>論理は記憶の道具、記憶は創造の源泉
>米原:恐らく日本人がロジックが苦手になったのは、教育もあるけれども、紙が余りにも潤沢に手に入り過ぎたせいだと思います。
我々日本人の論理的でない原因を紙のせいにするのですか。
>糸井:おもしろいなぁ、その考えは。
>米原:結局ロジックって何かというと、私、通訳していてわかるんだけど、日本の学者はロジックが破綻しているのが多いんです。
日本人は文章にして話さないことが多いからでしょう。ばらばらな単語で話せば、言っていることに意味も矛盾もありませんね。わが国の話者は、聞き手の忖度 (推察) に大きな期待を掛けているのでしょうが、こうした態度では欧米の学者には通じないでしょうね。
>基本的には羅列型が多いんです。
そうでしょうね。わが国には、連歌の伝統もありますからね。
>それでヨーロッパの学者は非常に論理的なんです。>現実は、世の中そんなに論理的じゃないんですよ。
そうですね。現実と非現実 (考え) では内容が違いますからね。現実の内容は、頭の外にある。非現実の内容は、頭の中にある。両者は所在が違うから、内容も同じにはなりませんね。
>論理というのは何かというと、記憶力のための道具なんですよ。>物事を整理して、記憶しやすいようにするための道具。
そうかもしれませんね。筋の通った話は、頭にすっと入りやすいですね。乱数表のようなものは、暗記の材料には向いていませんね、
(略)
>ところが、紙が発達した国は書くから、書く場合には羅列で構わないんですよ。>耳から聞くときには論理的じゃないと入らないんです。>覚え切れないんです。
論理に関してあまり紙にこだわるのは、良くないですね。ペーパー (パピルス) は西洋のものですしね。昔からアレキサンドリア (エジプト) やペルガモン (トルコ) には、大きな図書館がありましたね。中国やわが国にも大きな国際的な図書館はあったのでしょうかね。
(略)
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