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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学歴  

2024-12-29 18:00:56 | 文化

>キャリコネニュース   >「高学歴な若い人は無意識に人を学歴で見る」 一浪して国立大に進学した30代女性が、いま思うこと   >キャリコネニュースの意見・   >11時間・   

>学歴があったおかげで希望の会社に就職できたという人はいるだろう。   

>学歴は就職だけでなく結婚にも影響するようだ。   

>投稿を寄せた30代女性は高校は進学校に通っていたが、家が貧しく大学進学の費用を出してもらえなかった。   

>一浪し、アルバイトをしながら学費を貯めて地方の国立大学に進学した。   

>「学歴としては最低限」とは言うものの、それでも「大学を卒業してから周りの目が変わり、簡単に就職先が決まり、高収入で優しい人と結婚することが出来ました」といったメリットがあったようだ。   

>(文:天音琴葉)   

>「同窓会で小馬鹿にするような態度を取られることはなくなりました」   

>進学校の同級生にとって大学進学は当然だった。   

>そのため女性が家庭の事情から「大学に進学しない」と話すと小馬鹿にした態度を取られ、それが悔しくて大学進学を諦めなかったという。   

>「同窓会で高校の同級生に会いましたが、小馬鹿にするような態度を取られることはなくなりました。   

>高学歴な若い人たちは無意識に人を学歴で見る人が多いと思います。   

>こういう環境では最低限でも学歴があった方が生きやすいと思いました」   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。    

 

>若いときほど学歴が物を言うと感じたようだ。   

>一方で大学では遊びまくり半年留年し、就活もせず秋の卒業式を迎えたが、教員から「卒業生を採用したい会社があるらしい。   

>エントリーしてみないか?」と言われ、その後採用された。   

>就職浪人せずに済んだのは学歴があってこそ。   

>その就職先で運命的な出会いもあった。   

>「数年後にその会社の総合職の先輩と結婚し、さらにその数年後には子宝にも恵まれました。   

>今思い返すと、高校時代に大学進学を諦めていたら、今のような未来はなかったのではないかと思います。   

1浪時代はバイトに勉強に本当に大変でしたが、あの時頑張って本当に良かったと思っております」   

>もちろん学歴が全てではないが、学歴がある人は結婚相手にも同じような学歴を求める傾向がある。   

>なお女性は現在、研究開発補助員として時短勤務している。   

>仕事と子育てを両立しているようだ。   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。かれらの文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。未来時制を使って自己の意思を表すこともできるようになる。すると加害者意識も経験することになる。それが高じて罪の意識も理解できるようになる。深い反省にも陥るので原因の究明が行われる。うやむやにならない。魂の救済を必要とする人も出て来る。贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりでは学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育のお陰である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

 

 

 

 

 

 


西洋哲学  

2024-12-29 17:13:34 | 文化

>東洋経済オンライン   >世界を読み解くカギは「西洋哲学」の中にある「江戸時代の日本思想」をいま再評価すべきだ   >茂木誠の意見・   >20時間・   

>ウクライナ、中東が戦火に見舞われ、各国で政治的分断が生じるなど世界が混乱するなか、私たちはどう生きていけばよいのか? 

>『日本人が学ぶべき西洋哲学入門 なぜ、彼らはそう考えるのか?』(ジェイソン・モーガン氏との共著)の著者でノンフィクション作家の茂木誠氏が、混沌の時代を生き延びるための哲学について掘り下げます。   

>2024年日米選挙に見る世界の分岐点   

202411月、アメリカの大統領選挙はトランプ氏が勝利して終わりました。日本でも10月に衆院選が行われましたが、これらの日米の選挙で問われたことは同じテーマだと考えています。

