ある事情から、実家のある長野県に帰ることになった新井指導員。
私は普段、彼を『リョウヘイ君』と呼び、感性豊かな彼を、私なりに可愛がってきたつもりです。
一時は豊橋道場にも住み込んでいて、少年部指導なども時々はやってもらっていましたから、なんだかんだでリョウヘイ君とは三年以上、一緒にいたわけです。
もちろん想い出も沢山ありますが、人生‥思想‥仕事‥など、二人で色々と語りあったことが良き想い出となりましたね。
結局、佐鳴台教室からは六人の生徒が西部教室に移籍することになりました。
寂しさや不安など、私も子供達も現在、似たような感情の中にいるのかも知れません。
でも、この現実を共に受け入れ、共に歩いて行けることは、それはソレで倖せなことなのだと思うのです。
カホやアイノのお母さんが、おっしゃっていました‥
『色々な教室を観てマワってきたのですが、この事実がキッカケで、逆に親も子供達も団結力が生まれたように思います‥』
そう‥そういうことなんでしょうね。
失うものがあれば、同時に得るものもあるように。
佐鳴台教室の子供達。来年からは『我が子』として、『熱』を持って育てて行きたいと思ってます。
いつか逞しくなった子供達と共に、逞しくなるであろうリョウヘイ君と、笑顔の再会があることを夢見て‥。(^-^)
【今日の一枚】
★写真は‥新井先生と佐鳴台教室の子供達。
【教室長の一言】
☆『とても明るく、優しい子が多いと言ってもらえるようになった、西部教室の子供達。きっと佐鳴台の子達も、この教室が好きになると思います』(^-^)