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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

樋口讓次氏  

2022-04-22 23:08:30 | 文化

 

>JBpress   >国際法を完全無視したロシアの残虐性、その歴史的背景   > 樋口 譲次 2022/04/22 06:00

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>中国が日本に侵攻したら   > 中華人民共和国(中国)は、ロシアと同じように国際法を守らない国である。 > また、自国の一方的な主張に基づく国際法解釈に沿って国内法を作り、戦狼外交で強引に実現を図ろうとしている。  

 

そうですね。中国人は自己中心的ですからね。   

中国の薛剣 [シュエ・ジエン、53]・大阪総領事: ウクライナ問題から得た「一大教訓」は「弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚か(な行為)をしてはいけないこと」    

 

> 南シナ海では、歴史的権利の主張の下に、ほぼその全海域をカバーする9段線を引き、その内側は中国の排他的領域であると主張し、南沙諸島の7つの岩礁を埋め立てて人工島を作り、あっという間に軍事基地に変えてしまった。  > フィリピンの提訴を受けた南シナ海仲裁裁判所は、国際海洋法条約の規定に基づき、中国がこれまで主張してきたことをことごとく否定したが、中国は、これを完全に無視し、南シナ海の内海化、軍事的聖域化に突き進んでいる。  

 

中国は無法者の国家ですね。   

 

> 中国は、中国共産党が大陸において中国国民党(国民政府)との国共内戦に勝利し、1949年に建国されたものであるが、台湾を実効的に支配したことは一度もない。 > しかし、中国は、「台湾は中国の不可分の一部」で「中国は一つ」との主張を振りかざし、事後法である「反国家分裂法」を作って、台湾の武力統一も辞さない構えである。  

 

武力統一は台湾人の悩みですね。    

 

> 尖閣諸島は、日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現に我が国はこれを有効に統治している。 > しかし、中国は、1992年に尖閣諸島を中国領土と記載した「領海法」を制定した。 >これもまた一方的な国内立法による法律戦の一環である。  

 

自己中心主義と中華思想は同根でしょうね。

 

> そして、尖閣諸島を台湾と同じように「核心的利益」と称し、『釣魚島白書』(釣魚島は尖閣諸島の中国名)でも尖閣諸島を沖縄ではなく台湾の一部と主張しているため、台湾侵攻と同時に尖閣諸島の奪取を行う可能性がある。

> 日本を公式訪問した胡錦濤国家主席と福田康夫総理が、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明に署名した2008年以降、中国が公船などを尖閣諸島沖に派遣して領海にも度々侵入するといった力による現状変更を試みているのは、国際法を無視して中国の一方的な主張を実現しようとする意思表明以外の何物でもない。  > プーチン大統領と中国の習近平国家主席の思想・行動は、随所に共通点・類似点が見られる。  

 

そうですね。ロシア人はその外見は白人ですが、メンタリティ (考え方) はまさに東洋風そのものですね。   

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。     

 

> プーチン大統領は「ウクライナは(ロシア)固有の歴史、文化、精神的空間の一部」と主張し、習近平国家主席は尖閣諸島、台湾、南シナ海を中国のものと主張して「力による一方的な現状変更」を試みている。 > また、プーチン大統領は「大ロシアの復活」を掲げたソ連復古主義者であり、習近平国家主席は「中国の夢」としての「中華民族の偉大な復興」を掲げた毛沢東復古主義者である。 

 

ロシア人も漢人 (中国人) も異民族である蒙古人による耐圧型の生活で長い間鍛えられていますからね。    

 

> いずれも、戦後、日米欧を中心に自由、民主主義、人権、法の支配を共通理念として形成してきた国際秩序に対し、独裁体制の下、専制主義、強権主義、あるいは帝国主義の立場から現状変更の挑戦状を突き付け、自らが描く独善的な世界観で冷戦後の国際地図を塗り替えようとしている。   

 

そうですね。   

 

> まさに「民主主義対専制主義」の対立によって東西冷戦の再来を彷彿させているようであり、世界を再び大きな対立の危機に陥れている。 > つまり、ウクライナで起きていることは、インド太平洋地域で民主主義陣営の第一線に立つ日本や台湾およびその周辺地域でも現実に起こり得る。

 

そうですね。   

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。 北方領土だ。 だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。 (小野寺元防衛相 

 

> そして、こうした懸念は、今後一層強まる一方と見なければならない。 > 日米や欧州諸国が、しきりに「ルールに基づいた国際秩序」を守り、さらに強化する必要性を訴えているのは、まさにこのことのためである。 > 日本が中国に占領されたら、間違いなくウクライナと同じ、あるいはそれ以上の惨状を呈するに違いない。

 

まさにこれは日本民族の悪夢ですね。   

 

> わが国は、本年(2022年)末を目途に国家安全保障戦略などを見直すに当たり、急変悪化する国際安全保障環境の先行きを見極め、より現実的・具体的で実効性ある体制を速やかに構築することが必要である。

> 今後予測される国家非常事態に臨み、今こそ「国防なき憲法」下の戦後体制を克服し、国家百年の計として、防衛力を飛躍的に強化し、祖国防衛の決意を内外に向けて明確に示す時である。

 

そうですね。治に居て乱を忘れず。 (易経・繋辞伝‘百年兵を養うは一日これを持ち用いんがためなり。’ (孫子の兵法)    ‘百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。’  (孫子・謀攻)     

 

> そして、本稿で述べたロシアのウクライナ侵攻を「他山の石」として、中国による軍事的冒険を断固として抑止し対処できる国家安全保障・防衛体制の早期確立に向けた注力が切に望まれるのである。  

 

