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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

ひどい話

2017-12-08 17:23:56 | 文化
>日本人のやることはすべて嘘。> 外面、比較、他者との競争でしかない。>リンクから引用させていただきます。
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>学校に行けば、勝ち負け、何番で、比較ばかり。

‘上とみるか、下とみるか’ の判断ですね。勝負で決めるのが一番わかりやすい。我が国では、人間の序列が大切ですね。

>音楽や美術も、楽しいから、わたしがやってみたいから、という心の内側からのものではなく、比較、競争、コンクール主義。 勝ち負け、うけるか否かの世界。

そうですね。品定めが大切ですね。

> (中略)
>生きること自体を問う「恋知(哲学)」の文化はなく、学校ではそういう時間はゼロ。代わりに「道徳教育」とは恐れ入る。

日本人は、無哲学・能天気ですからね。自己の哲学が無ければ、判断基準としてお仕着せの徳目を暗記するしかないでしょう。

> (中略)
>言葉ではいいことを言う人も、本音(日々の生活仕方・価値観)は、五十歩百歩です。

本音は、恣意 (私意・我がまま・身勝手) ですね。人に話すことは出来ない内容のもの。

>「日本に哲学なし」とか「日本人は生まれながらに哲学とは無縁」といわれて久しいですが、目の前主義で「外面人間になる努力」以外は知らないで生きる人の集団が日本人だとしたら、言葉を失うほど悲しいこと。

内面が無ければ、外面だけになる。
内面の内容は、哲学 (非現実)であって、見ることは出来ない。話になる。あるべき姿の内容である。
外面の内容は、処世術 (現実) であって、見ることができる。今だけ、金だけ、自分 (たち) だけの結果となる。

>日本にあるのは、ただの事実学の累積と技術知だけかもしれません。

そうですね。我が国の実社会に対応する学問は、実学 (技術) です。教養はありません。

>哲学までもその延長で、西ヨーロッパの近代哲学(キリスト教化された視点から解釈されたギリシャ哲学も含む)の書物の読解が哲学と思われているようです。それでは、大学教授の職業テツガクにすぎません。

そうですね。我が国の大学から、受け売りの論客が輩出しています。不毛の議論で会議が空転しています。

> 自分が感じ想うところから、自分の頭で考えるという人間の人間的な生がフィロソフィー(恋知)なのに、その基盤・土台が脆弱なために「情報」や「書物」に頼り知ったかぶりをするのはヒドイ話です。

日本語は、現実描写のための言語です。非現実の内容は、文章になりません。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
現実の内容は、見ることが出来ます。ですが、非現実の内容は見ることが出来ません。だが、話 (文章) になります。これは、考えの内容です。
現実の内容は、頭の外に存在する。非現実の内容は、頭の中に存在する。両者は所在が違うので、内容が同じにはならない。
現実の内容を現実に再現すれば、それは模倣となる。暗記の様なもの。
非現実の内容を現実に実現すれば、それは創造したことになる。人間の知力のたまものである。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の人々は、模倣が得意で、創造が苦手である。哲学の基盤・土台が脆弱なためです。

>これを読んでいるあなたも要注意! 

はい、私も注意して読ませていただいております。

>フィロソフィー(恋知)なしに生きるなら、それは人間の人間としての生ではありません。

そうですね。アニマルもそれで生活しています。

>いまの暗記とパターン知のテストで満点を取るような人は、この基盤がない証拠です。

そうですね。ニホンザルの湯あみ程度のものかもしれませんね。

> 恋知とは、知識ではなく、誰でもがもつ自分の固有の精神世界を豊かにしていく日々の実践です。

そうですね。西洋人は、大人になると ‘考える人’ になります。
印欧語族の言語には文法に時制というものがあって、非現実の内容を盛り込む枠組みが脳裏に出来ています。この枠組みの中の空白はどうしても気になるので、考える人になります。思慮深い人が出てきます。
日本語文法には時制というものがなく、脳裏に非現実の内容を盛り込む余地はありません。ですから、無哲学・能天気のままで一生を過ごすことになります。浅薄な人間のままで過ごします。

>自分が感じ、想い、考えるのですから、誰でもいつでもできますが、その方向(沈思と自問自答)への教育がなく、個人の努力がありません。

感じ、想い、考える単語は、日本語には構文がないで、バラバラなまま存在します。ですから、日本人は歌詠みになります。バラバラな単語は忖度 (推察) されて鑑賞されています。忖度は、自分勝手な解釈であるから論拠もなく、議論の対象にはなりません。ですから、日本人は、議論下手です。

