>教育を国際レベルへ
>編集部:まずお聞きしたいのは、日本の小中高等学校の教育についてです。>2020年から文部科学省が定めた新たな学習指導要領が順次施行されますが、この指導要領には国際的な教育プログラム「国際バカロレア」の要素が組み込まれていると言われます。>IBは、世界的には有名なプログラムですが、日本人にはあまり馴染みのないものです。>ですから、そもそも、なぜIB的な教育が必要なのかと不思議にも感じます。>これは本当に必要な変化なのでしょうか。
>後藤氏(以下、敬称略):必要だと断言できますね。
>編集部:理由はどの辺りにあるのでしょうか。
>後藤 [後藤健夫=ごとう・たけお]:最大の理由は、AI(人工知能)の進化です。>この進化によって、決められた一つの答えを、決められたルールの下で出す能力は、あまり重要ではなくなっています。>そのようなことは、AIにやらせた方が圧倒的に速く、正確だからです。>ところが、これまでの日本の教育は、ともすれば試験ための学びとなり、特に正しい一つの答えを出す処理の能力を高めることに力点を置かれがちでした。
そうですね。
>こうした正解が唯一に決まる問題ばかりを解いてきたため、正解主義に陥りやすくなります。>あらかじめ唯一の正解があることが想定されていることなど社会や生活の中ではありません。>正解を求めていても本当の解決には向かないのです。>そのようなことを続けていては、これからの時代で活躍できるような人材は育てられません。
そういうことになりますね。
>編集部:なるほど、AIの進化が、IBの必要性につながっていると。
>後藤:そうです。>また今日では、少子高齢化、環境問題、不安定な国際情勢など、社会的な課題が山のように積まれています。>これらの社会課題は、解決のための“正解”が一つではなく、いくつも選択肢があります。
そうですね。個人の意見は、人人により違いますからね。
>そんな時代を生き抜いていくには、あらかじめ決められた正解を出す力ではなく、答えのない中で最善の答えを導き出す能力がどうしても必要です。
そうですね。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>その力を身に付けるための教育プログラムの一つがIBというわけです。
効果が現れると良いですね。
>編集部:唯一の正解のない中で最善解を導き出す力を、IBはどのように育むのですか。
>後藤:IBは「世界最高水準の教育」を目指して設計されたプログラムで、学習者の主体的で本質をつかみ取る思考力を磨くことに重きを置いています。>その目的の下、教える側ではなく、学ぶ側に教育の中心軸を置き、学習者が主体的に、そしてクリティカルに学ぶことを基本にしています。>そうした主体的で能動的な学びが、未知の問題に挑み、唯一の正解のない中で最善解を見つけるという、これからの時代に適した能力を育んでいくわけです。
主体性・能動性が必要ですね。
>編集部:IBが生まれたのは50年前。その当時はAIはなかったと思いますが、それでもIBが世界的な教育プログラムへと普及・発展した理由はどこにあるのでしょうか。
>後藤:一つは、IBが世界平和の構築を究極のゴールとしているからです。>これは、ヨーロッパにおける2度の大戦の苦い経験から生まれたものですが、世界平和の構築には、人種や言語、宗教が異なる相手が異なる考えを持っていることを認める、つまり違いを違いとして認めることが大切なのです。>それを理念として掲げてきたからこそ、IBが各国からの支持を集めたと言えます。
白人中心主義を改めたのですね。
>生きていく意味を見つける
>編集部:能動的な学びが必要とされるということは、これまでの日本の教育が受け身の学びだったということですね。
>後藤:おっしゃるとおりです。
そうですね。わが国では、弟子は師に教えを乞うばかりでしたね。
>これまでの日本の教育は、まさに受け身の学びで、言われたことを黙々と着実に処理できる人を育てる教育でした。
体育の授業でも、受け身の稽古をしますね。これは、怪我を避けるためですね。おとなしい人間ですね。
>かつての高度経済成長期には、それでよかったと言えますが、AI時代のこれからは、言われたことを黙々と処理するだけの人材の価値はどんどん下がっていきます。>いまや工場でロボットが活躍する時代です。
人間は、ロボットに仕事の座を奪われますね。
>また、受け身の教育を受けてきたマニュアル人間や指示待ち族な人たちは、AI社会の中で働き場を失うおそれもあります。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.
