【”23 川越まつり】
コロナ明けの昨年より、人出はやや少なめだったが、蔵造りの町並みを進む
各町自慢の山車に付いて回って来た。
先触れ方に続き、露払い、手古舞、警護方、綱先に続き子供衆が宰領の合図で
山車を引いてゆく伝統の山車曳行体系は川越まつりならではである。
陽が陰り、提灯の明かりに灯がともり始めた。
日が暮れ始めるころ、各町内の山車がお囃子と共に動き始めた。
お囃子は・・・笛1、大太鼓1、締め太鼓2、鉦1の五人囃子に舞い手(踊り)
の構成である。
子供も大人も女性たちが祭り衣装に身を纏い、観客を和ませてくれる。
仲町の「羅陵王」の山車・・・人形は古代中国の英雄、羅陵王で、二重鉾の
四ツ車、唐破風つきの囃子舞台という形式では最古の山車である。
菅原町の「菅原道真」の山車とすれ違う幸町の「翁」の山車。
川越のシンボル「時の鐘」の下を山車が通る・・・絵になるね~
蔵造りの町並みの中心にある、札ノ辻を「牛若丸」の山車が大観衆に囲まれて
進んで行く。
町内の会所前では、山車が正面を向き、お囃子でご挨拶だ!
連雀町の舞い手が、迫力ある舞を見せていた。
「頼光」と「道灌」の山車の、舞い手の掛け合いが剽軽で笑わせた。
漆黒の空に浮かび上がる連雀町の人形「道灌」が迫力ある姿を見せていた。
地元百貨店が寄贈した川越市の山車「猩々」お囃子は山車参加の無い囃子連が
上演する。
六軒町の山車「三番瘦」と宮下町の山車「日本武尊」のすれ違い。
連雀町の交差点には、各町の山車が集まり、川越まつり最大の見どころの一つ、
山車が正面を突き合わせ、挨拶として”曳っかわせ”(囃子の儀礼打ち)が
行われる。曳き手が提灯を掲げ、囃子方への声援が飛び交い、まつりのムードは
最高潮に達する。
江戸時代の川越は、藩主に徳川幕府の大老や老中職迎え、17万石の城下町として
栄えた。その原動力となったのは、隅田川と直結した新川岸舟運である。
川越商人は、周辺地帯から集めた物資を大消費地である江戸へ売り込み財力を
高める一方で、江戸の文化、風俗をそのまま引き写し、江戸と表裏一体の生活を
営んでいたという。川越祭が山車、人形、囃子、衣装など全てに正調の江戸流を
伝えているのも、こうした理由に他ならない。
370年前から続く川越まつりは、蔵造りの町並みに江戸まさりの山車が行き交う
過去と現在と未来が交流する感動の祭礼絵巻である。
我が家から1時間ほどで行ける川越祭り、贅沢な環境に居ることに感謝する。
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