>それなくしては意味のある対話は成立せず、ただ、相手に勝つ話法と部分知識ばかりの不幸な世界。

不毛の議論ばかりですね。処世術のなれの果てか。

>(中略)
>それならば、「日本人のやることはすべて嘘」になります。

現実は本当のこと。非現実は嘘。考えの内容は、すべて嘘。現実の世界は、嘘か本当かの世界です。子供の世界の様なものか。

>心の内から湧き上がるものがないままに「優秀」な人になる!?芸術家になる~???みな「芸を仕込まれたアシカ」になるだけです。

そうですね。自己の表現が無い。個性が無い。世界に影響を与えるものが無い。

>なんともヒドイ話ですが、相当程度現実です。

当たらずと言えども、遠からず。
>--------------------------(引用終わり)-----


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右翼

2017-12-08 13:30:16 | 日本語脳
>法は、他民族や多宗教など決して分かり合えない関係社会から生まれた。

そうかもしれませんね。

>その代表は、西洋社会。>契約絶対の社会も同様で、信用ならない他人(血縁も)と関係を結ぶには契約が欠かせない。>神とも契約関係にある。

我々は、同じ地球村の住民ですからね。どうしても信用が必要です。

>その心情は、日本人には理解できない。

そうですね。言語は、考える時の道具ですからね。言語が違えば、考えられないことも少なくありませんね。

>日本人は、誰もが納得する真実があると考えており、拠りどころとしている。

日本人の世界は一つですからね。ただ一つの現実の世界ですからね。納得させられますね。

>その真実とは、世間の道徳であり、不文律の規範である。

世間とは、島国のことですね。島が違えば、不文律も違う。

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>右翼になろうよ♪ より
>日本人は世間の空気を読めない原理主義が嫌いリンク>日本人は法そのものを理解できない。

法は文章内容ですからね。理解しなくてはいけないですね。日本を教育立国にしたいですね。でも、入試地獄は困ります。

>法は、利害が対立する両者の利害を調整するものだ。>多民族、多宗教の間の決して分かり合えない関係の社会から生まれた。

我々は、小さな地球村の住民ですからね。どうしても相互理解が必要ですね。

>それに対して、日本人は法を真実を明らかにするためのものと考える。

法により真実が明らかになったら、’それがどうした?’・’その真実をどうする?’ ということが問題になりますね。

>日本人にとって真実は必ず一つであり、全員が納得する真実があると考えている。

真実 (現実) は一つですね。しかし、’その真実がどうした’ ということになりますと、個人の意見は一人ひとりで違いますでしょう。

>桝添叩き、安倍叩き、タレントの不倫叩きでは真実を求める。>しかしそれは法ではなく世間の道徳だ。

世間の道徳は、事後法の様なものですか。事後に決められるのですか。

>世間にとって、血筋、家柄、国家権力、独裁者だろうが、関係ない。>彼らも日本人であり世間の一人でしかない。>そして真実は一つであり、何者も逃れられない。

そうですね。同感です。しかし、すべてが真実であって、’それでどうする’ の答えが無いのでは、調査の意味もありませんね。意見が多数あったらどうするのですか。

>いかなる法が作られようが、それが真実を違うなら法を変えればよい。>なぜなら日本人なら真実は一つだから。

真実・現実は一つでも、人の意見は数々あって、個人個人で違うでしょう。

>だから自民党がずっと与党でもなんの問題もない。>彼らも世間の一部でしかなく、世間を見ながら政治を行う。

為政者は、日和見主義ですか。個人に意見の無いのは、問題にならないでしょうか。

>ただリベラルが面倒なのは、西洋かぶれで真面目で、世間の空気をよめない。

真面目に問題はありませんね。’空気が読めない’ とは、忖度 (推察) ができないということでしょう。忖度は、自分勝手な解釈ですからね。論拠のない判断です。理不尽ではありませんか。

>だから日本人をやめて国際人だとかほざいて、調子にのって世間と対立する可能性がある。

国際人は、非国民・外人ということになるわけですね。すると、日本国民・日本人の方は ‘井の中の蛙’ になるのではないでしょうか。

>日本人はキリスト教や左翼など、原理主義的なものが大嫌いだ。

そうですね。日本人は、’正しい作文・正しい解釈’ という語学の道は大嫌いですからね。

>なぜなら同じ日本人なのに、世間の空気を読まず、世間に対抗する。

‘空気を読む’ ということは、忖度 (推察) を働かせることでしょう。忖度は、自分勝手な解釈ですね。その判断に説明責任が取れませんね。’とかく、この世は無責任’ となるでしょう。国がひっくり返っても、その責任者は出て来ない。

>世間とは異なる真実を作ろうとする。

彼らは、世間 (現実) とは異なる未来社会 (非現実) をこの世に実現させようと努力しているのではないでしょうか。


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