『ファージングⅠ 英雄たちの朝』 ジョー・ウォルトン (創元推理文庫)
『ファージングⅡ 暗殺のハムレット』 ジョー・ウォルトン (創元推理文庫)
『ファージングⅢ バッキンガムの光芒』 ジョー・ウォルトン (創元推理文庫)
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ファージング・セットとは、ヒトラーと講和を成し遂げた、大英帝国に平和をもたらした政治集団である。このファージング・セットを中心に巻き起こる事件を、カーマイケル警部補が解決するシリーズ。
1巻の『英雄たちの朝』は田舎の貴族邸で発生した、嵐の山荘的なフーダニットなミステリ。2巻の『暗殺のハムレット』は犯人側と捜査側が交互に語られる爆弾暗殺サスペンス。3巻の『バッキンガムの光芒』は巻き込まれ型の濡れ衣逃亡物。
原題はそれぞれ、英国の古い硬貨に多重の意味を持たせている。ファージング(ファージング・セット)、ヘイペニー(格安観劇席)、半クラウン(二人の王)。
創元“推理”文庫から発売されているだけあって、どれもすばらしいミステリである。しかし、この三部作をひとつの作品としてみた場合に浮かび上がる歴史改変物としての面白さは、まさにSFの面白さであり、それがゆえに、SFとして“も”語れるべき作品だ。
ヒトラーとの講和により、ファシズムの闇へ次第に取り込まれていく英国社会。それに嫌悪感を覚えながらも、体制側に取り込まれざるを得ない主人公のカーマイケル。そして、ファージング・セットと図らずも対立し、追われることになる3人の女性主人公。
物語はシリーズの主人公であるカーマイケルと、各巻の女性主人公が交互に語る形式になっている。それがゆえに、表面的な形式としても、背後に流れる意図としても、カーマイケルの横糸と、各巻の女性主人公の縦糸が見事な織物を作り上げている。
そこに浮かび上がる図柄はファシズムへの恐怖であり、明確な拒否の意志である。
それぞれの物語はミステリであり、改変された世界情勢、英国の社会情勢は背景に追いやられてしまっているが、いつの間にか読者の眼の前重たくのしかかってくるようだ。
1巻から通してどんどんと暗鬱な世界へと飲み込まれていく舞台の大英帝国。もうひとつの“ありえた歴史”はリアリティを持って心に迫る。ユダヤ人であること、共産主義者であること、同性愛者であること、社会の敵であること。差別、迫害、密告、陰謀……。
誰も、思想や信条で捌かれるべきではない。もちろん、行為は裁かれるべきである。しかし、グループに名前を付け、何かをやりそうだからと決め付け、規制し、取り締まり、社会的に迫害する。どこかでそれを許容してしまえば、あとは雪玉や塊魂のように、どんどんと巨大化し、誰にも止められない。オタク、ロリペドはもちろん、カルト信者であっても、すべては、個人が成した行為によって、個人のみが裁かれなければならない。
著者のジョー・ウォルトンが自らを楽天的と言うように、この物語はバッドエンドしかありえない中で、希望を持ったエンディングを迎える。
しかし、たとえばこの日本で、一度転がりだした玉を止められる力はあるのか。そこに懐疑的であるからこそ、どんなに小さい玉であっても、最初のひと転がりを許してはいけないと思うのである。
『ファージングⅡ 暗殺のハムレット』 ジョー・ウォルトン (創元推理文庫)
『ファージングⅢ バッキンガムの光芒』 ジョー・ウォルトン (創元推理文庫)
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ファージング・セットとは、ヒトラーと講和を成し遂げた、大英帝国に平和をもたらした政治集団である。このファージング・セットを中心に巻き起こる事件を、カーマイケル警部補が解決するシリーズ。
1巻の『英雄たちの朝』は田舎の貴族邸で発生した、嵐の山荘的なフーダニットなミステリ。2巻の『暗殺のハムレット』は犯人側と捜査側が交互に語られる爆弾暗殺サスペンス。3巻の『バッキンガムの光芒』は巻き込まれ型の濡れ衣逃亡物。
原題はそれぞれ、英国の古い硬貨に多重の意味を持たせている。ファージング(ファージング・セット)、ヘイペニー(格安観劇席)、半クラウン(二人の王)。
創元“推理”文庫から発売されているだけあって、どれもすばらしいミステリである。しかし、この三部作をひとつの作品としてみた場合に浮かび上がる歴史改変物としての面白さは、まさにSFの面白さであり、それがゆえに、SFとして“も”語れるべき作品だ。
ヒトラーとの講和により、ファシズムの闇へ次第に取り込まれていく英国社会。それに嫌悪感を覚えながらも、体制側に取り込まれざるを得ない主人公のカーマイケル。そして、ファージング・セットと図らずも対立し、追われることになる3人の女性主人公。
物語はシリーズの主人公であるカーマイケルと、各巻の女性主人公が交互に語る形式になっている。それがゆえに、表面的な形式としても、背後に流れる意図としても、カーマイケルの横糸と、各巻の女性主人公の縦糸が見事な織物を作り上げている。
そこに浮かび上がる図柄はファシズムへの恐怖であり、明確な拒否の意志である。
それぞれの物語はミステリであり、改変された世界情勢、英国の社会情勢は背景に追いやられてしまっているが、いつの間にか読者の眼の前重たくのしかかってくるようだ。
1巻から通してどんどんと暗鬱な世界へと飲み込まれていく舞台の大英帝国。もうひとつの“ありえた歴史”はリアリティを持って心に迫る。ユダヤ人であること、共産主義者であること、同性愛者であること、社会の敵であること。差別、迫害、密告、陰謀……。
誰も、思想や信条で捌かれるべきではない。もちろん、行為は裁かれるべきである。しかし、グループに名前を付け、何かをやりそうだからと決め付け、規制し、取り締まり、社会的に迫害する。どこかでそれを許容してしまえば、あとは雪玉や塊魂のように、どんどんと巨大化し、誰にも止められない。オタク、ロリペドはもちろん、カルト信者であっても、すべては、個人が成した行為によって、個人のみが裁かれなければならない。
著者のジョー・ウォルトンが自らを楽天的と言うように、この物語はバッドエンドしかありえない中で、希望を持ったエンディングを迎える。
しかし、たとえばこの日本で、一度転がりだした玉を止められる力はあるのか。そこに懐疑的であるからこそ、どんなに小さい玉であっても、最初のひと転がりを許してはいけないと思うのである。