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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

福田康夫氏  

2021-11-21 11:20:22 | 文化

>20170912日 >福田康夫はリベラル派<本澤二郎の「日本の風景」(2732)

><森・小泉・安倍・麻生のゾンビ政治と異質>  > 「東条英機や岸信介の再来」と見られがちのゾンビ・国家主義政治屋と福田康夫は、同じ清和会でもまるっきり異質であることが、最近の福田発言で裏付けられた。 >福田が8月31日、内幸町の日本記者クラブで記者会見をしていたことを見つけて、それをYOU TUBEで確認できた。

 

それは新発見ですね。

 

>福田は、大平政芳や宮澤喜一と同じ、寛容・友好を旨とするリベラル派の政治家だ。>戦前派と無縁である。 >安倍政治だと、日本は破滅するという彼の指摘を、頷くほかない。 

 

無哲学・能天気の政治家は御免ですね。   

 

><靖国参拝否定・非宗教追悼施設の建設に今もこだわり>  > 彼は父親や弟と違って、政治の道とは距離を持って生きてきた常識人である。 >また、多くの日本人と同様に、歴史を学んでもいなかった。 > 政治家になると、遺族会の票獲得のために靖国参拝を心がけた。 

 

遺族会への挨拶は恒例の票稼ぎですね。   

 

>そのことで、隣人が強く反発するという理由が分からなかった。 >彼は正直者である。 >そんな過去を打ち明けた。 > しかし、小泉内閣の官房長官に就任して、過ちを認めて、歴史認識を新たにした。 >隣人の怒り苦しむ様子の原因を理解した。 >靖国参拝を止めて、小泉や安倍との違いを見せつけるようになる。

 

それは良かったですね。でも、相手方に対する説得力の方はどうなっているのですかね。小泉・安倍は歴史の修正主義者 (revisionist) ですからね。   

 

> 憲法は、宗教法人である靖国神社への公人参拝を禁じている。>そこで、福田は非宗教の追悼施設の建設へと舵を切った。 >この判断は正しい。 >おそらく宮澤喜一の意見も聞いたはずだ。 

 

福田氏の意見は正しいですね。国民が理解できると良いですね。理屈を言っても理解されないのがわが国の現実ですかね。     

 

>残念ながら、彼の闘争は、森・小泉と安倍ら日本会議によって阻止されてしまった。 > それでも、今回も福田は、会見で非宗教追悼施設の建設を、国民の合意を得て実現すべきだと主張、靖国参拝を強行する安倍ゾンビ政治との決別を印象付けた。 >真っ当な判断は健在である。 

 

福田氏は周囲と慣れ合わなかったのですね。大したものですね。      

 

> ()  

><ゾンビ外交返上の2017年へ>  > かくして、尖閣や南シナ海問題で、流れを72年前に引き戻てしまった安倍ゾンビ外交を返上する2017年にしなければならない。>非宗教追悼施設には、戦場で倒れた兵士だけでなく、戦災による被害者も一緒に祀るのである。  

 

追悼施設は、国を守ることに自らの意思を示した戦死者だけを称えるものにしたいですね。犠牲になった人ではなく、犠牲にした人たちの勇気を称えたいですね。   

 

>国民や公人・外国要人の参拝する、文句なしの平和のシンボルにするのである。

 

その意見に賛成ですね。  

 

()   

>2017年9月12日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 

………………………………………………………………………………………………….

 

 

 

 

 

世代を超えた英霊顕彰の継続  静岡県護国神社宮司 芦原久雄   

 

先ずもって聖壽の万歳と皇室の弥栄を祈念申し上げます。

 

昨年初頭より続いております新型感染症の感染終息が見通せないなか、医療従事者をはじめ対策に追われている皆様に心より感謝申し上げます。

 

 

 

前号でも触れましたが、先の大戦終結より七十年以上の年月を経た現在、遺児の皆様方でも齢八十を過ぎ、ご遺族の高齢化が進んでおります。また、遺族世帯数も減少の一途をたどっております。私が当社に奉職いたしました四十年前には、県内の遺族世帯は五万数千世帯でありましたが、現在では一万二千世帯程になっております。県内の単位遺族会の解散も至る所で見受けられるようになりました。このままでは何れ遺族世帯が無くなってしまうということでしょうか? 答えは、否であります。  

 

 

 

あくまで私見ではありますが、家系が途絶えてしまったお家はあるにせよ遺族世帯は、極端に減少しているとは考えておりません。戦没者遺族であるとの認識が次第に薄れていったと言うことではないかと考えられます。

 

