gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

梅田衛基氏  

2025-01-26 01:25:32 | 文化

Finasee   >「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ…」お受験に没頭した母に突き付けられた無慈悲な結果、そして気づいた「親としてすべきこと」とは   >Finaseeによるストーリー・   >11時間・   

><前編あらすじ>

4歳の娘・美織のささいな一言からお受験に熱を入れるようになった一美だが、夫の康は「美織はまだよくわかっていないのでは」と否定的だ。   

>そんな康の姿が教育熱心ではなかった実の親の姿に被ったのか、一美はより一層美織のお受験に身も心もささげるようになっていく。   

>二人の溝は深まるばかり、そして美織の表情にも陰りが見えるようになってしまう……。   

>●前編:「私たちが道を示してあげなきゃ」娘の幸せを願う平凡な主婦がハマってしまった「お受験の沼」   

>お受験に身が入らない夫に苛立ち   

>一美は毎朝誰よりも早く起き、リビングで受験に関する書類を広げるのが日課になっていた。   

>康が制止する言葉も耳に入らない。   

>一美の中で、美織の将来のためにできる限りのことをするという決意がすべてだった。   

>「美織のためなんだから」   

>一美はその言葉を呪文のように何度も繰り返した。   

>いつの間にかママ友の中でも、一美は「教育熱心な母」として知られるようになっていた。   

>塾の送迎を欠かさず、模試の結果に一喜一憂しながら、他の母親たちと情報交換に勤しむ。   

>習い事をさせておいたほうがいいと聞けば、美織にピアノを始めさせ、日夜付きっ切りで練習させた。   

>次第に一美はママ友たちの輪の中心に立つようになり、他の母親たちから相談を持ちかけられることも増えた。   

>しかし一方で。   

>家庭のなかでは孤立してもいた。   

>受験に対して前のめりになる一美に反し、康は何かにつけて後ろ向きだった。   

>小学校受験は親の受験とも言われており、特に面接対策に向けて、夫婦ともに協力するという姿勢は欠かせない。   

>それなのに康は、塾の面接練習会にも仕事を理由に遅刻し、髪の毛もボサボサでやってくる。   

>志望動機を聞かれれば「娘のためにそうしろと言われたので……」と満場一致で不合格となるような返答をするありさまだった。   

>康のやる気のない態度に両親の姿が重なり、一美はさらに苛立ちを募らせた。   

>「どうしてちゃんとやってくれないの? 父親なら父親らしくしてよ!」   

>「父親らしくって何だよ。   

>もう勘弁してくれよ!」   

>いつの間にか、夫婦の会話はほとんどが口論になっていた。   

>家族から消えていく笑顔   

>そして受験の日が近づくにつれ、一美から放たれる空気はますます殺伐としていった。   

>美織の生活すべて、――遊ぶ時間でさえも、受験のためのものとなっていた。   

>「いい? 暗い色でお絵かきなんてしたら、心に問題がある子なのかなって思われちゃうのよ。   

>だから明るい色で画用紙いっぱいに描くの」   

>美織がお絵かきしているそばから、一美が事細かく口を挟む。   

>「何を描きましたかって聞かれたら、なんて答えたらいいと思う?」   

>美織が上目遣いでもじもじしながら答える。   

>「……パパとママ?」   

>「違う! パパとママを描きました、でしょう? それと赤い色で空を塗りつぶすのはだめよ!」   

>さらに一美は自分で面接の質問集と回答集を作成し、何度も美織に暗唱させた。   

>渋る康にも、「美織のためなのよ」と説き伏せ、すべてを暗記させた。   

>不意打ちで質問をしても、即完璧に答えられるようになるまでそれを続けた。   

>いつの間にか家から笑顔が消えていた。   

>その状況に胸が痛むことはあったけれど、「今だけ、今頑張ればこの先の美織の人生は安泰なのだから」と、一美は心を鬼にし、受験の日を迎えた。   

>緊張はしたが、やれるだけのことはやった。   

>完璧よ、完璧にできたはず――。   

>その日の面接を何度も反芻しながら、一美は美織と康とともに家路についたのだった。   

>私、どうかしてた   

>「不合格」   

>合格発表当日。   

>パソコンの前に張りついてページの更新を待っていた一美の前に現れた3文字は無慈悲だった。   

>ぱっと画面に現れたその無機質な文字を、一美はしばらく理解できなかった。   

>嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……。   

>「どうして……。   

>こんなに頑張ったのに……」   

>一美は頭を抱えた。   

>「ママ……」   

>心細そうに、美織が呼びかけた。   

>その瞬間、一美は自分の感情が心の底からうねり上げるのを止めることができなかった。   

>気づけば叫んでいた。   

>「せっかくお金をかけて準備してやったのに! どうしてこんな結果になったのよ!」   

