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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

支援に感謝  

2022-04-28 04:32:21 | 文化

>読売新聞   >ウクライナ、ツイッターに30か国の「支援に感謝」…日本は含まれず   >読売新聞 2022/04/27 21:02  

> ウクライナ外務省は25日のツイッターで、「困難な時に揺るぎない支援に感謝する」などとして、米国やドイツなど約30か国の国名を挙げた動画を公開したが、日本は含まれなかった。

 

残念でしたね。わが国は持てる力を出し切れていませんね。わが国は世界の中にあって世界に属していない。       

 

> 外務省によると、ウクライナ政府からは「武器支援を行った国への謝意が示された」との説明があったという。>ウクライナは日本にも武器の提供を求めているが、日本からの供与は防弾チョッキなど非殺傷の装備品に限定されており、欧米諸国の支援とは落差がある。  

 

これは身から出た錆ですね。   

ゼレンスキー氏は、ウクライナがロシアから欧州を守る「盾」になってきたと強調。ウクライナへの武器供与を拒否するドイツが、ヘルメット5000個を送ると表明したことに触れ「どんな支援も感謝するが、善意の寄付を求めているのではない」と語り、支援は欧州諸国が欧州の安全のためになすべき貢献だと訴えた。

ゼレンスキー氏の主張には説得力がありますね。こののちドイツは態度を改めましたね。         

 

> 湾岸戦争終結後の1991年3月には、クウェート政府が米紙に掲載した感謝広告に巨額の財政支援を行った日本の名前が入らなかったことがある。   

 

そうですね。湾岸戦争のときに日本は90億ドル (1兆1700億円) 支払いました。しかし、アメリカにもクウェートにも感謝されませんでした。イラクのクウェート侵略というはっきりとした大義名分があつたにも拘わらずわが国ははっきりした態度を示すことができなかったからです。  

 

>自民党内からは、「被害国が真に必要とする支援をしなければ、相手にされないことが再び浮き彫りになった」(中堅)との指摘が出ている。  

 

そうですね。日本人は現実直視をしませんからね。自己満足をめがけて猪突猛進していますね。これは非常に危険な技ですね。   

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

語り始めた者は、徹底的に言い切れ。 (タルムード ロシュ・ハシャナ編)  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)    

 

 

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聖ロシア  

2022-04-27 20:49:43 | 文化

 

 

>宗教史で考える聖ロシア   >20220426 | 沈思黙考   >ロシアによるウクライナ侵攻が続いている。  >罪なき一般市民に心を寄せることは大変重要だが、数々の災害の延長線上でのみこの悲劇をとらえているだけでは問題の本質は理解できない。  

 

そうですね。人間の問題ですね。  

 

>本稿では、昭和以降の日本人にとって世界認識の死角となっている東欧・ロシア世界を、宗教という切り口で考えてみたい。

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>現在のロシア正教会のトップ、すなわちモスクワ総主教はキリル1世である。  >プーチンと同郷であり、プーチンの引き上げで総主教に選出されたという話もあるこの総主教は、今回のウクライナ侵攻を「祝福」すなわち支持している。

 

総主教はプーチンのKGBの後輩ではないでしょうね。   

 

>またキリル1世は、2020年にロシア軍のために新築された聖堂に、プーチン大統領やスターリンのモザイク画を掲げようとした人物でもある。 >さすがにこれはプーチンがやめさせたようだ。 

 

プーチンは現人神にはならないのですかね。   

 

>いずれにせよ今現在もロシアは、政治と宗教が一体となっていることは明らかだ。  

 

そうですね。正教の一体化は国が為政者の都合の良いように収まるのでしようね。ITで情報が拡散して手こずることもありそうですね。      

 

>プーチンは引きこもる?   >ロシアによるウクライナ侵攻。  >この悲劇そのものも含め、間接的に影響が出ているあらゆる問題がこの先どう収束していくのか、専門家でも見当がつかないという。 >筆者の根拠なき妄想に過ぎないが、なにか明確なひとつの出来事によって収まるというよりも、なんだかズルズルと時間をかけて、「結果として収まっていく」というような流れを予想している。  

 

時間をかけて物事が収まるのですね。日本のように自然に収まるのですね。      

 

>ロシアの歴史を見てくると、大事件の主役の終焉は、隠遁・逃亡・追放・投獄・惨殺と、とにかく二度と正常な状態で社会とかかわることが出来ない状況に追い込まれている。  

 

ロシアの歴史は気持ちの良い話ではありませんね。   

 

>プーチンは最終的に、森の奥の修道院かどこかに逃亡、隠遁(引きこもり)してしまうのか。  >それともロシアらしい「始末」のつけ方になるのか。  

 

プーチンは消えてなくなるのが良いですね。    

 

>罪なき人々が一日も早く元の生活にもどり、間接的に傷んでいる世界経済も回復してほしい。   >そのためにも我々は、ただ「かわいそう」「経済がタイヘンだ」と言うだけでなく、すべての人間に内在するものに対して真剣な意識を向け思考しなければならない。  