遺児をはじめとするご遺族の中で実際にご英霊と親しく過ごされた記憶ある方は、ほとんどいらっしゃらないと思われます。核家族化が進んだうえ孫・曽孫の世代が主流である現在、ご英霊のご事跡の「継承」が上手く行かなければ、そのお家のご英霊の存在は終わってしまう可能性が大であります。これでは、一身を投げ打って国に殉じた英霊に大変申し訳ない事であります。英霊顕彰は我々日本人それぞれ (もちろん遺族家庭でなくても) が末代まで継承してゆくべきであると考えます。  

 

 

 

「人は二度死ぬ。一度目は、肉体が滅んだ時。二度目は、皆に忘れられた時。」とよく言われます。ご英霊が「二度目の死」を迎えられるのは大変申し訳なく悲しいことであります。このような事がないようにするにはやはり各ご家庭でご英霊に想いを致す日を作って頂く事がよろしいと思います。「ご命日」・「春秋のお彼岸」・「お盆」いつでもよろしいと思います。一年のうち一日で結構です。家族が集う時に老若男女皆様でご英霊を想っていただくとともにこの「想い」を継承していただきたいと念じております。   

 

                             護国しずおか 令和3年4月 

 

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芦原宮司様 どうもご苦労様でございます。私は、本年八十四歳になる遺児の寺嶋眞一でございます。あなたのご意見を拝読したしました。それで、私の意見も述べさせていただくことにいたしました。

 

護国神社の護国とは、国家を守ることでしょう。安国寺が戦死者の追善または国家安全の祈祷所として建てられたのと似たような目的ですね。  

 

我が国の国防問題は遺族世帯に限ったものではないでしょう。ですから、遺族世帯の減少がわが国の国防の重要性の減少には繋がりません。わが国の政治家はそのことをよく理解しているものと思います。 

 

仏祀りは五十年までと決まっています。祖先祀りと草むしり行事では、遺族会の会員数は保てません。我々の英霊顕彰の活動には、この国の ‘あるべき姿’ が抜け落ちています。 わが国の歴史教育の成果が現在の英霊顕彰の上に反映されていません。

 

ご指摘のように認識の薄れがあります。しかし、わが国の国防の大切さは遺族の認識とは直接関係がありません。   

 

我が政府は英霊顕彰の時を設けて自己の主体性を示すということがない。私は現在のように宗教関係者に丸投げしている状態は何としても改めたいと思っています。政治家の皆さんのご賛同をぜひ戴かなくてはなりません。防衛関係の皆様にもこのことはご理解いただけるものと思います。      

 

先の大戦の内容は歴史の教科書ではっきりと国民に示す必要があります。さすれば、この国が続く限り英霊の顕彰も続くべきものであることが理解されるでしょう。  

 

英霊顕彰の問題は英霊と親しく過ごした個人の時間とは直接関係がないでしょう。一身をなげうって国に殉じた英霊の意義を我々国民は過ぎた時間とは関係なく歴史を通して語るべきではないでしょうか。

 

顕彰の時を仏教の行事に合わせる必要もないでしょう。ぜひ、わが国の英霊顕彰の地を新設する。そして、清教徒、異教徒の別にかかわりなくこの国を訪れる外国人にもそこに表敬訪問をお願いいたす次第です。

 

 

 

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本澤二郎氏 2/2  

2021-11-20 23:10:09 | 文化

 

>その莫大な資金を悪用することで、財閥は軍閥から官閥・政閥をコントロールしてゆく。 

 

全ては金の力によるものですね。    

 

>むろん、言論界も、である。 > 天皇制国家主義は、財閥のためだった。 >植民地支配・侵略戦争によっての暴利を、財閥は独り占めにした。 >そこを日米戦争の相手国・ワシントンは、正しく認識していた。 >ポツダム宣言は、日本の侵略政治の背後を見抜いていたものだった。>占領軍は、真っ先に財閥と軍閥を解体した。

 

過度経済力集中排除法の成立ですね。それは良かったですね。    

 

> いま現在、同じく財閥が牙を抜いて、アジア・世界に挑戦しようとしている! >安倍・日本会議の黒幕である。><被害者はアジア諸国民>  > 日本人の奴隷化でもって、多くの被害を受けたのも、奴隷化した日本人だったが、近隣のアジア諸国民のそれが、はるかに、はるかに上回った。

 

日本軍に占領された都市は日本の都市と同様に連合国軍の爆撃の対象になりますからね。   

 

> 日本の悪しき近代化は、周辺国に向かった。 >それもこれも、宗教と教育と天皇神格の憲法によって、国粋主義化した天皇制国家主義の行き着く先だった。 

 

無哲学・能天気な日本人は超国家主義に走りましたね。自己慶賀に酔いしれていましたね。   

 

