>東洋経済オンライン >敗戦した日本軍の描写が今の日本と似る事の意味 歴史に学んで日本的組織の弱さを考え直す > 奥泉 光, 加藤 陽子 2022/08/10 18:00
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>小説家・奥泉光さんと歴史家・加藤陽子さん。 >戦争とその物語を知り尽くした二人の対話から、「戦後」も77年になろうとする今こそ、「日本人と戦争」について改めて考えたい――。 >必読史料から手記・文芸作品までを読み解きながら展開される対談を収めた『この国の戦争――太平洋戦争をどう読むか』から一部抜粋、二人がとくに推す「いま戦争を考えるための必読本」を3回連載で紹介します。 >第3回は、軍隊という組織に明晰な分析をくわえ、いまの日本のことを書いているとしか思えない、山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』をめぐる対話をお届けします。
日本人は変わりませんね。日本語を使って考えるからでしょうね。
>いまの日本のこととしか思えない >加藤 陽子(以下、加藤):いま、日本人の戦争について問い直すのなら、山本七平は欠かせません。
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>奥泉 光(以下、奥泉):『一下級将校の見た帝国陸軍』(初版1976年、文春文庫、1987年)は名著ですね。
>加藤:私もそう思います。 >何度読んでも、その度に新しい発見があります。
>奥泉:いままさに読まれるべきだと思う。
>加藤:ある台湾からの女性の留学生が、この本はすごく面白かったと言っていました。 >なぜかと言えば、日本の組織を理解するのに役立つと。 >これを聞いたとき、そのようなものかなと思ったのですが。
>奥泉:現在の日本のことを書いているとしか思えない。
日本人は戦前・戦後で変わっていませんね。
>加藤:一つ一つの描写が明晰なんです。 >文章が。
>奥泉:自身の体験に深く裏付けられながら、非常に明晰な分析をくわえている。 >これ以上に怜悧な日本陸軍、ひいては当時の日本の国家体制に対する分析はないと、今回読んでまた思いましたね。
>加藤:同感です。
>奥泉:繰り返しますが、いまのことを書いているようにしか思えない。 >組織の自転の問題とか、員数主義――形式さえ整えばそれで良しとする官僚制の持つ根本的な特質とかね。 >興味深い指摘がいっぱいある。
>加藤:私がまず挙げたいのは、冒頭近くの次の箇所です。 >学生である山本が初めて徴兵検査を受けにいくと、「机の向こうの兵事係とは別に、こちら側の学生の中で、声高で威圧的な軍隊調で、つっけんどんに学生たちに指示を与えている、一人の男を認めた。 >在郷軍人らしい服装と、故意に誇張した軍隊的態度のため一瞬自分の目を疑ったが、それは、わが家を訪れる商店の御用聞きの一人、いまの言葉でいえばセールスマン兼配達人であった」。 >いつも愛想笑いを浮かべて、家に出入りしていた、御用聞きの男が豹変していた。 >山本があっけにとられて見ていると、「その視線を感じた彼は、それが私と知ると、何やら非常な屈辱を感じたらしく、「おい、そこのアーメン、ボッサーッとつっ立っとらんで、手続をせんかーッ」と怒鳴った。 >そして以後、検査が終わるまで終始一貫この男につきまとわれ、何やかやと罵倒といやがらせの言葉を浴びせ続けられたが、これが軍隊語で「トック」という、一つの制裁的行為であることは、後に知った」。 >そしてその御用聞きは中佐に対しては「もみて・小走り・ゴマすり・お愛想笑いと、自分を認めてほしいという過大なジェスチュアの連続であった」。
大きくなったり小さくなったりして見せるのは日本人の礼儀作法ですからね。上下社会 (序列社会) の習慣です。それが奇異であると見えるのはまともな人間の判断ですね。
