『宇宙飛行士 オモン・ラー』 ヴィクトル・ペレーヴィン (群像社ライブラリー)
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「一方、ソ連は鉛筆を使った」という有名な小噺が思いだされるが、さらにそれを越えたホラ話。
これをファンタジーとみるか、寓話と見るかは立場によって異なるだろう。悲劇とみるか、喜劇とみるかも異なるだろう。さらに、著者、ヴィクトル・ペレーヴィンの来歴や、この小説が書かれた時代を考えると、さらに複雑な物語であることが分かる。
自分はこれをホラーだと思った。悪夢的なホラー。正直言って、夢オチじゃないのがおかしいくらい。
宇宙飛行士にあこがれる少年を迎えた、究極の人力制御ロケットと、張りぼての月。これがホラーで無くてなんだろう。人力であることがわかったとき、本気で背筋が凍えた。
生命の危機という恐怖心以上に、宇宙飛行士への憧れを微塵に砕かれた少年たちの気持ちを思う。才能を認められた主人公以外の彼らの気持ちを思うと、気が狂いそうになる。そして、それが体制の下で大人になるということと重ね合わされたとあれば。
これを、旧ソ連の現実を反映した寓話と取る人が多いのは良くわかる。それは、「一方、ソ連は鉛筆を使った」という小噺が、さもありなんと受け止められることと同じなのだろう。しかし、それ以上に、怖くて悲しい話だ。そのラストシーンがナンセンスであればあるほど、オモンの宇宙飛行が無意味であればあるほど、恐怖も悲しみも深い。
なお、Google先生に教えてもらたっところ、ソ連は普通のボールペンを宇宙に持っていって、実際に使えていたらしい。上を向いたら使えないボールペンが、無重力状態で使えるのはインクの粘性のせいかな。
ところで、エジプトの太陽神ラーがはやぶさの顔を持っているのは、ホルス神と合体したラー・ホルアクティのせいじゃなかったのか? こっちはググってみてもよくわからなかった。
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「一方、ソ連は鉛筆を使った」という有名な小噺が思いだされるが、さらにそれを越えたホラ話。
これをファンタジーとみるか、寓話と見るかは立場によって異なるだろう。悲劇とみるか、喜劇とみるかも異なるだろう。さらに、著者、ヴィクトル・ペレーヴィンの来歴や、この小説が書かれた時代を考えると、さらに複雑な物語であることが分かる。
自分はこれをホラーだと思った。悪夢的なホラー。正直言って、夢オチじゃないのがおかしいくらい。
宇宙飛行士にあこがれる少年を迎えた、究極の人力制御ロケットと、張りぼての月。これがホラーで無くてなんだろう。人力であることがわかったとき、本気で背筋が凍えた。
生命の危機という恐怖心以上に、宇宙飛行士への憧れを微塵に砕かれた少年たちの気持ちを思う。才能を認められた主人公以外の彼らの気持ちを思うと、気が狂いそうになる。そして、それが体制の下で大人になるということと重ね合わされたとあれば。
これを、旧ソ連の現実を反映した寓話と取る人が多いのは良くわかる。それは、「一方、ソ連は鉛筆を使った」という小噺が、さもありなんと受け止められることと同じなのだろう。しかし、それ以上に、怖くて悲しい話だ。そのラストシーンがナンセンスであればあるほど、オモンの宇宙飛行が無意味であればあるほど、恐怖も悲しみも深い。
なお、Google先生に教えてもらたっところ、ソ連は普通のボールペンを宇宙に持っていって、実際に使えていたらしい。上を向いたら使えないボールペンが、無重力状態で使えるのはインクの粘性のせいかな。
ところで、エジプトの太陽神ラーがはやぶさの顔を持っているのは、ホルス神と合体したラー・ホルアクティのせいじゃなかったのか? こっちはググってみてもよくわからなかった。