その1の続きです。
関東地区にも入梅になったという気象庁からの宣言があった。梅雨明けは7月下旬で変動もあるが、約2か月間である。今年は少雨という予測もなされた。梅雨を嫌うひとは多いが、人によってそれぞれの思いがあるのは当然で、好みの理由もさまざまである。梅雨が良いと思う人は、草木が雨に濡れて一層緑色が深まる風景を愛でる。適度な湿度が潤いを感じるし、真夏のような強烈な暑さがないのも快適である。
一方、湿度が高いために、洗濯物が乾かない、どこに行ってもジメジメとしてさわやか感がないなど、天候のイメージから来るものであろう。何時止むともしれない小雨は、その思いもよくわかる。天気予報では晴天を良しとし、風雪や暴風雨を悪とする傾向にあるようで、人間の先入観がどうしても表に出る。しかし、降水量があって、飲料水の確保ができるし、植物が生育に必要な水分であり、水田に水が引けなければ水稲栽培も不可能となる。大量の降雨による水害も問題であるが、適度に降雨があることによって、農業に従事していなくても生活は安定する。
ダムの貯水量が少なくなることで、節水を始めるようでは節水の習慣が身についていないからであろうか。水洗便所に飲料水を使うのが当たり前の我が国、如何に水に恵まれているかであるが、感謝すると同時に、生活の中に節水の習慣をもっと取り入れたいものである。我が家も、風呂の残り湯を使う洗濯の習慣も違和感がない。庭木の散水は、水道水であるので、雨水を何とか利用したいと考えている。節水の極意は、元栓を閉めることによる源泉調整である。元栓を絞ることによる使用水量を減らすのである。
これは、勢いよく流れる水を加減するため、まどろっこしいと感じる。しかし節水には効果的である。洗面も使う量だけを洗面器にとって使う。シャワーを継続して使わない等生活の便利さとは逆行するが、毎日でなくても週に曜日を決めて実行してみるのもよい。
現在でも水道がない東南アジアの山村、砂漠地帯での生活を余儀なくされる民族も多い。多くは人力で水くみを行い、自宅まで運び、汲んだ水は甕に保存して使っている。柄杓やたらいを購入するにもどこで売っているのか分からない我が国となった。
昔は当たり前であったこれらの行為も今やサバイバルでしか縁がなくなってしまった。洪水等の水害の発生の都度、自衛隊の給水車に群がる人々の姿を見るにつけ、平素より、緊急時の水の確保は必要であろう。以前紹介したが、夜間に発生した近所の火災鎮火に風呂桶の残り湯が役に立った例もある。水の利用について考えてみる時期かもしれない。