>「世界を美しい理想に向かって高めていこう」という考え方が一方にあり、他方に「人間の社会はそう簡単に変わらない。   

>現実は頭で考えた通りにはいかない。   

>だから、今の社会を急に壊すことなく、少しずつ修正していけばいい」という考え方があります。   

>世界では今、この2つの立場の間で衝突が起こっています。   

>その証拠にアメリカでは、大統領選で高い理想を掲げてきた民主党や共和党の一部が、行き過ぎた理想だけでは世界は円滑に回らないと主張するトランプ氏を中心としたMAGA運動(Make America Great Again:アメリカを再び偉大な国にする)と熾烈な戦いを繰り広げました。   

>一番わかりやすい例が移民問題です。   

>オバマ政権以来、アメリカ民主党の移民政策は移民の受け入れに寛容で、南米や中東をはじめ世界中から移民が殺到しています。   

>「多文化共生」は確かに理想的です。   

>しかし現実には、不法移民が後を絶ちません。   

>彼らにまつわる犯罪――性犯罪、麻薬、人身売買などが増加しアメリカの治安が悪化しています。   

>不法移民の受け入れの取りやめを掲げたのがトランプ氏で、1期目の大統領任期中にはメキシコとの国境に巨大な壁を作って不法移民の流入を食い止めました。   

>「理想を掲げて急に推し進めようとしても、逆に、別の問題が起こってくる」――実際に世界を見渡すと、トランプ氏のような主張を掲げる政党はまだ非主流派とはいえ、これが今の世界の大きな枠組みです。   

>理性主義が西洋世界を拡大させた   

21世紀の世界――とりわけ、宗教、科学、文化に深い影響を与えてきたのは西洋哲学です。   

>その西洋哲学も振り子のようになっていて、いわば「理想追求」と「現実立脚」という2つの考え方がずっと対立してきました。   

>古代ギリシア時代、理想の世界は天国のようなイデア界にあると説いたプラトンと、万学の祖とされ、現実から検証しようとしたアリストテレスを想像すれば理解しやすいでしょう。   

>西洋哲学には常に理性主義という考えがつきまといます。   

>「人類の共通の価値観は理性を使えば持てる、理性は全人類が持っているから」   

>この理想追求型の理性主義と、西洋世界の拡大が強く結びつくのです。

>紀元前4世紀、古代ギリシアのマケドニア王国のアレクサンドロス大王はアジアに東征し、ギリシア文化とオリエント文化が混じり合いヘレニズム文化が形成され、ギリシア人が世界帝国を築いていく。   

>そうした時代背景のもとに、「世界こそが我々の国家であり、 我々は世界市民(コスモポリタン)だ」という考え方(世界市民主義)が生まれてきます。   

>今日でも「自分は日本人じゃない、地球市民だ」という人たちがいますが、2400年前からこういう思想があった。   

>これを受け継いだローマ帝国時代の哲学がストア派で、理性を基準に世界共通の価値観を持とうというグローバリズム、これが西洋哲学のスタンダードになっていくのです。   

>そこにキリスト教が広まってきました。   

>キリスト教は「唯一神が世界を設計した」という思想ですが、これこそコスモポリタン的、グローバルな思想なのです。   

>キリスト教がヨーロッパで広まる前の段階で、現在にも通ずる世界共通の価値観を求めるようなメンタリティが、古代ギリシア・ローマの世界に存在していたと思うのです。   

>西洋文明の理性至上主義の功罪   

>時を経て、中世ヨーロッパの哲学には、「唯名論(ノミナリズム)」を唱える人たちが現れます。   

>端的に言うと「人間が理性を使えば、様々な観念を作っていける」という考え方です。   

>もともとグローバルな宗教であるキリスト教の枠の中で、普遍的価値を聖書(神の言葉)に求めず“人間の理性”で探求していこう、学問と信仰を切り分けて、学問を追求しようと言い始めた。   