>その被害を受けた隣国が、防衛のために軍事化を急ぐ理由ともなっている。> 日本の新たな軍拡が、戦争の火種となることに国民は、昨年の戦争法強行で気付き始めた。 

 

日本人には判断力が無いので、人から信頼されることがありませんね。

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。恣意の人間は指導者になっても権力は持たせられない。人人はできるだけ権力の少ない指導者を望んでいる。すると、指導者は床の間の置物のようなものになる。彼の唯一の業績は '任期中に何もしなかった' ことであると任期終了時にいわれている。  

日本人はなれ合っている。なれ合いとは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。無責任でしかない責任者の権力はできるだけ小さいほうが良いので、日本人は権力の所在についての考えがない。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。…… どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)

日本人の未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。だから、お変わりのないことが何よりなことである。ノー・アイディアで暮らすことに不便を感じない。 

 

><歴史の逆転にかける安倍・日本会議> > 昨日の5月3日に東京・江東区では、5万人前後の巨大集会が開かれた。>「安倍退陣」「戦争法廃止」を訴えるプラカードが、天に向かって泳いでいた。 >他方、その前日に中曽根康弘や民進党の右翼・松下政経塾の松原、公明党の斎藤ら改憲派が奇声を挙げた。 > 後者は、日本会議・神社本庁が仕掛けたものだろう。 >会場としては明治神宮がぴったりだろうが、露骨すぎて使用しなかったらしい。

>歴史の逆転にかける右翼の面々、天皇制国家主義者らの集いであるが、国民は戦争体制に反対である。 

 

修正主義 (revisionism) ですね。歴史を自分自身で思うがままに書き換えようとすることですね。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) <”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。(p.54)

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)       

 

>中国や北朝鮮の脅威論でもって、国民を欺こうとしても無理なことだ。 ><引きずられる公明党創価学会>  > 問題は宗教である。 >思考停止の教団を軽視してはならない。 >彼らは理屈では理解しない。 >上層部の指令で動く軍隊と同じである。

 

指示待ち人間の群れですね。   

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

 

> 北海道5区の補選は、不正選挙と創価学会の支援もあって、自民の弔い合戦候補に軍配を上げた。 > それまで、平和を高らかに歌っていた公明党創価学会である。>突然、日本が危ないと信じ込まされて、戦争体制の先頭を走らされている。

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。

 

>そのことに気付かない会員が少なく無いという。  

 

ナウな感じの日本人ですね。日本人には未来の内容がない。       

 

> 宗教も、信者を奴隷化する手段として効果的なのであろう。 

 

そうですね。植民地主義者には宣教師も同行していましたね。   

 

><歴史を後戻りさせない!> > 残念ながら3日の朝日新聞社説を読んでいない。>「朝日デジタル」で見出しだけである。>「歴史を後戻りさせない」とあった。>正論に戻った朝日新聞に安堵した。 >むろんのことで、朝日世論調査は「9条改憲反対」が68%。 >世論調査に自信をもったものであろう。 

 

歴史の修正主義は危険ですね。悪夢の再来ですね。御免ですね。   

 

> 自民党の改憲案は大日本帝国憲法に回帰している、教育勅語もカルトの国家神道も願い下げだ。  

 

そうですね。日本人の行為には形式があって内容がない。無哲学・能天気の人間のなせる業ですね。我々の古い習慣を改める必要がありますね。      

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)  

 

>朝日が元気を出せば、国民も勇気が出てくる。 >29年前の5月3日は、阪神支局襲撃事件が起きている。 >極右の犯行に相違ない。 > 朝日の無念を理解できる日本人は、奴隷化に屈しない自立人間であろう。 

 

暴力で言論を封じようとするやり方は、中国政府の得意とするやり方ですね。焚書坑儒の方針ですね。       

 

>懸念してきた「朝日のナベツネ化」はないと軌道修正したい。>ならば「パナマ文書」やTPPの甘利喚問、少し古い腐敗事件の「徳洲会疑獄」にも健筆をふるってもらいたい。>北海道5区補選の千歳開票区の点検も忘れてほしくない。 > 歴史の逆転は、日本人の奴隷化にほかならない。 

 

歴史の逆転は悪夢の再来ですね。各人に哲学は必要である。   

 

>2016年5月4日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)  

 

 

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本澤二郎氏 1/2  

2021-11-20 22:50:24 | 文化

 

>20160504  >日本人奴隷化の真実<本澤二郎の「日本の風景」(2344)><明治に確立した暗い明治> > 岩波文庫「近代日本思想案内」(鹿野政直著)を開くと、日本人の奴隷化政策が、不幸にして明治に確立したことを教えている。 >武器弾薬には兆速の進歩を遂げたが、文化面では徳川の江戸幕府の方が、はるかに優れていることがわかる。 