>その言葉に、美織の瞳から大粒の涙が次々とこぼれ落ち、しゃくり上げるような泣き声が響く。   

>「ごめんなさい……」   

>美織の哀哭に、一美ははっと我に返った。   

>「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」   

>今まで見たことがないほど怯えた美織の表情に、一美は全身の力が抜けていくのがわかった。   

>その晩、遅くに帰宅してきた康も、受験の結果は自分で調べて知っているのだろう。   

>ソファに座り、呆然としている一美の隣に、康は黙ってその隣に腰を下ろした。   

>泣き疲れた美織はすでに眠っていて、リビングには呼吸の音すらはばかられるような重い沈黙が続いていた。   

>「私、どうかしてた」   

>か細い声が漏れると同時に、一美は顔を両手で覆った。   

>「本気で美織のためだと思っていたの。   

>まさか美織があんなに苦しんでたなんて」   

>そこまで言うと、一美の口から嗚咽が漏れた。   

>康は何も言わずに一美の背中に手を置き、静かにその手を上下させた。   

>自分の両親のようには絶対になりたくないと思っていた。   

>けれども彼らが一美を苦しめたように、気づいたときには一美も美織を苦しめていた。   

>形は違えども、一美は両親と同じ過ちを美織にしてしまったことを悟った。   

>謝るべきは美織じゃない。   

>一美のほうだった。   

>一美の荒い呼吸が収まるのを待って、康が口を開いた。   

>「確かに美織は傷ついたかもしれない。   

>でも今からでも遅くない。   

>美織が本当に幸せになるために、俺たちに何ができるのかを考えていかないか」    

>康の言葉は柔らかかった。   

>一美の瞳から、再び涙が溢れて止まらなくなる。   

>康とともに寝室に向かった一美は美織に寄り添い、その小さな手をそっと握り締めた。   

>大切なものは、すでにここにあったのだ。   

>すべて揃っていたのだ。   

>お受験だとか将来だとか、そんなことよりももっと大切な思いが一美の心から溢れ、気づけば口にしていた。   

>「美織、大好きだよ」   

>美織が薄く目を開け、一美の手を握り返し再び眠りについた。   

>激しい後悔が一美を埋め尽くす。   

>その愛おしい寝顔を、一美はいつまでも見つめ続けた。   

>※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。   

>梅田 衛基/ライター/編集者   

>株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。   

マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がやむやにはならない。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。

世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

「中国は悪だが、日本はもっと邪悪だ、中国にダンピングや過剰生産の方法を教えたのは日本だ」「日本は1945年から何も学んでない。米国がいかに優れていて、寛大なのか、分かっていない」 (クリフス社のゴンカルベスCEO)   

日本人には現実があって非現実がない。日本人の教育は戦前戦後を通じて実学 (技術) があって、虚学?(哲学)がない。だから‘あるべき姿’を追求する学問がないので高尚な議論が出来ない。欲得ずくのかけひきしかできない。それで相手からの信用が得られない。  

日本人には意思がない。だから加害者意識も無く、罪の意識もない。天真爛漫としていて、自分自身が邪悪などとても信じられない。だから子供じみている。  

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

 

 

 

 

 

 


日本型雇用  

2025-01-25 11:48:45 | 文化

>現代ビジネス   >「日本型雇用」はいよいよ変われるか「ジョブ型で全部解決」とはいかない根深い構造   >坂本貴志 (リクルートワークス研究所研究員・アナリスト) によるストーリー・   >4時間・   

>年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。   

>『ほんとうの日本経済』が発売たちまち5万部突破と話題になっている坂本貴志氏によるベストセラー『ほんとうの定年後』では、多数の統計データや事例から知られざる「定年後の実態」を明らかにしている。   

>(*本記事は坂本貴志『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』から抜粋・再編集したものです)   

>堅固な定年制度に隠れた企業の苦悩   

>若手、中堅層への処遇に困難を抱えるなか、多くの企業は高年齢者の処遇にも頭を悩ませている。   

>高齢法では現状65歳までの雇用を義務化しているが、そのメニューには再雇用など継続雇用制度の導入や定年延長のほか、定年制度そのものの廃止といった選択肢も含まれている。   

