神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

2014-08-09 17:59:00 | SF

『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』 チャールズ・ユウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

著者のチャールズ・ユウよりも、訳者の円城塔がフィーチャーされた小説。

確かに、文章は円城節だし、ストーリーも円城塔が書いてもまったくおかしくない。読みながら、『これはペンです』みたいな家族小説だと思っていた。いや、もしかしたら、チャールズ・ユウの存在自体が円城塔の創作なんじゃないかとか。

解説を読むと納得。ああ、あの、あれか。

つまり、彼は『道化師の蝶』所収の「松ノ枝の記」に出てきた、主人公が翻訳によって交流する小説家の元ネタだ。その小説はタイムマシンものだとちゃんと書いてある。(のだそうだ。そこまで覚えていない)

チャールズ・ユウの紹介を読んでも、これまた納得。どこまでも、円城塔と趣味が重なる人物のようだ。ここまで合致すると、ドッペルゲンガーなレベル。どちらかがどちらかのペンネームであってもおかしくない。いや実際にそうなのかもしれない。(だから違うってば)

SF大会(なつこん)の企画、「翻訳家パネル」では、嶋田洋一が訳したピーター・ワッツの『ブラインドサイト』をさらに英訳するとか、英訳された円城塔の『Self-Reference Engine』を和訳するとか、酉島伝法の「皆勤の徒」を和訳するといった話で盛り上がっていた。

これはそれらの話の先取りだったのだな。円城塔が和訳した『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』をさらに英訳するというのほ、本当に面白いかもしれない。できればチャールズ・ユウに。って日本語わからないか。

そういうメタ的な話も面白いのだけれど、小説自体もなかなかおもしろい。

 

主人公(その名もチャールズ・ユウ)はタイムマシンの修理工という設定なのだけれど、このタイムマシンの原理が怪しくて、言語文法をエンジンに時間軸を移動しているらしい。このあたりのネタは、チャールズ・ユウ(著者の方)の両親が台湾出身で中国語ネイティブということが関係しているんじゃないだろうか。中国語には時制がないから、日本人同様、英語の厳格な時制の扱いに苦労すると聞くし。

そして、舞台の宇宙31は現実世界ではなく、計算機上に存在する仮想世界である可能性が示唆されている。しかも、量子力学の多世界解釈のように分裂していく世界であることが想像できる。

主人公がとらえられ、脱出するループは明らかに世界を分裂させている例であると言える。しかも、これはどうも、自分が自分に出会うことによって発生する特殊例のようだ。

そんな感じで延々と、この世界=宇宙31の設定や仕組みを議論することもおもしろいのだが、あくまでそれはSF的設定ではあるのであけれど、すべては主人公の心象のメタファーなのだよね。

つまり、タイムマシンによる過去への旅は追想であり、未来は可能性なわけで。そして、世界が分裂するのは後悔や逡巡や改心や、もしあの時そうしていたらという気持ちのメタファーなんじゃないかな。

でも、SFファンとしては、そういった背景よりも、このSF的な宇宙の仕組みについて、延々考え続ける方が楽しい。

 


[SF] SFマガジン2014年09月号

2014-08-09 17:49:54 | SF

『SFマガジン2014年9月号』

 

特集は毎年恒例の夏休み向けブックガイド「夏の必読SFガイド+α」、そして「ダニエル・キイス追悼」の二本立て。

夏の必読SFガイドについては、どの辺が“+α”かよくわかりませんが、注目アンソロジー収録作リストがそれですかね。

ガイドのラインナップは7月号のオールタイムベストSFなので、出版社のブックフェア連動版とは違って、版元品切れが混じっているのは残念なところ。特にハヤカワは責任取ってなんとかしなさい。