 

実学 (技術) は現実の内容ですから世の東西同じですが、考えは非現実の内容ですから言語が違えば結論も違いますね。   

 

>明治の欧化政策で注目させた学問的成果は、欧米の近代思想の翻訳である。

 

そうですね。翻訳は漢字ばかりの中国人には出来ない技ですね。      

 

>中国の留学生は、日本で民主主義やマルクス主義を学んでいるほどだ。 

 

そうですね。漢字には中国人の意味がある。しかし、漢字は西洋思想を反映させるために作られてはいません。  

 

>日本はしかし、明るい明治づくりに失敗して、侵略戦争に突入して、その挙句、原爆投下とソ連参戦によって、手ひどい仕打ちを受けてしまった。>自業自得である。   

 

考えの内容は、東は東、西は西ですね。

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る態度が日本人に高く評価されている。

 

>明治の失敗を教訓にしないと、日本の未来はないだろう。

 

そうですね。しかし、失敗の分析は未だになされていませんね。我々のお先は真っ暗です。   

 

><国家神道・教育勅語・大日本帝国憲法>  > 欧化政策は、明るい日本を約束するはずだったかもしれないが、時の薩長藩閥政府は、欧米の悪しき侵略路線を選択した。>それが大日本帝国憲法と教育勅語である。 

 

日本人には (現実) は分かりますが、非現実 (考え) は理解できませんね。

 

> 鹿野本の指摘だが、もう一つ重大な事実を忘れていた。>それは宗教政策である。>廃仏毀釈による国家神道の確立である。> 数世代の強要によって、多くの日本人は、神社信仰の、恐怖で強いられたカルト教であることをすっかりと忘却している。>マルクスが「宗教はアヘン」と決めつけた理由がわかる。

 

そうですね。神様の祟りは恐ろしいですからね。   

 

>神社の祭礼には、違和感を抱くことなく、参加する市民は現在もいる。>特に右翼議員の祭礼参加は、靖国参拝に比例している。  

 

日本の宗教には儀式 (作法) があって、教義 (教え) がない。現実がそうであるだけに作法が厳しい。      

 

>家の中心に飾った神棚と、近隣にある無数の神社、そして本山である靖国神社・明治神宮・伊勢神宮・出雲大社を、不思議とありがたがる風習は、現在も変わっていないかのようだ。> 明治期に確立した日本人の奴隷化の根源は、宗教と教育と憲法である。  

 

宗教・教育・憲法は我々受動人間の行動規範ですね。   

 

>この3本の矢を撃ち込まれて、人々は健全な思考と抵抗心を完璧に失って、奴隷化されてしまった。

 

元々思考停止の人間には、抵抗心もありませんね。作法を教え込まれないと行動にも支障をきたすほどです。      

 

>問題は、そのことさえ理解する能力を喪失してしまった点にある。

 

無哲学・能天気とはそういったものでしょう。   

 

><駆逐された自由民権運動> > 明治の欧化政策の評価される学術成果は、民主主義を学ぶ機会を手にしたことである。 >これが自由民権運動として、政治的な運動体として開花した。 > これが主流となれば、日本の近代史は大きく塗り替えることが出来たろう。 

 

そうは問屋が卸さない。我々日本人には言語の問題が在りますからね。  

 

>不幸にして、地方侍による明治政府は、天皇制国家主義へと突っ走って、自由民権運動を駆逐してしまった。 

 

自由とは意思の自由の事である。ところが、日本人には意思がない。だから、日本人には自由にも意味がない。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ になって許されない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となって、日本人の生活は以前の生活と変わることがない。  

 

> 民主的な議会の開設や天賦人権論は、天皇主権・天皇神格化の前に封じ込められてしまった。 >ここに日本とアジアの不幸が生まれた。 >教育勅語と国家神道による神社参拝が、幼児期の日本人頭脳を改造してしまった原動力である。 > 「天皇のために死ぬことが誇り」という想定できない奴隷人間を作り出してしまった。

 

そうですね。序列信仰の極みですね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。  

 

>これに似た政権は地球上に存在しない。 >明治官僚の悪辣さを象徴して余りあろう。 >背後に、日本を代理戦争に狩りたてた欧米の列強も控えていたことも重要である。  

 

日本人には意思がない。日本人の行為には受動があって能動がない。被害者意識があって加害者意識 (罪の意識) がない。実に恨めしい世の中になっている。   

 

