>日本の教育はかつて、世界的に見てもトップクラスであったが、現在は、PISAテストの成績を見ても低下している。
>PISA調査(Programme for International Student Assessment)とは、OECD(経済協力開発機構)が1988年よりはじめた事業でその特色として:①知識や技能を実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかどうかを評価。学校カリキュラムには関わらない。②図表・グラフ・地図などを含む文章(「非連続型テキスト」という)が重視され、出題の約4割を占める。③「選択式」を中心にしながらも「自由記述形式」の出題が約4割を占める。④記述式では、答えを出すための「方法や考え方を説明する」ことが求められる。⑤読解力として、「情報の取り出し」・「解釈・理解」・「熟考・判断」、そして自分の「意見を表現する」ことが求められる。テキストの「内容」だけでなく「構成や形式」についても問われる。
>これから分かることは、PISA調査では知識量よりも、主体的に考え、問題を解決する能力が求められていると言えるだろう。
そうですね。大切な能力が求められているのですね。
>この結果から見えることは、日本の子どもは、思考が受動的ではないか、ということである。
日本人には意思が無いので、何事も受動的になりますね。
>つまり、情報を受け取るだけで、それを元に考え、自分の考えを論理的に組み立てられないことが見て取れる。
日本語は、現実描写のための言葉ですからね。自分の考えは非現実ですから、実況放送・現状報告の内容とはなりません。
現実の内容はただ一つ。非現実の内容は、過去・現在・未来など多数あります。
現実の内容は、異口同音になる。正解は常に一つです。非現実の内容は、個性的になり、各人各様になります。正しい (矛盾を含まない) 考えは、全て正解となります。
>このことは、大学においても顕著になっている。
日本語で教育したら、どこでも同じ結果になるでしょう。
>実際、東大、京大といった一流大学に於いても、数学力、文章力が十分でない学生が多く、解答パターンを暗記して単位をやっととるような学生が殆どらしい。
暗記力を鍛えた強者ばかりですからね。
>東大で教えている友人の話によると、東大理科一類の学生で9割程度がそういう学生だという。
教育立国の成果ですね。
>ある程度の高度の論理能力が必要なε-δ論法を使う、微分積分の授業は、東大理科系でも半数程度しか受けない状態であることが、事態の深刻さを表している。
とにかく、頭を使うことは、敬遠されますね。知的労働になりますからね。
>しかも、大学で教えていて感じることに、生徒の側が面白くないマニュアル的な授業を求めていることがある。
マニュアルの内容は、確立していますからね。安心して聞いていられます。
>つまり、考えることは面倒だから、やり方だけ教えてほしいという学生が増えている。
学生は、早く手堅いところの物を手にしたいのでしょう。
>日本の教育は詰め込み教育と、よく批判されるけれど、学生に考えさせる授業をすると、逆に不評を買い、受講生が激減する。>通説と実態は違う。
学生の頭は詰め込み教育しか受け付けませんね。通説は愚痴ですね。
>また、ゼミで、「君の考えてきたことを話して」と言うと、勉強してきた知識を話すだけの学生が多い。
詰め込んだことを吐き出すだけなら問題ないようですね。学生は、どうしたらよいのかわからないのでしょう。
>成績が優秀な学生でも、大学院生になって、ゼミで、「これからは、君の研究してきたことを話して」と言うと、ゼミは途絶えがちになる。
他人の研究なら内容が存在するから暗記できる。自分の研究は、内容がないから話は難しいですね。
>つまり、研究のテーマを与え、やり方を教えないと、どうしたらよいのか分からず不安に駆られるのだ。
技術者の卵に技術指導をするようなものですね。我が国には人手不足がある。だが、頭脳不足の話は聞いたことがありません。すなわち、社会は頭脳を欲していない。
>このように、日本の学生は、概して、知識を吸収するだけで、考えることが嫌いだと思われる。
そうですね。考えることは、面倒ですからね。
>このように、日本の教育の問題点は、主体的に考える能力を学生が身に付けていないことにある。
そうですね。同感です。主体的に考える能力のない人間はポチに成る。
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