そうですね。

ナディア・シャドロー氏は、抑止戦略上、一定の「曖昧さ」も不可欠だと強調した。「これはしない、あれはしない、ということで、選択肢を限定するだけでなく、こちらの境界線は何かを相手に明確に伝えてしまうことになる」と述べた。 シャドロー氏は、米国が抑止力を弱めてしまった例として、①侵攻が「小規模」であれば制裁もそれに応じて軽いものとなるとバイデン大統領が1月の記者会見で示唆した②12月初めの段階で、いかなる状況でもウクライナに米軍が展開することはないと軍事介入を否定した③ウクライナに供与する兵器の種類を防衛目的か攻撃目的かで線引きした-ことなどを指摘した。「プーチン露大統領は侵攻する際に西側の選択肢は根本的に限定されたものになるという強い意識を持ったと思う」との見解を示した。相手に曖昧な表現をするということは、自分の考え自体が曖昧であるということはまったく違いますね。  

 

 

 

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窪田順生氏  

2022-04-22 11:29:17 | 文化

 

>ダイヤモンド・オンライン   >在日ロシア人排斥、ウィル・スミス擁護…日本にはびこる「正しい暴力」の幻想   > 窪田順生 2022/04/21 06:00

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>ロシア人への「正義ある暴力」は悪くないと考える日本人   >「ロシア」への怒りを爆発させる「正義の日本人」が増えている。

 

予想される出来事ですね。   

 

>例えば、読売テレビが415日に報じたところによれば、日本が好きになってロシアから7年前に来日して、大阪府内に住んでいる女性ユーチューバーの元には、こんなコメントが多く寄せられているという。 >「ロシア人は詫びて死んでブタの餌になればいい」 >「ロシア人全員が悪い!在日ロシア人は外出気をつけろ!」 >こういう話を聞くと必ず「こんなアホは日本人の中でもほんのひと握り」と言い訳をする人がいるが、この女性のSNSには毎日のように誹謗中傷が投稿され、これまで300人以上をブロックしてきたという。  

 

日本人には自粛が必要ですね。   

 

>事実、「ひと握りのアホ」では説明できないほど多くのヘイトクライムが報告されているのだ。 >あるロシア食品店では看板が破壊された。 >またあるロシア料理店では「死ね」「ボケ」などの脅迫電話もかけられている。 >ネットやSNSをのぞけば、「ロシア人を皆殺しにしろ」なんてドキッとするような文言もある。 >戦争の長期化によって、「ロシア人狩り」が起きそうなムードなのだ。

 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いですね。昔からあることですね。太平洋戦争の時にはアメリカの日系市民は政府主導のいじめにあいましたね。          

 

>そこで、419日に自民党の佐藤正久外交部会長は「日本の品格も問われる」と自制を訴えた。 >さらに、林芳正外務大臣も次のような異例の呼びかけを行った。 >「日本に住む一般のロシア人を、ロシア人であるというだけで排斥したり、誹謗中傷することは行わないように」  

 

我が国にも良識派は存在しますね。   

 

>ただ、現実的にこれは難しいのではないかと思っている。>日本社会には、「相手に非がある場合の暴力は正当化される」という伝統的な価値観があるからだ。

 

罪刑法定主義の精神は行き届いていませんね。   

 

>つまり、「戦争犯罪人」のプーチンを選んで増長させたロシア国民にも一定の責任があると考えるような日本人にとって、在日ロシア人への排斥や誹謗中傷は「正しい暴力」なのだ。 >政府にちょっと注意されたくらいでやめるとは思えない。  

 

そうですね。陋習の根は深いですね。   

 

>「日本人は暴力を正当化などしていない!いい加減なことを言うな反日ライターめ!」とキレる人もたくさんいるだろうが、この価値観をこれ以上ないほどわかりやすく浮かび上がらせた出来事があった。 >それが、ウィル・スミスさんビンタ騒動である。 >ウィル・スミスさんを擁護する日本人の「正しい暴力」とは   >3月に米アカデミー賞の会場で、ウィル・スミスさんが妻の脱毛症をジョークのネタにされ、コメディアンに平手打ちを喰らわせた。 >アメリカでは「口で抗議をせずに手を出した」として、ウィル・スミスさんを厳しく批判するメディアや著名人が多く、アカデミー会員を退会することになった。

 

実情を公に訴えることも無く浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけたようなものですね。   

 

>しかし、日本では真逆の反応となっている。

 

日本人は感情的な国民ですからね。口で言うより手の方が早い。これは我々の最大の欠点ですね。      

 

>「侮辱された奥さんのために批判覚悟で手をあげるって超かっこいい!」「暴力は悪いことだが、相手が先に言葉の暴力を仕掛けたわけだからしょうがない部分もある」という感じで、ウィル・スミスさんを擁護・支持する声が多いのだ。

 

そうですね。日本人の視点はリーズン (理性・理由・適当) の方には向けられないですね。リーズンの表明が当たり前でない国では、ウィル・スミスさんは言われっぱなしになりますね。       

 

>中には、ウクライナのゼレンスキー大統領と並べて、「口でいろいろ綺麗事を並べて何もしない人よりも、命がけで国や家族を守る男らしさが世界の潮流になってきた」なんて喜んでいる人もいらっしゃる。>「暴力は悪いことだけれど、家族を守る暴力はギリギリセーフ」という価値観を持つ日本人がかなりいらっしゃるのだ。

 

俺の目をみろ 何にも云うなといったところですね。これなら日本人の好きな歌になる。   

 

>アメリカでは「どういう事情があっても暴力はダメ」という風潮なのに、なぜ日本では「世の中には正しい暴力もある」という人も多いのか。

 

東は東、西は西ですからね。日本の常識は、世界の非常識。      

 

>「子どもへの体罰は時に正しい」と考える人が依然として多い >いろいろな考察があるが、ひとつには、日本人の「体罰は時に正しい」という伝統的な価値観が影響していると考えられる。

 

そうですね。修行の場では上の者は下の者を叩きますね。これは序列社会の習慣でしょうね。わが国は序列社会ですからね。       

 