><治安維持法による恐怖政治>  > むろん、この政治的カラクリを見抜いた民権派・自由主義者・共産主義者・リベラルな宗教者は少なく無かった。  

 

しかし理屈をつけてそのからくりを説明できる日本人はいなかった。    

 

>これら抵抗勢力を屈服させることが、時の政府の主要な仕事になった。 > その手段・方法が治安維持法である。 >体制に抵抗する団体・個人を、片端から獄につないでいく。 >恐怖政治である。 >天皇批判に重罰を加える体制の確立である。 >これを徹底した。 >天皇に従順な日本人奴隷を徹底化させることが、軍国主義化と侵略戦争を可能にしてゆく。

 

日本人には意思がない。日本人は典型的な指示待ち人間ですからね。    

 

><財閥のための天皇制国家主義>  > この天皇制国家主義の最大の悪用・利用者は、政商から財閥となった巨大資本である。  

 

日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気である。それだけに処世術 (損得勘定) が発達していて、慾に歯止めがかからない。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定がわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。    

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

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橋爪大三郎氏・大澤真幸氏 2/2  

2021-11-20 05:08:34 | 文化

 

>台湾が侵攻されるのを指をくわえて黙って見ていたら、大日本帝国が暴れ出したときも、みんな指をくわえて黙って見ていなきゃいけなかったことになる。 >戦後日本の否定です。 >そういうことを日本人1人ひとりが考えてほしいと思います。

 

そうですね。我々日本人は無哲学・能天気ではいられませんね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定がわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。    

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>西側の資本主義が自信を失っている  > 大澤:おっしゃるとおりだとは思うんです。 >ただ、なぜ私が心配するかといえば、日本を含めて、アメリカを中心とした西側の資本主義が、いま明らかに自信を失っているように見えるからです。

>自分たちのシステム、自分たちの資本主義が、中国に比べて本当に優位なのか不安をもっている。 > ここに来て、アメリカが中国に対して厳しく対している理由は、そういう無意識の不安を抱えているからではないか。

 

そうですね。中国の覇権主義を見逃しておくとこの地球は自己中心的な中華思想の世界になります。    

 

>中国共産党のやり方への道義的な怒りだけではない。>というか、急に怒りが強まった、真の無意識の原因があるように思います。 

 

自己中心的な中国の覇権主義に自由世界のスキを見せてはなりませんね。    

 

> 橋爪:それは中国だって同じですよ。>マルクス・レーニン主義の成れの果てが毛沢東と習近平だとしても、彼らが最終解であるなんてことはなく、彼らは彼らの困難に見舞われ、これから西側より優れているということを証明し続けなければならない。>だから、悪戦苦闘していくはずです。 

 

そうですね。自己中心主義者の悪戦苦闘は空しいですね。    

 

> その悪戦苦闘をわれわれは共有して、自由と生活条件を整える現実主義との関係をもう一度考えてみる。>自由とは、はたして普遍的な思想なのかということもね。  

 

自由とは意思の自由の事である。日本人には意思がない。だから、自由そのものに意味がない。不自由を常と思えば不足なし。日本人はこの状態を脱する必要があります。          

 

>そして、その普遍的な思想が、アメリカローカルな、西側ローカルな、キリスト教ローカルな考え方ではないのだということを証明していく必要がある。

 

それは我々日本人には難しいでしょうね。   

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る態度が日本人に高く評価されている。

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

日本人は思考を停止しており万事受け身で対処するのが基本姿勢となっている。 

 

> それは日本がやればいいと思う。>日本はキリスト教ローカルなあり方からはみ出ているんですから。   

 

そうですね。それができたらありがたい。日本人には罪がない。意思の無い人には受動があって能動がない。被害者意識があって、加害者意識 (罪の意識) がない。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。恣意の人間は指導者になっても権力は持たせられない。人人はできるだけ権力の少ない指導者を望んでいる。すると、指導者は床の間の置物のようなものになる。彼の唯一の業績は '任期中に何もしなかった' ことであると任期終了時にいわれている。  

日本人はなれ合っている。なれ合いとは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。無責任でしかない責任者の権力はできるだけ小さいほうが良いので、日本人は権力の所在についての考えがない。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。…… どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)

日本人の未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。だから、お変わりのないことが何よりなことである。ノー・アイディアで暮らすことに不便を感じない。 

 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ になって許されない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となって、日本人の生活は以前の生活と変わることがない。  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば、その人は当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