>しかし、政府としても企業に定年制度自体の見直しを求めているが、遅々として進んでいない。   

>厚生労働省「就労条件総合調査」によると、2020年において、定年制がない企業は4.5%となっている(図表1-16)。   

>一方で、定年年齢が65歳以上の企業は16.6%、そして再雇用制度もしくは勤務延長制度を導入する企業が計71.4%と、継続雇用が多数派を占めている。   

>これは中小企業も含めた結果であり、企業規模1000人以上の企業に絞ると定年制を廃止した企業は0.7%になる。   

>事例としてほぼ皆無に近い。   

>一方で、再雇用制度のみの企業は76.2%にも上り、ほとんどの大企業が実際に採用している施策はやはり再雇用制度の導入となる。   

>本来、企業内における出世争いは、その人が持つ経験や能力など実力で競争するのが筋であり、年齢で区別するのはおかしい。   

>しかし、なぜ現在の役職者はその役職に就くことができたのかを考えていくと、そこにも人事管理上の事情が確かに存在することがわかる。   

>自分が役職に就けたのは実力があったからだという考え方も一面としては正しいが、人事管理上の視点から考えれば、その人が高位の役職に就けたのはまぎれもなく前任の役職者が後進に道を譲ってくれたからである。   

 

そうですね。上からの昇進ですね。      

 

>過去から現在まで連綿とビジネスを行っている組織においては、結局役職というのは持ち回りでしかなく、それを自身の能力故なのだと考えるのであればそれは現実とは異なる。   

>こうした組織の論理に理解を示せないのであれば、それこそ自分で起業するなりするしかないだろう。   

>組織とは所詮個々人の自由にはいかないものである。   

>さらにいえば、多くの企業の給与管理にはいまだに生活給の意味合いが強く残されている。   

>先述の通り、社会人になって以降家計支出は増え続け、そのピークを迎えるのは40代から50代となる。   

>従業員のこれまでの会社への貢献に応じる形で、そうした時期を迎えている従業員に組織の重要な役職を任せ、彼らに目いっぱいの仕事をしてもらうというのが日本型雇用のモデルである。   

>米国の労働市場などを年齢差別のないすばらしいものだと評する向きもあるが、これは競争原理の下でパフォーマンスが伴わなければいつでも解雇可能であることの裏返しでもある。   

>結局、どのような雇用システムを志向するかは一長一短であり、能力や成果にかかわらず本人の自由意思で高い役職を得ながらいつまでも働き続けられる企業は、どこの国にも存在しないだろう。   

>定年後の長い延長戦をどう過ごすか   

>今後、企業における雇用システムはどのようなものになっていくだろうか。   

>おそらく、しばらくは日本型雇用の仕組みを基礎としながらも、その仕組みの修正を長い年月をかけて緩やかに進めていくといったシナリオになるのだろうと考えられる。   

>その背景としては、第一に、仮に年功序列などの仕組みを廃し、実力主義やジョブ型雇用を徹底することが理論的に好ましいという結論を得たとしても、企業が行動を変えるのはそう容易ではないからである。   

>一企業の雇用システムを変えようとしたとき、政治的にそれが実現できるかといった問題がある。   

>実力主義の会社にしようと経営陣が提案したとしても、それによって損をする従業員が多く発生してしまう場合には、労働組合は反発するだろう。   

>全社的な合意を得たうえで、雇用制度を変えていこうとするプロセスには多くの困難が生じることが予想される。    

>また、移行を一気に進めた場合に生じる弊害にも目配りする必要がある。   

>人事制度の急激な変化によって、若い頃は年功序列で我慢を強いられてきたにもかかわらず、中高年になってその恩恵に浴することができない世代が必ず発生してしまう。   

>制度の移行によって損をする世代を時代の犠牲者だとして割り切ることは、良いか悪いかは別として、多くの企業にとっては実際問題として難しいだろう。   

1990年代から2000年代にかけて模索された成果主義も日本企業には十分に定着しなかった。   

>成果を出し続けなければならないという精神的な負荷の高まりや、他者との協調を図る組織風土の劣化など、実際に導入してみると多くの企業でその弊害が目立ち、成果主義は日本の雇用のあり方を抜本的に変えるまでには至っていない。  

 

それはプロスポーツ選手の人生の様なものですね。   

 

>日本企業の年次管理の対案として提案されることが多い成果主義や能力主義であるが、こうした仕組みもそもそも万能ではない。

 

>問題の根幹は、評価にある。   

>企業において能力・成果が高いのはどの従業員でそうでないのはどの従業員か、明確な線引きをすることは現実問題として難しい。   

 

プロスポーツの監督の様なものですね。   

 

