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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本は舐められる  

2022-08-09 10:03:55 | 文化

>なぜ日本は国際社会で舐められるのか   >気に入らない相手に圧力行使も辞さない米中露、日本も必要な時は刀を抜くべき   >2022.8.8(月)   

(略)  

>日本に必要な韓国に対する圧力  > 日本の方法に慣れた国際社会は米国、ロシア、中国は恐れても、日本のことは甘く見るという態度を取るようになった。   

 

そうですね。日本は歌詠みの国ですからね。力はありませんね。意味も無い。腰が抜けています。   

 

> 例えば、強力な同盟国の米国でさえ、日韓間の過去の歴史と関連した問題が発生するたびに、ほとんど一方的に韓国側の意見を聞き入れた。  

 

日本人には主張というものがありませんからね。相手の言うことを聞くしかない。       

 

>ドイツや米国などの海外で、慰安婦像関連の紛争が起こっても、日本の立場が反映されて銅像が撤去されたケースはほとんどない。   

 

慰安婦は良くないことですからね。 韓国は強い。  

 

> 外国の地方自治体も、日本を甘く見ているということだ。   

 

そうですね。日本には見るべき主張がありませんからね。    

我が国のように国民が思考を停止している国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

 

> 日本を甘く見る態度は、ユネスコなどの国際機関にまで広がっている。 >世界遺産登録や日本海/東海の表記問題を見ても分かるように、関連する国際機関が、韓国の一方的な主張に迎合する事態にまでなっているということだ。   

 

求めよ。さらば与えられん’ ですね。Ask, and it will be given to you. 韓国は求めている。   

 

> 頻繁に刀を抜いて振り回す(つまり圧力をかける)、米国、ロシア、中国の態度も問題だが、刀を鞘から抜かずに、主に協議と合意を通じて問題を解決しようとする日本も問題である。   

 

日本人がとりわけ雄弁であるとか、交渉上手というわけでもありませんからね。日本人にはいかなる手段に自信があるのでしょうかね。      

 

> 刀を抜かなければケガをすることがないということは、確かな長所だ。   

 

処世術 (損得勘定) によれば、’かすり傷一つ受けても損は損’ ですね。義を見てせざるは勇無きなり。      

 

>米国、ロシア、中国は、相手に向かって刀を振り回すことで、当初の目的を達成するが、その過程において、相手から様々な傷を負わされる場合も多いのが現実である。   

 

そうですね。不注意は怪我の元。   

 

> だが、傷は負うけれども、その代わり、米国、ロシア、中国を甘くみて攻撃してくる国はない。   

 

そうですね。彼らは猛毒のガラガラヘビのようなものですね。噛まれたらただでは済まない。皆が注目していますね。    

 

>したがって、米国、ロシア、中国は、他国からの名誉毀損にあうことがほとんどない。 >ましてや、嘘や捏造による名誉毀損など、あるわけがない。   

 

彼らは要注意国ですからね。日本人には名誉がない。     

 

> ひょっとして、今日、日本は、相手から受ける傷が恐ろしくて、決断を下すことができずに、刀を鞘に納め、大事に保管しているのかもしれない。  

 

そうでしょうね。わが国では個人主義が発達していませんからね。意思決定のできる個人がいませんね。 人々に個人を育成しようとする努力などは何処にもありませんね。     

 

>協議と合意だけで、問題を解決しようと思うならば、日本は、今後も国際社会から冷遇されて、不当に名誉棄損される不利益を甘受しなければならないだろう。   

 

没個性の国柄では立つ瀬がありませんね。日本人はご唱和の世界に住み続けています。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘仮名漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。        

 

(略)      

 

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