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自然科学 2/2

2020-03-13 04:56:47 | 社会

>誰でも子供のころには自然現象の不思議さを感じ、理科へのあこがれみたいなものを感じるものですが、少し大きくなると理系嫌いが多く出てくる理由はまさにここにあるのではないかと思います。

理系嫌いは、詰め込み教育のせいでしょうね。大人になっても説明できない自然現象は幾らでもあるでしょう。

> 要するに、本来の『自然科学』の本質である自然現象の謎(人間の素直な「なぜだろう?」という思い)の完全解明ではなく、高等数学と思考実験やシュミレーションによるつじつまわせでのHowの追求ばかりと、そういうところからでてきたいかにもエレガントで美しい理論について間違っているはすがないと言う強い思い込みから、それに反するような実験・観測データが出て来ても、実験観測者自身がデータ不備と思い込んでしまったり、そうではなくても「そんなはずはない」として無視するか、無視できなくなると、少しの修正でいいはずとまたもや次のつじつま合わせ補正を行うだけ・・・  

何事も現実直視が大切ですね。辻褄合わせができない場合には、空想・妄想になりますね。わが国は、お陰様で漫画・アニメの大国になりましたね。

> そうやって、基本的教科書定説には一片の疑いも持たず、その線上でせいぜい修正だけ追求しているのが、現在の『自然科学』と称されているものです。 

誰しも疑いを持つと良いですね。そうすれば科学は進歩するでしょう。

> 私は自然現象の中で多くの人間が目撃しているもの、一部の方達が目撃体験しているものを含めて『現代定説科学』で説明できないものが数多くあることを無視して逃げてすませるのでなく、もっと真剣に捉え、その中で、説明できないなら現在の基本的教科書定説理論自体にも誤りがあるのではないかという疑念を素直に抱いて、別の方面からの研究をするような学者が自然に出てくるような科学界になって欲しいと思うのです。 

高等教育は哲学 (考え) ですからね。自然現象以外に関する考えも重要ですね。各分野において自己の哲学を発展させれば、その人は学士・修士・博士と進むことができるでしょう。大切なのは暗記ではなくて、自己の哲学の建設です。無哲学・能天気の学生は、大学在学中の四年間を遊んで過ごさざるをえないでしょうね。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy. 
わが国は、無哲学・能天気の国ですから、英米流の高等教育は国民の体質に合わないのでしょうね。 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク) 

> 基本的教科書定説理論は神聖にして犯すベからずというような現代科学アカデミズム体制ではいつまでも「全ての自然現象」は解明されないままで終わり、あいかわらず理科離れは進むばかりであり、そして、科学の発展の行き先は暗いと思います。

そうですね。非現実 (考え) の内容は人によりまちまちですからね。矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを示しています。ですから、我々は ‘考える人’ にならなくてはなりません。

> 高等数学をあやつって脳内高等ゲームに興じているだけで楽しい方達はそれでいいのかもしれませんが私はそこには真の自然科学という学問的価値を見出せません。

自然科学は、自然現象に辻褄を合わせて見せる学問 (遊び) ではありませんか。それ以外の考えは、それ以外の哲学になります。

> 本来あるべき『自然科学』の本質に戻り、観察目撃者数の多少に係わらず『全ての自然現象』先入観を捨てて素直な気持ちで着実な実験観測と出て来たデータを勝手な先入観で取捨選択せず素直に捉えて完全解明していくという風になって欲しいと切に願うのですが、どうやら当面は(地球では永遠かも)無理なようですね。 

我々は、自然現象以外に関する考えも考えの対象にしているのではないでしょうか。 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

> 引用ここまで


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自然科学 1/2

2020-03-13 04:26:43 | 社会

>匿名希望             20/01/29 AM09 【印刷用へ】  >『自然科学』って何だろうか/リンクより引用 >* * * * * 
>『自然科学』って一体全体何でしょうか? 