>降格をいかにして納得してもらうのかも大きな問題である。   

>職位が下がるのはあなたの能力や成果が低下したからだという説明を、人事や上位者が一人ひとりに説得力を持って行うことができるのか。   

>年次管理を廃し実力主義を徹底すれば、自身の処遇に疑問を感じモチベーションを落としてしまう社員がますます増える可能性もある。    

>こうした成果主義や能力主義が生み出す現実的な問題を踏まえると、良くも悪くも多くの企業は今後も緩やかに年次管理を続けていくことになるのではないか。   

>そのようななかで、継続雇用下においても成果に基づいて賃金も少しずつ弾力的に運用していくという方向が、多くの企業人事が取りうる現実的な解になるだろう。

 

それは上からの昇進ですね。   

 

>仮に継続雇用が70歳まで延ばされるようなことになれば、定年後の延長戦は実に10年もの長期にわたる。   

>定年後の10年近い延長戦をどう過ごせばよいか、多くの人がそれに悩むことになる。   

70歳ならまだしも、将来は75歳、80歳とさらに延びていくのか。   

>生涯現役時代における終わらないキャリア。   

>企業人事も、働く人たちも、迫りくる現実への動揺を隠すことはできない。   

(略)   

 

日本人には意思がない。だから、上からの指示 (上意下達) を大人しく待っている。

‘求めよさらば与えられん’(何事もただ待つのではなく、自ら積極的に求める態度が必要であるということ)   

上からの昇進、上からの賃上げ、上からの改革などなど。これでは国力は衰退しますね。自分自らの○○でなければ国力は伸びませんね。

皆がプロスポーツの選手の様な生活をする必要があります。実力に差のあることは致し方のないことです。背の高さに違いのあるようなものですね。   

              

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


依存は禁物  

2025-01-24 20:18:58 | 文化

>zakzak   >石破政権なめられっぱなし中国、日本産水産物禁輸継続 中国外務省、処理水めぐり「核汚染水」と非難「依存は禁物」と石平氏   >6時間・   

>石破茂首相は24日午後、衆院本会議で昨年10月の就任後初めてとなる施政方針演説を行う。   

>昨年の衆院選惨敗を受けて少数与党で臨む通常国会では困難な国会運営が予想されるが、外交でも厳しい現実を突きつけられた。   

>昨年12月の岩屋毅外相の訪中で、福島第1原発の処理水海洋放出を受けて中国が強行した日本産水産物の輸入停止を緩和する方針を確認していたにもかかわらず、中国側は処理水を「核汚染水」と非難して禁輸を続けているのだ。   

>「対中傾斜」が目立つ石破政権だが、なめられっぱなしでいいのか。   

 

先方は石破政権の甘さを調べているのでしょうね。   

 

>「福島核汚染水の海洋放出は国際公共の福祉に関わるものであり、日本の一方的な行動は近隣諸国や国際社会の懸念を無視している」   

>中国外務省の毛寧報道官は23日の記者会見でこう述べ、日本産水産物の輸入再開には中国が検査を続ける必要があるとして、日本側に水産物の安全性を保証する「有効な措置」を求めた。

>だが、中国側の検査では安全性が確認されている。   

 

御無理御尤もですね。   

 

>中国国家原子力機構は同日、福島第1原発周辺で昨年10月に採取した海水を中国の研究機関が分析したところ、トリチウムなどの放射性物質濃度に異常はなかったと発表したのだ。   

>毛氏は会見で「異常なし」が確認されたことに言及しながらも、「核汚染水排出に反対する中国の立場は変わらない」と強弁した。   

>石破政権は、習近平国家主席率いる中国との関係強化を図っている。   

>石破首相は昨年11月に習氏と会談を行い、同年12月には訪中した岩屋氏が李強首相や王毅外相と面会して「戦略的互恵関係」の推進を確認した。   

>中国の行動、石破政権の対中姿勢をどうみるか。   

>評論家の石平氏は「国際原子力機関(IAEA)が処理水について、『国際的な安全基準に合致している』として問題がないとしているにもかかわらず、中国側は理不尽な難癖をつけてきた。   

>ドナルド・トランプ米政権の対中強硬姿勢を受け、中国は日本を篭絡(ろうらく)しようとすり寄ってきているが、中国側がいつでも、水産物以外の日本からの輸入品も止める可能性があるということを忘れてはならない。   

>石破政権は中国人向けのビザ発給要件を緩和する方針を示すなど中国側に譲歩しているが、中国への依存は禁物だ」と話した。   

 

