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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

木戸康平氏 2/2

2020-03-15 22:27:35 | 社会

>例えば、今の日本社会を如実に表している事実として非正規と正社員の格差がある。
>そして、非正規で働いている人が、正社員との待遇の差等にいい加減我慢できなくなり、街中で暴れ出した。 

待遇の差が不当なものが存在すれば、それを指摘する必要がありますね。街中に暴れ出すことには意味がない。政治の責任者の責任ですね。

>そういう事件はたまに起きるが、ほとんどの人は時間が経てば忘れてしまう。 >それは何故か? >滅多に起きないからです。 >ただ、そういう事件が毎日どこかで起きているとしたら?その度に被害に会う人が大勢出たとしたら、これはもう国としても社会としても無視できなくなる。 

そうですね。それは政治の問題ですね。政治の責任者の責任ですね。

>非正規で働いている人は、国や企業や社会にとって都合の良い働き方を強いられている面もあり、ある程度憤りが出るのはしょうがないと思うのだけど、そうした事件が連日起きて、日本全国がそうした社会不安に悩まされるとしたら、そして、その原因が非正規という非常に不安定で、待遇が劣っていて、嫉妬や憎悪を抱かせやすい、惨い働き方のせいだとしたら、国は考えるのではないですか? 

そうでしょうね。政治責任者は当然考えるでしょうね。

>その結果、どうなるか?は分からない、国も武力で鎮圧するようになるかもしれないし、事件発生を防ぐために非正規社員の廃止や非正規の働き方の見直しを行うかもしれない。 

そうですね。もしも不合理が存在するならば、社会の指導者は合理の方向に道を開くでしょうね。

>何が「望ましい姿」か?は人によって異なる  

そうですね。ですから常に対話・議論が必要ですね。

> この結果、その後非正規社員の人たちの働き方が大いに改善されたとなれば、彼らが起こした事件というのは、彼らと同じ境遇で生きている人にとっては大いにメリットのある行為だったことになる。 

そうですね。

>国が非正規雇用を認め、企業が積極的に非正規で雇うという現状は、都合の良い労働者を多く確保し、利益を追求するという非常に大きなメリットを生むが、実際に非正規で働かされている人はたまったもんじゃない。 

この件に関しては、専門家の意見を聞くべきですね。

>この状況を改めさせるには、現実問題として武力に訴えるしかないと思うし、クーデターでも起こすしかない。 

人間が家畜小屋のアニマルのようになっているのですね。個人に言論の自由が必要ですね。

>そうなると、犯罪を起こすことを悪とするのが教育の目指す方向であるのならば、少なくともこれらの行為は行うべきではないとなる。 

悪い制度は廃止すべきですね。万機公論に決すべし (天下の政治は世論に従って決定すべきである) 

>ただ、それはすなわち非正規社員はそのまま苦しみ続け、嫉妬や憎悪の感情を抱いたまま我慢して生きろといっているに等しい。 >こういった行為以外で、彼らの状況を改善させるのは困難すぎる。 

それは言論の自由を無視した考え方ですね。

>それは国民の多くが非正規の働き方とは無縁で、ほとんど興味を示さないから。

そうですね。関係のないことには無理解がつきものですね。

>世論の後押しも期待できず、相対的に数の少ない彼らができるとしたら、非合法的な手段しかないのです。

いよいよ政治家の出番ですね。



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木戸康平氏 1/2

2020-03-15 22:03:59 | 社会

>354516 教育と洗脳の違いは?日本の学校教育は洗脳と同義だと思う 
>木戸康平 ( 23 会社員 )  20/03/14 PM09   
>日本で行われている教育は洗脳じゃないか? > 例えば『「教育」と「洗脳」の違いを教えて下さい。』のページには以下の回答が載っています。>特に「あらゆる分野の知識を蓄積させ、論理的思考能力を高め、表現力を涵養するなどして、あらゆる問題を打開してゆく能力を身につけさせることが、例えば「教育」と呼ばれるのではないでしょうか? 」という部分については、なんとなく理解できる気がする。

そうですね。

>ただ、日本で行われている教育ってこれだろうか? >そもそも教育がある種強制的に行われており、かつ学ぶ内容が選べないという意味では、結局洗脳に近いと思うのです。

学問の自由は必要ですね。

>日本社会は個性を発揮しづらいといわれており、教育が施すのは、大人が押し付ける価値観や思想であり、子供に別に価値観や思想を選ぶ余地はほとんどない。 >そういう意味でいうと、洗脳の概念の方に近い気もする。

そうですね。考えの内容は一人一人違っていますからね。子供は価値観や思想を独立に作るべきですね。

>あらゆる分野の知識を蓄積させ、論理的思考能力を高め、表現力を涵養するなどして、あらゆる問題を打開してゆく能力を身につけさせることが、例えば「教育」と呼ばれるのではないでしょうか?  >同じ問題でも人によってアプローチの仕方が違うことは当たり前で、それが社会人としての個性の現れ方です。

そうですね。ですから人間には個性があり、アニマルには個性がないのでしょう。

>それに対して「洗脳」は、ある特定の概念を強引な方法で無理矢理植え付け、そこにおいては個性は無い、ということではないでしょうか? >ある1つの価値観や思想を植え付けるのは洗脳も教育も同じ 

価値観や思想は本人が自ら作るものですね。お仕着せは良くないですね。そうでなければ自主・独立の人間は生まれませんね。

>例えば、道徳の授業で「犯罪はいいこと」なんてみんなの前で発表したり、文章に書いて提出したら、教師に呼び出されるでしょう。

そうですね。意思のある人には、加害者意識を体験します。深刻な場合はそれが罪の意識になって深く本人を傷つけることになります。ですから罪の意識から抜け出す方策が必要です。贖罪の宗教 (キリスト教) がその助けになります。
だが、日本人には意思がない。だから、罪の意識はあっても軽い。深刻なものにはならない。贖罪の為の宗教も流行らない。意思 (will) は、未来時制の文章内容である。しかし、日本語には時制 (tense) というものがないから、日本人には意思の表現が困難である。だから、意思は想定外になっている。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. dtqkue日本人は、無為無策の状態でいる。だから、おとなしい。

>そのまま放置はされないと思う。>そして、何を言われるか?分からないが、そこでその児童や生徒の考え方を矯正しようとするはずです。 >これは洗脳に近いと思うのです。

教育にはリーズン (理性・理由・適当) が必要ですね。児童や学生にはリーズナブルな答えを求めるべきでしょう。

>先ほど述べた教育における「望ましい姿」という中に、国家や社会にとって反逆的な存在を生み出さないというのが、1つの目的として存在するとしたら、あれはある意味望ましい姿を目指していると言え、教育と呼べないこともないかもしれない。
>ただ、じゃあ、その児童や生徒のいう「犯罪はいいこと」という主張をどう覆せるか?が問題なのです。 

罪を感じる言動は良いことではありませんね。
 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

>つまり、犯罪が起きた方がむしろ国家にとって、社会にとって良いこと、プラスの影響があったとしたら、どう教師は反論するのか? 

その解決には、児童・学生間の対話・議論が必要ですね。教師は助言をする程度がよろしいと思います。  


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