>不可解なり、統一教会への怒り起こらず >コダマの核心2022年8月18日 16:40
>さまよう故・安倍晋三氏
>国会 夕暮れ イメージ 殺害されて10日が過ぎた時点で、安倍晋三氏の霊がさまよっていた。
>「自分が死んだことすら認識がなかった」旨をレポートしたことがある。
>神気に通じる友人Aの話であった。
>Aは盆に晋三氏の霊と接触した。
>霊は「どうして私は殺されなくてはならなかったのか」と問いかけてきた。
>霊はまだ天空をさまよっているのである。
>Aは死後49日に高尾山薬王院で護摩焚きを行い、成仏させるつもりである(護摩炊きとは、故人を安らかに成仏させるインド発祥の儀式)。
> しかし、Aは悔やむ。
>「安倍家はもともと浄土宗である。
>この宗教には故人を成仏させるための引導を渡す術がない。
>高尾山薬王院で護摩焚きをするにしても、高僧でしか天国へたどりつかせることができない」。
>一息入れて、「故人は下手をすれば永遠にさまようことになるかもしれない。
>現世では、弟の岸前防衛大臣を筆頭に誰もが安倍先生の敵討ちをすると高言していない。
>そのため、故人はこの世に未練を残したままで悔しくて悔しくて、成仏できないのであろう。
>本音は国葬よりも仇を討ってくれと頼んでいるのだ」と推測する。
日本文化の特徴は形があって内容がないことである。世界観 (過去・現在・未来、前世・現世・来世) の内容がないからそれだけ余計に形に強くこだわることになる。
この傾向は、わが国に改革運動の必要な時に改革が進まない原因にもなっている。
内容を言って聞かせても日本人は受け入れる気配はない。思考していないから、形に拘る。その結果、日本人は筋金入りとなっている。日本語は写生画の言葉であるから、非現実は写生の対象にはならない。だから、日本人の口から考えというものは出てこない。哲学と宗教の理解が難しいのはこれらが非現実 (考え) だからである。
印欧語族の人は考える。非現実の内容をもっている。彼らの系統的な考えは哲学になる。西洋人の考えはスコラ哲学になり、インド人の考えはインド哲学になった。印欧語族には病める魂の持ち主もいる。意思があり、加害者意識があり、罪の意識があるので病める魂の持ち主も存在する。悩める魂の救済方法として釈迦は涅槃を教示し、ジーザスは贖罪を教示した。
日本人は無心である。意思がなく、加害者意識がない。あるのは被害者意識ばかりであるから、現実の世の中は実に恨めしく見える。罪の意識がないから、病める魂の救済を求める人もいない。だから、キリスト教も仏教も民と共にはない。わが国では、伝統的な哲学と宗教には関係なく、身近な新興宗教が盛んになっている。そして、恨み辛みの話し合いばりが行われている。