>実はアメリカでもウィル・スミスさんの騒動に関しては多種多様な意見があって、そのバラつきはその人のバックグラウンドによって左右されることが、世論調査会社ブルー・ローズ・リサーチによって明らかになっている。 >例えば、低所得者になればなるほど、ウィル・スミスさんは悪くないという考えをする人が増えていく。 >また、高齢者ほどウィル・スミスさんが悪いと考えるような傾向があるという。 

 

貧すれば鈍するということでしようかね。衣食足りて礼節を知るということか。      

 

>その中で注目すべきは、「子どもに対する体罰を肯定するか否か」である。 >なんと、子どもへの体罰を強く支持する人は、コメディアン側が悪いと考える割合が圧倒的に多いのだ。 >これは日本人にもピッタリとあてはまる。 >実は日本は「子どもに暴力を振るってはいけない」という先進国での常識に、かたくなに背を向けている国なのだ。   

 

俺の目を見ろ 何にも云うなですね。わが国はリーズンの表明には遠く及ばない世界ですね。人はリーズナブルでありたいものですね。     

 

>表向きは、親の体罰を禁じた改正児童虐待防止法が204月に施行され、世界で59番目の「体罰全面禁止」を支持する国になった。 >しかし、これは完全に形骸化していて、施行後の20年度の全国の児童相談所が受けた児童虐待相談は、なんと205044件と過去最多だ。 >その中でも身体的虐待は4分の1を占める約5万件もある。  

 

単なるおまじないだけでは中身は変わりませんね。   

 

>なぜこんな典型的な「ザル法」になってしまったかというと、一部の日本人にとって体罰とは「正しい暴力」だからだ。  

 

メンタリティ (考え方) の問題を無視していては問題を解決できませんね。    

 

>20217月、国際NGOであるセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが全国約2万人を対象に、体罰を容認するかと調査をしたところ、容認派がなんと41.3%もいた。 >2017年の56.7%よりも減ったとはいえ、「体罰全面禁止」という法律をガン無視する形で4割も体罰を支持しているのだ。 >子どもへの体罰というのは「正しい暴力」であって、「法律」などで規制されるような類のものではない、人として当たり前のことだと考えている日本人がかなりいるということだ。

 

そうですね。日本人はリーズンの表明に疎い民族ですからね。手を出す以外に方法がありません。口で言うより手の方が早いという事か。          

 

>これこそ筆者が、在日ロシア人への誹謗中傷や嫌がらせが、この先もなくならないと考える根拠のひとつだ。 >在日ロシア人を「死ね」「ロシアへ帰れ」などと攻撃する人たちの頭の中で、これはプーチンを追いつめるための「正しい暴力」である。 >ウクライナを取り戻し、国際社会の秩序を守るためにやらなくてはいけない…という人として当たり前のアクションなのだ。 >だから、政府や他人から注意されても馬の耳に念仏である。

 

正にふるはあの娘のなみだ雨か。    

 

>「体罰は正しい」と信じ、ウィル・スミスをヒーローと称賛する一部の日本人にとって、これはヘイトクライムなどではなく、「正義の戦い」なのだ。>さて、そこで次に気になるのは、なぜ我々日本人は「暴力は良くないけど正しい暴力もある」というダブルスタンダード的な価値観が当たり前になったのか。

 

日本人はリーズンに抜ける道がないので暴力に解決法を求めますね。    

 

>元々、日本人は「キレやすい」という国民性がある   

 

日本人は爆発しますね。カラ竹割ですか。      

 

>これにもいろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人の「キレやすい」という国民性が大きく影響をしているのではないかと考えている。

 

そうですね。日本人にはリーズンを詮索する余地が残されていませんからね。思考停止のあわれですね。      

 

>親の虐待死事件やスポーツの体罰事件などを調べていくと、頭にカッと血がのぼって手を上げて、気がついたらグッタリして死んでいましたというケースが少なくない。 >教師の体罰も「感情になってしまった」という理由が多いという調査結果がある。 

 

そうでしょうね。日本人は感情的な民族ですね。   

 

>すぐに手を上げるのは、すぐにキレてしまうからなのだ。>と聞くと、「日本人ほど温厚で気の長い国民はいないぞ、中国人などと違って、行列などにもちゃんと真面目に並ぶじゃないか」と反論される人も多いだろう。

 

そうですね。日本人は意思がない。だから、受動があって能動のない生活を送っています。日本人は自然の中に溶け込んでいます。   

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がなく仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。思考停止に陥っていて生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。

 

>しかし、日本人がそういうセルフイメージを抱くようになったのは、せいぜいこの2030年前からの話だ。 >バブル期や高度経済成長期などは、日本人といえば、「せっかち」で「キレやすい」というイメージの方が一般的だった。 

 

得意になっている時は切れやすいですね。   

 

>「カミナリ親父」という言葉があったように、キレたら手がつけられないほど厳しく叱責するような大人がそこらじゅうにいたのである。 >そっちの方が伝統的な日本人の姿だった。 >実際、戦前の日本人は自他共に認める「短気な国民」だった。

 

そうですね。意気と度胸の人生でしたね。   

 

>例えば、1918年に出版された石橋朝花氏の『紅き血の渦巻』(別所万善堂)のなかには、日本が大好きだというある外国人のこんな言葉が掲載されている。

>「されど悲しい哉、日本人に一の欠点あり、それは短気なる事なり、日本人は短気な国民なり」

 

そうですね。日本人は思考を停止していますから短気ですね。考える余裕がありませんから。       

 

>また、1938年に出版された『青年将校と共に国家を語る』(赤松寛美/春陽堂)には、「勤勉」「忍耐」「正直」といった日本人の美点が並べた最後にこう結んでいる。

>「我国民は、斯の如き幾多の美質を有するのであるが、若し其欠点を挙げれば、即ち短気なことである」

 

