『異星人の郷』 マイクル・フリン (創元SF文庫)
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統計学上、そこにあるはずの村が無い。そこには何があったのか。
14世紀に現れた異星人の難破船。その村には隠遁した科学者でもある神父が住んでいた。悪魔的容貌を持つ彼らを、神父は偏見を乗り越え、力になろうとし、ともに生きる。
一方現在では、存在するはずの村を捜し求める統計歴史学者と、光速不変の原則に疑問を持つ宇宙物理学者のカップルが、新たな真理に到達しようとしていた。
中世ドイツの寒村に現れた異星人と、封建制とキリスト教文化にどっぷり浸った村人たちとの交流の話が第1の縦糸。
経歴に秘密を持つ神父はその(現在から見れば)不完全な科学的知識と、キリスト教的知識から、彼ら異星人を理解しようとする。その異星人との会話が微妙にずれつつ、真実を突いている様子がとても興味深い。言葉の、特にキリスト教的言葉の重層的な意味が、時に神学的に、時に科学的に解釈され、コミュニケーションの難しさと滑稽さをあらわすとともに、帰る手段を失った異星人たちの心情を描き出すあたりがとても上手いと思う。
一方で、現在のアメリカで同棲するカップルのすれ違いが第2の縦糸。
互いに愛し合いながら、分野の異なる学者同士である二人のすれ違いもまた、コミュニケーションの難しさと滑稽さをあらわしている。そして、宇宙は膨張しているのではなく、光が遅くなっているのではないかという仮説を検証しようとする話が、不思議な経緯によって14世紀の寒村へと結びつく。この過程がぞくぞくする。
二つの縦糸を結ぶのは、実はオッカムのウィリアムではないかと思う。彼は主人公の神父の友人であり、“オッカムの剃刀”の提唱者とも知られる。作中に出てくる彼は、明晰というよりは頑迷であり、オッカムの剃刀は常識を覆すような新たな概念を認めないという方向へ働く。
しかし、失われた村で何が起こったかの推論や、光速が“遅く”なっているという仮定から生み出される推論は、まさにオッカムの剃刀によって正しさを下支えされる。
アインシュタイン方程式の宇宙項こそが不要な仮定であるとして削られた場合、光速cが不変の定数でなくなり、光速が遅くなるという観測を正当化する理屈の真偽はさておき(これはSF小説だ!)、常識を覆す新たな真理との邂逅はまさに〈センス・オブ・ワンダー〉である。SFファンはこの感動に震えよ!
そしてまた、中世の地球に取り残され、変える手段を失いながらも、キリスト教の教えに希望を見出し、神父とともに生きた“星のハンス”やバッタの(あるいは仮面ライダーの!)如き異星人たちの生き様に震えよ!
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統計学上、そこにあるはずの村が無い。そこには何があったのか。
14世紀に現れた異星人の難破船。その村には隠遁した科学者でもある神父が住んでいた。悪魔的容貌を持つ彼らを、神父は偏見を乗り越え、力になろうとし、ともに生きる。
一方現在では、存在するはずの村を捜し求める統計歴史学者と、光速不変の原則に疑問を持つ宇宙物理学者のカップルが、新たな真理に到達しようとしていた。
中世ドイツの寒村に現れた異星人と、封建制とキリスト教文化にどっぷり浸った村人たちとの交流の話が第1の縦糸。
経歴に秘密を持つ神父はその(現在から見れば)不完全な科学的知識と、キリスト教的知識から、彼ら異星人を理解しようとする。その異星人との会話が微妙にずれつつ、真実を突いている様子がとても興味深い。言葉の、特にキリスト教的言葉の重層的な意味が、時に神学的に、時に科学的に解釈され、コミュニケーションの難しさと滑稽さをあらわすとともに、帰る手段を失った異星人たちの心情を描き出すあたりがとても上手いと思う。
一方で、現在のアメリカで同棲するカップルのすれ違いが第2の縦糸。
互いに愛し合いながら、分野の異なる学者同士である二人のすれ違いもまた、コミュニケーションの難しさと滑稽さをあらわしている。そして、宇宙は膨張しているのではなく、光が遅くなっているのではないかという仮説を検証しようとする話が、不思議な経緯によって14世紀の寒村へと結びつく。この過程がぞくぞくする。
二つの縦糸を結ぶのは、実はオッカムのウィリアムではないかと思う。彼は主人公の神父の友人であり、“オッカムの剃刀”の提唱者とも知られる。作中に出てくる彼は、明晰というよりは頑迷であり、オッカムの剃刀は常識を覆すような新たな概念を認めないという方向へ働く。
しかし、失われた村で何が起こったかの推論や、光速が“遅く”なっているという仮定から生み出される推論は、まさにオッカムの剃刀によって正しさを下支えされる。
アインシュタイン方程式の宇宙項こそが不要な仮定であるとして削られた場合、光速cが不変の定数でなくなり、光速が遅くなるという観測を正当化する理屈の真偽はさておき(これはSF小説だ!)、常識を覆す新たな真理との邂逅はまさに〈センス・オブ・ワンダー〉である。SFファンはこの感動に震えよ!
そしてまた、中世の地球に取り残され、変える手段を失いながらも、キリスト教の教えに希望を見出し、神父とともに生きた“星のハンス”やバッタの(あるいは仮面ライダーの!)如き異星人たちの生き様に震えよ!