>これが近代革命=理性中心主義につながっていくのです。   

>理性中心主義は近代の哲学者・数学者のデカルトやニュートンに端を発しますが、根本は唯名論にあるということです。   

>唯名論は西欧社会に根深く浸透し、西欧人独特の思考パターンを生み出したのです。

17世紀以降、ニュートンら多くの科学者により、新たな宇宙論である理神論が提唱され、科学革命が起こり、圧倒的な軍事力を持つヨーロッパ人は、近代革命を知らない他文明の人々を「理性が足りない野蛮人」とみなし、欧米による世界征服、植民地支配につながっていきます。   

19世紀には、ダーウィンの進化論の「適者生存」という概念が社会に応用されました。   

>これがいわゆる社会ダーウィニズムです。   

>進歩史観と結びついた社会ダーウィニズムは、西欧諸国の帝国主義を正当化する理論として機能しました。   

>「我々西洋人は理性により進歩し、熾烈な競争に勝ち抜いてきた。   

>植民地にされた人間たちは自分たちで文明化できなかったから、我々白人が教えなければならない。   

>世界の文明化は白人の義務である」   

>こうした観念は「白人の責務」と言い、イギリスの作家ラドヤード・キプリングの詩のタイトルがもとになっています。   

>理性至上の西洋的価値観は限界に   

>ところが20世紀以降、世界には「白人の責務」に当てはまらない現実が次々と生まれてきます。   

>日露戦争では、非西洋文明の日本に反撃を食らい、欧米にとてつもない衝撃を与えました。   

>ロシア革命でロシアが共産主義化し、ドイツ、イタリアではファシズムの運動が勃興し、西洋的な価値観から飛び出します。   

>共産主義やファシズム――全体主義は、人権や個人の自由という西洋的価値観とは真逆の体制です。   

>理性を中心に発展してきた西洋には非常に大きな不安材料だったのです。   

20世紀には世界中で西洋的価値観への反逆が起こった結果、第2次世界大戦につながっていったのです。   

>そのため西側諸国から見れば、今でも非西洋的な日本、ロシア、ドイツが大きな脅威で、過去へのトラウマから、徹底的に抑え込んで管理したいとの思惑が透けて見えます。   

>現在、プーチンという指導者がロシア人に強く支持されているのは、西洋的価値観を超克し、ロシアが我が道を行くことを明確にしたからです。   

>だから、プーチンのロシアは西洋文明に反抗していると見なされ、西側諸国は目の敵にしているわけです。   

>理性至上の西洋的価値観が限界を迎えつつあることが、今の世界の混乱とも関係しているのです。   

>「江戸時代の日本思想」を再評価すべき   

>歴史は起こった事実を学ぶもので、私たちは現実から出発するべきです。   

>しかし学校の教科書ではプラトン、ルソーといった理想主義的な思想に偏りがちです。   

>理性中心主義がもたらした現在の世界の混乱を踏まえ、現実に立脚した哲学から学ぶことが今こそ必要です。   

>具体的には、トマス・アクィナス、ライプニッツ、エドマンド・バークなどで、彼らの思想には東洋思想との共通性があります。   

>また、キリスト教を批判したニーチェやアダム・スミス、カール・ポパー、ハイエクなども重要です。   

>彼らのように、現実に根ざした哲学を展開した哲学者を見直すべきなのです。   

 

そうですね。現実を見るためには哲学 (非現実) が必要ですね。頭の中の内容と頭の外の内容を組み合わせて使いましょう。   

 

>そして、明治以降、西洋文化を取り入れる借り物文化に終始してきた日本。   

>未来を切り開くには、日本人は、日本の歴史を踏まえた自分たちの哲学を言語化し、西洋を導く立場に立つべきです。   

 

英米流の高等教育の目的は個人が考え (非現実) の内容を生み出すためにある。その考えの内容は文になり、論文として公表される。日本語は ‘写生画の言葉’ ともいわれ、現実ばかりで非現実の内容を示さない。だから、わが国の英米流高等教育の成果は上がらない。わが国の高等教育は使用言語を英語に改める必要がある。  

 

