gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

管理されたい病 3/3

2020-10-03 03:44:00 | 文化

 

>  過去の「エイズ・パニック」によって引き起こされたエイズ患者への差別や偏見、ハンセン病患者の隔離政策や家族への陰湿で執拗な誹謗中傷などは、科学的データや客観的事実に基づいたものではない。 

 

そうですね。日本人には科学哲学は苦手ですからね。だが、各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.     

 

>すべて「よくわからないけれど、日本社会全体にとって害になるのは間違いないから、とりあえず排除しておいた方が安心だろう」という、極めて雑で排他的な「空気」に流されて発生してきた。  

 

そうですね。気分・雰囲気・感情に支配されていますね。人心を一新するのですね。改元のようなものか。   

 

>そして、筆者が何よりも「いつかきた道」だと感じるのが、やはり外出禁止や強制休業の法制化を望む人たちが、これほど多くいるという事実である。 

 

一億一心’ に大きな期待がかかっていますね。考えの内容は人様々であるということは考えられないのでしょうね。     

 

> 「投書階級」が日本のために、「もっと厳しく管理しろ」「個人の自由を制約せよ」と強く求めたように、日本のために「もっと厳しく外出禁止をしろ」「強制的に休業させろ」と求めているということは、すでに「民意の暴走」が始まっているということではないのか。 

 

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となるからである。だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’のままでいるのが良いということになる。 日本人は昔からそれほど変わっていない。

 

>  実際、「民意」が暴走できる環境も整いつつある。 

 

日本人の場合は、’民意’ は意思決定 (理性判断) ではなくて、恣意決定 (盲目の判断) ですからね。後は、暴走するしかありませんね。  

 

>タイミングが悪いアベノマスクや給付金、ピークアウト後の緊急事態宣言発動などで、安倍政権の支持率はガタ落ちだ。 >ということは、今後政権が支持率の浮上を目指すなら、人気取りのために「民意」が求める政策から優先的に手を付けるということが起きかねない。

 

そうですね。個人主義がない。個人の考えを選択する意欲が国民に存在しない。わが国は指導者不要の政治体制になっています。

 

> 「今回はうまく乗り切ったが、第二波がきたら何十万人もの人が死ぬ恐れがある」などと恐怖を煽れば、今の社会ムードの中では、外出禁止や強制休業に関する法整備だって、それほど激しい世論の反発にあうことなく、しれっと進められてしまいそうだ。

 

そうですね。 日本人には意思がない。だから、他人の指示がないと動きが取れない。だから、自ら ‘指示待ち人間’ となって安心しようとしている。 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には ‘他力本願・神頼み’ である。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

> Tweet

 

 

 

.

 

 

 


管理されたい病 2/3

2020-10-03 03:09:14 | 文化

 

>「投書階級」のように、自分たちの価値観に合わないものを「社会にとって害だ」と排除し始める。  

 

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン) 

無哲学・能天気な人たちが自分たちの価値観を主張することには問題がありますね。   

 

>たとえば、当時戦争に反対する「非国民」を一般市民が棍棒を持って追いかけ回して袋叩きにする、という事件が珍しくなかったが、それは軍部に命令されたわけではなく、市民たちが自発的に行ったことなのだ。 

 

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ であるから、社会にとって害である。そこで、’もっと厳しく統制しろ’ ということになる。       

 

>  こういうムードが極限まで盛り上がると、やがて国民は公権力に対して求め始める。>「日本のために秩序を乱す者たちを、もっと管理しろ」「もっと厳しく統制しろ」と――。 >  これが、日本が全体主義へのめり込んでいったプロセスである。

 

恣意的な人間同士の不信感ですね。  

 

> 「陸軍のエリートが暴走した」「軍を抑えられなかった政治家が悪い」「マスコミが戦争を煽った」などといろいろ言われるが、やはり「全体」というだけあって、日本社会がおかしな方向に流れても誰も止められなかった最大の原因は「民意の暴走」にあるのだ。

 

民意は民の意思ではなくて、恣意ですね。ブレーキのない機関車による暴走のようなものですね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

>  そして、今回のコロナによって、我々はこの「いつか来た道」をまた進んでいる恐れがある。 

 

そうですね。日本語の文法は変わらない。日本人には批判精神がない。だから、歴史をただ繰り返す。   

 

>  ご存じのように、日本のコロナ感染者数や死者数は、他の東アジア諸国とともに、欧米などと比べものにならないほど少なく抑えられている。>しかも、そんな日本のコロナ収束は、緊急事態宣言による外出自粛や休業要請による効果ではないことがわかってきている。>  大阪府の専門家会議で、大阪大学核物理研究センターの中野貴志センター長が指摘しているように、政府の専門家会議で「今のまま対策を取らなかったら42万人が死にます」と警鐘を鳴らしていたとき、実はすでに感染はピークアウトを迎えていた。>  つまり、科学的データや客観的事実を踏まえれば、現時点で外出禁止や強制休業といった法整備の必要性は、これっぽっちもないのである。>  しかし、「民意」は外出禁止や強制休業の法整備を求めている。 