日本人には議論ができない。自己のあるべき姿を持っていない。   

だから日本人は譲歩する。これは相手の譲歩を期待しての事である。これで相手は安心している。こちらは舐められる。   

力を発揮すれば事がはかどる。しかし、力を出すには意思がいる。だが日本人には肝心な意思がない。   

だから、日本人は相手に力を加えて譲歩を迫るやり方はできない。これは日本人に課せられた大きな問題である。         

 

日本人は議論下手である。だから相手と交渉ができない。しかたがないから世界の事を自分一人で決める。この世は自分と相手とで成り立つ世界であるということを忘れているようだ。   

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)   

 

古びた山門の両脇に立つ仁王像は、不法を見て極度の怒りを発している。そして筋骨隆々とした肉体を誇示して自己にその矯正力のあること示している。    

トランプ次期米大統領はウクライナのゼレンスキー大統領に停戦をしろと圧力をかけた。停戦しなければ、武器援助を止めると脅した。  

彼はロシアのプーチン大統領に停戦しろと圧力をかけた。停戦しなければ、ウクライナに武器援助をすると脅した。   

彼は自己の持っている力を誇示して停戦の実現に可能性のあることを示した。

我々日本人はこの力を用いた仁王様のやり方を取入れる必要が在る。そして建設的な態度を示そう。我々は力なく生涯を単なる歌詠みに終わらせてはならない。 

 

 

 

 

 

 

 

 


トニー・マラーノ氏  

2025-01-24 09:21:03 | 文化

>zakzak   >さらば、夕刊フジ 共産主義者は信用できない警戒を怠るべきではない 対中接近強める石破首相に「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏が警告   >1時間・   

>ハ~イ! みなさん。   

>お久しぶりです。    

>ドナルド・トランプ米大統領の就任式が20日、ワシントンで行われた。   

>神は昨年7月、ペンシルベニア州バトラーでの暗殺未遂事件で、トランプ氏を銃弾から守った。   

>欧米諸国はリベラル思想の台頭でおかしくなっているが、「平和と秩序を取り戻せ」とトランプ氏に託したのだろう。   

>俺は、第1次トランプ政権がスタートした2017年、日本各地で講演活動を行った。   

>その時に「日本は何も心配することはない」と発言した。   

>当時の安倍晋三首相がトランプ氏と盟友関係にあったからだ。   

>現在、米EV大手テスラ社のCEO、イーロン・マスク氏が、トランプ氏の「ファースト・バディ(相棒)」と言われるが、最初は安倍氏だった。   

>トランプ氏は、暗殺された安倍氏を決して忘れていない。   

>最初に大統領に当選したとき、安倍氏は師匠だった。   

>昨年の大統領選でも、安倍氏のことを何度も好意的に語っていた。   

>トランプ氏は昨年末、安倍氏の妻、昭恵さんを米南部フロリダ州の私邸「マールアラーゴ」に招いて、夕食会を開いた。   

>中国の共産主義者へのトランプ氏の見解は、ロナルド・レーガン大統領のソ連への見解と重なる。   

>「われわれは勝ち、彼らは負ける」。   

>レーガン氏は、ソ連の社会主義者だけが問題で、ソ連国民に罪はないと言っていた。   

>トランプ氏も中国人民には敬意を払うが、中国共産党には敬意を払わない。   

>トランプ氏は中国指導部と協力すべきことは理解しているが、いかなる信頼も留保している。   

>これに対し、石破茂首相は中国指導部との緊密な関係を求めて、早期の訪中を模索しているという。   

>共産主義者は決して信用できない。   

 

そうですね。共産主義は覇者の隠れ蓑ですね。   

 

>常に警戒を怠るべきではない。   

>中国は近隣諸国に極めて攻撃的で敵対的だ。   

 

そうですね。   

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

朕は国家なり。国を愛せ。朕をも愛せ。独裁国家という名の聞こえが悪ければ、共産主義国家と呼べば良い。個人崇拝・権威主義者より。  

「中国には地球の人口の約6分の1の人が住むが、実際は秦朝時代から中国はずっと『1人』しかいない、驚くべき専制国家。高速で物を運べる機械のようなものだが、逆に言えばとても危険な機械だ」 艾未未(アイ・ウェイウェイ)  

 

>インド、ベトナム、フィリピン、そして、日本の沖縄県・尖閣諸島で何が起きているかを見れば明らかだ。   

>トランプ氏の就任式には、イタリアのジョルジャ・メローニ首相や、ハンガリーのオルバン・ビクトル首相、アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領らが参加した。   

