>誰でも子供のころには自然現象の不思議さを感じ、理科へのあこがれみたいなものを感じるものですが、少し大きくなると理系嫌いが多く出てくる理由はまさにここにあるのではないかと思います。
理系嫌いは、詰め込み教育のせいでしょうね。大人になっても説明できない自然現象は幾らでもあるでしょう。
> 要するに、本来の『自然科学』の本質である自然現象の謎(人間の素直な「なぜだろう?」という思い)の完全解明ではなく、高等数学と思考実験やシュミレーションによるつじつまわせでのHowの追求ばかりと、そういうところからでてきたいかにもエレガントで美しい理論について間違っているはすがないと言う強い思い込みから、それに反するような実験・観測データが出て来ても、実験観測者自身がデータ不備と思い込んでしまったり、そうではなくても「そんなはずはない」として無視するか、無視できなくなると、少しの修正でいいはずとまたもや次のつじつま合わせ補正を行うだけ・・・
何事も現実直視が大切ですね。辻褄合わせができない場合には、空想・妄想になりますね。わが国は、お陰様で漫画・アニメの大国になりましたね。
> そうやって、基本的教科書定説には一片の疑いも持たず、その線上でせいぜい修正だけ追求しているのが、現在の『自然科学』と称されているものです。
誰しも疑いを持つと良いですね。そうすれば科学は進歩するでしょう。
> 私は自然現象の中で多くの人間が目撃しているもの、一部の方達が目撃体験しているものを含めて『現代定説科学』で説明できないものが数多くあることを無視して逃げてすませるのでなく、もっと真剣に捉え、その中で、説明できないなら現在の基本的教科書定説理論自体にも誤りがあるのではないかという疑念を素直に抱いて、別の方面からの研究をするような学者が自然に出てくるような科学界になって欲しいと思うのです。
高等教育は哲学 (考え) ですからね。自然現象以外に関する考えも重要ですね。各分野において自己の哲学を発展させれば、その人は学士・修士・博士と進むことができるでしょう。大切なのは暗記ではなくて、自己の哲学の建設です。無哲学・能天気の学生は、大学在学中の四年間を遊んで過ごさざるをえないでしょうね。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy.
わが国は、無哲学・能天気の国ですから、英米流の高等教育は国民の体質に合わないのでしょうね。 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
> 基本的教科書定説理論は神聖にして犯すベからずというような現代科学アカデミズム体制ではいつまでも「全ての自然現象」は解明されないままで終わり、あいかわらず理科離れは進むばかりであり、そして、科学の発展の行き先は暗いと思います。
そうですね。非現実 (考え) の内容は人によりまちまちですからね。矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを示しています。ですから、我々は ‘考える人’ にならなくてはなりません。
> 高等数学をあやつって脳内高等ゲームに興じているだけで楽しい方達はそれでいいのかもしれませんが私はそこには真の自然科学という学問的価値を見出せません。
自然科学は、自然現象に辻褄を合わせて見せる学問 (遊び) ではありませんか。それ以外の考えは、それ以外の哲学になります。
> 本来あるべき『自然科学』の本質に戻り、観察目撃者数の多少に係わらず『全ての自然現象』先入観を捨てて素直な気持ちで着実な実験観測と出て来たデータを勝手な先入観で取捨選択せず素直に捉えて完全解明していくという風になって欲しいと切に願うのですが、どうやら当面は(地球では永遠かも)無理なようですね。
我々は、自然現象以外に関する考えも考えの対象にしているのではないでしょうか。 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
> 引用ここまで
.