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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

足りない視点 3/3

2020-10-09 14:35:47 | 文化

 

>チュートリアルでは、クラスメートの存在や教授からの「なぜその結論になったの?」という問いかけのおかげで、「なぜあなたはそのテーマに興味があるのか?」といつも自分の根源について問いかけられているような気になったものでした。 >この思考のプロセスを繰り返すうちに、私は「理解や答えはある日、突然湧き出てくるものではない」ということに気がつきました。 

 

そうですね。高等教育にはテーマに対する本人の興味が重要な役割を果たしますね。 ですから、入試の面接試験 (interview) は非常に重要になりますね。   

 

>ひらめきが何千回、何万回もの地道な情報収集と試行錯誤の末にやってくるのと同じで、「考える」作業も、成功体験を一つひとつ積み重ねていくことで、新しい答えやオリジナルな答えに到達します。>つまり、「理解する」ということは、思考と洞察の「積み上げ」によってもたらされるのです。  

 

そうですね。わが国の学生運動の委員長には新しい答えやオリジナルな答えは出ないでしょうね。 

 

>かつてアインシュタインは、「大切なのは、疑問を持ち続けることだ。>神聖な好奇心を失ってはならない」と言いました。 

 

そうですね。子供でも ‘なぜ・なぜ’ と大人に向かって質問を繰り返していますね。あの態度が一生を通じて我々には必要でしょうね。   

 

>彼の言うように、この変化の激しい時代において力になるのは、疑問や好奇心を通じて自分自身への理解を深めることであり、同時に、他者と意見を交わしながら、丁寧に目の前の課題に対して向き合っていくプロセスです。

 

そうですね。他者と意見を交わしながら現実直視を続けることが力になりますね。   

 

>オックスフォードでの体験によって、私は答えのない課題に向き合うための「メンタリティー」と「考え方の軸」を構築することができました。

 

そうですね。それは幸運でしたね。英米への海外留学は役に立ちますね。台湾の蔡英文総統も国立台湾大学法学部卒、コーネル大学法学院法学修士、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得していますね。

 

>とはいえ、現在学校に通っていない方は普段の生活や仕事をしていく中で、自分自身でどのように課題に向き合っていけばいいか、理解を深めていけばいいか、イメージしにくいかもしれませんね。 

 

そうですね。プロフェッサーによるチュートリアルが必要ですね。それがなければ、我々は無哲学・能天気な人間にとどまるでしょうね。       

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。時制を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観を持つことも出来、批判もできます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。できれば留学して英語で日常会話が話せるようにすることが国際人なる近道ですね。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ています。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話であります。

 

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)

 

著者は、日本人の知的低水準の問題を指摘しています。官僚もそれを認めています。国民が官僚にすがらなくてはならない事情もよく説明されています。政治家でも政治哲学がない。無哲学・能天気では、英米流の政治は成り立ちません。有識者・知識人は、英語に基づく考え方をも理解しなければならない時代になっています。日本病の原因療法を深く理解する必要がありますね。役人が日本をしょって立つのは対症療法でしかありません。   

 

> (後略)

 

> 引用:リンク  >「東洋経済ONLINE

 

 

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足りない視点 2/3

2020-10-09 14:01:33 | 文化

 

>①これまでの論点を言語化し、整理する

>毎週新しいテーマに関する文献を大量に読むことによって、テーマを理解して言語化し、論点を整理します。   

 

それは大切な勉強ですね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。   

 

>何十年、何百年もかけて積み上げられた先行研究の内容を「自分の言葉」で表現する作業です。 

 

古今東西の文献に目を通すことは専門家の下調べですね。   

 

>それをもとに、いままでに何が明らかになっていて、どんな課題があるのかという点について、自分なりの結論を出して小論文にまとめます。 >オックスフォードではこの作業を1年間で8週間×3学期=計24週間繰り返します。

 

大学院生は大忙しですね。   

 

>②不明確な点を明確にする

>完成した小論文を教授に提出すると、チュートリアルが始まります。 >教授によく聞かれたのは、「それはどういう意味?」という質問でした。 >この単純な質問を繰り返されると、不明確だった部分が明確になっていきます。 

 

言語明瞭・意味不明では通りませんね。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っている。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)   

 

