>柏木悠斗 ( 技術職 ) 20/03/01 AM02 【印刷用へ】
>京都大学総長であり、霊長類学者でもある山際寿一氏の『「死と生の『間』にいる高齢者の役割』(リンク)より >*********************************
>ゆったりとした時間感覚への気付きを、世の中に与える。 >高齢者はそうした役割を果たしていくと考えています。
高齢者は、体力気力ともに衰えています。時間感覚は短くなりますね。一日はすぐに終わる。
>現代は「タイム・イズ・マネー(時は金なり)」、すなわち、経済の観点から時間をいかに効率よく使うかが求められている。 >とくに都会では「直線」で時間が流れています。
そうですね。人々は時間に追われて仕事をしていますね。
>生産性が何よりも重視されているわけですが、それとは反対のベクトルにいて「円環」な時間を過ごしているのが高齢者です。
そうですかね。そういえば、古代のギリシャ人や昔の日本人も円環な時間を過ごしていましたね。
>若いときのようにがむしゃらに働く必要はなく、ゆとりをもった時間感覚を有している。 >その意味では、存在しているだけで価値があると思います。
そうですね。パンダのようなものですね。
> 意外に思われるかもしれませんが、高齢者の時間の使い方は、霊長類学者として私が研究しているゴリラと似ている部分があります。
それは、珍しい話ですね。
>ゴリラは独りで何でもできる能力をもっているのに、つねに仲間と行動を共にし、プライベートな時間はいっさいない。 >そして、動きの鈍い者に同調します。 > 群れのなかで力のある者が先に進んでも、時間が経つと必ず戻って合流する。 >ゴリラの時間の使い方は、効率や生産性とは対極にあります。
そうですね。
>同様に高齢者も、生産性に追われる私たちの時間感覚に余裕をもたせてくれる存在なのです。 >ゴリラの場合、いつも顔合わせをしているので信頼関係が深く、同調しやすい。 >集団で一致して行動しやすい構造ができているといってもいい。 >もし互いの行動に齟齬が生じても、第三者が仲裁してくれるし、関係を修復しやすいのです。
言語のない世界では、我々人間もそうなるでしょうね。
>ところが、インターネット空間では自分をいくらでも「つくり変える」ことができます。 >20代の男性であっても、少女や高齢者のふりができる。 >バーチャルな世界では相手の真意がつかみにくく、ときには過剰な期待をもってしまう。
騙されやすい世界ですね。夢と希望の内容に確たる存在の裏付けが必要ですね。
>SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上でしばしば炎上が起こるのは、そのようなボタンの掛け違いが背景の一つではないでしょうか。
言語の持つ短所ですかね。
>やはり人間は本質的に、身体を通した表現、遊び方、気持ちを重用しながら関係をつくるべきなのでしょう。
そうかもしれませんね。現実は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。考える必要はない。
>クリエイティビティ(創造性)の観点からいうと、SNSを多用する世代よりもじつは高齢者のほうが、それが備わっている気がします。
過去にとらわれることの少ない若者に創造性が少ないのは残念なことですね。
>人と違った発想をするためには、自らの過去を見つめながら、他人と比較して相対化する時間が必要です。
他人と違った発想であるかどうかは、結果論になるのではないでしょうか。そんなことは気にすることなく若者には自由であってほしい。
>自分の好きな食事や服は何なのか、自分はいったい何者なのか、と内省を深める行為です。>そして、その時間がたっぷりあるのが高齢者なのです。
それはそうですね。
>それぞれ独自の人生を歩み、個性を磨いてきたはずで、そのことに気付く時間的余裕もある。 >現在は均一化の時代であり、SNSの流行に合わせる人が多い。
そうですね。思考を停止している人は、SNSの流行に自分を合わせますね。
>皆が同じような服を着て、音楽を聴き、食事をしている。>そしてハッと気が付くと、自分と相手との差異がわからなくなってしまう。>自分の好きな道を進んでいると思いきや、気付けば他人と同じことをしていた、というのが情報化時代の陥穽といえます。
そうですね。後追い専門の生活ですね。個性のない人の生活ですね。
>そうした平板な時代にこそ、私は「老人力」を活用すべきだと思う。>多様な人生を送ってきた人びとが、自らのアイデンティティに誇りをもち、接し合っている。
老人は変化できませんからね。それが個性的というのかどうかは分かりませんが、役に立ったら幸いですね。
>周囲にそうした高齢者がいれば、その価値観に触れるだけでも、若い世代が受ける刺激は大きいはずです。
そうかもしれませんね。高齢者は年ごとに増加しているのですがね。どうでしょうか。
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