みなかみ行きは晴天に恵まれ、訪れたリンゴ園でのたわわに実ったリンゴは美しく、思わずシッターを押しました。
運がよい、最近は貧乏くじに当たったようだ。つまり不運であり、運が付いているやいないなど日頃良く聞く言葉である。幸運や不運は尺度があり、自分が期待する事象が成功することや失敗するときに口に出る。原因と結果から考えれば、成功する理由や失敗する理由があるはずなのであるが、確率からすれば、確率が高ければ成功する範囲が広がり、確率が低い場合は失敗や不合格になる範囲は拡がる。
人生には幸運のチャンスが誰しも3回あると言われるが、既に3回訪れたラッキーチャンスがあった方は、うまくチャンスを捉える感覚や努力があったのかも知れないし、全くチャンスに恵まれなかった方は、今後訪れるチャンスがあるということである。
成功するか失敗するかの判断は、相対的であり、失敗を成功のチャンスと捉えるか、失敗で諦めてしまうかによって判断が分かれる。諦める内容にも寄るが、駄目なモノは駄目とし、新たな方策を考える方がよい場合もある。
生まれついた才能が、花開くこともある。特に芸術など感覚に依存する領域では、時代のニーズに合うと、年少の頃からその才能が認められ(神童)、大成する可能性が高いが、環境が変わると逆の作用もあり(二十歳過ぎればただの人)、結果的には永続する人は少ないようである。努力の積み重ねが、経験を多くし、大器晩成することも多い。エジソンの名言がある。天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの汗(努力)である。
海外の仕事をしていたときに東南アジアの受講生が言った言葉を思い出した。「来日して多くの日本人にあったが、話をすると不満ばかりを聞かされる。忙しく、暇がない、仕事が厳しく、同僚や部下は信用できない、上司は仕事の成果を認めてくれない等々」。だが、先進国日本は良いことずくめで、高給で仕事に打ち込める環境は、受講生の自国では大変難しいことで、そもそも、日本人と生まれた幸運を忘れている人が多いといった内容であった。
東南アジアばかりではなく世界の多くの国では先進国に生まれたことを幸運に思っていることに対し、既にその中に甘んじている日本人が何を言っても絵空事に聞こえ、素直に胸襟を開くことを躊躇うのは当たり前のことである。2020年の東京オリンピックが招致されることになっている。改めて幸運のことを考えてみた。傲慢さの裏に潜む幸運のことを知らないでいる日本人への警鐘と捉えたらいかがであろうか。