近頃はSF読者人口は増加傾向にあるようで、近くの書店でもSFマガジンが面陳2、3冊から平積み10冊に変わっている。そんな中でのブックガイドはそれなりに価値があるのだろう。しかし、毎年こういうガイドものを読んでいると、「あらすじは知っているけれども読んだことが無い本」とか、「読んだけれどもあらすじを忘れてしまっている本」とかが入り混じって、どれを読んだんだか読んでないんだか、だんだんわからなくなってくる。

読んだはずの本を読みなおすと、思っていたのと違ってパラレルワールドに落ち込んだような不思議な気分が味わえます(笑)

 

一方の「ダニエル・キイス追悼」は訳者の小尾芙佐氏のエッセイなど。

なぜか日本だけで売れているという話は聞いたことがあるが(ダニエル・キイス文庫を作っちゃうくらい)、その理由が日本人特有の精神にあるのではないかという分析はおもしろかったけれど、うさんくさい精神分析論にも似ていて、ちょっと眉唾っぽい。

とはいえ、うまくマーケティングに乗っただけというには売れ過ぎなので、やっぱりそこには日本好みの何かがあるんだろう。もちろん、小尾さんの功績も計り知れないわけで。

 

「SFマガジン創刊700号記念 歴代編集長トーク・イベント」は7月号の延長戦みたいで面白かった。早川編集部って、結構むちゃくちゃなんじゃないの。

 


「無窮花(ムグンファ)〈後篇〉」 吉上亮
マジで気持ちが悪いです。本当に気分が悪いです。それくらいの迫力で描かれた心の闇。そりゃ、世界をぶっ壊したくなるわ。もちろん、それで正当化されるわけではないのだけれど。

「θ(シータ)11番ホームの妖精 本と機雷とコンピューターの流儀」  籘真千歳
IT企業に勤務する端くれとしては、笑い飛ばせない問題を含むコメディ。かと思いきや、それを逆手に取った罠だった、と。でも、やっぱり結末より前半のインパクトの方が強い。

 


[映画] オール・ユー・ニード・イズ・キル

2014-08-09 17:33:12 | 映画

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

 

桜坂洋の原作『All You Need Is Kill』をトム・クルーズ主演でハリウッド映画化した作品。原題は『Edge of Tomorrow』へ変更されているが、日本では原作タイトルでの公開。

いわゆるループネタの作品なので、今となってはハルヒやまどマギのおかげで、どうしてもインパクトが小さくなってしまう。でも、原作は10年前のラノベ(スーパーダッシュ文庫)だからな。

原作ではTVゲームでのリセットによるループを肯定的に描き、どんなに失敗してもあがき続けろという強烈なメッセージを投げかけてきた(と記憶しているが、10年前なので違うかも)が、この映画では“ゲームにおけるリセット”という観点は削除されているように感じた。

映画はどちらかというと、ループ内の幻の恋愛というせつなさを描いたラブストーリーになっている。自分にとっては何度も会っている女性が、次に会うときは、彼女にとっては初対面であり、名前さえも知らないという寂しさ。

小説では描けない映像表現もなかなか面白かった。植物的でありながら動物的なギタイの造形や、圧倒的な物量のアクションはもちろん、何度も様々な形で死に至る主人公のバリエーションがテンポよく繰り返されるシーンは、ある意味では繰り返しギャグになっていて笑える。

トム・クルーズ演じる広報部の少佐も、最初はぎこちない戦闘スーツながらも、次第にスムーズな動きになっていくことで成長をわかりやすく描いていている。

そして、仲間を助けたり、助けなかったり、という行動で心の動きを描いているのもいい感じ。

あの辺りはまさに、まどマギのほむらちゃんを思い出してしまったよ。(……結局はそれか!)

ただ、不満が無いわけではない。とにかく、全体的に話の整合性が無理矢理すぎ。どうしてああいう不完全な理屈を作ってしまうのか。どうしてそんな理屈に納得できるのか。それなら、最初からファンタジーでいいのに。

いつも思うんだけれど、このへんのさじ加減というのは、どうしてこんなに感覚が違うんだろうか。

ハリウッド映画は特におかしいと思うんだけれど、いったいどうして?