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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

岡田淳三郎氏 2/2

2020-03-25 06:24:05 | 社会

(1/2の続き)
 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>それは、一貫して現実を対象化してきた生物の摂理に反する狂った観念です。

そうですね。アニマルには現実だけしかありませんからね。
人間には言語がありますから、考え (非現実) の内容もありますね。ですから、人間の全ての能力が他のアニマルと同次元にはなりませんね。

> 新しい可能性の実現に向かうべき現代、常に架空世界に向かうその思考ベクトルは、役に立たないだけでなく、人々を思考停止状態に陥らせ、無能化させ続けています。

非現実 (考え) の内容を利用できないと、精神的な生活の向上は望めませんね。人間も思考停止の状態になってしまいますね。

> 今、求められるのは、現実を対象化した事実の認識。 >それをみんなで追求するのが探求科です。

現実に非現実 (考え) を組み合わせて理解することが必要ですね。これが我々の生活をさらに豊かにする方法 (仕方) でしょう。

> 3.学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや監獄に近い
>  もはや役に立たなくなった勉強に対して、子供たちの肉体的な拒絶反応が急激に上昇してきたのは当然です。 

そうですね。お仕着せによる弊害ですね。

>しかし、もともと学校は徴兵制の一環として作られ、軍隊をモデルにしています。

そうですね。義務教育は ‘富国強兵’ 策の一環をなしていましたね。

>つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っています。 

皇民化教育という洗脳教育ですね。暗記力を高め、思考力を無視しましたね。

>従って、子供たちの拒絶反応に対しても、教師たちは専ら強権を行使して宿題やテストをやらせるしかありません。

全てが上意下達でしたね。

>こうして、学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや学校はどうにもならなくなっています。>しかも、この悪循環の中では、志のある教師から辞めてゆくので、教師の質も年々劣化しています。

愚民化教育の落ち行く先ですね。

>それに対して、まずは意欲と追求心を喚起し、その活力と追求力をもって成績を上げてゆくのが幼小科や探求科や本科です。

日本人には意思が必要ですね。暗記力に代わる思考力が必要ですね。

> 4.学校は現実から隔離された閉鎖空間
> 赤ん坊は好奇心と追求心の塊で、みんな天才です。 >例えば言葉も、周りと一体化したい一心でひたすら周りの真似をして吸収していきます。 > 次の10才までの子供の仕事は遊びです。 >実は、一昔前まで、子供の遊びは、ほとんどが大人の仕事の真似ごとでした。 >それは哺乳類の本能だからで、例えば子犬のじゃれ合いも、狩りの予行演習になっています。 >つまり、遊びは仕事に直結しており、遊びを通じて仕事に必要なすべての能力が形成されてゆきます。

そうですね。子供の ‘遊び’ は則ち ‘学び’ ですね。

>それに対して学校は、仕事をはじめとする現実の圧力から隔離された(生物にとって)極めて異常な空間です。

真の圧力ではなくて、造られた圧力ですね。

>これでは、仕事能力をはじめ、現実世界を生き抜いてゆくのに必要な能力が、ほとんど形成されません。 

そうですね。

> 生き抜いてゆく上で本当に必要な力を形成する場が、遊学舎、幼小科、探求科や仕事塾、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎“全日制の類学舎”です。

生きてゆくための力が形成されると良いですね。


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岡田淳三郎氏 1/2

2020-03-25 06:02:42 | 社会

 
>348828 もはや学校は終わっている(その4つの理由) >岡田淳三郎 ( 70代 大阪 経営 )  19/08/26 PM09 【印刷用へ】 
>1.もはや「いい生活⇒いい大学」では意欲が湧かない 
 
そうですね。‘いい’ の内容が問題でしょうね。
 
> みんな貧しかった頃は、誰もが「いい生活」を求めて、私権(お金や地位)の獲得に向かいましたが、豊かになり物が有り余る時代になると「いい生活」はもはや目標にならなくなり、私権獲得の活力はどんどん衰弱していきました。 >そうなると、私権を獲得するための地位=学歴の価値もどんどん下がってゆきます。
 