>当初、中国の習近平国家主席も招いていた。   

>中国との対話を促進しながら、交渉の主導権を握ろうとしていたと思う。   

>米国に古い格言がある。   

>「友は近くに、敵はもっと近くに」と。   

>最後に、夕刊フジが休刊になると聞いた。   

>時代の流れなのだろうが、俺は非常に寂しく思うとともに、感謝の気持ちでいっぱいだ。   

>俺の「痛快! テキサス親父」のコラムは、初めに英語で原稿を書き、それをテキサス親父日本事務局の藤木俊一氏(ケンタッキー州名誉大佐)が日本語に翻訳し、夕刊フジ編集局が体裁を整えて掲載されてきた。   

>このコラムのおかげで、日本の多くの人々と知り合う機会に恵まれた。   

>北海道から沖縄まで、日本が世界に誇る伝統と文化を目の当たりにできた。  

>俺の人生にとって最高の出来事だった。    

>そして、俺がいつも言っていることが証明されたと思う。   

>「日本の問題は、野蛮人が住む惑星に住む、唯一の文明人であることだ」   

 

それは、ほめ過ぎですね。   

 

>親愛なるみなさんと、日本と米国に神のご加護がありますように。   

>では、またどこかで会おう!   

>■トニー・マラーノ 評論家。   

1949年生まれ。   

>テキサス州在住のイタリア系米国人。   

>サラリーマンを定年退職後、動画サイト「ユーチューブ」などで連日、評論活動を行っている。   

>世界のあらゆる〝悪〟と戦う「プロパガンダ・バスター」でもある。   

>大変な親日家であり、日本でも圧倒的ファンを獲得している。   

>自著・共著に『テキサス親父の「怒れ! 罠にかかった日本人」』(青林堂)、『日本は、世界の悪を撃退できる』(産経新聞出版)など。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


三ッ谷誠氏  

2025-01-23 22:47:43 | 文化

>現代ビジネス   >「日本は1945年から何も学んでない」USスチール買収をめぐる「希望なき白人の物語」が日本人に鳴らす警鐘   >三ッ谷誠(IR評論家)によるストーリー・   12時間・   

>日本人をぎょっとさせる、1945年という「記号」   

>筆者は日本製鉄のUSスチール買収について、それは「日米同盟の強度」を測る上で極めて象徴的な案件であり、ある意味「新冷戦相場」という側面を持つ昨年来の日本株の相場の先行きをも占うものだ、とこれを注視し、折々に記事として触れてきた。   

>(2024419日〈日本製鉄のUSスチール買収には大きな意味がある…「日米同盟」と「新冷戦相場」の強度を占う試金石〉、731日〈日本製鉄、中国宝山鋼鉄との合弁解消は単なる「脱中国」ではない…その先にある「新冷戦」のリアル〉)   

>その案件について、年明け、13日にバイデン大統領がまさに国家安全保障上の理由で禁止命令を出したことは多くの読者が知るところだろう。   

>それに対して日本製鉄は、あくまでUSスチール買収を諦めない姿勢を見せ、17日にはUSスチールと共同で<買収に対する不当介入の禁止及び是正>を求めた2件の訴訟を起こしている。   

>対象はバイデン大統領とCFIUS(対米外国投資委員会)議長であるイエレン財務長官、ガーランド司法長官、もう1件がクリーブランド・クリフス社、同社のゴンカルベスCEO、そしてUSW会長のマッコール会長で、彼らの主張は、一度>買収の競争に負けたクリフス社とUSW執行部が共謀し、選挙での支援を目的として彼らに与したバイデン大統領が、正当な理由なく買収禁止の大統領令を出した、というものだ。   

>この提訴も効を奏したのか、大統領令で定められた30日の廃棄期限であった22日は、618日にまでCIFUISが延長を認め、最終的な判断のボールはトランプ政権に移ったというのが、現時点での本件の整理になる。   

>さて、前置きが長くなったが、本稿で採り上げたいのは、日本製鉄の訴訟の対象となったクリフス社のゴンカルベスCEO(ゴンカルベス自身はブラジルから米国に来られた履歴になるが)の発言になる。   

>既に様々な媒体に採り上げられているので、内容の詳細は省くが、113日の記者会見で彼は「中国は悪だが、日本はもっと邪悪だ、中国にダンピングや過剰生産の方法を教えたのは日本だ」「日本は1945年から何も学んでない。   

>米国がいかに優れていて、寛大なのか、分かっていない」と企業経営者としては類をみない発言を(動画では明らかだが)高いテンション(途中、背後の星条旗を掴むなどアクション付き)で行ってみせていた。   

