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タイムトラベルとサイキック。個別のネタはオーソドックスなのだが、そういう組み合わせをするのかと感心した。予告編を見ただけでは、この結末は想像がつかないだろう。だって、サイキックの話が出てこないからな!
まず最初に、LOOPERの役割を聞いたとき、そんな仕事をする奴はいないだろうと思った。なにしろ、自分の寿命が決まってしまうのだから。しかし、その後の描写の中で、生きるか死ぬかの子供時代が示唆されると、その中では確かに、LOOPERが救いの道に見えるのかもしれないと納得した。そのあたりの葛藤が、もう少しちゃんと描かれていたら良かったかもしれない。
青年のジョーは、寿命を生きた壮年のジョーを自分の分身に思えないのは当然だ。なぜなら、青年ジョーは、まだ何もいい思いをしていないのだから。一方で、壮年ジョーは青年ジョーを守る必要がある。なぜなら、好むと好まざるとにかかわらず、自分の過去であるからだ。
現在の状況が未来から来た男の過去に影響する。未来から来た男にとって、過去は“可能性”に過ぎない。これはちょっと《センス・オブ・ワンダー》を感じる設定だった。しかも、これを伏線としてちゃんと描写してある。スタッフがちゃんとわかっている証拠だ。
しかし、青年だろうが壮年だろうが、主人公のジョーがなかなか感情移入しにくいキャラだったせいで、ドキドキ感がいまいち。
そして、ラストシーンで、なぜ彼がそうしたのかということを考えると、なかなか腑に落ちない。あれだけ利己的な男が、なぜ。
そもそも、壮年ジョーの目的が、黒幕を少年時代に殺す(ターミネーターですな)ことではなく、妻を殺させないということなのであれば、ラストシーンの解決策は彼自身が気付いても良かったと思うのだけれどね。
俺としては、倫理よりも論理の方から彼ら二人の行動を読み解こうとしてしまい、いまいち納得できないのだけれど、あれは単なるナルシズムとヒロイズムによる自己犠牲と解釈している人が多いんだろうか。
でも、いろいろ考えると、あれはまだ見ぬ未来の妻を救ったのでも、世界が悪魔に支配されることから救ったのでもなく、目の前の子どもを悪魔にすることから救うためだったと思うんだよね。その考えの中に、未来の愛する人などいなかったはず。
そんな感じで、論理としては理解はできるけれども、いまひとつカタルシスの無い結末で、不完全燃焼な気がする映画だった。
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