 

そうですね。感情的になってはいけませんね。文化人類学の勉強が必要ですね。      

 

 

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二階俊博氏  

2022-04-27 04:54:39 | 文化

 

>「一日も早く平和を」二階氏、ウクライナ大使と面会   >2022/4/26 17:05   >政治

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>ウクライナ侵攻   >自民党の二階俊博元幹事長は26日、在日ウクライナ大使館でコルスンスキー駐日大使と会い「われわれは常に心を寄せている。 >一日も早く平和な時代が訪れるよう共に頑張ろう」と激励した。  

 

政治家は来るべき世界の実現に日夜腐心すべきですね。平和の時代を得るために、いかなる政治的なチカラを現実に加えて世界を動かすかの問題ですね。その方策を記事の内容として世間に知らせるとマスコミの評価があがりますね。そうでなければノンポリ・政治音痴の人間ですね。わが国の政治家は果物や千羽鶴を用意しただけではどうにもなりませんね。それは小学生の段階ですね。小学生の段階もある。しかし、それが全てである大人では困りますね。        

 

>コルスンスキー氏は日本の避難民受け入れに謝意を示した上で「近い将来、恩返しできるよう頑張りたい」と応じた。  

 

ウクライナが現在必要としている物を政治家が尋ねて着実に送り届けると、その政府からの感謝の表明があって、全世界に伝えられますね。そうでなければ、現実を動かす大きな力とはなりませんね。   

 

>二階氏は、二階派有志からの寄付金と和歌山県産のハッサクをコルスンスキー氏に手渡した。 >面会後「激励の気持ちを込め、私の地元の産物をお届けした」と記者団に語った。

 

面会は我が国の政治家の自己満足ですかね。和を以て貴しとなすの域内ですかね。     

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

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亀山郁夫氏  

2022-04-24 02:25:48 | 文化

 

>AERA dot.   >ウクライナ侵攻はロシア人の国民性につけこんだ行為 神と大地に忠実で「強力なリーダー」を求める傾向も   > 2022/04/23 11:00

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> ロシアによるウクライナ侵攻に終わりが見えない。 >プーチン大統領は、国際社会から非難を浴びながら、民間人への攻撃も続けている。 

 

やるしかないということですね。    

 

>プーチン氏の暴挙の背景には何があるのか。 >AERA 2022425日号は、亀山郁夫・名古屋外国語大学学長に聞いた。

>*  *  *

> 同じスラブ民族からなるウクライナとロシアは、ベラルーシとともに「兄弟」関係にあり、ウクライナはある意味で兄的な存在ということができます。 >これはむろん、歴史的に右派が培ってきた思想です。 >同時に、ロシアにとってウクライナは「母」の位置にあるといっても過言ではありません。 >そうであるなら、今回のウクライナ侵攻とそれに伴う虐殺は、「母殺し」、あるいは「親殺し」という要素を含んでいるのだろうかと、この間ずっと思い続けています。

 

そうですね。祖国に攻め込む植民地のドラマですかね。   

 

> 最新の世論調査で、ロシア国内でのプーチンに対する支持率は80%を超えました。 >この数字を「フィクション」とする見方もありますが、私はそうは考えません。 >裏を返せば、この数値は、今、国民が感じている恥辱と絶望のバロメーターでもあります。 

 

日本人が序列制度を信頼するように、彼らは力を信頼していますね。    

 

>プロパガンダでいかに洗脳されているとはいえ、だれもが異常事態に気づいている。  

 

大変なことになっていますね。   

 

>「嘘」に気づくことへの恐怖が、逆に巨大な権力への迎合となって表れているのです。  

 

権力への迎合は、日本人の他力本願・神頼みのようなものですね。    

 

>ただし、プーチンに対する実質支持率は、これらの要素を取り除いても、50%を超えると思っています。  

 

そうですね。これしかないといったところですね。   

 

> 理由は、ロシア国民の精神性そのものに見ることができます。 > ロシア国民は、基本的に政治に無関心であり、「成り行きまかせ」です。

 

それなら我々日本人と似ていますね。無哲学・能天気ですね。国民はノンポリ・政治音痴となっていて、政治は誰がやっても同じになると考えられている。     

 

>「成り行きまかせ」という言葉は、最近たまたま再読したスベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』の中に見いだしました。 >私流に言いかえると、一種の運命論に支配されている。

 

自分に意思がなければ成り行きに身を任せるしかありませんね。

 

>「成り行きまかせ」は、第一に放縦を生みます。>放縦と自由の間に境界線はありません。  

 

意思 (理性判断) がなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) があるということでしょうかね。   

 

>そこで彼らは、放縦の奈落に身を落とさないようにするため自分たちを厳しく律してくれる束縛、つまり「縛り」を必要とするのです。

 

