美の巨人たち:フランク・ブラングィン
松方コレクションの主人公である、松方幸次郎コレクション
の協力者がこの人である。
松方の良き美術アドバイザーとして活躍し、現在の松方
コレクションの礎を造った人物である。
彼の代表作である「造船」は、非常に興味深い作品である。
現場で働く人(作業員)の躍動感、
豪快でいて、細部まで行き届いた技法、
船という対象物の特異性
いずれも興味深いものである。
かれの絵画の特徴は大広間にかけられた壁画であり、
遠くから眺めることを前提にしているとも言える。
実のところ、かれは波乱万丈の人生である。
確かに、1930年代まで世界的な人気があった人物である。
しかし、その後、忽然と消えてしまい、
現在の英国では一般に知られていない。
理由は1つ。
彼の作品があまりにも少ないということ。
それは、彼と松方の出会いが生んだ悲劇の結果でもあった。
彼にとり、松方との出会いは運命的でさえあった。
楽しい出会いが、結果的には彼を伝説の中に押し込めてしまった。
番組では、彼と松方に光を当てることで、日本の芸術に大きな
貢献をなした二人にエールを送る。
では、その内容をおさらいしてみよう。
彼は、多くの弟子を持ち、実に多くの大作品を残していた。
テーマは、労働者であり、肉体労働の素晴らしさを描いた点に
特徴が見られる。
その特徴は、彼の生い立ちに端を発する。
幼少より、美術の勉強を摘む画家ではなく、
彼は建築家である父を持ち、父の手伝いをしながら成長した。
建築から造船に興味を持つのも自然の成り行きといえる。
現存する絵画からは、船と労働者をテーマにしていたようだ。
暗い絵画が多いと批判されれば、明るい絵画を描き出せる
多彩な側面もあった。
そして、かれの描く作品は大空間での鑑賞を前提としたようだ。
このような時、運命的な出会いが訪れた。
松方幸次郎との出会いである。
松方とはまさに彼のテーマ故、気があったと得るだろう。
松方幸次郎は造船会社の人間であり、船を作るという労働を
重んじた人である。
そんな松方の夢を彼は応援した。
二人の夢の実現に向けて二人の二人三脚が始まる。
多くの西欧絵画(芸術)を集めて、日本人に見せるという夢。
日本に西欧式の美術館を建築し、多くの日本人に西洋芸術を
見せるという夢。
まさに、壮大なる夢であった。
しかし、夢は二人の生前中には完成しなかった。
関東大震災、金融恐慌、美術品の焼失、戦争などの激しい
環境の悪化により二人の夢は揺さぶられた。
彼が設計した共楽美術館は永遠に未完となるも、
第二次大戦後、フランス政府の計らいもあり、370点の
松方コレクションが返却された。
それは、現在、上野の国立西洋美術館として常設展示されている。
1万点とも言われた松方コレクションのごく一部であるが、
それでも上質の西欧絵画美術を日本の庶民が目にすることが出来るのは
二人の功績であろう。
私は、上野を訪れる度に、ロダンの彫刻を眺め、カレー市民を鑑賞し、
時には入場券を求めて、彼の作品に会いに行く。
かれの多くの作品も松方コレクションと供に、
多くは灰燼の中に消えてしまった。
悲劇の大芸術家といえまいか。
日本人だけは、かれの名前を覚えておくべきではなかろうか。
感傷的過ぎるだろうか。
一度、皆様も足を運んでください。
<備考>
松方幸次郎といえば、おそらく知る人も多い。
その血筋は、かの松方正義である。
明治から大正への重要な時期、日本の財政界を背負った政治家である。
それは、高橋是清、井上準之助と受け継がれて、戦前の日本の土台が
築かれた。
さて、松方幸次郎は見事なお金の使い方をしたとも言える。
貴族のものとされた絵画や彫刻なでの芸術を日本の庶民に
知らしめようとした心意気こそ、光を当てたいものだ。
松方コレクションの主人公である、松方幸次郎コレクション
