>読売新聞 >ウクライナ、ツイッターに30か国の「支援に感謝」…日本は含まれず >読売新聞 2022/04/27 21:02
> ウクライナ外務省は25日のツイッターで、「困難な時に揺るぎない支援に感謝する」などとして、米国やドイツなど約30か国の国名を挙げた動画を公開したが、日本は含まれなかった。
残念でしたね。わが国は持てる力を出し切れていませんね。わが国は世界の中にあって世界に属していない。
> 外務省によると、ウクライナ政府からは「武器支援を行った国への謝意が示された」との説明があったという。>ウクライナは日本にも武器の提供を求めているが、日本からの供与は防弾チョッキなど非殺傷の装備品に限定されており、欧米諸国の支援とは落差がある。
これは ‘身から出た錆’ ですね。
ゼレンスキー氏は、ウクライナがロシアから欧州を守る「盾」になってきたと強調。ウクライナへの武器供与を拒否するドイツが、ヘルメット5000個を送ると表明したことに触れ「どんな支援も感謝するが、善意の寄付を求めているのではない」と語り、支援は欧州諸国が欧州の安全のためになすべき貢献だと訴えた。
ゼレンスキー氏の主張には説得力がありますね。こののちドイツは態度を改めましたね。
> 湾岸戦争終結後の1991年3月には、クウェート政府が米紙に掲載した感謝広告に巨額の財政支援を行った日本の名前が入らなかったことがある。
そうですね。湾岸戦争のときに日本は90億ドル (1兆1700億円) 支払いました。しかし、アメリカにもクウェートにも感謝されませんでした。イラクのクウェート侵略というはっきりとした大義名分があつたにも拘わらずわが国ははっきりした態度を示すことができなかったからです。
>自民党内からは、「被害国が真に必要とする支援をしなければ、相手にされないことが再び浮き彫りになった」(中堅)との指摘が出ている。
そうですね。日本人は現実直視をしませんからね。自己満足をめがけて猪突猛進していますね。これは非常に危険な技ですね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
語り始めた者は、徹底的に言い切れ。 (タルムード ロシュ・ハシャナ編)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。
為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)
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