もしもそうであれば、やはり日本人に似ていますね。我々の文化には形式 (作法) があって内容 (教え) がない。だから、礼儀正しい日本人が出現する。     

 

>■受動性につけ込む行為 > ロシア人と身近に接しながら驚くのは、彼らが今もって抱いているある種の神秘主義です。 >彼らは政治権力よりも神と大地に忠実です。  

 

他力本願・神頼みですね。必勝祈願ですか。      

 

>特にロシアの国土の広さは、それ全体が一つの大きな意思を持っていると感じている。  

 

彼等の運命ですね。   

 

>その感覚は当然、政治にも反映され、強力なリーダーを求める傾向が生まれます。

 

そうですね。寄らば大樹の陰ですね。   

 

> 同時に、ロシア人はセキュリティーの感覚が希薄です。

 

未来が見えていないのでしょうね。なってみなければ分からないということでしょうかね。      

 

>死の感覚に馴致(じゅんち)している。 >自分たちは神や大地に加護されているという漠たる感覚があるからでしょう。 >全体の中にあって一つの個が保たれるという、一種の集団主義をも生み、自立が悪とみなされます。

 

みんなで渡れば怖くないということですね。個人主義が想定外になっている。      

 

> こうしたロシア人の精神性を表して「千年の奴隷」と呼んだのが、20世紀を代表するウクライナ人作家のワシーリー・グロスマンでした。

 

奴隷には自己の意思の表示がありませんね。   

中国の薛剣 [シュエ・ジエン、53]・大阪総領事: ウクライナ問題から得た「一大教訓」は「弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚か(な行為)をしてはいけないこと」   

 

>戦争が終わり、かりにロシアに欧米型の民主主義が入ってきても、いずれは再び強力なリーダーを求めることになるでしょう。   

 

そうですね。それも日本人と似ていますね。日本人には意思がなく、能動的な動きがないので受動的な生活ばかりを送っている。だから、常に兄貴が必要となるのです。    

 

> 今回のウクライナ侵攻は、国民の受動性につけこんだ背信行為です。  

 

そうですね。強い指導者に従うしかありませんね。民俗性は一朝一夕にはなおりませんね。   

 

>しかし同じロシアの兵士たちの夥(おびただ)しい死を知れば、正気になるはずです。   

 

日本人流に言えば仕方がないということですね。    

 

>逆説的に見えるでしょうが、今プーチンもロシア国民も被害者意識に凝り固まり、「嘘」と知りつつ、「嘘」を命綱としています。   

 

そうですね。日本人と同じように彼らは・・・・・されたの連続発想ですね。   

 

>しかし果たしてこれほどの「嘘」にどこまで耐えられるのか。  

 

嘘から出た実 (まこと) を全員が期待しているのでしょうね。日本は必ず勝つと言い張ったようなものか。   

 

>今はおそらく沈黙しかないでしょう。 >これは状況としてはよくない。 >しかし、いずれは何かが、爆発するはずです。 

 

自暴自棄なるのはよくないですね。    

 

>独裁権力は、それに対してどう臨むのか。 >さらなる弾圧か、あるいは、真の自立の前に、みずから膝(ひざ)を折るか。  

 

意思の無い人間に真の自立は難しいでしょうね。となれば更なる弾圧か。弾圧なら彼らは蒙古時代から慣れていますからね。お手の物ですね。それで歴史は繰り返すのか。     

 

>(編集部・野村昌二)

>AERA 2022425日号   

 

 

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池田沙絵美氏  

2022-04-23 20:36:06 | 文化

>「自分が正解だって思い込まないこと」 オーストラリア在住日本人からのメッセージ   > 日テレNEWS 2022/04/21 12:25

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>ロシアによるウクライナへの侵攻。 >世界中で1日でも早い解決を求める声が広がる中、様々な立場の方からのメッセージを紹介しています。 >多くの国から留学生を受け入れているオーストラリアで暮らす日本人からのメッセージです。

>◇◇◇

>オーストラリア在住 シェフ見習い 池田沙絵美さん(31)「なんでこれが起きるのかっていうあたるところのない怒りじゃないですけど無力感がすごいですね。 

 

ここが思案のしどころですね。みんなで話し合いましょう。   

 

>絶対に自分が正解だって思い込まないこと。

 

そうですね。考えの内容は人によりけりですからね。

現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の内容は正解が一つしかない。日本人は正解が一つしかない問題を出題する。だから、ご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。文法に従って内容の理解が可能である。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  思考を停止して人は、つかみどころのない人間になる。日本人には考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。  

 

>それがブレたときに怒りや意見のすれ違いが起きるわけで そういう違う考えがある意見があることをベースにどんなに『えっ』と思うことも受け入れて話し合う」 >英語でのメッセージ「あなたの正義は誰かの悲しみかもしれない」  

 

そうですね。

全てのわれわら義はけがれた布切れの如し。 (イザヤ書

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)    

 

 

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