>その実現の鍵は江戸時代にあります。   

>『古事記』や『万葉集』を再発見した賀茂真淵や本居宣長の国学、伊藤仁斎の「仁」、荻生徂徠の政治哲学など、江戸時代に確立された独自の理論を再評価すべきです。   

>これらの思想が形になる寸前に明治維新で西洋思想が流入しました。   

>しかし、そもそも西洋哲学は日本社会に根っこがないのです。   

>そのため日本では西洋哲学は大学内の閉鎖的な議論に留まり、日本社会にまったく影響を与えていません。   

>西洋哲学が日本社会に根付かない理由はここにあります。   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。かれらの文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。未来時制を使って自己の意思を表すこともできるようになる。すると加害者意識も経験することになる。それが高じて罪の意識も理解できるようになる。深い反省にも陥るので原因の究明が行われる。うやむやにならない。魂の救済を必要とする人も出て来る。贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりでは学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育のお陰である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

>今こそ日本の社会と伝統、歴史に根差した哲学を自分たちの言葉で語りましょう。   

>西洋哲学が行き詰まったいま、日本人が世界をリードする時代はここから始まるのです。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


失われた30年  

2024-12-29 10:38:56 | 文化

>東洋経済オンライン   >このままでは「日本は失われた40年」へ突入する「2050年の日本経済」へ向けて、総括が必要だ   >小幡績によるストーリー・   >10時間・   

>なぜ、日本経済は停滞を続けているのか。   

>それは、いわゆる「失われた30年」を総括せず、放置しているからだ。   

 

そうですね。   

 

>日本の「失われた30年」はすべて「バブル」のせい   

>過去の失敗を分析して原因を明らかにすることをせず、ただ反省をしたふりを続けているからだ。   

 

そうですね。過ちは繰り返しませんですか。浅薄ですね。過ちの内容が分からない。      

 

21世紀初頭には過去を「失われた10年」と呼び、それが「失われた20年」、そして今では「失われた30年」と名称を変え、分析も改善案も議論せずにいる。   

 

そうですね。日本人は分析が苦手ですからね。  

 

>政治家や官僚、あるいはどこにも存在しない誰か他人のせいにして、日本自虐論で、「やっぱり日本はだめだ」と、したり顔で言うメディア、有識者、政治家、そして近年では経営者たちも加わり、日本に愛想をつかすことが、自分がそのダメな日本とは違う人間、企業である、というアイデンティティの主張となっている。   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、わが国の政治は若者にも夢と希望を与えない。     

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>自分だけは違う「日本人」「日本企業」だというわけだ。   

 

それは孤高の人か、日本にあって日本に属さずですね。   

 

(略)   

>経済学者や霞が関官僚にも大きな責任   

>まとめると、高度成長期から日本は、「右上がりガバナンス」で経済システムを運営してきたが、それがオイルショックで頓挫し、次のシステムに移らなければいけなかった。   

>だが、先進国で唯一うまくオイルショックを切り抜けたことが、バブルを生み、自信過剰と慢心をもたらした。   

>そして、新しいシステムを構築する余裕も金(カネ)も力もあるときに新システムを模索せず、無意識にせよ、意識的にせよ、新しいシステムの代わりにバブルで誤魔化したこと、それが日本経済の良い成熟化の実現を妨げた。   

>そして、システムがうまくいかなくなってから、何かシステムがないといけないということに気づいたが、試行錯誤をサボり、懐古趣味、右上がりの時代を懐かしみ、右上がりになればなんとかなる、だから量的拡大の時代の再現を目指す、といういちばん安直なというか、もっとも悪い誤魔化し方に終始する政策を政治が求め続けたことが、バブル処理の10年で終わらずに、「失われた30年」、このままでは永遠に失われる日本経済、システムのない日本経済をもたらしたのである。   

 

そうですね。   

 

>そして、これは政治だけの責任ではなく、経済学者および霞が関官僚の責任でもある。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。事が起こった時の責任者捜しには苦労している。原因究明ができない。誤魔化す。戦争に負けた時にもその責任者はついに出なかった。        

