>キャリコネニュース >「高学歴な若い人は無意識に人を学歴で見る」 一浪して国立大に進学した30代女性が、いま思うこと >キャリコネニュースの意見・ >11時間・
>学歴があったおかげで希望の会社に就職できたという人はいるだろう。
>学歴は就職だけでなく結婚にも影響するようだ。
>投稿を寄せた30代女性は高校は進学校に通っていたが、家が貧しく大学進学の費用を出してもらえなかった。
>一浪し、アルバイトをしながら学費を貯めて地方の国立大学に進学した。
>「学歴としては最低限」とは言うものの、それでも「大学を卒業してから周りの目が変わり、簡単に就職先が決まり、高収入で優しい人と結婚することが出来ました」といったメリットがあったようだ。
>(文:天音琴葉)
>「同窓会で小馬鹿にするような態度を取られることはなくなりました」
>進学校の同級生にとって大学進学は当然だった。
>そのため女性が家庭の事情から「大学に進学しない」と話すと小馬鹿にした態度を取られ、それが悔しくて大学進学を諦めなかったという。
>「同窓会で高校の同級生に会いましたが、小馬鹿にするような態度を取られることはなくなりました。
>高学歴な若い人たちは無意識に人を学歴で見る人が多いと思います。
>こういう環境では最低限でも学歴があった方が生きやすいと思いました」
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。
>若いときほど学歴が物を言うと感じたようだ。
>一方で大学では遊びまくり半年留年し、就活もせず秋の卒業式を迎えたが、教員から「卒業生を採用したい会社があるらしい。
>エントリーしてみないか?」と言われ、その後採用された。
>就職浪人せずに済んだのは学歴があってこそ。
>その就職先で運命的な出会いもあった。
>「数年後にその会社の総合職の先輩と結婚し、さらにその数年後には子宝にも恵まれました。
>今思い返すと、高校時代に大学進学を諦めていたら、今のような未来はなかったのではないかと思います。
>1浪時代はバイトに勉強に本当に大変でしたが、あの時頑張って本当に良かったと思っております」
>もちろん学歴が全てではないが、学歴がある人は結婚相手にも同じような学歴を求める傾向がある。
>なお女性は現在、研究開発補助員として時短勤務している。
>仕事と子育てを両立しているようだ。
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。かれらの文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。未来時制を使って自己の意思を表すこともできるようになる。すると加害者意識も経験することになる。それが高じて罪の意識も理解できるようになる。深い反省にも陥るので原因の究明が行われる。うやむやにならない。魂の救済を必要とする人も出て来る。贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりでは学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育のお陰である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。