 

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。 (ウスビ・サコ)   

 

>論理的に考えてそのような結論になったわけではなく、ルールに従わない輩にペナルティを与えないと「社会全体にとって害になる」「真面目に自粛していた人間がバカを見る」という、極めて雑で排他的な「空気」に流されているのだ。 

 

そうですね。我が民族の伝統ですね。‘一億総玉砕’ の精神ですね。  

 

>  こうなったときが、日本人は一番恐ろしい。 

 

そうですね。民族滅亡の瀬戸際ですね。   

 

 

.

 

 


管理されたい病 1/3

2020-10-03 02:50:09 | 文化

 

>357992 コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度  >吉 四六 ( 会社員 )  20/06/27 PM11 【印刷用へ】  >リンク

>(前略)

>  自分たちのイデオロギーに合わないものを「社会全体にとって害になる」と叩いて排除するというのは、全体主義に毒された人たちに見られる典型的な症状だからだ。 

 

ご唱和の世界に住んでいる人たちの症状ですね。  

 

>  わかりやすい例が、戦前・戦時中の「娯楽統制」だ。 >  みなさんの多くは、戦争中の映画やラジオ、演劇や落語などの大衆娯楽は、軍部による厳しい検閲によって弾圧された、というイメージを持っているはずだ。 >実際、テレビドラマや小説などでも、よくそういう話が描かれている。 

 

そうですね。厳しい検閲ですね。   

 

>  しかし近年の研究では、そういう単純な構図ではないことがわかってきている。  

 

日本人には意思がないですからね。だから、能動がなくて受動ばかりの人間ですね。責任の所在がはっきりしませんね。     

 

>金子龍司氏の「『民意』による検閲―『あゝそれなのに』から見る流行歌統制の実態」(日本歴史 2014年7月号)によれば、さまざまな検閲の後押しをした可能性のある「投書階級」という人々がいたことがわかっている。>といっても、この人々は何かの専門家ではなく、その正体は会社員、官吏、教員といった普通の市民だ。> 彼らはラジオから流れる曲が西洋クラシックだったりすると、「日本精神に反する」と怒りの投書をした。 

 

自己の気分・雰囲気・感情を書いて投書するのですね。我が民族の伝統である歌詠みのようなものですね。   

 

>流れる軍歌の歌詞が流行歌っぽいタッチのものだと、これまた「下品だ」とブチギレて投書をした。 >  要するに、令和の日本で木村花さんをSNSでネチネチとイジめた人々や、CMに不倫タレントが出ていると企業にクレームを入れるような人々とそれほど変わらないことを、80年以上前の日本人もやっていたというわけである。 

 

それは我が民族の伝統的な習慣によるものでしょうね。   

 

> 戦時中に国家権力を動かしていた「投書階級」という人々の存在 >  事実、SNSの攻撃でCMが放映中止に追い込まれたりするのと同じで、「投書階級」の影響も凄まじいものがあった。 

 

我が民族の伝統は変わりませんね。わが国では、万葉の時代から上から下まで皆が歌を詠む。   

 

>1938年にラジオ局に寄せられた投書は約2万4000件で、番組編成に影響を与えたという。 >それはつまり、このような「投書階級」たちの「社会全体にとって害になる」という主張を受けて、検閲当局も動いていた可能性があるということだ。 

 

日本人の知識人には問題がありますね。問題は彼らが無哲学・能天気であることです。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)    

 

>  現代人の歴史認識では、軍部が勝手に1人で暴走を始めて、国民の反対を押し切って娯楽や言論を統制していったというイメージが強いが、当時の新聞報道などを見れば、現実はそうではないことがわかる。>  まず、言論統制される以前から、新聞やラジオというマスコミは自ら進んで戦争を煽っていた。

 

マスコミの扇動がお金儲けにつながったのですね。  

 

>軍の発表を盛りに盛って、「爆弾三勇士」などの戦争美談をふれ回った。>「そうしろ」と命令されたわけではなく、愛国心を刺激するコンテンツが読者やリスナーに圧倒的にウケたからだ。  

 

熱しやすくて冷めやすい大衆は容易にのぼせ上ったのですね。  

 

>  そして、 この「愛国コンテンツ」を連日のように見せられた国民が、暴走を始める。 

 

 勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 (ヘルマン・ゲーリング)。   

 

 

.