>自分の中できちんと理解できている場合はそれなりに回答できるのですが、理解できていない場合はうまく言葉にできずに説得力のある答えができないからです。>この質問のおかげで、自分の理解の曖昧な点を明らかにすることができます。 

 

対話・議論は必要ですね。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。  

矛盾を含んでない文章は、全て正しい考えを表している。矛盾を含んでいる考えも、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。

矛盾を発見し取り除くためには議論・対話が有効である。議論・対話を普及させよう。

考えの内容は、人によりまちまちである。だから、正解は一つではない。幾らでもあるから、人間は個性的になる。考えのない人達は没個性的である。だから、自己実現が難しい。  

 

> 【答えは1つではないことを知る】

>③結論に至った思考の前提を確認する >次に聞かれたのは「どうしてそういう結論になったのか?」ということでした。 >この質問によって、全体の論理展開に矛盾がないか、自分の考えのもとになっている前提は何かを確認していきます。 

 

人間にはリーズン (理性・理由・適当) が必要ですね。リーズナブルな答えが期待されています。     

 

>④洞察を深める

> そのうえでさらに、洞察を深めていきます。>自分の理解や情報が足りない点をクリアにしたうえで、さらにどう思うか聞かれたり、「こういう別の見方もあるけど……」と、反対意見に対する考えを求められます。 >自分とは違う意見と比較することで、自分の視野や選択肢を広げ、そのうえで改めて「自分にとっての結論は何か?」をよりはっきりさせることが狙いです。 

 

論文ではdiscussion (議論・考察) によりその価値が決まりますね。  

 

>⑤理解を積み上げる

> こうしたプロセスの中で、唯一の答えを求められることはありませんでした。 >むしろ、答えは1つとは限らず、多彩な視点があってよいことが強調されます。 

 

考えの内容は人様々ですからね。   

 

>そして、「誰も1人では理解を深めることはできない」という前提のもと、自分とは違う意見にオープンに耳を傾けて、自分自身の思考プロセスを確認する作業を続けるように促されました。 

 

そうですね。他人との意見を交えて自分自身の哲学体系ができますね。   

 

 

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足りない視点 1/3

2020-10-09 13:26:36 | 文化

 

>360830 なんでも「正解」が欲しい日本人に足りない視点   >二島圭入 ( 28 会社員 )  20/10/08 PM10 【印刷用へ】 

>現代は答えのない未知課題が溢れる時代ですが、生き抜くためには追求力を身に付けなくてはいけません。

 

そうですね。

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>***

>【1つの答えを出すより、「いかに考えるか」が重要】

> 私たちはいま、前例のない「答えのない時代」を生きています。 

 

権威主義が衰えて、民主主義が勢力を持ち始めたからでしょうね。   

 

>国際情勢から為替の変動、そして新型コロナウイルスまで、「未知なこと」や「予測不能なこと」が日常的に勃発し、一つひとつの出来事が複雑に影響し合って、日々の生活や働き方などが思わぬ方向に進む事態も発生しています。 >その変化の速度は、ますます加速しているといえます。 

 

そうですね。世はスピード時代だからですね。  

 

>このような状況下では、すべての問題を解決してくれる唯一無二の答えなど存在しません。>そんな「答えのない時代」に、自分にとって必要な答えを導き出すためには、どんな能力が必要なのでしょうか?  

 

現実の内容はただ一つ。だが、それに対する人間の答えは無数にある。人の考え (非現実) は様々ですからね。矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。 必要な答えは、自分自身で考えることです。        

 

>その1つが、考え方の考え方、つまりは「考え方の軸」を持つことです。 

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観 (world view) と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。個人の ‘あるべき姿’ (things as they should be) はその中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。  

 

>万能な答えのない状況では、1つの答えを追求するより、「いかに考えるか」ということのほうが重要だからです。 > 私はイギリスのオックスフォード大学大学院で、答えのない状況での考え方の軸を本格的に学びました。 >オックスフォードに入学して驚いたのは、教授と学生が1対1、もしくは1対2で対話をしながら学ぶ「チュートリアル」という指導体制がとられていたことです。

 

英米流の高等教育にはお金がかかりますね。 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。

 

> 多くの大学では、講義における議論への参加ぶりや提出した課題の内容によって評価されるのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが、学びの中枢になります。 >まずは、そのステップをご紹介しましょう。 > 【】   

 

 

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