>多くの日本人が、ぎょっとしたのは、1945年、という「記号」が、2025年の現在、米国の企業人の口から不意に現れた亡霊のように飛び出してきたことではないか、と思う。   

>また、日本製鉄の訴訟、そしてそこで彼らが描いた大統領令の背後に、こうした発言を公的な場で行う経営者がいて(いや、まさに彼自身が訴訟対象で、彼の過激かつ感情的な発言も、金銭的な賠償を求められていることへの苛立ち、なのかもしれないが)、そうした言動や彼の語る「物語」に、実際に大統領が動かされている、という現実への戸惑いではないか、と思う。   

>しかし、ボールが渡されたトランプ政権についても、そのトランプ自身が、選挙戦の最中から、日本製鉄のUSスチール買収に否定的であったのは誰もが知る話だし、これから関税によって(守られ)利益があがるUSスチールがなぜ他国への身売りを考えねばならないのか、と最近でもSNSで語っているのが、現実だ。   

><帝国>から「偉大な米国」へ   

>筆者は、冒頭にも書いたように、このディールは「日米同盟の強度」を占う象徴的な案件なのだ、と2023419日付の記事に記し、ゆえにこそ日本製鉄は中国との関係を疑われないように宝山鋼鉄の株を手放した、と2023731日付の記事に記した。   

>しかし、少なくとも現段階で炙り出されたのは、日米同盟のある意味での脆さになる。   

>日本製鉄は国家安全保障にかかる米国サイドの懸念に対しては、その懸念を理解し、あらゆる点できめ細かな配慮を行い、約束を示していた。   

>図1は、2024117日に開催された20253月期2Q決算説明会資料の抜粋になるが、「ガバナンス」「米国内生産」「通商」の3つの視点で、例えば「取締役の過半数は米国籍」など、その懸念を払拭する打ち手を示している。

>冷静に考えれば、最短の時間軸で台頭する中国に対するには、同盟国である日本の日本製鉄の技術と資本を活かして、早急にUSスチールを再建することが、理に叶っていることは、米国の支配層においても自明のことだろう。   

>しかし、米国の選択はそうした理性に基づいたものではなく、あくまでUSスチールは米国の手で管理し、再建できるのかどうかは分からないが、MAGA「偉大な米国の再興」(Make America Great Again)、の文脈でやっていく、というものだった。   

>こうした帰結を考えるに、トランプが掲げるこのMAGAというスローガンについて、これはもう本当にそうなのだ、と考えた方が良さそうだ。   

2000年代初頭、読書界を騒がせた本に、ネグリ・ハートの<帝国>がある。   

><帝国>それは必ずしも肯定的に示されたものとは言えなかったが(<帝国>に抗するマルチチュードという概念が寧ろ肯定的に描かれていた)上部構造にあたる国家を超え先進各国の支配層が溶け込んで織り成す権力の在り方を呼びならわした言葉で、それは冷戦が終わり自由と民主主義が最後の政治的価値として浮かびあがった世界をも指し示すものだった。   

>ある意味、グローバリズムの支配する世界、という解釈でも問題ない。   

>しかし、現在、アメリカは<帝国>という幻想や理想から離脱し、単独で世界に冠たる国家として行くことを、まずは選んだと考えられる。   

>それは、もちろん中国やロシアといった1930年代を再現するかのような権威主義国家が国家として台頭したことへの回答でもあるが、トランプが関税を、美しい言葉だ、と語るのは、そうした1930年代的な世界においても最強であり、シェールガスによってエネルギー的にも自立し全てを自国で完結もできるアメリカの自信をも表している。   

>もちろん、関税は自由貿易やグローバリズムがもたらす「豊かさ」にはマイナスの作用をもたらす。   

>それは経済学の教える通りだが、しかし、グローバリズムが(ネグリ・ハートが論じた<帝国>が)、その中枢にいた米国から製造業を奪い、製造業で潤っていた地域やそこに住み、別の新しい産業に移ることのできなかった人々を「新しい貧困」に追いやり、それが<帝国>の前の時代にあった「偉大な米国」の再興を希求する人々を生み出し、そうした人々に押し出されてトランプ政権が生まれたことを、我々はきちんと受け止める必要がある。彼らは製造業をもう一度荒れ果てた街に戻したい、そこで汗まみれになって働きたい、働いて誇りを持ちたいのだ。   

>ラストベルトの労働者に根付く「物語」   

>さて、USスチールのペンシルバニアもそうだが、かつて米国を支えた製造業の集積地となるラストベルトの1945年以後を知るには、うってつけの本がある。   

>トランプが副大統領として指名したJD・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』がまさにそれだ。   

