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山折哲雄氏

2019-04-27 05:33:23 | 教育


>私が今読んでいる羽生善冶の著書「闘う頭脳」の中に宗教者 山折哲雄氏との対談があり、その中に人間関係について書かれたところがあった。 >すこし考えさせられる部分もあり、次代の人間関係とは追求関係になる、その上でヒントはないか考えた。 > 対談の中で山折氏の語っている部分を紹介したい。
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>私は敗戦のときは旧制中学2年でだからずっと戦後の教育の世界を経験してきているわけです。 >その間、人間関係ということが叫ばれ続け、学校でも会社でも「人間関係が大事だよ」といわれ続けてきた。 >親子の関係も人間関係、教師と学生の関係も人間関係、上司と部下の関係も人間関係。>その人間関係さえよくすればいいんだと。

‘悪い人間関係’ というのは、喧嘩ばかりしている人間関係のことですかね。

>これ、戦後民主主義の一つのイデォロギーだと思いますね。>その結果、いま人間関係が壊れてきたという現実があるわけです。

壊れて来たのは、序列社会の人間関係ですね。

>なぜそうなったのか、私はやっぱり人間と人間の関係には”垂直”の関係もあると。

ありますね。特に、我々日本人には。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上とみるか・下とみるか’ の判断ができないと、日本語の会話も十分には話せません。それで、我々は、常に自分の序列関係を明確にする必要があります。

>もちろん"水平”のというか「ヨコの人間関係」は大事だけれども、先輩から後輩へ、年長者から若年者へ、あるいは先行者から後継者へと「タテの人間関係」で技術とか考え方とか価値観を伝えていく。

‘職務上の上下’ と ‘世俗の上下’ を、混乱させるのは良くないですね。

>その垂直の関係を伝統的な言葉でいうと、「師弟」の関係という事になるわけですが、それをほとんど否定的に捉えてきたのが、この戦後60年間だった。

そうですね。世俗の上下関係は、否定的ですね。しかし、師弟関係は、授業中は ‘職務上の上下関係’ になりますね。この関係は、守る必要がありますね。

>そういう水平の人間関係を強調するあまり、技術を、技を、価値観を伝えていく、いわば背筋が通った垂直の関係が希薄になった。

教育は義務ですね。

>それが今日、人間関係が不安定になった最大の原因だと思うんです。

そうかもしれませんね。義務を怠るのは、良くないですね。

>弟子が師匠を報いるということは師を越えることで、それはある意味で裏切るという事ですよね。

うれしい裏切りですよね。期待されて当然の事柄ですね。

>つまり新しい技術を創りだすことは言葉を換えれば技術的に裏切るということですからね。

技術の進歩と捉えるべきですね。

>その裏切る瞬間、裏切って乗り越えていく関係はほとんどライバルの関係になっている。

競争の世界ですね。

>だから師弟の関係とは本来的にはそういう緊張関係を内包している。

そうですね。お互いに同業者ですからね。

>そうなるとこれはもう技術と技術の戦いだけではなく、どうしても人間と人間の戦いにならざるをえない。

この世は、人間の世ですからね。

>だから人間を鍛えることにもつながるし、価値観とか世界観を後世に伝えていく重要な戦いの場でもあるわけです。

我々には、建設的な競争が必要ですね。
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>追求を中心にした人間関係を表すのに何が適切だろうか? >水平な関係ではなく垂直な関係。 >師弟の関係かもしれない。

師弟関係は、授業中の義務ですからね。

> 「先行者から後継者へ」という関係もしっくりくる。

序列メンタリティには、特にしっくりしていますね。

>そしてやがて後継者が先行者に並び追い抜いていく。

期待された進歩の表れですね。

>それも追求関係の中にある。>最も必要なのは互いに人間力を鍛える戦いの場であり、親和の場でもあるという事。

皆さん楽しくやりましょう。

>現在の学校教育が同じ学年を集め、水平の人間関係しか作らない事もまた追求を阻害している。 >仕事の場面では少なくとも水平の関係ではない。

責任関係の序列は、厳格にしなくてはなりませんね。わが国の場合は、国がひっくり返った時にも、責任者は現れなかった。とかく、この世は無責任。


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