日本人には罪がない。意思の無い人には罪がない。意思の無い人は能動がなくて、受動だけの生活をする。被害者意識はあっても、加害者意識がない。だから日本人は加害者意識が高じて体験する罪悪感に苛まれることがない。これはアニマルも同じです。だから、日本人には罪がない。罪の意識におびえる人たちが日本人に謝罪を勧めたらどうなるか。それは自虐行為の勧めと受け取られて恨みを買う事必定である。 日本人は罪を語らない宗教である神道・仏教の周辺に集まっている。とにかく、罪の匂いのするものは日本人の体質に合わない。それは陰気のもとになる。だから日本人は罪の話は嫌いです。罪の意識のない人には、病める魂もなく、その救済も必要としない。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) も、わが国では力を持つに至らなかった。

戦後の占領軍のWGIP ( War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) という奇特な計画も見事に失敗しました。これは、アフガンに民主主義を植え付けようとするアメリカ人のようなものか。日本人に対する罪悪感の宣伝はカエルの面に小便の状態になったのです。 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 欧米人は哲学と意思により人間の行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は ‘口実・言い訳・言い逃れ’ である。本音は、’私意・我儘・身勝手 である。だから、現実の中に行為がうずもれてしまい低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

 

>歴史的に考えても、中国と西側世界の両方の影響をもろに被ってふらふらしている。  

 

ふらふらは、無哲学・能天気の民の態度に相応しい。各人に哲学は必要である。      

 

>だから、日本は逃げずに、この問題をしっかり考えていかなきゃいけないと思いますよ。  

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>これは、今回の対談で、大澤さんからいただいた大きな宿題ですね。  

 

そうですね。しっかり考えるのは難しい。  

 

>(構成・文=宮内千和子)   

 

 

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橋爪大三郎氏・大澤真幸氏 1/2  

2021-11-20 04:48:24 | 文化

>東洋経済オンライン  >中国共産党  ひっくり返す「動乱」なぜ起きないのか  覇権的な中国に「日本はどう考え対処すべきか」  > 橋爪 大三郎,大澤 真幸 2021/11/18 15:00

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>ウイグルをはじめとする苛烈な「民族弾圧」から香港、台湾へと広がる世界的危機。 >中国共産党・習近平はいったい何を目指しているのか。

 

習近平氏は世界の覇者になることを目指しているのでしょう。  

 

>その中国リスクを読み解く『中国共産党帝国とウイグル』の著者・橋爪大三郎氏と、社会学者の大澤真幸氏が、中国の文明・哲学的背景を踏まえ、覇権的な習近平体制の本質に切り込み、この状況に日本はどう考え、対処すべかを語り合う。>(前回は習近平体制の本質と「特色的」な政治的資本主義に切り込んだ『意外と知らない中国式の「国家資本主義」その本質』)。  

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。この傾向は皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。だから、独断専行に陥りやすい。中国人が漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。覇者は周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

 

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

>中国のど真ん中で動乱が起きる可能性は?   > 大澤:いま中国は、香港や新疆ウイグルで、とてつもない「弾圧」をやっていると報じられています。>それを西側諸国がどれほど批判しても、中国当局は「内政干渉だ」と言って歯牙にもかけない。

 

中国は中華思想に基づいて内政を行っています。ですから、諸国の批判は中国の内政への干渉になりますね。   

 

>ただし、中国のど真ん中で、香港のような動乱が次々と起きれば、昔の東ヨーロッパのように、民主化したり、人権が尊重される社会に変わっていくための手がかりになるような気もするんです。 > もちろん、強圧的に権力が働いているので、簡単にはいかないと思いますが、人々の不満がたまっていくと、自由を求めていずれ大きな転換が起こりそうだと考えますが、この辺の見通しについてはどうでしょうか。  

 

中国人民の中華思想に対する愛着は他民族には理解できないほど深いものでしょうね。    

 

> 橋爪:その問いに答えるには、毛沢東という存在を改めて考えてみる必要があると思う。 >中国共産党の権威を軸にして、人びとを動員する近代化のあり方を、限界まで推し進めたという意味で、やっぱり毛沢東があってこその現代中国だという気がする。 > 毛沢東の果たした役割は、アメリカで言えば大覚醒(18世紀中ごろからアメリカ植民地で始まった信仰復興運動)に匹敵する現象だと思います。 >気がついたら信仰のウエーブに巻き込まれて、自分も熱烈な信仰心に目覚めていたという経験ですね。 > 毛沢東の権威は、革命的ロマン主義として人びとに働きかける。 >革命によってつくり変えられた世界は、もっと正しくて、もっと価値があって、自分の人生を光り輝かせてくれる。 >そういうメッセージが毛沢東から自分に届いているんだと確信できる。 >それが信仰心のように人びとに広がっていく。

 

