本を出版するには、執筆者と校閲者と編集者とが協力して作成に当たる。個人が単独で執筆し、印刷部署へ原稿を送る場合を除き、複数の執筆者が居ることは通常一般的であるが、編集者は出版社に所属している場合もある。複数で執筆を分担する場合でも、出版の趣旨を理解していないと、執筆者によって書体、表現方法、図表の使い方、引用や、索引の仕方等が異なってくるので、予め、編集者の方で、執筆要領を提示するのが普通である。
しかし、執筆要領はあくまでもガイドラインであって、執筆者の思想・表現までも規制するモノではないが、執筆者の個性や断定は時として物議を醸し出すこともある。その解決のために校閲者が必要な訳で、執筆者集団から選ぶ場合や、予め、特定の者に依頼しておく場合もある。執筆者が多忙な場合や専門家過ぎて、表現が難しい場合など、理由は多々あるが、執筆者に添いながら、レポーターが代筆をすることもあり、レポーターの題材に対する理解が乏しい場合は、勝手な表現でごまかし、レポーターが介在するために執筆期限に間に合わなくなるなど、何のための起用なのか分からなくなることが起こる。
ある植物学者の出版に有名出版社の編集部門に所属する、若いバイタリティのあるレポーターが付いたことがあった。そもそも出版を持ちかけた方は出版社で、映像録画と出版の同時進行であったようである。レポーターが代筆した原稿が出来上がり、先生にその校閲をお願いしたところ、写真撮影した植物の多くはレポーターの判断の域を超えていて、花の名前を何度説明しても分からずに、結果はこの植物学者が代筆を一切使わずに、最初のページから最後に至るまで、徹夜で書いた日も数日あり、何とか期日までに書き上げたそうである。後日談であったが、レポーターが書き入れた下書きの中に、「(執筆者の)花壇には名もなく、可憐な花を付ける植物が多くあり、名もない雑草も大変珍しいモノである」とあった。
この表現に激怒した先生は、「名が付いていない花や雑草など一つもない。全部名前がついている。知らないのはレポーターの方で、何たる浅知恵か!」と、怒りを収めるところもなく、「名がない植物があれば、新たな発見で、大反響となる。」とのことであった。知らないことは知っている者に聞けばよいのであるが、聞くこともせずに勝手に名もない花などとするレポーターの愚かさに失望されていた。
一時、カマトトぶる女性が、「知らない、分からない」を連発して話題になったことがある。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」との格言もある。ましてや、代筆のレポーターの仕事で生計を立てていれば、予め基礎知識ぐらい準備するのが当たり前で、先生が激怒した理由も至極当然のことで、分からないわけではない。