>「責任の所在明らかにされず」と土石流遺族 > 共同通信社 2022/08/16 14:53
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> 静岡県熱海市の大規模土石流で兄(71)を亡くし、16日、同市の斉藤栄市長を刑事告訴した小川泉さん(68)は記者会見で「発生から約1年、責任の所在が明らかにされてこなかった」と訴えた。
そうですね。非常に残念なことですね。責任の所在が明らかにならないのは我々日本人の民族性によるところが多いのでしょうね。
過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。しかし、それには無為無策のその日暮らしでは望み無しである。未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。
日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思の表現がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この暮らしぶりで成功すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。未来を先取りしない人は指導者としては適当でない。
自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。事態の打開策が示される。意思が示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者にとどまっている。義理 (自己の個人的な序列関係より生ずる義務) のない事態であれば、高みの見物をしている。わが国は冷たい社会か。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。
意思の無い人間には責任がない。これはちょうど死刑執行人の立場のようなもので、彼らは人が死んでも殺人罪には問われることはない。彼らには殺意という意思がないからである。人々は自己の意思に依ることなく、事の次第・自然のなりゆきにより行動をおこす。だから、リーズン (理性・理由・適当) により行動することが無い。リーズナブルな答えは出ない。これはアニマルも同じである。説明責任が取れないので、兎角この世は無責任となる。
‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
日本人が当事者・関係者となるのは義理 (自己の個人的な序列関係から生じる義務) に関する事柄だけである。他のグループに対しては責任を感じない。
意思の無い人間は、能動的な行動をとることが無く受動的な行動ばかりをする。だから、加害者意識がなく被害者意識ばかりになる。被害者意識ばかりがある人間の犯行を行うのを見るのも恨めしい。だから、’恨めしや―’ と言いながらわが国には幽霊も出る。
西洋人のような意思のある人間には加害者意識がある。それは反省の意識ともなり、その意識が高ずると罪の意識にまで発展する。そこで深刻な病める魂を救済する必要に迫られる。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) が西欧に存在するのには意味がある。
罪の意識のない人達に謝罪をさせるのは難しい。彼らは謝罪の勧めを自虐の強要と間違えて非人道的な問題と捉えて大変な騒ぎになる。 WGIP(War Guilt Information Program)とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。罪を知らない人間に罪悪感を理解させるのは難しいからです。日本人の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。だから、日本人の反省は深いものにはなりません。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘仮名漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈による世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのないかな書きの記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て場所を探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得に有効であることは言うまでもない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にするのが良いと思います。
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