既存の宗教は毛沢東への信仰の邪魔になりますね。既存の宗教と毛沢東への信仰は精神的には同程度なのでしょうね。ただ、毛沢東は武力を持っているところだけが違っているのでしょう。    

 

> さて、今の共産党は、無謬なのかどうか。 >毛沢東の時代は無謬ではなかった。 >毛沢東という革命の権威があれば、共産党の組織や幹部を攻撃できた。 

 

共産党は権威主義ですね。   

 

>習近平は毛沢東なのか、劉少奇なのか。>どっちかわからないでしょう。> だから、中国の中心で反共産党の運動が起きるとすれば、私こそ最も共産党的です、私こそ最も熱情的に中国革命を、あるいは中国の伝統を、現在に生かす理想の推進者です、と言うカリスマが出てきたとき。>その場合には、中国共産党は相対化されるのだと思います。 > 大澤:今の体制では、そういう扇動者は出にくいでしょうね。 

 

中国でも出る杭は打たれるか。下におれ、下におれですね。   

 

> 橋爪:伝統中国では、こういうのはみんな道教系の宗教反乱のかたちをとる。>すると、中央政権は壊れてしまう。>だから今、宗教は禁圧されています。  

 

中国では、宗教に権威は無いのですね。   

 

>法輪功もキリスト教も、警戒の対象です。 >宗教が駄目だとすると、世俗の思想や哲学の探究者はどうか。 >これもあてにできない。  

 

中国には焚書坑儒の伝統がありますね。    

 

>世俗の思想や哲学は冷静で客観的なものだから、そういうカリスマ的人物は哲学の中からは出てこない。 > むしろ、クレージーな政治家のほうがなりやすい。  

 

為政者には暴君の性格が必要ですかね。    

 

>例えば、共産党から習のライバルと目された薄煕来(スキャンダルで失脚)みたいな政治家が出てくる可能性もあるけど、今は出てきにくいでしょう。 >結論を言えば、しばらく矛盾が深まって、人びとの無意識がかき乱されるまでは、共産党をひっくり返すような動乱は起こりにくいと考えられます。 

 

我々は中国社会の矛盾の深まりを待つばかりですね。   

 

>天安門事件で中国をデカップリングしておくべきだった > 大澤:なるほど。 >いろいろ勉強になりました。 >この問題に絡んでもう1つ率直にお聞きしたいのは、1989年の64日に起きた天安門事件に関連したことです。

>今振り返ってみれば、天安門事件のほうが、東ヨーロッパの民主革命よりもちょっと早かった。 >そのおよそ半年後にベルリンの壁が壊れるんです。 > しかし中国の天安門事件のほうは、血の弾圧があり、その後、継承されることがなく失敗した。 >天安門の後に起きた東欧の革命は、今から振り返るとその後大変な苦労が待っていたわけですが、少なくとも体制を変革することには成功したわけです。  

 

そうですね。体制の変革は大きな仕事ですね。    

 

> ルポライターの安田峰俊さんが、『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書、2021)という本で、天安門事件に関わった人たちが今どうしているかインタビューしています。 >何十人も、です。 >内容は日本の全共闘運動を振り返るような感じです。 > あのときは大学生で若気の至りだったとか言いながら、今ではどこかの企業の幹部になっていたりする。 >まれに今でも民主化を目指している人もいますが、そういう人はたいてい海外にいて、言うことにあまり中身もなく、派閥争いのようなことをしている。 

 

彼らは無哲学ですね。   

 

>そういうのを読むと、天安門事件みたいなことはもう中国で起きないのだなとつくづく思いますね。  

 

日本人や中国人には世界観がありません。ですから、体制の変革に対する魅力も持続しませんね。    

 

> 新疆ウイグルのようなところには、弾圧され、そして抵抗している人びともいる。

>しかし多くの一般の漢民族の人たちが、今の中国の方針を受け入れているとすると、どうやって私たちが中国の問題にアプローチしていけばいいのか、どうやって中国の人権侵害に対応したらよいのかわからなくなります。

 

少数民族の悲劇ですね。   

 

> 橋爪:天安門事件のときの西側世界の対応は大変に稚拙なものでしたね。 >もし中国に関する分析が行き届いていれば、現状の中国がいかに軍事的、経済的に遅れていようが、そのポテンシャルを見て、この方向は大変危険だと判断できたはずです。 >よって、単なる制裁ではなくて、デカップリングをすると決めて、縁を切るべきだった。 > そうすれば、中国のその後の発展はなく、西側世界に適応した指導部ができて発展する以外の選択肢がなくなり、共産主義を捨てた可能性がある。 >世界にとって、これは非常にコストが低かった。 >中国の人びとにとってもよかった可能性が高い。