>この「一瞬の豹変」を「事大主義」として、いかにも日本人的現象と分析していくわけですが、これは伊丹万作なんかもしょっちゅう言っていますし、また、丸山眞男の言う「亜インテリ」より少し下になると思いますが、軍というものは、国家が戦争中でなければ、おそらく一生、人さまに命令など下せなかった人たちを浮上させます。
正に戦争中は異常事態ですね。
>そのように浮かび上がってきた人々を、平時において上流・中流階級の側にいた人々が揶揄的に批評するのは、もちろん一つの語り方なのですが、それに「事大主義」という言葉をあたえて書くというのがすごいですよね。
‘寄らば大樹の陰’ ですね。事大主義はお隣の朝鮮民族にもある主義ではないでしょうか。
>日本的組織はこういうふうにできている
>奥泉:ほかにも「だれも知らぬ対米戦闘法」の章とかは本当に面白いですよね。 >1943(昭和18)年8月の中頃に「本日より教育が変わる。 >対米戦闘が主体となる。 >これを「ア号教育」と言う」と区隊長から聞かされる。 >いまごろになって? と山本は衝撃を受ける。 >「危機は一歩一歩と近づいており、その当面の敵は米英軍のはず。 >それなのにわれわれの受けている教育は、この「ア号教育」という言葉を聞かされるまで、一貫して対ソビエト戦であり、想定される戦場は常に北満とシベリアの広野であっても、南方のジャングルではなかった」。 >昭和18年8月になってようやく対米戦争に教育方針を変えると決定される。 >でも、結局は変えられなかった。 >なぜ変えられないかが分析されて、一つの結論として、「私には連隊のすべてが、戦争に対処するよりも、「組織自体の日常的必然」といったもので無目的に〝自転〞しているように見えた」。 >これですね。 >「事実、この膨大な七十年近い歴史をもつ組織は、すべてが定型化されて固定し、牢固としてそれ自体で完結しており、あらゆることが規則ずくめで超保守的、それが無目標で機械的に日々の自転を繰りかえし、それによって生ずる枠にはめられた日常の作業と生活の循環は、だれにも手がつけられないように見えた」。
そうですね。日本人の文化には正式 (規則) があって内容 (考え) が無い。だから、日本人はいやが上にも形式的な生活に囚われざるを得ません。
>いやあ、そうだったんだろうなと、つくづく思うんですね。 >ここは一種の結論を言っているところですが、ここに至る洞察も非常に的確で、まったくそうだなとしか言いようがない。 >組織に固着する形式主義というか、超保守主義というか……。
形しかないのだから、形に拘らなくては全てが霧散する。ああ空しい。だから超保守主義にならざるを得ません。
>加藤:日本人が前例主義と保守主義を打破しうるのは、明治維新などの例を考えてみても、上から下までの国民全部にわたる強烈な敗北体験と危機意識なのではないでしょうか。 >盤石無比だと思われていたものが、ある日、あれっという間に崩れることがある。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
日本人には哲学がない。だから、日本人は正しい考え方というものを知らない。英米流の高等教育が日本では成り立たない。
>軍隊の不条理の分析が素晴らしい
>加藤:もう一つ、実のところは文弱ではなかった人である山本七平の面目躍如といった描写が光るのは、「死のリフレイン」という章です。 >フィリピンのジャングルの中、川を渡る場面、大変に重い山砲を移動させるのがいかに大変であったか。 >「理由は、この砲は非常に座高が低いから、車輪つきで繫駕のまま曳いて水流を渡ろうとすれば、せいぜい膝までの浅瀬が限度である。 >だがこの砲は、小型のくせに、その外形からは想像もできぬ重量をもっていた」。 >車輪が川底の何かにはまりこんで転倒しないようにしたり、あるいは分解搬送するにしても、軍靴の底がつるつるとすべる川底を、曲芸のようにして渡らねばならない。 >これをやった人たちなんですよね。 >対ソ戦向けに作られた山砲が南方戦線でいかに役立たずであったか、読んでいただけでもう胸が潰れる思いがしました。