日本人は思索の時間は不要ですから、つい短気になりますね。   

 

>こういう日本人の「短気」については、科学的にも説明できるかもしれない。 >「不安遺伝子」だ(参照)。 >人が不安を感じることに影響を及ぼす、セロトニンという神経伝達物質がある。 >この分泌量を左右するのが、「セロトニントランスポーター遺伝子」で、これが「不安遺伝子」と呼ばれるものだ。 >セロトニン分泌量の少ない「S型」と、分泌量の多い「L型」の2種類があって、これらを組み合わせた「SS型」「SL型」「LL型」という形で分類される。 >SS型」の遺伝子が多いと不安を感じやすいと言われており、LL型の遺伝子が多いと楽観的になって、SL型はちょうどその中間である。 >この不安遺伝子を調べたところ、なんと日本人の遺伝子はSS型が65%と圧倒的に多かったという結果が出ている。 >SL型は32%で、楽観的なLL型はたった3.2%しかいなかった。 >ちなみに、アメリカ人の場合はSS型が19%で、SL型が49%、LL型が32%だったという。 >このような結果から、脳科学者の中野信子氏もこう仰っている。 >「セロトニン・トランスポーターの数は遺伝的に決まっているのですが、この数が少ない人の割合が日本人は約97%と、世界的に見ても非常に高い。 >つまり、世界で一番不安になりやすい民族なのです」 >(お金のキャンパス 2019322日)

 

運命論ですね。あまり信じたくありませんね。       

 

>「弱い犬ほどよく吠える」という言葉があるが、怒りっぽい人というのは実は何かに怯えていたり、不安を抱えていたりして、その弱さをごまかすために過度に攻撃的になっているケースが多々ある。 >ということは、日本人が暴力的でキレやすいというのは、「世界一不安になりやすい民族」ということも関係している可能性もゼロではないのではないか。 

 

そうかもしれませんね。日本人は一寸先が闇ですからね。不安です。手先・目先の事しかわからない。    

 

>恐怖の絶頂にいる日本人、不安の代わりに誰かを叩きたい?   >「世界一不安になりやすい民族」である日本人にとって、この2年間はパニックになるほどの不安の連続だっただろう。 >コロナ禍で毎日、マスコミから死の恐怖を突きつけられた。 >それがようやく少し落ち着いてきたと思ったら、今度はウクライナ侵攻が始まってしまう。 >評論家やコメンテーターはこぞって「次は北海道も侵攻されるぞ!」「いや、尖閣も狙われるぞ!」と恐怖をあおっている。 >そんな調子で精神的にかなり追い込まれた時、「世界一不安になりやすい民族」であり、なおかつ「短気な国民」である日本人はどうなってしまうだろうか。 >これはあくまで筆者の勝手な想像で、科学的根拠もないが、攻撃的になってしまう人もいるのではないか。

 

そうでしょうかね。攻撃は最大の防御ですからね。   

 

>わかりやすいのが、「コロナ差別」だ。 >コロナ感染拡大した当初、医療従事者やコロナ患者は露骨に差別されて、職員が感染した金融機関が投石されるようなこともあった。 >コロナへの極度の不安が、コロナ患者に対して過剰に攻撃的な人たちを生んだのである。  

 

コロナ コロナ クルナ コロナ  

 

>それとまったく同じことが、「ロシア」というものに対しても起きているのではないか。>ウクライナ戦争によってもたらされた極度の不安が、在日ロシア人に対して過剰に攻撃的な日本人をつくっているのではないか。 >もし本当に日本人が「世界一不安になりやすい民族」だとすると、中国やロシアと尖閣諸島や北方領土をめぐって新たな緊張関係ができた場合、どんな集団パニックが起きるのか想像するだけでも怖い。>「ロシア人はスパイだ」と叫ぶ人も出てくる。  

 

戦時中、日本に在住する外国人は苦労したそうですからね。   

 

>中国への制裁を強化せよとなって、対中ビジネスをしている日本企業も売国奴と叩かれる。 >もしそこで首都直下型地震や南海トラフなどが重なって、「災害に乗じて不良外国人が」という、いつものデマが流れて暴行事件でも起きれば、本格的な民族対立にもつながっていく。 >なぜこういう事態を心配するのかというと、人権的なこともさることながら、頭に血がのぼって過度に攻撃的になるのは、日本の負けパターンだからだ。

 

短絡的行動に出て、我々日本人は失敗しますね。   

 

>太平洋戦争もそうだ。 >真珠湾攻撃は、日本がABCD包囲網で追いつめられたため致し方がなかったということになっている。 >長期戦では勝ち目ゼロだが、奇襲をかけて短期決戦に持ち込めば勝機があるという軍部の判断もあった。 

 

軍部に和平交渉ができるのですかね。   

 

>しかし、少し見方を変えれば、アメリカの「挑発」にまんまと乗ってしまったとも取れる。  

 

北朝鮮の金正恩ならアメリカの挑発に乗りませんね。  

 

>中国からの段階的な撤退や、連合国が嫌がるドイツとの同盟をめぐる交渉をすべて放り出して、「日本を侮辱するな」といきなり先制パンチを浴びせてしまった。

 

国民の溜飲を下げるための先制パンチですね。

 

>「短気ですぐに手が出る」という日本人の性格がモロに出ている。 >日本としては、あの奇襲は「正義」だが、米国内では80年経過した今も「卑劣なテロ」という扱いで批判の対象だ。 >そういう意味では、ウィル・スミスのビンタとまったく同じだ。

 

両者共に残念な勲章ですね。   

 

>カッとなって始めた戦争が、どれだけ悲惨な結末になったのかは説明の必要はないだろう。 

 

戦争指導者としては、後は野となれ山となれですね。  

 

>戦争というのは、感情的になった方が負ける。 >真顔で平気でうそがつけるような狡猾さも必要だ。  

 