>そこに描かれるのはヴァンスの祖父母からの一族の歴史であり、生い立ちであり、希望を喪失した故郷の描写と、海兵隊に入って生活を建て直し、エール大学のロースクールで学ぶ機会を得て社会的な階層移動を果たす彼自身の姿になる。   

>筆者は年末年始、遅ればせながらこの本を読み、彼らの生活や文化を追体験しながら、例えば、そこに書かれた<オバマのエリート臭についていけない感覚>などを赤裸々に記した章などから、なぜ彼らラストベルトが(労働者の味方である筈の)民主党ではなく、トランプを選んだのか、そうした背景が理解できた気がした。   

>また筆者が、この本を読んですぐに連想したのは、ブルース・スプリングスティーンの世界(ザ・リバーの旋律などが蘇る)だが、すでにセレブとなったスプリングスティーンが、変わらず民主党を支持している一方で、どこにも行けずラストベルトで、希望なく暮らす白人が、かつてのアメリカの再興、に賭けたいという気持ちはよく分かる気がした。

>ただ、そうした労働者に対しても日本製鉄は、図2のように現存する基本労働協約を越える約束を掲げている。

>十分な配慮であり約束であるように感じるが、しかしヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』の、1989年に川崎製鉄が経営の厳しくなったアームコ・スチールと合併してできたAKスチールについて、合併後もアームコと呼んでいた、というような記述を読めば、問題はそこではない、ということも分かる。   

>それは、こんな記述だ。   

>「ほとんどの人がAKをアームコと呼んでいた第二の理由は、カワサキが日本企業だったからだ。   

>第二次世界大戦の兵役経験者とその家族であふれているこの町では、アームコとカワサキの合併は、まるで東條英機自身がオハイオ南西部に工場を開くことにしたかのように受けとめられたのだ」(光文社未来ライブラリー『ヒルビリー・エレジー』JD・ヴァンス 関根光宏・山田文訳p101)   

>この記述にも、我々からすれば亡霊のような東條英機という「記号」にぎょっとする。   

>また、ここにゴンガルベスが1945年という「記号」を語る背景が、滲み出ているとも感じる。   

>そして、こうした「記号」は例えばESG投資を語るニューヨークやボストンの機関投資家からは出てこないだろう。   

>カルパース(カリフォルニア州退職職員年金基金)からも出てこないだろう。   

>彼らはおそらくオバマを支持し、彼同様に肌の色はそれぞれでもエリート然と<ニュートラルでなまりのない美しい英語>を話すに違いない。   

>しかし、こうした「記号」で語られているのは、実際には生々しくグローバリズムで衰退した地域の人々には根付いている「物語」なのだ、と理解すべきだ。   

>日本人がいま本当に考えるべきこと   

>さて、こうした現実を前にして、我々は何をすべきだろう。   

>筆者は「自由や法の支配」などが本質的に重要だ、と考えていて、その意味で、それでも中国やロシアとではなく、米国が重要だと考えている。   

 

そうですね。教養が必要ですね。   

 

>だから、幾つかの記事で中国との向き合い方について警鐘を鳴らしてきた。   

>ただ、その米国が内向きになって、自らが嘗て主導したグローバリズムから背を向け始めている。   

>とすれば、我々が本当に考えるべきなのは、いかに自立して在るのか、だろう。   

>我々も一度グローバリズムの文脈を離れ、単独の国家としてどう身構えるのか、を考える必要がある。   

>その上で、すべきことは、矛盾に聞こえるかも知れないが、米国が本当に内向きになることを、防ぐことだろう。   

>岸田前首相が米国議会で語ったように、これからは自立した我々が隣りに立っています、だが、米国との向き合い方については、それが最善に思える。   

>そしてそのためには、英国との関係を強化していくのが正しい気がする。   

 

アングロサクソンは頼りになりますね。彼らの国には優秀な高等教育機関が沢山存在する。   

 

>また、理想論にはなるが、中国の中にも必ずいるそうした自由や法の支配を希求する人々をどうにかして支えることも大切だろう。   

>その意味では、ゴンカルベスの批判のうち、「邪悪な中国を生み出したのは日本だ」という言葉については、その言葉を苦く噛みしめる必要がある。   

 

そうですね。中国には実学 (現実) があって、哲学 (非現実) がない。これは日本も同じですね。日本と同じようにやれば、アングロサクソン以外の土地に邪悪な (無茶苦茶な) 国が沢山出来ますね。