その状態は基本的には今日でも同じですね。わが国には人手不足はあっても、頭脳不足は存在しません。
>そのように見てきますと、奥泉さんの『浪漫的な行軍の記録』(初版2002年、『石の来歴・浪漫的な行軍の記録』講談社文芸文庫、2009年)で本当に感心するのは、もちろんこの山本七平をご覧になった上でも書かれているでしょうけど、この山砲という兵器の描き方ですね。 >第一分隊には真正の砲が割り当てられたが、「私」が属する第二分隊にはダミーの砲が割り当てられます。
>これが「国体の精華」と名付けられるんですね。 >この「国体の精華」がもっとも優れた砲である理由。 >「移動ともなれば、我が「国体の精華」は絶大なる威力を発揮する。 >そのなんと軽快にして俊敏な機動性であることか! >あらゆる世界の軍事史において、「国体の精華」以上に高い運動性を有する大砲は存在しないのであった」。 >この風刺。
まるで漫画ですね。
>そして、この二つの大事なものを踏まえて、もうフィリピン戦、レイテ戦、何に困ったかというと、山砲であると。 >私は泣き笑いしながら読みました、素晴らしいです。 >面白すぎる。
山砲にはノータリンの民族性が良く表れていますね。
>奥泉:馬で引っ張ることが前提になっているのに馬がいない。 >そんな不条理が軍隊にはたくさんあって、なぜそうなるのかの山本七平の分析が素晴らしい。 >一口でいうと、形式主義、員数主義ということですね。
そうですね。日本人の文化には形式 (規則) があって内容 (考え) が無い。内容が無いのは、日本人が思考を停止しているからですね。
>実情とは関係なく、作文された報告の辻褄さえ整っていればそれでよいとされる。
現実離れをしているのですね。それは空想かな。妄想かな。お陰様でわが国は漫画・アニメの大国になりました。
>それが積もり積もれば、あきれるほど実体はすかすかになる。 >何もできない状態になってしまう。 >この分析は、いまの日本の組織に対してもなおリアリティのある分析になっていて、優れているなとつくづく思いました。
そうですね。山本七平の洞察力は鋭いですね。
>加藤:優れていますね。
>やがて教育どころではなくなっていく……
>加藤:幹部候補生教育がまだ2年やられていたときと、もう速成の半年間だけという時期とでは違っていて、陸軍は学生を信用しない組織だとか言われていても、抽象的な思考力に長けているという点では学生を採りたかったというのも半分あると思います。 >超促成教育で飛行機の操縦士にするには、やはり高等教育を受けた人が必要となりましょう。 >山本七平の出身校である青山学院も「アーメン」大学とか揶揄的に書かれてしまっておりますが、そこにいた文弱であったはずの人をここまでの将校にできたというのは、逆に言えば、戦争をする国の「教育」はなかなかにすごいぞということも意味しておりまして、そこは少し感心しました。
それは本人が ‘考える人’ であったからでしょうね。
>奥泉:なるほどそれはそうですね。 >山本七平は1942(昭和17)年秋の入隊で、豊橋の砲兵学校で教育を受けている。 >昭和17年段階ではまだそういうシステムが、「組織の自転」といえどもあった。 >しかし翌年から学徒出陣がはじまって、そこからはもうちゃんとした教育とかいう話じゃなくなっちゃう。 >システムは瓦解して、入隊即現地での教育になる。 >しかもそもそも現地へ行く前に輸送船が沈められてしまう。
制空権も制海権もないのですから、輸送船は役立たずでしたね。
>その世代の人たちがいちばん亡くなっています。 >その直前に山本七平は予備学生で軍隊へ入ったわけで、彼の観察と洞察が残ったのはよかったと思いますね。
そうですね。山本七平はわが国の宝ですね。
>ぜひ読まれるべきです。
そうですね。
>加藤:あと本文中の地図や写真、イラストも本当に大事です。
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