ナディア・シャドロー氏は、抑止戦略上、一定の「曖昧さ」も不可欠だと強調した。「これはしない、あれはしない、ということで、選択肢を限定するだけでなく、こちらの境界線は何かを相手に明確に伝えてしまうことになる」と述べた。 シャドロー氏は、米国が抑止力を弱めてしまった例として、①侵攻が「小規模」であれば制裁もそれに応じて軽いものとなるとバイデン大統領が1月の記者会見で示唆した②12月初めの段階で、いかなる状況でもウクライナに米軍が展開することはないと軍事介入を否定した③ウクライナに供与する兵器の種類を防衛目的か攻撃目的かで線引きした-ことなどを指摘した。「プーチン露大統領は侵攻する際に西側の選択肢は根本的に限定されたものになるという強い意識を持ったと思う」との見解を示した。相手に曖昧な表現をするということは、自分の考え自体が曖昧であるということはまったく違いますね。  

 

>だから本来、「世界一不安になりやすくて短気な民族」である日本人はあまり戦争に向いていない。

 

さうですね。子供の戦争ですね。日本人は浅はかそのものですね。    

 

>これから選挙を控えて、「命をかけて国を守れ」「ゼレンスキー大統領とウクライナ国民を見習え」「中国やロシアに負けるな」などと威勢のいい叫びがたくさん出てくるだろう。 >一緒になって叫べば不安も少なからず解消されるかもしれない。>ただ、過去の負けパターンに学べばあまり頭に血が上るのは危ない。   

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

>熱狂の時こそ少し落ち着くべきだ。>中国やロシアに屈しないためにも、まずは「挑発」に乗らない冷静さが必要なのではないか。

 

なにしろ日本人の行動には能動が無くて受動ばかりですからね。乗せるが無くて乗せられるばかりです。日本人は主導権がとれない。    

 

>(ノンフィクションライター 窪田順生)

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)   

 

 

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五十嵐仁氏  

2022-04-20 16:12:59 | 文化

>安倍元首相が国際社会のクリミア併合黙認を批判…またも「おまえが言うな」の厚顔無恥 > 日刊ゲンダイDIGITAL 2022/04/20 14:00  >19日付の仏紙ルモンドが、安倍元首相の寄稿を掲載。 >今回のウクライナ危機を台湾有事に重ね、中国が台湾に侵攻した場合は米国が防衛する意思を明確にすべきだと主張する内容である。  

 

日本人が意思の事を述べるのは自分自身がそれにふさわしい状態にはないですね。   

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。思考停止に陥っていて生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、後追いの専門家になりますね。後追いの人は世論指導者としては適格ではないでしょう。 

 

>中国と一戦交える覚悟を示せ、と米中の武力衝突をけしかけているのだ。 >寄稿は、チェコ共和国に本拠を置く国際評論サイト「プロジェクト・シンジケート」によって配信されたもの。 >数日前には米紙ロサンゼルス・タイムズにも掲載された。 >安倍元首相はこう訴える。  ><ロシアがクリミアを併合したとき、ロシアがウクライナの主権を侵害したにもかかわらず、国際社会は最終的にこれを黙認した><この論理によって、戦略的な曖昧さは通用しなくなった><中国が台湾を侵略しようとする場合、米国は台湾を防衛することを明確にする必要がある>  

 

ナディア・シャドロー氏は、抑止戦略上、一定の「曖昧さ」も不可欠だと強調した。「これはしない、あれはしない、ということで、選択肢を限定するだけでなく、こちらの境界線は何かを相手に明確に伝えてしまうことになる」と述べた。 シャドロー氏は、米国が抑止力を弱めてしまった例として、①侵攻が「小規模」であれば制裁もそれに応じて軽いものとなるとバイデン大統領が1月の記者会見で示唆した②12月初めの段階で、いかなる状況でもウクライナに米軍が展開することはないと軍事介入を否定した③ウクライナに供与する兵器の種類を防衛目的か攻撃目的かで線引きした-ことなどを指摘した。「プーチン露大統領は侵攻する際に西側の選択肢は根本的に限定されたものになるという強い意識を持ったと思う」との見解を示した。相手に曖昧な表現をするということは、自分の考え自体が曖昧であるということはまったく違いますね。      

 

>■プーチン大統領を増長させた張本人   >まったく、どの口が言うのか。 >プーチン大統領の暴挙を容認してツケ上がらせた張本人は誰なのか。 >2014年のクリミア併合に際し、どの国よりもロシアに甘い対応をしたのが日本だった。

 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。 北方領土だ。 だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。 (小野寺元防衛相 

 

>背景にはもちろん、当時は首相だった安倍元首相とプーチン大統領の蜜月関係がある。 >142月のソチ五輪開会式は、人権問題を理由に欧米主要国の首脳が欠席する中、安倍元首相は出席してプーチン大統領を喜ばせた。 >その直後のクリミア併合に対する制裁もG7では最も緩く、形だけで済ませた。 >16年には地元の山口県・長門に招いて、おもてなし。 >「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」と媚を売ったのは19年のことだ。 >「プーチン大統領を増長させ、ウクライナ侵攻の一因をつくった安倍元首相が何を偉そうに言っているのか、と国際社会も呆れているのではないでしょうか。  

 

そうでしょうね。彼は我を忘れて言動に走る人ですね。      

 

>そうやってロシアと中国の脅威を煽り、日本の防衛費をGDP2%に引き上げろと主張するのは、マッチポンプもいいところ。 >そんなに戦争がしたいのか。 >日本と世界を危険な道に引き込もうとしているようにしか見えません」 >(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学) >国内で吠えている分にはまだしも、海外メディアにまでシャシャリ出て日本の恥をさらすのはやめて欲しい。

 

