>●希望の会社に安住して失速~「勝ち組」にも根を張る学歴病~
>(略)
>大前氏は、偏差値教育により、多くの人が「自分の“限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概を持たなくなってしまった」と述べている。
そうでしょうね。偏差値教育は、序列人間の製造装置ですからね。思考停止と暗記力で限界が見えています。自分の序列が定まれば、あとはアンビションや気概には縁がない。
>このことは、若者が希望の会社に入った後についても言えると筆者は思う。>たとえば、準大手・中堅の出版社に入った人の中には、その後何らかの理由でやる気を失い、失速したと思しき人が数人いる。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。未来のことは、未来時制が存在しないと考えられない。ところが、日本語文法には、時制というものがない。だから、日本人は、未来の世界を筋道立てて考えることができない。未来の世界を脳裏に構築できないからです。
>筆者が専門学校で教えていたときに感じた限りでは、その中にはもっと大きな舞台で活躍できそうな力を持つ人が2~3人いた。
‘なんとなく’ でしょうね。
>しかし彼らは、自らの“限界”を意識し、それ以上の野心を持たなかったことで、失速してしまった可能性がある。
‘少年よ、大志を抱け’ ですね。日本人の場合は思考停止の中にあって、野心の限界は序列の限界により決まるようですね。現実は頭の外にあり、見ることが可能である。考え (非現実) は頭の中にあり、見ることができない。見ることができるものは ‘本当’ の事であり、見ることのできないものは ‘嘘’ である。だから、考えの内容は思考停止となっている。
>本当に学歴にこだわるならば、「俺は一流大卒。一流の出版社に行くのがふさわしい」と自らを果敢に売り込んで、さらに大きなステージに転職するという方法もあっただろう。
学歴は、人間の序列順位ですね。実力ではありませんね。転職は、既存の序列を離れることになり危険ですね。
>一流大卒が多いテレビ局や全国紙に進んでもよかった。
IT時代になっては、テレビ局・新聞社には未来がないですね。
>企業規模の大小では一概に語れないものの、一流の人材がそろう会社にいかないと、自他ともに認める一流の人材になることは難しいのではないか。
‘寄らば大樹の陰、中小企業よりは大企業’ ということですか。もっと、自主・独立の気概が必要ですね。独自の発想により起業する必要があるでしょう。
>しかし、彼らのほとんどが、40歳を前に現在の職場に安住しており、中にはやる気を失っていると思える者もいる。
日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。このように状態を見て、精神を鍛える必要があると感じる人が多い。恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて、意地・根性・大和魂とする。精神主義の道を選びます。精神主義は、先の大戦で大きな力を発揮しました。これで、人間の動作は機敏になるが賢くはならない。
>「高い偏差値の大学を出てそこそこの会社に入ったのだから、野心を持って失敗し、今の自分に見合わない場所で厳しい働き方をするのは嫌だ」というプライドも、背景にあるのかもしれない。
日本人には、意思がない。彼らは、大人になれば自分の序列順位に安住していますね。彼らには世界観 (world view) というものがないので、お変わりのないことが何よりなことです。もし自分に意思があるならば、失敗しても後悔はしない。
>10年ほど前に、懸命に就職活動をしていた頃の姿を知るだけに残念で、さびしい気がする。
そうですね。無為無策で、座して死を待つ姿か。‘少年よ、大志を抱け’ ですね。脳裏に、未来時制を使った未来社会の展開が必要です。英文法には時制 (tense) というものがあるので、それが可能です。ですから、日本語と英語の勉強に励みましょう。
>ここにも、「学歴病」の症状が見える。
学歴病は、序列病の一種ですね。学歴がなくても序列は存在します。序列社会の宿命ですね。
>日本の成長を議論するときに、欠落している視点ではないだろうか。
そうでしょうね。日本人には意思がない。
学歴病は序列病原体により発病し、日本人は常に序列順位を求めています。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。人間の序列順位を心得ていないと、日本語を自由に話すこともできません。また、礼儀正しい日本人もなれません。日本の成長を議論するときには、日本病の視点は欠かせませんね。
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