 

>経済学者たちは、1980年代には「不動産も株もバブルとは必ずしも言えず、何らかのファンダメンタルズ、あるいは将来への希望で正当化できる」と、バブルのつじつま合わせに協力した。   

>次の1990年代には、銀行や金融行政への非難を続け、リストラを支持し、さらに2000年代には、規制緩和を支持し、官僚たちを既得権益の一部と位置づけぶっ壊すことを支持した。   

>この間、新しいシステム、日本モデルを提示することはなかった。   

 

そうですね。日本人は相変わらず無哲学・能天気ですからね。   

 

>制度学派的な議論が流行し、日本型システムとは、という議論が1980年代にはじまり、1990年代、2000年に入っても続いたが、それは日本の過去を正当化したり、説明のつじつまを合わせて喜んだりしているだけで、新しいモデルは提案されなかった。   

 

モデルの提案は難しい。非現実の内容ですからね。      

 

21世紀になってからは、改革案も提示されたが、今に至るまで、アメリカに比べて劣る、という自虐的な批判か、アメリカ礼賛のただのコピーかにすぎなかった。   

>新しいモデルもなく、古いモデルも壊し、何もない状態にしてしまったのである。   

 

日本人は思考を停止していますからね。それしかない。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。       

 

>そして、2024年も何も変わらなかった。

>最先端半導体の開発・製造を目指すラピダスに関与することによって1980年代の栄光を取り戻そうとしている。   

>また、バブル的ないい車は生み出したことはあるが、いい技術者・優秀な文系人間を抱えながら、組織としては、何も株主にもたらさず、自己満足の組織だった日産自動車は、1990年代に実質的に破綻したにもかかわらず、黒船的なコストカットだけで、何かチェンジしたふりをし(自分たちもそんな気になり)、黒船が去った後、1980年代のもとに戻そうとして、結局何もしてこなかったことが現状を招いている。   

>何と言っても、せっかくオランダに本拠を置くステランティスグループに加われるチャンス(当時イタリアのフィアットグループがルノーを買収することにより)があったのに、自ら潰し、フランスのルノーとの資本関係を解消し、1980年代のように好き勝手に自分の思い通りにやれる日産を夢見たところが、致命的に間違っていた。   

 

そうですね。後悔先に立たずですね。後知恵の連続ですね。       

 

>経済学者が新しい日本の経済モデルを提示すべきとき   

>これから20年後には、20世紀に先進国だった地域の自動車メーカーは日本のトヨタグループだけになろうとしている現在、欧州は、ステランティスのように、超高級ブランドのポートフォリオを組んで、スイスの時計ブランドやフランスのLVMHのような生き残りを図る以外は、量産メーカーはすべて消えようとしている、という現状を直視する気がまったくないのである。   

>これは日産に限ったことではなく、ほとんどの日本の大企業がそうだ。   

 

日本人には世界観がない。過去・現在・未来の内容を広く深く考える能力がない。   

 

>ホンダも、他社を救ったり利用したりしている余裕はなく、トヨタに助けてもらう以外に道はないほど追い込まれているのに、その状況にも目をつぶっている。   

>トヨタと中国・韓国メーカー以外はテスラが残るかどうかという現状を、ほとんど誰も見ようとしていないのが問題なのだ。   

>もちろん、こうではない日本企業も数多くある。   

>それらの企業は、政府や経済学者やメディアの1980年代への郷愁にまみれた世界とは距離を置き、かかわらないようにして、日本から精神的に脱出を図っている。   

>しかし、政府と経済学者はそれではダメなのだ。   

2025年は、まず経済学者が新しい日本の経済モデルを提示し、それを政治に対して説得することから始めなければならない(本編はここで終了です。   

 

我が国には人手不足の話は多いが、頭脳不足の話は聞いたことが無い。天下の秀才ばかりが揃っていては日本の経済モデルはどうにもならないのでしょうね。     

 

(略)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)