狙っているはずがない。
・「圧力団体」が「集団ストーキング」をするはずがない・・・・(この「ほのめかし」はなかったなぁ・・・)
つまり、私は、あるはずのない話を書いているのだから、「頭がおかしい」というのです。
以前のブログでも書きましたが、私が精神に異常を来たしているものかどうかは、
読者の方々のご判断にゆだねます。
ただ、ご判断いただく前に、気に止めていただきたいことがあります。
「圧力団体」の「人権犯罪の手口」や「独裁」を狙う活動を
・自分が体験した事実を挙げ、
・「圧力団体」の根本思想や活動など、さまざまな角度から分析して、立体的に浮かび上がらせようとし、
・民主主義の危機を訴えていたものがいたこと・・・・
・「圧力団体」は構成員に「マインドコントロール」強化の一環もふくめ、
「集団ストーキング」を行い、「どんな批判にたいしても闘え」と指示している
それが「独裁」につながっている
と訴えていた者がいたことを・・・・
■ 「多数決」が民主主義的国民の声の反映??
日本が導入した「裁判員制度」は、非常にあいまいな決着の付け方をする制度であると・・・
思います。
導入の経緯や、歴史、考え方が違うということもありますが、
米国の陪審員制度など見てみますと、はっきりします。
「怒れる12人の男たち」という映画をご存知でしょうか。
ある殺人事件がありました。
この事件の裁判のために、12人の陪審員が選ばれる。
みな、この事件は、簡単に結論がでると思っていた。
証人もいる。
しかし、その陪審員の一人が、疑問に思った。引っかかることがある。
「そのまま有罪でいいのか・・・」
その疑問から、その男は「有罪」に賛成できなかった。
他の陪審員は、疑問には思わない。早く決着を付けてしまいたい。
そんな不満がある陪審員に対して、その男は、疑問をぶつける。
疑問点を検討するうちに、証人が見間違えたのではないか・・・
それまで「有罪」と意見をいつていた陪審員が、一人一人無罪判決に
傾く。最後は「無罪」・・・
自分が疑問に思ったことを、貫き通し、一人の無実の人間を救った。
そんな映画・・・・
陪審員制度では、全員一致で「有罪」か「無罪」かを決める。。。。
日本の裁判員制度では、多数決で決める。
「怒れる12人の男たち」の裁判を多数決で決めたとしたら・・・・
「有罪」ですね。多数決で負ける。
はじめは、「疑問」に思った男が、孤軍奮闘していたのですから・・・・
こういう話を見ると、裁判員制度はいかがなものか・・・・
確かに、一般の国民を裁判に参加させた・・・その意味では、国民の声は反映している。
しかし、それは、一部の国民の声で、日本国民全体の考え方ではない。
多数決で決める・・・数が多いものが、必ずしも、正しいわけではない。
■ 多数派工作できる・・・「裁判員制度」
裁判員制度が多数決を導入したことに、非常に疑問を感じるのです。
量刑に踏み込んで判断を下すととうところから、多数決という制度になったのでしょうが、
これでは、判決があいまいになる。当然の帰結。回数も少ないのですから・・・
「裁判員制度」裁判では、感情論が支配する・・・というだけならまだしも、判決は多数派工作が
利くという話になります。
「判決」は、多数決で決めることになっていますが、決定される意見には、最低一名以上の
裁判員が同意することが必要であることにはなっています。・・・・しかし、これも疑問。
「裁判官」だって人間です。間違いもあるはず・・・・間違いがない判断を下せるのだったら、
はじめから、裁判員制度はいりません。
裁判官が「かくれ圧力団体構成員」・・・選ばれた「裁判員」が「圧力団体構成員」だつたら、
押さえは利きません。
政治家が仲介にはいり、一見、「圧力団体」に関係なさそうな事件の「判決」をコントロール
しようとしたら・・・・もう、誰もわかりません。
※ 私の場合「人権犯罪銀行」 ⇒ 「政治家」 ⇒ 「圧力団体集団ストーキング」の
経路です。 表向き「人権犯罪銀行」は出てこない仕組みです。
いまは、かなりの人たちが「人権犯罪銀行」がからんでいることを知っていますが・・
「圧力団体」の利益にそう・・・つまり、勢力拡大に有利になる判決が出てくる可能性が大きい。
小集団独裁・・・・「圧力団体」の意見以外は排除する活動があるのですから・・・・
さらに見逃せないのが、裁判所以外の場所での「圧力」です。
■ 「裁判員」の意見をコントロールできたとしたら・・・
「判決」をコントロールするためには、「裁判員の考え方」をコントロールすればいい。
「裁判員」は、それまでに培ってきた価値基準を持っています。意思決定するときの「ものさし」です。
それまでの人生の中で得た考え方や考える際の「ものさし」・・・
かりに、そのものさしを変えることができたとしたら、どうでしょうか・・・・
「評議」の時の意見を変えることができる。。。。。。
いままで、「それは有罪。実刑判決出なければなりません。悪質きわまりない。」
という意見を言っていたものが、いつのまにか
「いえいえ、それは、被害者がかなり悪い・・・加害者に同情します。。。」
という意見に変わりかねない。
私は、なにも、「意見を変えることはけしからん。」といっているのではありません。
意見が変わっていい。問題はない。
「評議」をかさね、証拠や証人の話を吟味した上で意見がかわる・・・・これは、正しい。
街中で、たまたま、聞いた話をヒントに意見がかわる。こういうこともあるでしょう。
「なるほど・・・そういう考え方もあるな。」
「そういえば、反対意見でもそういうのがあったなぁ・・・」
「自分は、そうかんがえるけれど、けっこう、そういう話をしたり、反対意見の人と同じ
考え方する人が多いんだな。意見を変えよう」
という人もいるかも知れません。それも「あり」です。
しかし、あってはならないことがある・・・
「マインドコントロール」されて意見が変わってしまう・・・・・知らないうちに「刷り込まれ」て・・・・
・多くの人の意見だと思っていたら、「圧力団体の集団」が自分の周りで「ほのめかし」ていた・・・
・該当する裁判によくにた話を聞くと思ったら・・・・圧力団体構成員が「ほのめかし」ていた・・・
考え方を「刷り込む」ために・・・・
変え方・価値基準の「刷り込み」・・・これが問題であるといっています。
「集団ストーキング」で「圧力団体」の意向に従った「評決」にすることができる。
全員でなくていいのです・・・・多数決ですから。。。。。
しかも、これは、仮説ではない。いま、現実に起こっていること。
私は、毎日のように、「集団ストーキング」から「ほのめかし」「ほのめかしの脅し」を受けています。
未来の話しじゃない・・・いま、そこにある現実の話なのです。
決して、頭がおかしいからいっているのではありません。
「圧力団体」は私に圧力をかけ、ブログを閉鎖するように仕向けようとしました。
ただ、対象を「私」から「裁判員」にするたけのことなのです。
わたしが、「ガスライティング」の話をした理由がわかりますか???
「集団ストーキング」では、ちょっと、考えられないことが現実に起きるからなのです。
■ なぜ、裁判員の周囲に「集団ストーカー」が集まれるのか・・・
次回のブログては、この話をしていきましょう。
「集団ストーキング」の
・圧力手段分類
・具体的事例
など、
組織的に行う「集団ストーキング」の活動の実態を明らかにします。