>転載開始
>今日はこれまでのメルマガとは趣を変えて、江戸と明治について書く。>江戸と明治は、現在の政治状況を語るときに折に触れて出てくる。>重要な概念である。>なぜ重要なのか。>さしあたって3点を指摘できる。
>1 明治も江戸も、政治的にも文化的にも現在に生きている。
そうですね。相変わらずの日本語メンタリティですからね。
>2 現在の日本の政治は長州汚職閥の政治である。
談合の得意な政治家たちに汚職は避けられませんね。
>3 長州には李氏朝鮮の影響が深く影を落としている。
李氏朝鮮は、日本にとって大切な隣国でしたからね。
>遅れた江戸に、開明の明治。>そして「維新」という言葉自体がもつ洗脳力。>これによって、明治は善であり、近代であり、文明開化ということになった。>これは戊辰戦争に勝った薩長史観であり、司馬遼太郎や犬HKによって作られた史観だ。
そうですかね。それは、気分・雰囲気の問題ですかね。
>薩長にはそうしなければならない理由があったのである。>明治維新は、薩長の下級武士たちによって起こされたクーデターであった。>それは革命ではなかった。
日本人は、無哲学・能天気ですから、革命は不可能でしょうね。恣意による腹芸のようなものかもしれませんね。おかげで、溜飲を下げた。
>だからかれらは維新後に政権をたらい回しにし、明治時代になんと14人の総理のうち、8人が長州人であった。
日本人は、なーなー主義ですからね。内輪・内輪で話が進む。政治家と言えども声明・議論は得意でない。
>明治維新によって中央集権化され、長州汚職閥の政治が権力を握ることで、太平洋戦争敗戦後の日本の植民地が決まった。>なぜなら長州汚職閥の政治(岸信介)は戦犯免責と売国を取引したからである。
岸信介は、アメリカのエイジェントになっていたようですね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>現在は小選挙区比例代表並立制と内閣人事局によって、岸の孫のアホぼん三世こと安倍晋三が独裁を築いてしまった。>日本は、米・朝支配の実質的な植民地になってしまった。
日本の政治家には、自主性というものがないですからね。
>こう考えると、悪としての後れた江戸に、善としての開明の明治というのは、どうも捏造のようである。
そういうことになりますかね。
>江戸時代を知るのに、もっともいいのは、来訪した外国人の言説を辿ることである。>驚くべきことは、外国人の国も年齢も性も違っても、一様に江戸の民度の高さに感嘆していることだ。
意見は、各人各様ですからね。いろいろなものがありますよ。以下は、私の ’精神的なもの’ からの引用です。
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>渡辺京二氏の前掲書『逝きし世の面影』に何人もの西洋人の日本人観が紹介されています。>三つ選んで、以下に引用します。
>■バード(Isabella Lucy Bird 1831-1904 旅行家・探検家『日本奥地紀行』、当時外国人が足を踏み入れることのなかった東北地方を馬で縦断した英国女性)>「(日本人の)最高の信条はむき出しの物質主義であり、目標は物質的利益であって、改革し破壊し建設し、キリスト教文明の果実はいただくが、それを稔らせた木は拒否する」
そうですね。日本人の最高の信条は、処世術ですね。
>■ オールコック(Rutherford Alcock 1809-1897 初代駐日英国公使 主著『大君の都』)>「(日本人は)崇高な原理やロマンチックな幻想や活動的な没我的信仰によってすこしも啓発されない、本質的に下劣」であって、「かれらの知的かつ道徳的な業績は、過去3世紀にわたって西洋の文明国において達成されたものとくらべてみるならば、非常に低い位置におかなければならない」
そうですね。わが国には何でもあるが、ただ、夢と希望だけが存在しない。知的かつ道徳的な業績が存在しない。
>■ ブスケ( Georges Hilaire Bousquet 1846-1937 1872明治5年から76年まで司法省顧問として在日した仏人)>彼によれば、日本の社会にはすぐれてキリスト教的な要素である精神主義、「内面的で超人的な理想、彼岸への憧れおよび絶対的な美と幸福へのあの秘かな衝動」が欠けており、おなじく芸術にも「霊感・高尚な憧れ・絶対への躍動」が欠けているのである。
日本の精神主義は、彼らのものと違いますね。
以上で ‘精神的なもの’ からの引用終り。