そうですね。昔は ‘いい生活’ とは、金に余裕のある生活の事でしたね。しかし、今日でも人間には良い生活が無くなった訳ではないでしょう。
 
>今や学歴を採用や昇進の基準にしているのはよほど古い体質の時代遅れな企業だけで、将来性のある先進的な企業で学歴を基準にしている企業など既にありません。
 
そうですね。企業活動と学歴は関係がありませんからね。日本の高学歴は教養の指標にもなりませんね。
 
> 学校や塾は相変わらず学歴・成績第一と脅し続けていますが、騙されてはなりません。
 
そうですね。わが国は序列社会 (縦社会) の国ですから、それ相応の意味はあるのでしょうね。しかし、外国では通用しないわが国独特の意味でしょうね。
 
>現実を直視してください。 >子供に必要なのは、何があっても生き抜いていく力であり、成績ではありません。
 
そうですね。序列順位が成績であっては生き抜く力は得られませんね。絶海の孤島で生き抜く力が必要ですね。
‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
 
> 2.学校の勉強は役に立たない
> それは実社会に出て誰もが思うところですが、なぜ役に立たなくなってしまったのでしょうか? 
 
実社会で役立つのは実学 (技術) ですからね。実業学校を卒業したほうが良いでしょうね。
 
>日本が豊かさを実現したのは50年前。
 
そうですね。持ち前の勤勉さと細工物の仕上がりの良さが外国人に認められて日本は豊かな国になりましたね。
 
>その時同時に、豊かさの実現へと人々を導いてきた西欧観念も見捨てられ、それ以来、無思想・無気力・無関心が広がり続けて、今や日本人の活力はどん底(世界最低ランク)まで下がってしまいました。
 
日本人は実学の道に自信を得ましたね。西洋観念なしでやっていけることに確信を得ましたね。 
 
>ところが、学校は相変わらずとうに見捨てられ何の役にも立たなくなった西欧観念を教え続けています。 >これでは、勉強意欲がわかないのも当然です。
 
西洋哲学は、日本人にとっては ‘猫に小判’ ・ ’豚に真珠’ ですからね。無哲学・能天気では勉強意欲は湧きませんね。
 
>それに対して、遊びや仕事を通じて意欲と追求心を再生していくのが遊学舎、幼小科、探求科や仕事塾、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎:全日制の類学舎です。
 
成功すると良いですね。
 
> 2’.西欧科学と西欧思想は狂っている
> しかし、西欧観念が見捨てられた真の理由は、西欧観念が孕む重大な欠陥にあります。
 
それは日本人の誤解でしょうね。日本人は現実の内容しか頭に入りませんからね。心ここにあらざれば視れども見えず。(大学)
 
>例えば、西欧科学が後のことをまったく考えずに作るだけ作って至る所で環境を破壊することになったのは、目先の利益しか考えず、それ故に常に都合の良い(都合の悪い事象は捨象した)公式を頭の中だけで作ってきたからです。
 
それはありますね。
 
>また、自由・平等・博愛も、頭の中だけの綺麗ごとです。
 
そうですね。日本語は現実の内容を ‘考え・伝える’ 為の言葉でしょう。
自由・平等・博愛は、非現実 (考え) の内容ですから、日本人にとっては綺麗ごとでしかありませんね。 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
 
>このように、教科書を貫く西欧科学と西欧思想は、現実から目をそらした架空観念(頭の中だけの綺麗事)に過ぎません。
 
現実直視は必要です。その上に、非現実 (考え) の内容も必要でしょうね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。Seeing is believing. 答えはただ一つである。考える必要はない。楽ちんである。  
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。その内容を知るには文法に従って文章を理解しなくてはならない。これは骨の折れる作業である。だから、日本人は、通常、理解はしない。その代わりに忖度 (推察) している。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文章は全て正しい考えを示している。考えの内容は人により違っている。だから、正解は一つではない。幾らでもある。考えのない人は、軽薄である。現実の内容の奥に考えがない。
(2/2に続く)
 
 
 
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