それは、自然現象に関する個人の考え (非現実) でしょうね。

>wikipediaには >>科学的手法により一般的な法則を導き出すことで自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称<< と書かれています。 

そうなるでしょうね。自然科学は、自然に関する実験と観察を対象とする哲学ですね。

>しかし、この説明、ちょっと見は当然のように見えますが、今の私には少々違和感を感じています。 >そもそもなぜ『自然科学』という学問が生まれたのでしょうか? 

それは自然現象を見て不思議に思う人がいたからでしょう。というよりも、不思議なことばかりですね。

> 昔から人間が共通認識として自然現象に対して感じた不思議さを解明したいという自然の欲求から必然的に生まれた学問ではないでしょうか? 

自然現象に関する各人の思い付きですね。

>そして、地球生物の中で唯一『人間』のみがなしてきたものであり、得られた知見から多くの『科学技術』が生まれ、人間にとって計り知れないほどの恩恵を与えてきています。 

そうですね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

>勿論、兵器のような人間にとってあだになってしまった技術さえも生んでしまいましたが・・・ 

それは考えの使い方によりますね。

> いずれにしろ、本来『自然科学』は『全ての自然現象の謎』を解き明かす学問のはずではなかったでしょうか?  

そうですね。自然現象は無限ですね。解き明かすことができたら大したものですね。

>で、そう言うと恐らく、皆さんは「そんなことは当たり前だ」と言うでしょうが、実際を見て見ましょう。 >本当に現在の自然科学はそうなっているでしょうか? > 私がWikipediaの説明に違和感があると感じているのは、冒頭の『科学的』という言葉です。 > 私がこのコーナーを作った目的でもあり、再三書いてきたのですが、アマチュアゆえに感じてしまっている現代科学のあり方への捨てがたき疑念からこの『科学的』という語彙に一種の反発を覚えてしまっているのです。 > 現在の『科学的』という言葉は、科学アカデミズムの世界で、既に確立した真理だと学者が信じている教科書定説理論に沿うことのみを意味しているようです。 

科学には、自然現象に関する大切な考え (哲学) が羅列されていますね。科学に関する考えは、科学哲学になる。政治に関する哲学は政治哲学になる。歴史に関する哲学は、歴史哲学になる。宗教に関する哲学は、宗教哲学になる。などなど。無哲学の国の人は能天気になる。

>ですから、それとは異質のものはたとえ実際にあっても「そんな自然現象はない、嘘だ。とんでもだ。」とはなから無視またはそれを言う人へのひどい人格攻撃までなされています。

現実直視がなされていませんね。現実の内容は見ればわかることですね。Seeing is believing. 考える必要はない。答えは一つです。楽ちんです。

>しかし、これこそ、本末転倒ではないでしょうか? 

そうですね。科学には、実験・観察が大切ですね。

>私が前述で『全ての自然現象の謎』と言いましたが、現代科学は、確立したとされている理論で説明可能と思う自然現象のみが自然現象だと勝手に決めつけ、それ以外は幻としてしまっている『ご都合主義的選択的』自然科学になり下がってしまっている気がしてなりません。 

自然現象以外は、自然現象でなくても何の矛盾も無いでしょう。人生に関する考えは、人生哲学であっても良いのではありませんか。

>そして、本来は『自然現象の謎』を解明するのが本質なのに、曖昧なところがあっても「つじつまがあっていればそれでよい」というスタンスで「できないからそれ以上そこは深入りしない、する必要性はない」というのが「あきらめればわかる」という言葉に如実に現れているのです。 

考えの内容は人様々ですからね。矛盾のない文章は全て正しい考えを示しているでしょう。辻褄が合わなければ考えではない。既存の解釈の辻褄の合わないところを指摘して自己の正しい考えを示せば科学の進歩に貢献できます。

>そういう意味では、私は『自然科学』はその歴史において本来の筋からずいぶん変節してしまったという気がしています。 

矛盾が指摘されて、新しい考えが出てきますね。ですから、科学は頭の中で限りなく進歩するでしょう。 



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