神なる冬

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[SF] アバタールチューナー

2012-01-29 19:56:12 | SF
『アバタールチューナー Ⅰ~Ⅴ』 五代ゆう (ハヤカワ文庫 JA)





なんだか評判が良いようだったので、5冊シリーズだったけれど、まとめて買ってみた。読み終わった感想は、ちょっと微妙。

確かに、序盤での想像の斜め上を行くスプラッタぶりや、3巻での大転換は凄いのだけれど、いまいち乗り切れなかった感じ。

だいたいが、ゲームのノベライズは苦手かもしれない。何しろ、伊藤計劃の『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』
ですらいまいちな感想だったからな。

おそらく、そのゲームをやっているかやっていないか、やっていたとしても思い入れがあるかないかで、感想も相当変わってくるのではないかと思う。

ちなみに、自分はこのゲーム未プレイ。女神転生シリーズはまったくやったことがない。

もちろん、未プレイの人で面白いと言っている人はいっぱいいるんだけれど。そうでなかったら読まないし。

ゲームの場合、ゲーム性やビジュアル性を優先させるために、割りと無理矢理な設定が多いような気がする。この作品が原案になったゲーム『デジタル・デビル・サーガ アバタール・チューナー』も、戦うためだけに作られたステージ設定、敵キャラ設定が目立つようだ。

五代ゆうはそのあたりの無理矢理な設定を現実化するためにかなり気を配っているように見えるが、やはり書きたいシーンありきのビジュアル先行型に見える。

例えば、結晶化した脳味噌が転がるシーンは美しさの面でも、それが意味するおぞましさも印象深いのだけれど、そもそも身体全体が結晶化するのだからCPUとして脳味噌だけ使用する意味がわからないし、そもそも結晶化した後で脳味噌だけ取り出せるものなのかがわからない。

“神が降ってくる”という表現も、無茶苦茶イメージを喚起するマジックワードではあるけれど、その表現として、どうして空の色が変わるのかとか、いろいろ訳がわからない。その説明不足、必然性不足が、ビジュアル先行に思えてしまう部分なんだろう。

そうした細かいことにこだわるのは良くないとは思うのだけれど、気づいてしまったものは仕方が無いし、そういう部分で引っかかりが多いとどうしても乗り切れないものだ。

これらの矛盾を一気に解決する解釈というのはある。それは、3巻の世界も含めて多重仮想世界だというものだ。つまり、主人公たち
の現実世界すら、ゲームの中の仮想世界と考えればよい。

実はそういう結末なのかとも思ったのだけれど、さすがにそうではなかったようだ。もう最近は、「実は仮想世界だった!」は、「実は夢だった!」と同じレベルのオチになりつつあるしな。



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