『S-Fマガジン 2011年6月号』 (早川書房)
![](http://www.hayakawa-online.co.jp/images/item/721106.jpg)
『ねじまき少女』が発売間近のパオロ・バチガルピ特集&『星を追う子ども』が公開間近の新海誠特集。
バチガルピは濁点と半濁点がどこに付くのか誰もが迷う名前だが、そろそろ慣れてきたw 今回掲載された短編2本も考えさせられる作品。第一長編にして、ヒューゴー賞&ネビュラ賞ダブルクラウンの『ねじまき少女』にもがぜん期待がかかる。
新海誠は、実は見たこと無い。『星を追う子ども』は見に行ってみようか。でも、さすがに2回は見ないだろう。
◎「ギャンブラー」 パオロ・バチガルピ
マスゴミ、マスゴミと騒いでいるネット民には、我が意を得たりと思わせる作品。ただ、ゴシップニュースに踊らされるのも同じネット民。大渦巻(メイルストラム)なんていう大げさな名前で書かれているが、要は視聴率調査か、「2ch勢いランキング」みたいなもの。ジャスミン革命でのネットのかかわりなど含め、まさに未来ではなく、現在を描いた小説。
○「砂と灰の人々」 パオロ・バチガルピ
そうならないでくれと思ったとおりの苦い結末。環境問題というよりは、環境問題を乗り越えた先の心の問題を描いた作品。変わるもの、変わらないものの選び方、描き方が味わい深い。
なんと、今回の読み切り小説はこれだけ! 他に評論が2本。
△「フィリップ・K・ディック論 存在の「黒い箱」と共感の地平」 海老原豊
ディックは実はあんまり好きな作家ではない。なので、ディックが現代的な作家と言われてもピンとこない。所謂ディック産業映画とディックの著作そのものはまったく別物で、直接リンクしないんじゃなかろうか。お前が良く知らないだけじゃぁと言われれば、その通りでございます。
○「玲音の予感」 関竜司
SF評論賞受賞作の掲載。なんと、題材は『serial experiments lain』である。1998年に放送された深夜アニメ。当時はビデオに撮って毎週見てた記憶があるのだが、ストーリーはというと、まったく憶えていない(笑) 正直言って、そんな話だったっけという意識が先に立って、内容がうまく咀嚼できていないのだが、『lain』を見直してみようと思わされたということは、ある意味成功なのだろう。
選考会採録では「SF評論とは」なんて話も出てきたが、確かに、レビューでもなく、論文でもなく、評論というものがあるとしたら、さらに、「“SF”評論」というものがあるとしたら、それはなんなのだろう。
ディック論は、読んだ人、知ってる人に向けて書かれているようだが、lain論は知らない人に紹介しているようにも見える。そのあたりの差も、評論とは何かということを考える鍵になりそうなんだけど、自分がどういう「評論」を読みたいのかと言われると、実は良く分からない。
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『ねじまき少女』が発売間近のパオロ・バチガルピ特集&『星を追う子ども』が公開間近の新海誠特集。
バチガルピは濁点と半濁点がどこに付くのか誰もが迷う名前だが、そろそろ慣れてきたw 今回掲載された短編2本も考えさせられる作品。第一長編にして、ヒューゴー賞&ネビュラ賞ダブルクラウンの『ねじまき少女』にもがぜん期待がかかる。
新海誠は、実は見たこと無い。『星を追う子ども』は見に行ってみようか。でも、さすがに2回は見ないだろう。
◎「ギャンブラー」 パオロ・バチガルピ
マスゴミ、マスゴミと騒いでいるネット民には、我が意を得たりと思わせる作品。ただ、ゴシップニュースに踊らされるのも同じネット民。大渦巻(メイルストラム)なんていう大げさな名前で書かれているが、要は視聴率調査か、「2ch勢いランキング」みたいなもの。ジャスミン革命でのネットのかかわりなど含め、まさに未来ではなく、現在を描いた小説。
○「砂と灰の人々」 パオロ・バチガルピ
そうならないでくれと思ったとおりの苦い結末。環境問題というよりは、環境問題を乗り越えた先の心の問題を描いた作品。変わるもの、変わらないものの選び方、描き方が味わい深い。
なんと、今回の読み切り小説はこれだけ! 他に評論が2本。
△「フィリップ・K・ディック論 存在の「黒い箱」と共感の地平」 海老原豊
ディックは実はあんまり好きな作家ではない。なので、ディックが現代的な作家と言われてもピンとこない。所謂ディック産業映画とディックの著作そのものはまったく別物で、直接リンクしないんじゃなかろうか。お前が良く知らないだけじゃぁと言われれば、その通りでございます。
○「玲音の予感」 関竜司
SF評論賞受賞作の掲載。なんと、題材は『serial experiments lain』である。1998年に放送された深夜アニメ。当時はビデオに撮って毎週見てた記憶があるのだが、ストーリーはというと、まったく憶えていない(笑) 正直言って、そんな話だったっけという意識が先に立って、内容がうまく咀嚼できていないのだが、『lain』を見直してみようと思わされたということは、ある意味成功なのだろう。
選考会採録では「SF評論とは」なんて話も出てきたが、確かに、レビューでもなく、論文でもなく、評論というものがあるとしたら、さらに、「“SF”評論」というものがあるとしたら、それはなんなのだろう。
ディック論は、読んだ人、知ってる人に向けて書かれているようだが、lain論は知らない人に紹介しているようにも見える。そのあたりの差も、評論とは何かということを考える鍵になりそうなんだけど、自分がどういう「評論」を読みたいのかと言われると、実は良く分からない。