そうですね。日本人には信念というものがない。     

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

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八木秀次氏  

2022-04-20 10:32:36 | 文化

>zakzak   >突破する日本  >ウクライナ降伏論に通じる「関・森嶋論争」  >ソ連の脅威復活で「『無知』な平和主義者の平和論」「軍備は果たして国を守るか」の論争勃発   > 2022/04/20 06:30

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>ロシアのウクライナ侵攻は、日本にも人ごとではなくなった。

 

そうですね。我々日本人も思考停止ではいられなくなりましたね。   

 

>北海道侵攻の可能性が浮上している。 >ロシアはソ連時代から北海道の北半分の領有を主張してきた。

 

そうですね。ロシアは前々から北海道をほしがっていましたね。  

 

>冷戦時代には「ソ連の脅威」が語られてきた。>ソ連崩壊により脅威は去ったと思われたが、ウクライナ侵攻で復活しつつある。

 

そうですね。元寇の再来を思わせるものですね。   

 

>ロシア海軍は艦艇4隻に津軽海峡を通過させ、日本海で巡航ミサイルの発射演習をするなど威嚇している。 >1978年から翌年に掛けて行われた「関・森嶋論争」を想起しておきたい。 >当時、ソ連は通常兵器に加えて核戦力でも米国を追い上げていた。 >日中平和友好条約締結にソ連が強く反発したことで、ソ連脅威論が高まった。  

 

そうですね。ソ連は日本の連帯を好みませんね。   

 

>政治学者で東京都立大学名誉教授の関嘉彦氏は「私が心配するのは、『善意』であるが、歴史の教訓に『無知』な平和主義者の平和論である」とし、政府は有事のための法改正を行うべきと主張した。 >論拠に、第二次世界大戦でスイスがヒトラーに侵略を断念させたのは、スイス国民があくまで戦う決意を示し、民兵組織を整えたことを挙げた。

 

そうですね。国民があくまで戦う決意を示すのではヒットラーも断念せざるを得ませんね。      

 

>経済学者でロンドン大学教授の森嶋通夫氏は「軍備は果たして国を守るだろうか。 >(中略)われわれの皇軍も、国土を焼け野が原にしてしまったことを忘れてはならない」と反論した。

 

戦争は政治の一形態ですからね。政治家不在の戦争は焼け野原しか残しませんね。   

 

>関氏が「一国の安全は軍事力のみでは守れないが、しかし軍事力なしには同じく守れない、その意味で国を守る最小限の自衛力をもつべきである」と再反論すると、森嶋氏は「核兵器が発達した現在、(中略)不幸にして最悪の事態が起これば白旗と赤旗をもって冷静にソ連軍を迎えるほかない。 >(中略)ソ連に従属した新生活も、また核戦争をするよりはずっとよいに決まっている」と主張した。

 

森嶋氏はソ連様様ですね。彼はソ連の侵略に参加するしかありませんね。   

 

>森嶋氏が万一にでもソ連が攻めてきたときには、前回(=第二次大戦敗戦時)、日本人が「後世に誇るに足る、品位ある見事な降伏をした」のと同様に、「秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代わりに政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える」と主張すると、関氏はソ連に占領されて自治権をもち得ている国があるだろうかと反論した。

 

そうですね。ソ連に占領された後は権威主義の再開しかありませんね。歴史の逆行ですね。自分自身の進歩の否定ですね。      

 

>今も通用する議論で、軍配は関氏に上がりそうだが、当時はメディアや学者の大半が社会主義に傾倒し、非武装中立論も盛んで、森嶋氏を支持する者は少なくなかった。

 

そうですね。もう戦争はこりごりという風潮ですね。    

 

>現在もロシアと文字通り命懸けで戦うウクライナに対して、国民の命を救うために「早く降伏しろ」と奨める意見がある。

 

そうですね。ありますね。権威主義のグループに入ることの勧めですね。       

 

>自国の防衛すら人ごとである者には、他国の悲劇は想像できまい。  

 

治に居て乱を忘れずは大切な心がけですね。    

 

>降伏の後に待つのは「圧政と虐殺」であることは歴史が示すところだ。

 

そうですね。ロシア人は250年間異民族である蒙古人の圧政に耐えて来た。彼らは白人ではあるが、メンタリティは東洋風になっている。彼らは強い指導者を望んでいる。ロシアの中高年は時代の流れに追いつけないでいる。         

 

>■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。 >早稲田大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了、政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。 >専攻は憲法学。 >第2回正論新風賞受賞。 >高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学国際学部教授。 >山本七平賞選考委員など。 >法務省・法制審議会民法(相続関係)部会委員、内閣官房・教育再生実行会議有識者委員、フジテレビジョン番組審議委員を務めた。 >著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)、『日本国憲法とは何か』『明治憲法の思想』(PHP新書)など多数。  

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

中国の薛剣 [シュエ・ジエン、53]・大阪総領事: ウクライナ問題から得た「一大教訓」は「弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚か(な行為)をしてはいけないこと」   

 

 

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瀬口清之氏  

2022-04-19 17:07:52 | 文化

 

>JBpress   >低賃金に安住した日本企業、末路は国際競争力の低下   > 瀬口 清之 2022/04/19 06:00

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>1.日本の1人当たりGDPの相対的低下  > 日本は国土も小さく資源もない、優秀な人材だけが国の支えである。  >以前はこの言葉をよく耳にしたが、最近はあまり聞かない。  

 

優秀な人材とは、昔は手先の器用な人の事であったが、今では頭脳の冴えた人の事ですね。人間に対する価値観が変わりましたね。       

 

> 1990年代、日本の1人当たりGDP(国内総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国中23位だった。 >これは日本人の能力が高いからだと信じられていた。 

 

手先の仕事だけでは世界の市場に進出するのは難しくなりましたね。   

 

