(1/2の続き)
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>それは、一貫して現実を対象化してきた生物の摂理に反する狂った観念です。
そうですね。アニマルには現実だけしかありませんからね。
人間には言語がありますから、考え (非現実) の内容もありますね。ですから、人間の全ての能力が他のアニマルと同次元にはなりませんね。
> 新しい可能性の実現に向かうべき現代、常に架空世界に向かうその思考ベクトルは、役に立たないだけでなく、人々を思考停止状態に陥らせ、無能化させ続けています。
非現実 (考え) の内容を利用できないと、精神的な生活の向上は望めませんね。人間も思考停止の状態になってしまいますね。
> 今、求められるのは、現実を対象化した事実の認識。 >それをみんなで追求するのが探求科です。
現実に非現実 (考え) を組み合わせて理解することが必要ですね。これが我々の生活をさらに豊かにする方法 (仕方) でしょう。
> 3.学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや監獄に近い
> もはや役に立たなくなった勉強に対して、子供たちの肉体的な拒絶反応が急激に上昇してきたのは当然です。
そうですね。お仕着せによる弊害ですね。
>しかし、もともと学校は徴兵制の一環として作られ、軍隊をモデルにしています。
そうですね。義務教育は ‘富国強兵’ 策の一環をなしていましたね。
>つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っています。
皇民化教育という洗脳教育ですね。暗記力を高め、思考力を無視しましたね。
>従って、子供たちの拒絶反応に対しても、教師たちは専ら強権を行使して宿題やテストをやらせるしかありません。
全てが上意下達でしたね。
>こうして、学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや学校はどうにもならなくなっています。>しかも、この悪循環の中では、志のある教師から辞めてゆくので、教師の質も年々劣化しています。
愚民化教育の落ち行く先ですね。
>それに対して、まずは意欲と追求心を喚起し、その活力と追求力をもって成績を上げてゆくのが幼小科や探求科や本科です。
日本人には意思が必要ですね。暗記力に代わる思考力が必要ですね。
> 4.学校は現実から隔離された閉鎖空間
> 赤ん坊は好奇心と追求心の塊で、みんな天才です。 >例えば言葉も、周りと一体化したい一心でひたすら周りの真似をして吸収していきます。 > 次の10才までの子供の仕事は遊びです。 >実は、一昔前まで、子供の遊びは、ほとんどが大人の仕事の真似ごとでした。 >それは哺乳類の本能だからで、例えば子犬のじゃれ合いも、狩りの予行演習になっています。 >つまり、遊びは仕事に直結しており、遊びを通じて仕事に必要なすべての能力が形成されてゆきます。
そうですね。子供の ‘遊び’ は則ち ‘学び’ ですね。
>それに対して学校は、仕事をはじめとする現実の圧力から隔離された(生物にとって)極めて異常な空間です。
真の圧力ではなくて、造られた圧力ですね。
>これでは、仕事能力をはじめ、現実世界を生き抜いてゆくのに必要な能力が、ほとんど形成されません。
そうですね。
> 生き抜いてゆく上で本当に必要な力を形成する場が、遊学舎、幼小科、探求科や仕事塾、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎“全日制の類学舎”です。
生きてゆくための力が形成されると良いですね。
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