の協力者がこの人である。
松方の良き美術アドバイザーとして活躍し、現在の松方
コレクションの礎を造った人物である。
彼の代表作である「造船」は、非常に興味深い作品である。
現場で働く人(作業員)の躍動感、
豪快でいて、細部まで行き届いた技法、
船という対象物の特異性
いずれも興味深いものである。
かれの絵画の特徴は大広間にかけられた壁画であり、
遠くから眺めることを前提にしているとも言える。
実のところ、かれは波乱万丈の人生である。
確かに、1930年代まで世界的な人気があった人物である。
しかし、その後、忽然と消えてしまい、
現在の英国では一般に知られていない。
理由は1つ。
彼の作品があまりにも少ないということ。
それは、彼と松方の出会いが生んだ悲劇の結果でもあった。
彼にとり、松方との出会いは運命的でさえあった。
楽しい出会いが、結果的には彼を伝説の中に押し込めてしまった。
番組では、彼と松方に光を当てることで、日本の芸術に大きな
貢献をなした二人にエールを送る。
では、その内容をおさらいしてみよう。
彼は、多くの弟子を持ち、実に多くの大作品を残していた。
テーマは、労働者であり、肉体労働の素晴らしさを描いた点に
特徴が見られる。
その特徴は、彼の生い立ちに端を発する。
幼少より、美術の勉強を摘む画家ではなく、
彼は建築家である父を持ち、父の手伝いをしながら成長した。
建築から造船に興味を持つのも自然の成り行きといえる。
現存する絵画からは、船と労働者をテーマにしていたようだ。
暗い絵画が多いと批判されれば、明るい絵画を描き出せる
多彩な側面もあった。
そして、かれの描く作品は大空間での鑑賞を前提としたようだ。
このような時、運命的な出会いが訪れた。
松方幸次郎との出会いである。
松方とはまさに彼のテーマ故、気があったと得るだろう。
松方幸次郎は造船会社の人間であり、船を作るという労働を
重んじた人である。
そんな松方の夢を彼は応援した。
二人の夢の実現に向けて二人の二人三脚が始まる。
多くの西欧絵画(芸術)を集めて、日本人に見せるという夢。
日本に西欧式の美術館を建築し、多くの日本人に西洋芸術を
見せるという夢。
まさに、壮大なる夢であった。
しかし、夢は二人の生前中には完成しなかった。
関東大震災、金融恐慌、美術品の焼失、戦争などの激しい
環境の悪化により二人の夢は揺さぶられた。
彼が設計した共楽美術館は永遠に未完となるも、
第二次大戦後、フランス政府の計らいもあり、370点の
松方コレクションが返却された。
それは、現在、上野の国立西洋美術館として常設展示されている。
1万点とも言われた松方コレクションのごく一部であるが、
それでも上質の西欧絵画美術を日本の庶民が目にすることが出来るのは
二人の功績であろう。
私は、上野を訪れる度に、ロダンの彫刻を眺め、カレー市民を鑑賞し、
時には入場券を求めて、彼の作品に会いに行く。
かれの多くの作品も松方コレクションと供に、
多くは灰燼の中に消えてしまった。
悲劇の大芸術家といえまいか。
日本人だけは、かれの名前を覚えておくべきではなかろうか。
感傷的過ぎるだろうか。
一度、皆様も足を運んでください。
<備考>
松方幸次郎といえば、おそらく知る人も多い。
その血筋は、かの松方正義である。
明治から大正への重要な時期、日本の財政界を背負った政治家である。
それは、高橋是清、井上準之助と受け継がれて、戦前の日本の土台が
築かれた。
さて、松方幸次郎は見事なお金の使い方をしたとも言える。
貴族のものとされた絵画や彫刻なでの芸術を日本の庶民に
知らしめようとした心意気こそ、光を当てたいものだ。
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