日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものが無いので、日本語脳には未来時制がない。だから日本人は、意思の内容を表現できない。仕方がないので、無為無策でいる。マニュアル人間や指示待ち族になるしかない。
>後藤:AIやロボットが人の代わりに働くようになれば、働き場のない人に「ベーシックインカム」が支給されるようになる可能性があります。>そうなったら、多くの人が働かなくなりますよね。>そのとき、やりがいや生きがいを自分で見出せないと、生きる意味を見失いかねません。>つまり、これからのAIの時代は、人が生きる意味を問われる時代なのです。>ですから、主体的に学ぶ力や、やりがいや生きがいを見つる力を養うことが大切なわけです。
各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>編集部:今日のAIにできないことの一つとして、自身では課題が見つけられないという点がよく指摘されます。
Every machine needs a philosophy. (各機械に哲学は必要である) とは行きませんね。
>IB的アプローチを採用する効果は、AIができないこと──つまりは、自ら課題を見出す能力を育むこととも言えそうですね。
そうでしょうね。
>後藤:そうです。
>以前から、問題発見・解決能力の重要性は指摘されてきましたが、かつての手法は、仮説を立てて、問題を切り分け、解決するというアプローチでした。>これはプログラミングにおける「バグ取り」的なアプローチでした。
バグ取りは、プログラミングの本筋ではあませんね。
>しかし、今、必要とされている問題発見・解決能力は異なります。
>編集部:どの辺りが異なるのでしょうか。
>後藤:異なる考えや意見を調整して納得解を見いだすことが求められている点です。
弁証法が必要性ですか。
>そのときに「批判的思考力」が必要とされます。>要するに、あらゆる角度から物事を多面的にとらえて本質を見いだすために検証的にとらえることです。>批判的な思考では、痩せたのではなく「ベルトが伸びたのかもしれない」と考え、検証するわけです。
想定外にされている事柄が少なくなりますね。
>さらには、知識そのものさえも批判的に捉えて検証することが必要なのです。>そのことでお互いの考えの違いを違いと認め合えるようになり、それぞれの異なった常識をすり合わせて納得解を見いだせるのです。
対話により、リーズナブルな答えを見つけるのですね。
>後藤:そのためには思考の訓練が必要です。>日本の教育はこれまで、明示的に思考力を磨く訓練をしてきませんでした。
わが国のような無哲学・能天気の国柄では、思考力は問題にならないでしょうね。
>実際、ダボス会議に出席した私の知り合いは、日本人が会議で精彩を欠くのは英語力ではなく思考力の問題だと言っています。
間違った思考は、英訳を通しても正しい考えに変換できませんね。
>その問題を解決するためにも、未知の問題に挑み、違いを違いと認めて違いを理解したり知識さえも批判的に捉えて考えたりするIB的なアプローチを、教育に取り入れることが大切なのです。
そういうことになりますか。現実の内容は頭の外にある。その内容は見ればわかる。非現実 (考え) の内容は頭の中にある。その内容は見ることができない。だから、理解が必要である。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、’本当’ のこと (真実) である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから、個人的な考えを誰も明らかにしない。
日本人は、現実オンリーの世界に住んでいる。現実の世界には、唯一の正解がある。非現実 (考え) の世界には、正解の内容が多数ある。現実オンリーの世界に住む日本人は、多数の正解を無意識に捨てている。これは、大問題である。
英語には、時制がある。我々日本人は、日本語と英語を学んで、時制のある考え方を理解して役立てる必要があるでしょう。英米流の高等教育は、非現実の文章内容 (哲学) の学習を育んでくれます。
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