> しかし、2010年代以降はずっと20位前後で低迷したままである。 > IMF(国際通貨基金)世界経済見通し(202110月)のデータに基づいて日本の1人当たりGDPの推移を見ると、1990年を100とすれば、200015120101742020155。 > 1990年代は5割伸びたが、2000年以降20年もの間、ほぼ横ばいである。 > この間、中国は1990年を100とすると、2000274201012972020303030年間で約30倍となった。 > 同様の比較方法で韓国を見ると、20001862010349202047930年間で約5倍となっている。 > 日本の1人当たりGDPOECD諸国、あるいは東アジアの中韓両国と比較して、相対的に低下しており、しかもその低下幅が大きいことが分かる。  

 

そうですね。日本は太陽の上る国から太陽の沈む国に変わりましたね。   

 

>2.「ゆとり教育」後の長期的学力低下  > 人材に関して言えば、人材を育成する教育面でも日本の相対的低下が目立っている。 > 日本は1980年代に詰め込み教育批判が高まったことへの反省から、1990年代に入ってから、「ゆとり教育」の実践へと舵を切った。 > 具体的には、1992年に公立学校の週休2日制を導入、1996年には学習指導要領の改定により学習内容を削減した。 > しかし、その直後からOECD諸国内の学習到達度調査(PISA)の順位が低下するなど学力低下が指摘されたため、徐々に「ゆとり教育」の見直しを図ってきている。 > 2018年のPISAの結果を見る限り、科学や数学面では回復が見られたが、読解力の低下には歯止めがかかっていない。  

 

がり勉による暗記力は読解力とは違いますからね。 現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。だから、ご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容はみることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。文は文法に従って理解しなくてはならない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。日本人には自分自身の考え (非現実) がない。非現実の内容は日本人にとって嘘になる。誰も嘘つきにはなりたくない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。     

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)  

 

> また、大学についても、日本から米国の一流大学・大学院への留学生数が大幅に減少したこと、日本の主要大学の世界ランキングが長期的に低下傾向にあることなどが指摘されているなど、日本の高等教育水準も相対的低下が指摘されている。

 

そうでしょうね。日本人は無哲学・能天気であって英米流の高等教育には馴染めませんからね。   

 

>3.日本企業の学歴軽視  > こうした学力低下は日本企業の学力軽視が背景にあると筆者は考えている。  

 

そうですね。日本人は序列社会の序列人間ですからね。序列順位に関する競争は激烈であっても、学問 (哲学) には縁のない人たちばかりですからね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

[序列人間] 日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

[名誉ある地位] 我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。  

 

> 中国、韓国などは上記のような所得水準の大幅な向上を支えに、高学歴社会へと急速に変化し、米国一流大学への留学生も大幅に増加した。 > その結果、大卒人材のみならず、欧米主要大学での博士課程修了者も大きく増加している。 > 中国では中央政府機関、北京市・上海市・深圳市等地方主要都市の政府機関、主要な国有・民間企業に関しては、新規採用の前提が博士課程修了者であり、少なくとも修士課程修了者以上であることが就職審査の最低条件となっている。 > 大卒は書類選考の段階ではねられる。  

 

そうですね。 大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っている。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)    

 

> 日本企業は依然として大卒が採用の中心であり、博士課程修了者のための採用基準や給与体系の整備が遅れている。 > 博士課程修了者を採用する場合、修士課程修了者の基準に合わせて年齢分を加味するケースが多く、高い専門的能力を考慮したハイレベルの処遇制度はほとんど存在していない。 > 修士課程修了者と博士課程修了者では専門知識のレベルが異なるほか、修了までに要する時間とコストも大幅に異なる。 > それにもかかわらず、両者を同等に処遇していれば、優秀な人材を採用できないのは当然の帰結である。  

 

そうですね。日本には高度な職業人という考え方がない。ハイレベルは年功序列的に見たハイレベルでしかない。その質の違いは理解されていない。

しかし、海外では高度な職業人は大学院の教育で生まれるのである。我が国では医師でさえも大学院教育 (医学校) で育てられていない。     

 

> 欧米の一流グローバル企業では、マーケティング、研究開発、ITシステム、会計・税務、統計など、様々な分野で高度な専門知識が求められるようになっている。 > このため、博士課程修了者の高度な知見がなければ、グローバル市場での激烈な競争についていけなくなるのは明らかである。 > 世界中の超一流企業が技術開発でしのぎを削るシリコンバレーにおいて、米国、中国、インドなどの研究者の存在が目立つが、日本人は少なく、日本企業の存在感も軽い。  

 

グローバル市場においては我が国の研究者も企業も力不足ですね。   

 

> 以上のように、欧米の一流グローバル企業との競争では、日本人の学力低下の影響が深刻化しつつある。 > しかし、当事者の日本企業に危機感は乏しく、この問題に真剣に取り組む姿勢は見られていない。

 

井の中の蛙大海を知らずですね。物事に対する理解力の不足ですね。      

 

> それは博士課程修了者レベルの高い専門性の必要性を理解するリーダーが企業内部に少なく、この問題の重要性を認識できていないことが一つの要因と考えられる。

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。英米流の高等教育の価値は理解できませんね。       

 

> こうした専門性の高い人材を軽視する経営姿勢が日本企業の競争力を長期的に低下させ、日本の1人当たりGDPの低迷が続いている要因の一つになっていると見るべきであろう。

 

そうですね。起死回生を図るには知的な価値に焦点を当てるべきですね。      

 

>4.日本企業の低賃金  > 人材に関するもう一つの重要な問題は、一般の従業員の賃金水準が低く抑えられていることである。 > 一定の利潤を得ている企業は賃上げを実施できるはずである。 > しかし、多くの日本企業はそうせずに賃金上昇を抑制し、高い利益率を確保して株価の安定を図り、収益拡大の恩恵を株主に還元することを重視している。> 一方、従業員は賃金を低く抑えられ、消費の抑制を余儀なくされ、日本全体の内需も伸びない状況が続いている。 > これではいつまでたっても日本経済は回復しない。

