念入りな羽繕い中です。
都議会が佳境に入っている。都知事の責任の採りかたが焦点になりつつあるが、決定打はなく、都議の論点も一貫せずに、詰めの甘さがあるようで、各党派の代表質問が終わり、都議個人の一般質問となる。ここまでは事前の調整が行われ、質問とその回答は文章の読み合いであり、まるで学芸会である。そもそも質問と回答のやり取りは、論点の範囲を決め、事前通告を行っている。
このことは、知事といえども、議会の議題とされる案件の詳細や、落としどころの詳細まで詰めた話は不可能であり、一種のセレモニーの様相であり、論点を明化するには役立つが、前もって作成した筋書き通りに事が進む配慮が行われている。したがって、筋書きから外れたことには回答しないか、曖昧な返事となり、質問者もそれ以上の追及は差し控えるようである。
茶番劇という言葉がマッチする場面が殆どで、議会運営の程度が知れるが、それはともかくとして、知事を含め、都議会に参加する議員は、地区の住民の代表者というか、選挙に勝った人物であり、その地区の代弁者である。手ぬるい追及や、中途半端な妥協は許される立場ではないし、論理的な議論が行われなければならない。しかし、既に都民の心は白けてしまっている。
つまり双方の立場は都民の意向に沿う立場であることは変わりない。今回の問題は、都知事の政治資金疑惑が発端にあり、知事に就任以前の問題も含まれている。勿論、公私混同とされる公用車の私的利用や、議員歳費の使途についての曖昧な使途についても問題となっているが、時間経過もあり、なにゆえに早期に対応が取れなかったかという議会構成員の問題意識の遅れや指摘がなされてこなかったことについては追及する側の落ち度が全くないとはいいがたい。
指摘されたことを誤れば済む世界であり、現段階では罰則が適用されるわけではない。最終的には解散しない以上、選挙での民意を探ることには懐疑的となっていて、おそらくこの状態は逃げ切る知事の勝利で終わる可能性が高い。せこい話が論点となれば、せこさ故に厳罰を処すまでにはいかないからである。都議それぞれにも事情があり、本当のところは解散を希望せず、任期までは都議でいたいという本音がちらほら見えるようになってきた。
守る側、攻める側、どちらも不幸の一語に尽きるが、茶番劇はいい加減に幕引きしてほしい。