今日は父の誕生日です。
生きていれば88歳。
裕福な家に生まれながら、幼い頃に家族を次々病気で亡くし、親戚に優しかった継母と義兄弟を追い出され、財産を奪われ、上の学校へも行かせてもらえず、一人満州へ行き、勉強しながら仕事をしていたそうです。
当時、日本は第二次世界大戦中でしたが、日本の戦況が危うくなりかけたため、みんなと一緒に命からがら日本に戻った苦しい体験談は繰り返し聞かされました。(もう私の記憶もおぼろになりかけていますが)
日本に戻ってからは、志願して、戦争に行く事が決まりましたが、その直後に終戦になり、戦争には行かなかったようです。
戦争が終わった後は、仕事をする気力を失い、女の子と(笑)遊んでばかりいたそうです。
母と結婚してからは真面目に働き、3人の子供を育てました。
日本を支える仕事をしているというのが父親の誇りで、そういう父親が私の誇りでした。
私は戦後に生まれましたので、上の世代の人からは「戦争を知らない世代」と言われました。
しかし、親の世代の(戦争による)苦しみはいつもどこかで感じています。
母は最近「戦争になりそうで怖い」と言います。
日本が再び不幸な戦争に向かう事のないよう、私達も努力していかなくてはいけないと感じます。
NO MORE WAR
父の誕生日に改めて思います。
生きていれば88歳。
裕福な家に生まれながら、幼い頃に家族を次々病気で亡くし、親戚に優しかった継母と義兄弟を追い出され、財産を奪われ、上の学校へも行かせてもらえず、一人満州へ行き、勉強しながら仕事をしていたそうです。
当時、日本は第二次世界大戦中でしたが、日本の戦況が危うくなりかけたため、みんなと一緒に命からがら日本に戻った苦しい体験談は繰り返し聞かされました。(もう私の記憶もおぼろになりかけていますが)
日本に戻ってからは、志願して、戦争に行く事が決まりましたが、その直後に終戦になり、戦争には行かなかったようです。
戦争が終わった後は、仕事をする気力を失い、女の子と(笑)遊んでばかりいたそうです。
母と結婚してからは真面目に働き、3人の子供を育てました。
日本を支える仕事をしているというのが父親の誇りで、そういう父親が私の誇りでした。
私は戦後に生まれましたので、上の世代の人からは「戦争を知らない世代」と言われました。
しかし、親の世代の(戦争による)苦しみはいつもどこかで感じています。
母は最近「戦争になりそうで怖い」と言います。
日本が再び不幸な戦争に向かう事のないよう、私達も努力していかなくてはいけないと感じます。
NO MORE WAR
父の誕生日に改めて思います。