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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

大学生のマサ

2017-12-23 13:36:41 | 教育


>どうもこんにちは。現役大学生のマサです。>平成28年度は高等教育機関(大学・短大・専門学校など)への進学率が過去最高の80.0%に達しました。>参考:文部科学省 平成28年度学校基本調査>これによると、大学全体の在学者数は増加しているそうです。少子化が叫ばれているのに、学生の数は増加していて進学率も高まっている。>僕には理由が分かりません。

進学率の高まりは、我々の社会の要求に応えているからではありませんか。

>大学数が変わらず学生数が減っているのなら、入学しやすくなって進学率が高まるのも理解できるのですが、、 >まあそんな難しい話は置いといて、世間では大学進学率が高まっているのは非常に良いことのように言われてますよね。>でも大学って本当に行く意味あるのでしょうか?>どうしても気になってしまったので、自分なりに検証してみます。

あるべき姿 (非現実) を主張すれば、’そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない。’ と反論される。現実は頭の外、非現実は頭の中。両者は、所在が違うので、内容も同じにならない。 だから、 ‘現実=非現実’ の考えは、間違いである。日本語は、現実描写のための言語である。非現実 (考え) の内容は描写できない。だから、日本人は、’考える人’ になる事は難しい。高等教育への進学の意義にも疑問が持たれている。
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>●大学生活の実態
>正直なところ、多くの大学生は勉強がしたくて大学に入ったわけではありません。>これだけは僕の周りの大学生を見て、確実に言えます。

そうですね。それは、以前からそうですね。無哲学・能天気の民には、知的な要求はありませんからね。勉強はいらないが、箔が欲しいのでしょう。

>ほとんどの大学生がバイトやサークルに集中していて、勉強することは面倒なことだと考えています。

そうですね。彼らは勉強に興味がわかないので、キャンパスで暇を持て余しているのでしょう。

>そんな彼らが大学にくるのは単位を取得しないと卒業できないからです。>なんなら授業に出なくても単位が取れそうな講義を常に探し回っています。>これでも一応、国立の大学生ですよ。>偏差値も60以上あります。

偏差値は、知的要求度の指標とは考えられませんね。

(略)
>やる気のない教授のやる気のない授業を受けるよりも、バイトやサークルに行くほうが楽しいでしょう。>僕が通う大学でこのレベルですから、ほとんどの大学はこんな感じだと思います。>だとしたらもうほとんどの学生にとって、大学は勉強をするための場所ではないでしょう。

そうですね。無哲学・能天気の民には、はじめから勉強する場所は必要ないのでしょう。西洋人なら、大人になると ‘考える人’ になる。

>思い切って言います。>大学はサークルやバイトに勤しむための場所です。>大事なことなのでもう1度言います。>大学は仕事をせずにサークルやバイトに勤しむための「言い訳」を与えてくれる場所です。

本当にそうですね。サークルやバイトは、学生の余暇利用ですね。大学は、それ以上ものではありません。

>Q:「大学って本当に行く意味あるの?」

英米の大学にはゆく意味があります。それは、教養が得られるからです。日本の大学には、英米流の価値はありません。でも、我が国の序列社会としての特有の価値が我が国の大学には有ります。

>A:「大学そのものに行くべき意味・価値はほとんどない」「みんなが大学に進学するからといって、あなたも大学に進学しなければいけないわけではない」

日本の社会は、序列社会ですからね。’上とみるか・下とみるか’ の判断は日常的に必要ですね。大学への進学は、自分自身に日本人序列の箔をつけるための手段です。序列順位は日本人の価値感の全てです。ですから、リーズン(理性・理由・適当)に関して意味が無くても在学しているのです。カミ (上) として祀られることが日本人としての全てです。
日本人は、日本語で考える。日本語には、階称 (言葉遣い) がある。言葉遣いは ‘上とみるか・下とみるか’ の判断で使い分けられます。日本人の礼儀作法は、序列作法になっているので、人を見損なってはいけない。世俗の上下を心得ていないと、礼儀正しい日本人にはなれない。だから、社会生活が成り立たない。非国民・外人・棄民にされる。このようなわけで、上下判断は日本人の強迫観念の域にまで達しています。大学進学も日本人にとっての必要悪と言うべきものでしょうかね。

>リンクより



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