 

日本企業の重視に偏りが見られるということですね。   

 

> これと似た企業行動の問題がもう一つある。 > 大企業がサプライヤーに部品等を発注する際に、厳しい価格引き下げを要求してコストを引き下げ、収益を確保するケースが多いという話である。 > この結果、サプライヤーの利潤が拡大せず、その従業員の賃金も低いままである。 >これもまた内需低迷の原因となっている。> 日本の経営者が自社の従業員やサプライヤーを株主と同等に重視すれば、賃金が上昇する余地が拡大するのではないだろうか。 > 立場の弱いサプライヤーへの圧力を用いて値下げ要求し、その恩恵にあずかって完成品の価格を抑えて競争力を確保するのは、サプライヤーに対する軽視である。> 自社の従業員同様、サプライヤーの努力も適切に評価し、付加価値に見合った価格設定で購入し、最終製品の価格に反映させるべきである。

 

そうですね。これも日本企業の重視に偏りが見られるということですね。     

 

> それでも最終製品が売れるようなマーケティングを行うのが最終製品の大企業メーカーの責務ではないだろうか。 > 多くの企業経営者はお客様重視というスローガンを掲げて、コストが上がっても製品・サービス価格を据え置くことを企業努力としてセールストークにしている。 > しかし、多くの場合、顧客、経営者および株主はその恩恵を受けるが、従業員やサプライヤーは犠牲になっている。  

 

最終製品の大企業メーカーは知的判断に力を注ぐべきですね。わが国の従業員やサプライヤーは下と見られているのでしょうね。序列社会においては、下に行くほど割が悪くなります。犠牲は下が払うもの。       

 

> 毎日の仕事の中で職場の仲間とともに熱心に業務改善に取り組み、品質改善、生産性向上等の成果をあげているにもかかわらず、それに見合った賃金引き上げは見送られているのが実態である。 > 製品・サービスの付加価値を定義し定量化することは難しい(財務指標から機械的に算出することはできるが、それは真の付加価値を示しているとは限らない)。 > それを価格の上で的確に表現するのはさらに難しい。 > 日本国内市場の規模は拡大せず、市場競争も厳しいため、価格引き上げにも売り上げ増大にも限度がある。 > 値上げによる売り上げ減少のリスクを恐れて、企業がチャレンジを回避するケースも多い。 > したがって、一般的には日本国内市場にとどまっている限り突破口が見つからない可能性が高い。  

 

井の中の蛙では困りますね。  

 

> 海外市場への進出には優秀な人材が必要である。  

 

そうですね。我々日本人は国際人になる必要がありますね。    

 

> 海外市場のニーズを的確に把握し、高度な技術を駆使して市場ニーズを満たす研究開発を行い、生産性向上によりコストを削減する。 > これらを実現する優秀な海外人材は、多くの場合博士課程修了者である。 >優秀な人材を使いこなす経営者が世界中の従業員を幸せにすることができる。  

 

そうですね。我々日本人にも英米流の高等教育が必要ですね。      

 

>5.人材重視の経営に必要な基本理念 > 一般に賃金はコストであり、低い水準で安定していることが望ましいと考えられている。 >しかし、視点を変えれば、賃金は従業員の生活を支える糧である。 > 低賃金は従業員を苦しめる。  

 

これは高賃金・高物価の社会ですね。先進国並みになりますね。      

 

>本来従業員を家族のように大切にするのが日本企業の美徳である。 > その美徳を実践しようとすれば、顧客への販売価格、株主への配当、従業員の賃金、系列企業からの部品等購入価格等の望ましいバランスを考えなければならない。 > しかし、これに関する明確な答えは経済理論からは得られない。  

 

人徳が必要ですね。   

 

> 中国古典の「大学」はこうした問題を考える際に「物に本末あり」と説いている。 >「本」は人として進むべき道であり、「末」はそこから得られる成果である。 >「本」から始めれば、「末」を得ることができるが、逆は成り立たない。 >「末」=成果を得ることを最優先に考えて行動すれば、人の道を踏み外し、中長期的には周り人たちの協力が得られなくなる。 > 物事を考え、実践する時に、順序をわきまえれば人の道に近づき、得られるべきものが得られるようになるということである。 > 企業経営において、利益や株価の上昇は「末」である。これらを得たいと思うのであれば、まずは「本」からスタートし、顧客、従業員、サプライヤーを大切にすべきである。

 

そうですね。皆が大切な人たちですね。人間そのものが本で、それ以外が末ですね。         

 

> その基本理念をしっかりと念頭に置き、個別の製品・サービスごとに市場環境に合わせて適切なバランスを考え、実践する。途中で経営環境が変化すれば、状況に合わせて柔軟にバランスを調整する。> こうした努力を継続することにより、次第にバランスの取れた経営を実現できるようになる。 >これが中国古典の説く優先順位の発想である。 

 

中庸の徳のようなものでしょうね。何事も極端に行くのは良くない。  

 

> この考え方は、前段で述べた博士課程修了者の処遇についても、後段の一般従業員の賃金についても当てはまる発想である。 > この基本理念に基づいてブレない経営を実践する日本企業が増えれば、企業の競争力は高まり、賃金上昇とともに日本全体の内需も増大し、日本経済の復活が実現する筋道が見えてくるはずである。 > 激動の時代だからこそ、時代の荒波に流されないよう「物に本末あり」の理念の支えが必要である。  

 

そうですね。本を正さず末に拘るのは良くないですね。   

 

> それを土台に、博士課程修了の高度な人材も一般従業員もともに大切にする日本企業がグローバル市場で活躍することを期待したい。   

 

そうですね。日本人は学問を大切にすべきですね。

語り始めた者は、徹底的に言い切れ。 (タルムード ロシュ・ハシャナ編)  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)    

 

 

 

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