>かれらの多くは母国で日本を紹介し、書物にもした。>それを読んで日本に来る者もいたのだから、いい加減なことは書けなかったはずだ。>それが絶賛に近い書き方をしている。
そうですね。考え方は人によりけりですからね。
>わたしたちには黒船でなじみのマシュー・カルブレイス・ペリーも、次のように日本を認識していた。>実際的および機械的な技術において、日本人は非常に器用であることが分かる。>道具が粗末で、機械の知識も不完全であることを考えれば彼らの完璧な手工業技術は驚くべきものである。>日本の職人の熟達の技は世界のどこの職人にも劣らず、人々の発明能力をもっと自由にのばせば、最も成功している工業国民にもいつまでも後れをとることはないだろう」(『ペリー提督日本遠征記』)
さすが、彼の見識は高いですね。彼の指摘した日本人の特質は、今も昔も変わりませんね。
>日本人の器用さ、その器用さから生まれる「完璧な手工業技術」。>それにペリーは驚いている。
そうですね。目先手先に精神を集注させる技術に日本人はたけていますね。
>「日本の職人の熟達の技は世界のどこの職人にも劣らず、人々の発明能力をもっと自由にのばせば、最も成功している工業国民にもいつまでも後れをとることはない」と断言していることは、さすがである。
彼の洞察力は素晴らしいですね。おかげさまで、わが国は技術立国になり経済大国にまでなりました。
>この江戸時代の徳川政権のままに、長州に任せずに進んだ方が日本は幸せだったのである。>少なくとも長州の暴力主義と対外膨張策による日清、日露、大東亜戦争はなかっただろう。
タラレバの話ですね。きりがない。
>またペリーは、江戸の教育の高さにも驚嘆していた。>下田でも函館でも印刷所を見かけなかったが、本は店頭に並んでいた。>たいていは安価な初歩的実用書、通俗物語や小説だった。>人々は全般的に読み方を習っており、情報収集に熱心なので、明らかに本の需要は大きかった。(同書)
‘読み書き算盤’ の普及ですね。処世術は発達したが、聖人・君子のいない国です。
>アジアにやってきて、本屋を見つけたことは衝撃だったにちがいない。>なぜならそれは庶民が本を読めることを物語るからだ。
一昔前までは、日本人は世界一新聞好きな国民でしたね。
>「人々は全般的に読み方を習っており、情報収集に熱心なので、明らかに本の需要は大きかった」と冷静に書いているが、心中穏やかではなかったはずだ。>それはこれから交渉する幕閣の見識の高さを予想させるからだ。
見識の高さも処世術 (現実) どまりですね。哲学 (非現実) にまでは及ばない。
>さらには日本を植民地化することの困難さを物語るからだ。
誇り高い日本人には、植民地は似合わない。敗戦も良くない。
>本といえばこのような証言もある。>デンマークの海軍士官のエドゥアルド・スエンソンは幕末に日本にやってきた。>そして見聞録を書き上げた。
新しい東方見聞録ですね。
>(日本の 注 : 兵頭)科学の分野が幼児期の段階にあるなどとは決していえない。>ひとつには日本人自身の努力のおかげで、またオランダ人によって日本へもたらされ、日本語に翻訳された数多くの西洋科学書に関する知識がそなわっていたことが理由としてあげられる。
今も昔も一方的なわが国の知識の吸収ですね。
>私の日本滞在中、あるフランスの将校が江戸の本屋で、ナポレオン一世に関する詳しい書物を発見した。>それはオランダ語から翻訳され、うまく活写された皇帝の肖像で飾られていたという」(『江戸幕末滞在記』)
わが国における蘭学の発達ですね。自己慶賀の材料には、事を欠きませんね。
>日本人には「オランダ人によって日本へもたらされ、日本語に翻訳された数多くの西洋科学書に関する知識がそなわっていた」。>もっとも驚くのは、「私の日本滞在中、あるフランスの将校が江戸の本屋で、ナポレオン一世に関する詳しい書物を発見した」という証言だ。>オランダ語から日本語に翻訳された書物だった。>これは日本人の、外国への好奇心の強さと、ある程度の外国情報を得ていたことを物語る。>鎖国といっても、武士はもちろん庶民までもがある程度、外国の事情まで知っていたのである。>日本人が情報に敏感なこと、熱心なことは、いろんな外国人が書いている。
そうですね。処世術の発達ですね。でも、政治音痴も共存していたでしょうね。
>その前提の識字率が江戸で8割ほどもあり、武士たちに限れば10割だった。文武両道といって、武は文(知性)と一体のものと考えられていたのである。
確かにわが国は、西洋人の植民地には向いていないようですね。
>以上転載終了
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