身近に来たチュウサギのポーズです。
フランス語で尊敬、敬意、讃辞、献辞の意味を持つ。その人(事)に対して深い敬意や称讃の意を表し、オマージュを捧げるなどと使う。BS日テレ放送21時から22時まで放映されているコーラスグループ「フォレスタ」の歌う音楽番組の中で進行役のアナウンサーが発した言葉である。この番組で字幕に歌詞が出るが、耳で聴いた歌詞の意味が、字幕となると違っていたことに気づく。この歳になるまで全く異なる意味であった。良く例に出される「おとみさん」、「粋な黒塀、見越しの松に 云々」を「粋な黒兵衛、御輿の松 云々」と覚えてしまう人が意外に多いそうである。
今まで気づかなかったことを非難しているのではなく、耳から聞く日本語の方に間違う原因がありそうである。発音が同じで、漢字が異なる言葉が多いためである。これを日本文化というのであろうか。日本語にはそのような一面があることを承知して欲しい。文章の前後から類推すれば間違えに気づくが、耳からだけ聞く言葉では意味を取り違えることは仕方ないのであろう。まして、歌詞ともなれば、歌の題が必ずしも正確ではなく、作詞家が意図とする状景までも類推するのは困難な場合も多い。
オマージュにしても、フランス語辞書を引けば出てくるが、フランス語でhommage と書くので、英語と思って手元の英和辞書を引いてもヒットしないであろう。直ぐに調べて見ることは大切であるが、誰しもフランス語とは思わなければ、そこへ行き着くのは困難である。単語を発するときに何語であるかまで付け加える人は殆どいない。意味が分からずに使っている言葉も多いが、曖昧さが逆に知らない物同士がお互い理解したような素振りを見せ、その場を過ごすことが何とも滑稽に映る。成人すると知らないことを聞くのが恥ずかしいのかも知れない。
物事をフィーリングで片付けては良くないと思う。かといって、その場の空気が読めないと、嫌われることにもなる。場違いな唐突な発言や、講釈ぶるのも決して良いことではない。知らないことを卑下する傾向は、自己の優位さを示す気持ちの表れでもあるが、言葉の攻撃は、時として、暴力より強く相手に突き刺さる。相手の気持ちを考え、知らない人に、正しく知らしめることは意外と難しいことである。家族の間でも親子や親族とのトラブルは、他人には、自然に振る舞う場面でも、感情や思いが強く出るため、必要以上に冷静さを失い、自制を失えば、感情的に陥りやすい。
常に冷静さを失わず、相手の良いところを見つけ、オマージュを捧げることがすてきな人生を生んでいるようである。