 

タラレバの話は長くなりますね。   

 

> 大澤:そうですね。 >当時は中国に対する認識が甘かったと思います。

 

我々は中国の実力を見損なっていたわけですね。    

 

> 橋爪:日本も制裁に後ろ向きで、あれはもうなかったことにしましょうと最初に尻尾を振って、ほかの国も追随した。>そうやって、中国の市場で一儲けしてやろうという人間ばかりで、大変に情けなかったと思う。

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。処世術 (損得勘定) ばかりが発達しています。    

 

> 橋爪:私は、1980年代にソ連が駄目になるだろうと考えていて、どういう形で駄目になるのか、そこに非常に関心を持って見ていたんです。 >民衆運動とか暴動が起きて、それを体制側が徹底的に弾圧するという悪夢のような攻防を思い描いていたら、そうはならず、ゴルバチョフが出てきた。 >エリツィンも出てきた。 > なぜソ連が静かに崩壊したかといえば、マルクス・レーニン主義の原則でこの世界を捉え、私が生き、人びとを支配していっていいのかと、ロシア共産党の多くの幹部が考えていたからです。 >つまり、ソ連そのものが、特権階級のシロアリに食い荒らされた木造の建物になっていて、それを支えようという人が誰もいなかったから。 >今の中国を止めるには、これが一番いいシナリオだと思う。 

 

そうですね。中国の為には木造建築にシロアリですね。    

 

> 今の中国共産党が拠って立つイデオロギーを守るために、メディアを独占し、人権を抑圧しているのです。>そのことに根拠がないと中国の政治指導部が思えば、中国は変わる。>人民が変えるのではなく、中国の政治指導部がそう思うことが大事なんですよ。  

 

ソ連が中国改革の手本になるのですね。    

 

>中国は変わるのか?   > 大澤:習近平一強の体制を見ていると、外からのアプローチはなかなか難しいと思うんですが、中国が変わるためのメッセージはどうすれば届けられると思いますか。 > 橋爪:中国の政治指導部は、メディアの統制はあるけれども、民衆に比べて西側の情報や外部の情報に接するチャンスが多い。 >そこにきちんとした情報、分析、哲学を潜り込ませて届ける必要があると思う。 >そういう一貫した知的生産物をつくり出し続けて、それを彼らの目に触れ、手に取れるかたちで用意しておくこと、これがわれわれにできる唯一の方法だと思います。  

 

それは実現の可能性がありそうですね。政治指導部の再教育ですね。     

 

> それをやらずに、中国の人民が間違いに気づいてそのうち武装蜂起するに違いないと、手をこまねいて見ているのは、中国の人民の犠牲を強いるという意味で失礼であるのみならず、知的怠慢ですよ。 > 大澤:おっしゃるとおりですね。 >いつものことですが、橋爪さんとお話ししていると、ある種の理想に対する、不屈の強い意志を感じます。  

 

そうですね。橋爪さんのお話は難関突破の可能性を感じますね。  

 

> 最後に、これから起こりうることを踏まえてお聞きしたいのですが、このままいけば、アメリカと中国の関係、あるいは、自由主義陣営と中国との対立は抜き差しならぬものになるかもしれない。 >最悪の場合は、中国が台湾に軍事侵攻して、米中の軍事的な衝突になる。 > そうなると、日本も存立危機の事態とみなし、集団的自衛権を発動するかたちで戦争に協力することになるかもしれない。 >客観的には事態はこのように進行するでしょうが、そのとき日本人はこの事態に精神的・内面的にコミットできるだろうか。 >そう考えると、複雑な気持ちになります。  

 

そうですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無いナウな感じのする人間の特徴ですね。   

 

>「中国の体制は嫌いだけど戦いたくないみたいな……」そんなことになりそうな予感がして。

 

日本人の場合は義を見てせざるは勇無きなりの標本ですね。   

 

> 橋爪:精神的にコミットするべきですよ。 >なぜコミットできないかと言うと、それは日本軍国主義がアメリカや世界を相手に戦争したことが、どう間違っていたか、その認識が足りないからだと思う。

 

その通りですね。我々は間違いの分析をまだしていませんね。

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

> よく左翼の人びとが戦争に反対しますけど、ならば、アメリカは真珠湾を攻撃されて黙っていればよかったのか。 >そうしたら日本軍国主義の思うままだし、中国はそのまま植民地化されるわけでしょう。 >そんな軍事力による国際秩序のつくり方は間違っているから、連合国は軍事力で反撃した。 > そのおかげで大東亜共栄圏じゃない、新しい世界秩序が出来上がったわけですよね。  

 

そうですね。   

 

 

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